2011年11月23日水曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その6

『南史』卷三十二
嗣伯字叔紹〔『太平廣記』卷二百十八は「德紹」〕,亦有孝行,善清言,位正員郎,諸府佐,彌為臨川王映所重。時直閤將軍房伯玉服五石散十許劑,無益,更患冷,夏日常複衣。 嗣伯為診之,曰:「卿伏熱,應須以水 發之,非冬月不可。」至十一月,冰雪大盛,令二人夾捉伯玉,解衣坐石,取冷水從頭澆之,盡二十斛。伯玉口噤氣絕,家人啼哭請止。 嗣伯遣人執杖防閤,敢有諫者撾之。又盡水百斛,伯玉始能動,而見背上彭彭有氣。俄而起坐,曰:「熱不可忍,乞冷飲。」 嗣伯以水與之,一飲一升,病都差。自爾恒發熱,冬月猶單褌衫,體更肥壯。

【訓讀】
嗣伯 字は叔紹〔『太平廣記』卷二百十八は「德紹」〕,亦た孝行有り,清言を善くし,位は正員郎,諸府佐,彌(いよ)いよ臨川王映の重んずる所と為る。時に直閤將軍の房伯玉 五石散を服すること十許(ばか)りの劑,益無く,更に冷を患い,夏日も常に複衣す。嗣伯為に之を診て,曰く:「卿が伏熱,應に須(すべから)く水を以て之を發すべし。冬の月に非ざれば不可なり。」十一月に至り,冰雪大いに盛ん,二人をして夾(はさ)んで伯玉を捉え,衣を解いて石に坐せしめ,冷水を取って頭從り之に澆(そそ)ぎ,盡くすこと二十斛。伯玉 口噤して氣絕し,家人啼哭して止むを請う。 嗣伯 人を遣(つか)わし杖を執って閤を防ぎ,敢えて諫むる者有らば之を撾(むち)うつ。又た水を盡くすこと百斛,伯玉始めて能く動き,而して背上に彭彭として氣有るを見る。俄かにして起坐して,曰く:「熱 忍ぶ可からず,冷飲を乞う。」嗣伯 水を以て之に與え,一たび飲むこと一升,病都(すべ)て差(い)ゆ。爾(これ)自り恒に發熱し,冬月も猶お單褌衫にして,體更に肥壯す。

【注釋】
○孝行:父母を敬い順い養う德行。 ○清言:高雅な言論。特に魏晉時代の何晏 、王衍などの玄理(深遠奧妙な道理/魏晉の玄學が推崇する道理)に對する研討と談論。 ○正員郎:漢代の散騎侍郎の別稱。魏晉南北朝時代の散騎侍郎,員外散騎侍郎に相對して言う。 ○諸府佐:高級官僚,特に知府の補佐官を府佐という。「諸」は,いくつかの補佐官となったことをいうか。 ○臨川王映:齊の太祖高帝(蕭道成,字は紹伯)の第三子,映。字は宣光。 ○直閤將軍:直閣將軍ともいう。直閤は南北朝にあって內室守衛の武士。兵宿衛宮殿を掌領す。北齊の左右衛に直閤あり,その屬官に直閤將軍あり。 ○房伯玉:南陽之戰(北魏太和二十一年〔齊建武四年,497年〕から翌年の,北魏軍が南朝齊の宛城〔今河南南陽〕に進攻して勝利をおさめた戰さ)に,宛城の太守としてその名がみえる。同一人物か。 ○五石散:古代の養生方劑名。この方を服用後は發熱し,冷たいものを好むため,「寒食散」とも稱される。礦物を原料としてつくられる內服散劑の一種。その組成法は『抱朴子』『諸病源候論』など,各書により同じからず。この方は漢代に始まり,魏晉時,道流名士が長生を求めて,多くこの散を服食して,流行した。その養生に對する效用は認めがたく,健康を害すること顯著であった。隋唐以後,ようやく落ち着いた。 ○複衣:衣服のうちに更に綿服を着る。 ○卿:同輩に對する敬稱。 ○伏熱:ひろく熱邪が體內に潛伏して病むことを指す。 ○斛:約20リットル。 ○口噤:口をくいしばる。 ○啼哭:號泣する。 ○閤:大門のわきの小門。くぐり戶。 ○撾:鞭打﹑敲擊する。 ○彭彭:盛んなさま。 ○氣:湯氣。蒸氣。熱氣。 ○冷飲:清涼飲料水。 ○單:衣物のひとえ。「單衣」、「單褲」の如し。 ○褌:ふんどし。 ○衫:衣服の通稱。また單衣。

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