2011年11月1日火曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その6

上又以古經訓詁至精(57),學者封執多失(58),傳心豈如會目(59),著辭不若案形(60),復令創鑄銅人爲式(61)。內分腑臟,旁注谿谷(62)。井滎所會(63),孔穴所安,竅而達中(64),刻題于側(65)。使觀者爛然而有第(66),疑者渙然而冰釋(67)。在昔未臻(68),惟帝時憲(69),乃命侍臣爲之序引(70),名曰新鑄銅人腧穴鍼灸圖經。肇頒四方(71),景式萬代(72)。將使多瘠咸詔(73),巨刺靡差(74)。案說蠲痾(75),若對談於涪水(76);披圖洞視(77),如舊飲於上池(78)。保我黎烝(79),介乎壽考(80)。昔夏后敘六極以辨疾(81),帝炎問百藥以惠人(82)。固當讓德今辰(83),歸功聖域者矣(84)。
時天聖四年歲次析木秋八月丙申謹上(85)。

【訓讀】
上は又た以(おも)んみるに,古經訓詁至って精なるも(57),學者封執して失(あやま)り多く(58),心に傳うるは豈に目に會するに如(し)かんや(59),辭を著すは形を案ずるに若(し)かず,と(60),復た銅人を創鑄して式と爲さしむ(61)。內に腑臟を分かち,旁ら谿谷に注ぐ(62)。井滎の會する所(63),孔穴の安んずる所,竅(うが)ちて中に達し(64),題を側に刻む(65)。觀る者をして爛然として第有り(66),疑う者をして渙然として冰釋せしむ(67)。在昔(むかし)未だ臻らず(68),惟(こ)れ帝時(こ)れ憲(のつと)り(69),乃ち侍臣に命じて之が爲に序引せしめ(70),名づけて『新鑄銅人腧穴鍼灸圖經』と曰う。肇(はじ)めて四方に頒(わか)ち(71),景して萬代に式とす(72)。將に多瘠をして咸(あまね)く詔し(73),巨刺をして差(たが)うこと靡からしめんとす(74)。說を案じて痾を蠲(のぞ)けば(75),涪水に對談するが若(ごと)し(76)。圖を披(ひら)きて洞視すれば(77),舊(ひさ)しく上池に飲むが如し(78)。我が黎烝を保ち(79),壽考を介(たす)く(80)。昔夏后 六極を敘べて以て疾を辨じ(81),帝炎 百藥を問いて以て人に惠む(82)。固(もと)より當に德を今辰に讓り(83),功を聖域に歸すべき者なり(84)。
時に天聖四年歲次析木秋八月丙申謹んで上(たてまつ)る(85)。


(57)上:皇上。宋の仁宗を指す。 /原文では他の部分とは異なり,改行平出されていないのが氣がかりであるが,ひとまず從っておく。もし皇帝を指すというのが誤りであれば,「上古」の意味で,「上 又た古經訓詁至って精なるも(上古はまた古醫經の訓詁注釋がきわめて精確であったが),學者封執して失(あやま)り多く,心に傳うるは豈に目に會するに如(し)かんや,辭を著すは形を案ずるに若(し)かざるを以て」となろうか。 【譯】仁宗帝がまた思し召すには,古醫經の訓詁注釋はきわめて精確であったが,
(58)封執:拘泥する。固執する。 /封執:『莊子』齊物論「其次以為有物矣,而未始有封也(其の次は以て物有りと為す。而も未だ始めより封有らざるなり/その次の境地は,物があるとは考えるが,そこには境界を設けない)。」 唐 成玄英 疏:「初學大賢,鄰乎聖境,雖復見空有之異,而未曾封執(初めて大賢を學び,聖境に鄰す。復た空有の異を見ると雖も,而も未だ曾て封執せず)。」もとは事物の境界を言ったが,後に引伸して固執,執著の意となる。  【譯】古醫經を學ぶ者は自說に固執して誤りが多く,
(59)「傳心」句:心で傳えることは,どうして目で會(み)ることに如(し)く(匹敵する)だろうか。鍼灸取穴の奥深い內容については,口頭で傳授し心中で解釋するよりも,模型を利用して,直觀的に理解する方がまさる,という意味である。 【譯】以心傳心は,直接目睹するには及ばないし,
(60)著辭:文辭を書きあらわす。案形:圖形をしらべる。 /案:「按」に通ずる。【譯】(經穴を)文章に著すことは,圖形で勘案することに劣るので,
(61)式:モデル。模型。 /式:規格﹑樣式。 【譯】また詔して銅人を鑄造して模範標準とさせた。
(62)谿(xī吸)谷:ひろく鍼灸腧穴をいう。『素問』氣穴論:「肉之大會為谷,肉之小會為谿(肉の大會を谷と為し,肉の小會を溪と為す)。肉分之閒,谿谷之會,以行榮衞,以會大氣。」  /旁:「傍」に通ずるか。引伸して外あるいは四肢。『素問』陰陽應象大論(05)「谿谷屬骨。」『素問』氣穴論(58)「谿谷三百六十五穴會。」『素問』氣交變大論(69)「其病内舎腰脊骨髓,外在谿谷踹膝。」 【譯】內側には臟腑を配分し,外側四肢では經穴に流注する。
(63)井滎:井穴と滎穴。いずれも五腧穴に屬す。ここでは下句の「孔穴」對となり,ひろく鍼灸腧穴をいう。 【譯】井穴滎穴など腧穴の交わり會するところ,
(64)竅:孔竅(あな)を鑿つ。動詞として用いられている。 /安:配置する。据える。 【譯】孔穴の定位置,そこに竅(あな)を穿って中に達しさせ,
(65)刻題於側:孔穴のわきに,穴名を刻むことをいう。 【譯】經穴名をそのそばに彫刻した。
(66)爛然:鮮明なさま。 第:次第;順序。 【譯】銅人形を觀察するひとに圖像が鮮明で順序だっていることを知覺させ,
(67)「渙然」句:氷が融けてなくなるように疑問が消え失せることをいう。『老子』:「渙兮若冰之將釋(渙兮として冰の將に釋(と)けんとするが若し)。」また晉·杜預『左傳』序:「渙然冰釋,怡然理順(渙然として冰のごとく釋け,怡然として理順う/冰のように疑問が融け去り,よろこび自得するなかに道理にかなった行動思考ができるようになる)。」渙然:散るさま。 【譯】疑問をもつひとにも冰が融けるようにその疑問を渙然として解消させる。
(68)臻:到る。 【譯】むかしは(鍼灸の模型などは)完備されていなかったが,
(69)惟帝時憲:ただ當今の皇帝のみ時に應じて(ただちに)鍼灸の教令を確立した。時憲:『尚書』說命:「惟天聰明,惟聖時憲(惟(こ)れ天は聰明にして,惟(こ)れ聖時(こ)れ憲(のつと)る)。」傳:「憲,法也,言聖王法天以立教(憲,法るなり,聖王,天に法り以て教えを立つるを言う)。」後に當時の教令を稱して時憲と為す。「意」は,動詞として用いられている。法をつくる。 /「惟」を錢先生は「ただ」と解しているが,助詞として訓じた。 【譯】今上皇帝は法令をつくり,
(70)侍臣:作者自身を指す。 序引:序を書く。動詞として用いられている。引:意味は「序」と同じ。 /錢先生は「爲」を介詞(ために)として解しているが,動詞と解すれば「之が序引を爲さしむ(この序文を書かせた)」。 【譯】そこで臣下のわたくしに本書のために序文をものするように命じられた。
(71)肇:はじめる。 /四方:四處各地。 【譯】名前を『新鑄銅人腧穴鍼灸圖經』という。天下に頒布が開始されれば,
(72)景式:最も好いモデルをつくる。式:動詞として用いられている。景:大。 /「景式萬代」は「肇頒四方」と對になっているので,「景」は動詞か副詞であろう。『後漢書』劉趙淳于江劉周趙列傳·劉愷傳:「處約思純,進退有度,百僚景式,海內歸懷(約に處りて〖『論語』里仁:「不仁者は以て久しく約に處る可からず,以て長く樂に處る可からず」〗純に思い〖『左傳』昭公二十八年「在約思純。」杜預注「無濫心。」〗,進退に度有り,百僚 景式し,海內 歸懷す/困窮した境遇にあっても,心を亂すことなく,進退に節度があるので,多數の官僚は敬慕して模範とし,天下の民心はなつきしたがって/慕い集まって/います)。」李賢注:「(景式:)景慕して以て法式と為す。」 /景:仰慕する。景仰する(佩服尊敬する)。 【譯】民は敬慕して萬世の模範となろう。
(73)多瘠:多病のひとをいう。 咸詔:全く教えを受ける。 詔:教え。 /瘠:瘠瘵のごとく,やせ衰える病。 【譯】多病のひとにあまねく教えを垂れ,
(74)巨刺:本指針刺方法之一。『素問』調經論王冰註:「巨刺者,刺經脈,左痛刺右,右痛刺左。」ここではひろく鍼灸治療を指す。 靡差:誤りをおこさない。 【譯】鍼灸治療において過誤をおこさないようにさせる。
(75)案說:『銅人腧穴鍼灸圖經』の論說に照らして。 蠲痾:疾病を取り除く。 痾:「疴」の異體字。 【譯】『銅人腧穴鍼灸圖經』の解說にしたがって病氣を除けば,
(76)「若對談」句:如同在涪水のほとりにいた涪翁に鍼術の教えを請うのと同じようである。『後漢書』方術列傳·郭玉傳:「郭玉者,廣漢雒人也。初,有老父不知何出,常漁釣於涪水,因號涪翁。乞食人間,見有疾者,時下針石,輒應時而效,乃著針經、診脈法傳於世。弟子程高尋求積年,翁乃授之。高亦隱跡不仕。玉少師事高,學方診六微之技,陰陽隱側之術。和帝時,為太醫丞,多有效應。帝奇之,仍試令嬖臣美手腕者與女子雜處帷中,使玉各診一手,問所疾苦。玉曰:“左陽右陰,脈有男女,狀若異人。臣疑其故。”帝歎息稱善。玉仁愛不矜,雖貧賤廝養,必盡其心力,而醫療貴人,時或不愈。帝乃令貴人羸服變處,一針即差。召玉詰問其狀。對曰:“醫之為言意也。腠理至微,隨氣用巧,鍼石之閒,毫芒即乖。神存於心手之際,可得解而不可得言也。夫貴者處尊高以臨臣,臣懷怖懾以承之。其為療也,有四難焉:自用意而不任臣,一難也;將身不謹,二難也;骨節不彊,不能使藥,三難也;好逸惡勞,四難也。鍼有分寸,時有破漏,重以恐懼之心,加以裁慎之志,臣意且猶不盡,何有於病哉!此其所為不愈也。”帝善其對。年老卒官(郭玉なる者は,〖四川省〗廣漢雒の人なり。初め〖その昔〗,老父〖老人〗有り,何(いず)こより出づるかを知らず,常に涪水に漁釣〖魚釣り〗す。因って涪翁と號す。食を人間に乞う。疾有る者を見れば,時に針石を下し〖鍼治療をほどこし〗,輒ち時に應じて效あり〖いつもすぐに效能が見られる〗,乃ち『針經』、『診脈法』を著し世に傳えらる。弟子の程高尋ね求めて年を積ね,翁乃ち之を授く。高も亦た跡を隱して仕えず。玉少(わか)くして高に師事し,方診六微の技,陰陽隱側の術を學ぶ〖王先謙『後漢書集解』引ける沈欽韓:「六微とは,三陰三陽の脈候なり。『素問』に六微旨大論有って,天道六六の節の盛衰,人と相應することを言う。」『後漢書集解』校補:「今案ずるに,隱側とは,隱(ひそ)かに以て之を探り,側(ひそ)かに以て之を求め,陰陽の變化を窮むるを謂い,即ち診候なり。『雲笈七籤』(八十·五稱符二十四真圖)に云わく,子 變化を為さんと欲すれば,當に隱側圖を得べし」と〗。和帝の時,太醫丞と為り,多く效應有り。帝 之を奇とし,仍って試みに嬖臣〖寵愛を受けている近臣〗の美(うるわ)しき手腕の者をして女子と帷(とばり)の中に雜(まじ)え處(お)らしめ,玉をして各おの一手を診し,疾み苦しむ所を問わしむ。玉曰く:「左は陽にして右は陰,脈に男女有り,狀 異人の若し。臣 其の故を疑う〖左手には陽氣があり,右手には陰氣があり,脈には男女の違いがあります。同一人物とは思えません。わたくしはその理由が不思議でなりません〗。」帝歎息して善しと稱す。玉 仁愛にして矜(ほこ)らず,貧賤の廝養〖雜役の奴隷〗と雖も,必ず其の心力〖精神と體力〗を盡くすも,而れども貴人を醫療して,時に或いは愈えず。帝乃ち貴人をして羸服して變處せしむれば〖身分の高いひとを粗末な格好をし,居所を變えさせると〗,一たび針すれば即ち差(い)ゆ。玉を召して其の狀を詰問す。對えて曰く:「醫の言為(た)るや意なり。腠理 至って微にして,氣に隨って巧を用い,鍼石の閒,毫芒〖極めて精細微小なるの比喩〗即ち乖(そむ)く。神 心手〖『莊子』天道:「不徐不疾,得之於手,而應於心。」心で思うままに應じて手が動く〗の際に存し,解することを得可きも,而れども言うことを得る可からざるなり。夫れ貴き者は尊高に處(お)りて以て臣に臨み,臣は怖懾を懷いて以て之を承(う)く。其の療を為すや,四難有り。自ら意を用いて臣に任せず,一難なり。身を將(やしな)うに謹まず,二難なり。骨節彊(つよ)からざれば,藥を使うこと能わず,三難なり。逸を好み勞を惡む,四難なり。鍼に分寸有り,時に破漏有り〖注:分寸とは,淺深の度。破漏とは,日に衝破有る(人神の所在により忌日ある)者なり〗,重ぬるに恐懼の心を以てし,加うるに裁慎の〖慎重な〗志を以てす。臣の意すら且つ猶お盡きず,何ぞ病に於いてすること有らんや〖自分の心さえ整理がつかないのですから,病氣どころではありません〗。此れ其の愈えずと為す所なり。」帝 其の對えを善しとす。年老いて官に卒す〖在職中に死亡する〗)。」 【譯】涪水のほとりで人々を治療していた涪翁と語らい教えられて施術するのと同じであり,
(77)披圖:書中の圖形を閱覽する。 披:披(ひら)いて閱(み)る。 洞視:仔細に診察する。 /洞視:疾病を洞察する。『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲以其言飲藥三十日,視見垣一方人。以此視病,盡見五藏癥結。」 【譯】書中の圖を翻くことによって,疾病を仔細に診察れば,
(78)「如舊飲」句:あたかも扁鵲が上池の水を飲んで,盡く體內の疾病を見ることができるようになったかのようである。『史記』扁鵲傅に見える。 舊:久しい。 【譯】久しく上池の水を飲んで體內の疾病が透視できるようになるが如くである。
(79)黎烝:黎民百姓。 烝:多數。 【譯】我が多くの民を保護し,
(80)介:たすける。『詩經』國風·豳風·七月:「以介眉壽(以て眉壽〖長壽のひと。眉が長いのは眉壽の象徵〗を介(たす)く)。」鄭箋:「介は,助くるなり。」壽考:年老;長壽。 考:老。 【譯】みなが長壽になるのをたすける。
(81)夏后:夏禹を指す。『史記』夏本紀:「禹於是遂即天子位,南面朝六下,國號曰夏后,姓姒氏(禹 是に於いて遂に天子の位に即き,南面して天下を朝せしめ,國號を夏后と曰い,姓は姒氏)。」一說では虞舜を指す。『文選』班固『典引』:「陶唐舍胤而禪有虞,有虞亦命夏后(陶唐 胤(よつぎ)を舍(す)てて有虞に禪(ゆず)り,有虞も亦た夏后に命ず/堯は位をその子に授けず,舜にゆずり,舜もまたその子に授けず,禹に位をつぐように命じた)。」 六極:六種類の惡い事柄。『尚書』洪範:「六極:一曰兇短折,二曰疾,三曰憂,四曰貪,五曰惡,六曰弱。」 /『尚書正義』:「一曰凶短折,遇凶而橫夭性命也。二曰疾,常抱疾病。三曰憂,常多憂。四曰貧,困之於財。五曰惡,貌狀醜陋。六曰弱,志力尫劣也。」醫學における六極:『備急千金要方』卷十九腎藏·補腎:「六極者一曰氣極,二曰血極,三曰筋極,四曰骨極,五曰髓極,六曰精極。」詳しくは『巢氏諸病源候總論』卷三·虚勞病諸候·虚勞候等を參照。 【譯】昔,夏朝の創始者禹は六極をのべて疾病を判辨し,
(82)帝炎:即ち炎帝神農氏。 惠人:人類に恩惠を施す。 /問:審問する。 【譯】炎帝神農はあらゆる藥を詳しくしらべ,人々に恩惠を施したが,
(83)「固當」句:必ず現代に幸福を與える。 讓:あたえる。德:福,利。 【譯】それと同じく,當然この度の陛下の偉業は現代に福利をもたらし,
(84)聖域:聖人の領域。ここでは聖人の偉業を指す。以上に二句は,宋の仁宗の功德を稱揚するためのもの。 【譯】そのいさおしは,聖人の域に歸する。
(85)天聖四年:西曆1026年。天聖は,宋の仁宗趙禎の年號。 歲次析木:歲星紀年法によれば,歲星の運行は析木にいたる。析木は,十二星次の一つ。『爾雅』釋天:「析木,謂之津,箕斗之間,漢津也/析木,之を津と謂う。箕と斗の間,漢津なり(析木,之を津と謂う。箕宿と斗宿の間にあり,漢津のことである/漢津は一般に銀河をいい,特に析木の津をいう)。」太歲紀年法太歲在析木為寅年。天聖四年為丙寅年,故云歲在析木。丙申:丙申日。   【譯】時に天聖四年歲次は析木 秋八月丙申 謹んでたてまつる(85)。

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