2011年10月30日日曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その5

去聖寖遠(31),其學難精。雖列在經訣(32),繪之圖素(33),而粉墨易糅(34),豕亥多譌(35)。丸艾而壞肝(36),投針而失胃(37)。平民受弊而莫贖(38),庸醫承誤而不思(39)。非夫聖人(40),孰救茲患?洪惟我后(41),勤哀兆庶(42),迪帝軒之遺烈(43),祗文母之慈訓(44),命百工以脩政令(45),敕大醫以謹方技(46),深惟鍼艾之法(47),舊列王官之守(48)。人命所繋,日用尤急,思革其謬(49),永濟于民。殿中省尚藥奉御王惟一素授禁方(50),尤工厲石(51)。竭心奉詔,精意參神(52)。定偃側於人形(53),正分寸於腧募(54)。增古今之救驗,刊日相之破漏(55)。總會諸說,勒成三篇(56)。

【訓讀】
聖を去ること寖(ようや)く遠く(31),其の學 精なること難し。列(つら)ねて經の訣に在りと雖も(32),之を圖素に繪けば(33),而(すなわ)ち粉墨糅(まじ)り易く(34),豕亥の譌多し(35)。艾を丸れば而ち肝を壞し(36),針を投ずれば而ち胃を失す(37)。平民 弊を受くるも贖(あがな)うこと莫く(38),庸醫 誤りを承けて思わず(39)。夫(か)の聖人に非ずんば(40),孰(たれ)か茲(こ)の患いを救えん。洪(そ)れ惟(た)だ我が后のみ(41),兆庶を勤(うれ)い哀しみ(42),帝軒の遺烈に迪(よ)り(43),文母の慈訓を祗(つつ)しみ(44),百工に命じて以て政令を脩めしめ(45),大醫に敕して以て方技を謹めしむ(46)。深く鍼艾の法を惟(おも)い(47),舊く王官の守に列(つら)ね(48),人命の繋る所,日々用いて尤も急とし,思いて其の謬を革(あらた)め(49),永く民を濟(すく)わんとす。殿中省尚藥奉御の王惟一素より禁方を授け(50),尤も厲石に工(たくみ)なり(51)。心を竭して詔に奉じ,意を精にして神を參ず(52)。偃側を人形に定め(53),分寸を腧募に正す(54)。古今の救驗を增し,日相の破漏を刊(ただ)す(55)。總て諸說を會して,勒して三篇と成す(56)。

(31)寖遠:しだいに遠くなる。寖は,「浸」に同じ。段々と。 【譯】聖人の時代からしだいに遠くなり,聖人の鍼灸醫學に精通することは困難になった。
(32)經訣:醫學經典の方法を指す。 /○訣:法術﹑方法。 【譯】鍼灸は医学經典にひとつの方法として並べられているが,
(33)圖素:圖卷。ここでは鍼灸經絡の圖を指す。 /○素:白色の生絹。「黃素」は黃色の絹,また詔書をいうが,新校備急千金要方序 「仲景黃素、元化綠袟」,『抱朴子』內篇·雜應「余見戴覇、 華他所集金匱緑 嚢、崔中書黃素方」などの用例によれば,「素」は,書籍で,醫學書に關しても使われる。  【譯】繪卷に圖として描こうすると,
(34)粉墨易糅:圖象が容易に混雜してはっきりしない。粉墨:もとは指繪を描くときに用いられる色,ここでは借りて經絡腧穴が描かれた鍼灸圖を指す。粉墨易糅は,また「粉墨雜糅」にも作る。この語の出典は『後漢書』左周黃列傳·黃瓊傳:「陛下不加清澂,審別真偽,復與忠臣並時顯封,使朱紫共色,粉墨雜糅,所謂抵金玉於沙礫,碎珪璧於泥塗,四方聞之,莫不憤歎(陛下 清澂〖詳細な檢查〗を加えて審らかに真偽を別(わか)たず,復た忠臣と與(とも)に時を並べて顯封し,朱と紫とをして色を共にし〖『論語』陽貨:「紫の朱を奪うを惡む。」朱は正色,紫は間色〗,粉と墨とをして雜糅せしむ。所謂る金玉を沙礫に抵(なげう)ち,珪璧を泥塗に碎くものにして,四方 之を聞きて,憤り歎ぜざるは莫し/陛下は詳しい調査をして,真偽を明らかにすることもなく,また忠臣とかれらを同時に高く封じましたが,これは正色の朱と間色の紫を一緒くたに扱い,白粉(おしろい)と墨とを混ぜ合わせ,金玉を砂利に放り込み,珪璧を泥の中で碎くようなもので,天下のひとはこれを聞いて,みな憤り歎いております)。」 【譯】經穴圖はまぎらわしいものとなり,
(35)豕亥多譌:文字に多くの誤りが存在することを指す。出典は『呂氏春秋』察傳:「子夏之晉,過衛,有讀史記者曰:『晉師三豕涉河。』子夏曰:『非也,是己亥也。夫己與三相近,豕與亥相似。』至於晉而問之,則曰晉師己亥涉河也(子夏 晉に之かんとして,衛を過ぐ。史の記を讀む者有り,曰く:「晉の師三豕に河を涉る。」子夏曰く:「非なり,是れ己亥なり。夫(そ)れ己と三は相近く,豕と亥は相似たればなり。」晉に至りて之を問えば,則ち晉の師己亥に河を涉ると曰うなり/孔子の弟子である子夏が晉に行こうとして,衛國を通過したとき,衛國の史官が記錄を音讀していて,「晉の軍隊が三豕に河を渡った」と言っていた。子夏は「誤りです。それは己亥でしょう。そもそも己と三は字形が近く,豕と亥も字形が似ているからです。」晉に到着してこのことについて質問すると,やはり「晉の師己亥に河を涉る」であった)。」後に字形が近いために誤ることを稱して「亥豕」という。譌:「訛」の異體字。 【譯】(傳承過程で)文字も多くの誤りが生じている。
(36)「丸艾」句:誤って艾灸を用いると肝を傷つけることをいう。丸艾は,艾炷をつくって灸すること。丸は,動詞として用いられている。物をこねて圓形にする。 【譯】(誤って)施灸すれば肝を壞し,
(37)「投針」句:誤って刺鍼すれば胃氣を損することをいう。 【譯】(誤って)刺鍼すれば胃氣を失う。
(38)贖:つくろい補う。補足する。 /○平民:民草。 【譯】一般の人々は害を受けても補償はされず,
(39)承:うけつぐ。繼承する。 【譯】低劣な醫者たちは過ちをそのまま繼承して,思いをいたさない/悩み悔いることを知らない。
(40)夫:その。遠指代詞。 【譯】もしあの過去の聖人でなければ,いったい誰がこれらの病を治すことができようか。
(41)洪惟我后:只有我們皇上。洪:語首助詞。后:君主。 【譯】そもそも我らが皇帝陛下だけが,
(42)勤哀:憂慮同情する。勤:憂慮する。哀:同情する。 /○兆庶:兆民。多くの人々。 【譯】萬民をうれいかなしみ,
(43)迪:繼承する。依る。 帝軒:黃帝。 遺烈:遺された功績。烈:業績,功業。 【譯】黃帝の遺された功績を繼承して實行し,
(44)「祗文母」句:文母太姒の慈愛教えを敬い奉ずる。祗:うやまう;敬いしたがいおこなう。文母:文德のある母。文王の妃,太姒を指す。『詩經』周頌·雍(雝):「既右烈考,亦右文母(既に烈考に右(すす)め,亦た文母に右(すす)む/功績ある亡父に供物をすすめ,文德ある母にも供物をすすめる)。」また『烈(列)女傳』母儀傳·周室三母:「太姒者,武王之母,禹後有㜪(また「莘」につくる)娰氏之女,仁而明道,文王嘉之……太姒號曰文母。文王治外,文母治内(太姒なる者は武王の母にして,禹の後の有㜪〖國名〗娰氏〖姓〗の女(むすめ)なり。仁にして道に明らかなり。文王 之を嘉(よみ)し……太姒 號して文母と曰う。文王 外を治め,文母 内を治む〖『禮記』昏義:「天子聽外治,后聽內職。」〗/太姒とは武王の母で,禹の子孫の有㜪〖莘〗娰氏の女(むすめ)である。思いやり深く道に明るく,文王が氣に入り……太姒は文母(文德厚い母/文王の偉大なる妃)と呼ばれた。文王が天下の外を治め,文母が内を治めた)。」後に皇后の美稱としても用いられるようになった。 /慈訓:(母の)いつくしみ深い教訓。 【譯】文母のいつくしみ深い教えにしたがい行ない,
(45)百工:多くの官僚を指す。 脩:「修」の異體字。 【譯】多數の官僚に命じて〔醫藥の〕政策法令を修訂させ,
(46)敕(chì赤):〔帝王の〕命令。 謹:謹しみ守る。/○方技:醫術、占星術などの技術。 【譯】名醫に詔敕を發して醫術を嚴守させた。
(47)深惟:深くおもう。惟:思う,念ず。 /原文は「深惟」のところで改行平出されているので,主語は皇帝であろう。 【譯】皇帝は深く鍼灸の方法を考慮なされ,
(48)王官之守:天子の官である職守(役職)のひとつ。『漢書』藝文志·方技略:「方技者,皆生生之具,王官之一守也。」 【譯】(醫官は)古くは帝王の百官中のひとつとして名をつらねおり,
(49)革:あらためる;ただす。 /○思:行の第一字目にあるので,皇帝の思いと解しておく。人命所繋:『三國志』魏書·方技傳·華佗傳:「佗術實工,人命所縣,宜含宥之(『後漢書』華佗傳は「佗方術實工,人命所懸,宜加全宥」)。」急:動詞。重要である。重視する。 【譯】(醫學は)人命と関わるものであり,日々用いてとりわけ重要であり,其の誤謬を改めようと思(おぼ)し召され,永遠に民眾を救濟しようとなされた。
(50)殿中省:官署の名,皇帝の飲食、服裳、車馬等の事柄を掌る。下に尚食、尚藥、尚衣、尚乘、尚輦の六局が設けられ,監一人により統率され,少監二人が副となる。尚藥奉御:醫の官名。 /○尚藥奉御:南北朝時代,南朝梁代が尚藥局を設け,その長官を奉御と稱した。唐代は正五品下。宋代,元豐〔1078年~1085年〕以後,典御と稱す(『宋史』卷一百六十八 志第一百二十一/ 職官八/ 合班之制/ 元豐以後合班之制) ○素:日頃。 ○禁方:祕密の醫方。ここでは醫學。 【譯】殿中省の尚藥奉御である王惟一は平素より醫學を教授しており,
(51)工:精通する。長(た)けている。 厲石:もともとは砥石のことであるが,ここでは鍼灸技術をいう。 /○厲石:砭石のことか。 【譯】とりわけ鍼に精通している。
(52)參神:鍼灸の神妙な道理を參考して驗證する。參:詳細に檢查する。參考して驗證する。 /○竭心:心を盡す。 ○奉詔:皇帝の命令を承る。 ○精意:一意專心となる。 【譯】心を盡して皇帝の命令を奉じ,精神を統一して鍼灸の神秘を驗證し,
(53)「定偃側」句:人體の前後と兩側の經絡の循行路線を定める。偃:仰臥。ここでは人體の前後と腹背をいう。 /○偃:仰臥。倒れ伏す。 ○側:わき。側面。 ○人形:人の形體。にんぎょう。 【譯】人體の前後兩側にある經脈を銅人形の上に設定し,
(54)正分寸:各腧穴の位置と分寸を確定する。 腧募(mó膜):人體の穴。また「募腧」、「募俞」にもつくる。背脊部にあるものを腧といい,胸腹部にあるものを募という。募:「膜」に通ず。 /正:誤りをただす。整理する。分析する。 【譯】背の兪穴、腹の募に代表される各穴の位置、分寸、深淺等をさだめ,
(55)刊:訂正する。 日相:古代の鍼灸取穴の學說で,日時の干支に基づき,某日某時に取るべき腧穴を推算すること。子午流注、靈龜飛騰の類。 破漏:鍼灸取穴學說の缺陷遺漏をいう。一說では,鍼刺禁忌の時機をいう。 /○驗:效驗。效き目。 日相:『銅人腧穴鍼灸圖經』卷下にある「人神」「避太一法」「血忌」のことか。 【譯】古今の治驗例を増やし,古い鍼灸忌日/時間治療學說の缺陷や漏れを訂正し,
(56)勒:刻む。ここでは書寫する意。 /○總會:總合してあつめる。 【譯】諸說を總合會聚して,三篇に編輯した。

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