2011年11月9日水曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その1

徐熙、字秋夫、不知何郡人。時爲射陽少令、善醫方、名聞海内、常夜聞有鬼呻吟聲甚淒苦。秋夫曰、汝是鬼、何所須、答曰、我姓斛、名斯、家在東陽、患腰痛死、雖爲鬼、而疼痛不可忍、聞君善術、願相救濟、秋夫曰、汝是鬼而無形、云何厝治、鬼曰、君但縛蒭爲人、索孔穴鍼之、秋夫如其言、爲鍼腰四處、又鍼肩井三處、設祭而埋之、明日一人來謝曰、蒙君醫療、復爲設祭、病除饑解、感惠實深、忽然不見、當代稱其通靈、長子道度、次子叔嚮、皆精其術焉、(唐史)

關聯史料
『南史』卷三十二 列傳第二十二
(張)融與東海徐文伯兄弟厚。文伯字德秀,濮陽太守熙曾孫也。熙好黃老,隱於秦望山,有道士過求飲,留一瓠𤬛與之,曰:「君子孫宜以道術救世,當得二千石。」熙開之,乃『扁鵲鏡經』一卷,因精心學之,遂名震海內。生子秋夫,彌工其術,仕至射陽令。嘗夜有鬼呻吟,聲甚悽愴,秋夫問何須,答言姓某,家在東陽,患腰痛死。雖為鬼痛猶難忍,請療之。秋夫曰:「云何厝法?」鬼請為芻人,案孔穴針之。秋夫如言,為灸四處,又針肩井三處,設祭埋之。明日見一人謝恩,忽然不見。當世伏其通靈。

【訓讀】
(張)融 東海の徐文伯の兄弟と厚し。文伯 字は德秀,濮陽太守熙の曾孫なり。熙 黃、老を好み,秦望山に隱る。道士有り過(よぎ)りて飲を求め,〔そのお禮に〕一瓠𤬛を留めて之を與(あた)う。曰く:「君が子孫宜しく道術を以て世を救べし。當に二千石を得べし。」熙 之を開けば,乃ち『扁鵲鏡經』一卷あり。因って心を精にして之を學び,遂に名 海內を震(ゆるが)す。子の秋夫を生む。彌(いよ)いよ其の術工(たく)みにして,仕えて射陽の令に至る。嘗て夜に鬼の呻吟する有り。聲 甚だ悽愴なり。秋夫何をか須(もと)むるを問う。答えて言う:「姓は某,家は東陽に在り,腰痛を患って死す。鬼と為ると雖も痛み猶お忍び難し。請う,之を療せよ。」秋夫曰い:「云何(いか)に法を厝せん?」鬼 芻人を為(つく)り,孔穴を案じて之に針するを請う。秋夫 言の如くし,〔鬼の〕為に灸すること四處,又た肩井に針すること三處,祭を設けて之を埋む。明日,一人の恩を謝するを見る。忽然として見えず。當世 其の通靈に伏す。

【注釋】
○張融:http://baike.baidu.com/view/139102.htm。張融(444~497)中國南朝齊文學家、書法家。字思光,一名少子。吳郡(今江蘇蘇州)人。 ○東海徐文伯:http://www.hudong.com/wiki/%E5%BE%90%E6%96%87%E4%BC%AF。南北朝時北齊醫家。字德秀。祖籍東莞姑幕(今山東諸城),寄籍丹陽(今江蘇南京)。父有醫名,少承家傳,醫道日精。主要作品有《徐文伯藥方》三卷,及《徐文伯療婦人瘕》一卷等。 ○兄弟厚:文伯の兄弟の話は出てこないが,文伯とイトコ(從兄弟·堂兄弟)の嗣伯と,張融は厚誼があった(仲が良かった),ということであろう。王鳴盛『十七史商榷』卷六十一 南史附傳皆非に「徐文伯嗣伯兄弟世精醫術」とあるのに從った。 ○濮陽:河南省東北部。 ○太守:長官。 ○曾孫:ひまご。 ○黃老:黃帝と老子を創始者とする前漢代に流行した政治哲学思想を黃老思想という。 ○秦望山:いま刻石山。會稽山脈の名山,秦の始皇帝が石に刻んだという傳説あり。 ○瓠𤬛:胡盧。ひょうたん。ひょうたんで作った水や酒を蓄える器。 ○二千石:太守の暗示。 ○扁鵲鏡經:他見せず。『太平廣記』卷二百十八は「扁鵲醫經」につくる。  ○精心:專心。精神を集中して。誠心。誠實に。 ○名:名聲。 ○海內:天下。 ○生子秋夫:『醫説』では,秋夫は熙の字。 ○射陽:一名謝陽。いま河南省南陽縣の東南にあり。 ○令:官名。ある政府機構の長官。 ○鬼:人の死後の靈魂。幽靈。 ○呻吟:病痛やかなしみにより發する聲。 ○悽愴:悽涼悲傷。 ○東陽:山東、河南、浙江など各地に同名の場所あり。 ○云何:「如何」と同じ。どのように。 ○厝:「措」に通ず。措置する。 ○芻人:藁人形。 ○案:「按」に通ず。しらべる,依る。 ○孔穴:いわゆるツボ。 ○為灸四處,又針肩井三處:『普濟方』卷四百九・流注指微鍼賦は「為鍼腰腧二穴肩井二穴」につくる。施灸しなかったのは,藁人形が燃えては困るから,とは某學生の解説。 ○設祭:祭壇を設けて,食料や紙錢などの供物をそなえる。 ○明日:翌日。 ○謝恩:恩賞に感謝する。 ○忽然:突然。猝然。 ○當世:今世﹑當代(のひと)。 ○伏:「服」に通ず。平伏する。信服する。 ○通靈:神靈や鬼神と相い通ずる。 

『普濟方』卷四百九 流注指微鍼賦:「秋夫療鬼而馘效魂免傷悲。」注「昔宋徐熈字秋夫,善醫方,方為丹陽令,常聞鬼神吟呻,甚悽若。秋夫曰:汝是鬼,何須如此。答曰:我患腰痛死。雖為鬼,痛苦尚不可忍。聞君善醫,願相救濟。秋夫曰:吾聞鬼無形,何由措置。鬼云:縳草作人,予依入之。但取孔穴鍼之。秋夫如其言,為鍼腰腧二穴肩井二穴,設祭而埋之。明日見一人來,謝曰:蒙君醫療,復為設祭。病今已愈,感惠實深。忽然不見。公曰:夫鬼為陰物,病由告醫,醫既愈矣。尚能感激况於人乎。鬼姓斛,名斯。」

『鍼灸聚英』卷八に「宋徐秋夫療鬼病十三穴歌」あり。
曰く「人中神庭風府始,舌縫承漿頰車次,少商大陵間使連,乳中陽陵泉有據,隱白行間不可差,十三穴是秋夫置。」

梁 吳均『續齊諧記』
錢塘徐秋夫善治病。宅在湖溝橋東。夜聞空中呻吟聲甚苦。秋夫起至呻吟處,問曰:「汝是鬼邪?何為如此,饑寒須衣食邪?抱病須治療邪?」鬼曰:「我是東陽人,姓斯,名僧平。昔為樂游吏,患腰痛死。今在湖北,雖為鬼,苦亦如生。為君善醫,故来相告。」秋夫曰:「但汝無形,何由治?」鬼曰:「但縛茅作人,按穴鍼之,訖棄流水中可也。」秋夫作茅人,為鍼腰目二處,并復薄祭,遣人送後湖中。及暝夢,鬼曰:「已差,并承惠食,感君厚意。」秋夫,宋元嘉六年為奉朝請。

【補説】
鬼の姓名が異なる。腰目は,奇穴の腰眼と同じであろう。

1 件のコメント:

  1.  今日正史に数えられるものに、『晋書』につづいて南朝には『宋書』『斉書』『梁書』『陳書』、北朝には『魏書』『北斉書』『北周書』さらに通史である『南史』『北史』を加えて九史に及ぶものがある。わずか一七〇年たらずの期間に対してこの分量はいかにも多すぎる。ひとつの王朝に対してそれだけ愛着が深かったのであろうか。南北互いに誇示しなければならない事情があったのであろうか。ねっとりと史書にからみつく執念の深さは何であったのだろうか。おそらくひとつは当時流行した小説に対し、大説を書こうとする意図が根底にあったのであろう。小説の主流は志怪小説とよばれる短篇で、これに伴って史書も怪異の記載が多くなっている。(増井經夫著 『中国の歴史書―中国史学史―』 1984年 刀水書房 刀水歴史全書20)

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