2011年10月25日火曜日

張杲『醫説』鍼灸 關聯史料集成

『醫説』は基本的に四庫全書本による。引用されている原典がある場合は、それを揭載する。その他、關聯すると思われる史料があれば揭載する。簡体字のネットデータを繁体字に變換したり、また手で入力したりするので、「黄」「黃」「為」「爲」など混在した表記となろう。

●『醫説』鍼灸1 鍼灸之始
帝王世紀曰、太昊畫八卦、以類萬物之情、六氣六腑、五臟五行、陰陽四時、水火升降、得以有象、百病之理、得以有類、乃制九鍼、又曰、黄帝命雷公岐伯、教制九鍼、蓋鍼灸之始也、

關聯史料
宋 高承編撰『事物紀原』卷七:九鍼
帝王世紀曰、太昊畫八卦、以類萬物之情、六氣六府、五藏五行、隂陽四時、水火升降、得以有象、百物之理、得以有類、乃制九鍼、又曰、黄帝命雷公岐伯、教制九鍼、蓋鍼灸之始也、

【訓讀】
帝王世紀に曰く:太昊 八卦を畫して、以て萬物の情を類す。六氣六府、五藏五行、隂陽四時、水火の升降、以て象有ることを得たり。百物の理、以て類有ることを得たり。乃ち九鍼を制す。又た曰く:黄帝 雷公と岐伯に命じて、九鍼を制せしむ。蓋し鍼灸の始めなり。

【補説】
『醫説』鍼灸のタイトルは、「鍼灸之始」といいながら、「灸」についての言及がない。『事物紀原』での原題は「九鍼」であることがわかり、この矛盾は解消される。張杲は鍼灸卷の最初のタイトルとして「鍼灸之始」を持ってきたかったのであろう。『事物紀原』(四庫本、和刻本とも)「百物」を『醫説』は「百病」につくる。

『太平御覽』卷第七百二十一 方術部二 醫一
帝王世紀曰、伏羲氏仰觀象於天、俯觀法於地、觀鳥獸之文、與地之宜、近取諸身、遠取諸物、於是造書契以代結繩之政、畫八卦以通神明之德、以類萬物之情、所以六氣六府、五藏五行、陰陽四時、水火升降、得以有象、百病之理、得以有類。乃嘗味百藥而制九針、以拯夭枉焉。
又曰、黃帝有熊氏命雷公歧伯論經脈傍通、問難八十一、爲難經、教制九針、著內外術經十八卷、

【訓讀】
帝王世紀に曰く:伏羲氏仰いでは象を天に觀、俯しては法を地に觀、鳥獸之文と地の宜とを觀、近くは諸(これ)を身に取り、遠くは諸を物に取る。是(ここ)に於いて書契を造り、以て結繩の政に代え、八卦を畫(えが)いて以て神明の德に通じ、以て萬物の情を類す。所以(ゆえ)に六氣六府、五藏五行、陰陽四時、水火升降、以て象有るを得、百病の理、以て類有るを得たり。乃ち百藥を嘗め味わい、而して九針を制(つく)り、以て夭枉を拯(すく)う。
又た曰く:黃帝有熊氏 雷公と歧伯に命じて、經脈傍通を論じ、問難すること八十一、難經を爲(つく)り、九針を制(つく)らしめ、內外術經十八卷を著す。

【補説】
こうしてみると、『事物紀原』は『帝王世紀』から鍼灸にかかわりない情報を取り除いていることがわかる。また『帝王世紀』では「問難」と言っていることから「難」を「むずかしい」ではなく、「質問」と解していたと推測できる。『難經』に關しては、

『事物紀原』卷七 難經
帝王世紀曰、黃帝命雷公岐伯論經脈旁通問難八十〔一章〕、為難經、楊元操難經序曰、黃帝八十一難經者、秦越人所作、按黃帝內經二秩、秩九卷、其義難究、越人乃採精要八十一章、為難經、

【訓讀】
帝王世紀に曰く:黃帝 雷公と岐伯に命じて經脈を論じ、旁ら問難を通ずること八十〔一章〕、『難經』を為(つく)る。楊元操『難經』序に曰く:黃帝八十一難經は、秦越人の作る所なり。按ずるに『黃帝內經』二秩、秩ごとに九卷、其の義究め難し。越人乃ち精要八十一章を採って、『難經』を為(つく)る。

【補説】
楊玄操は唐代のひとであるから、皇甫謐『帝王世紀』からの引用はその前までである。「楊玄操」の「玄」が「元」となっているのは、宋代の避諱による。楊玄操によれば、『難經』の「難」は「むずかしい」の意。「秩」は「帙」。

『集註難經』楊玄操序
按黃帝內經二帙、帙各九卷、而其義幽賾、殆難究覽、越人乃採摘英華、抄撮精要、二部經內凡八十一章、勒成卷軸、伸演其首、探微索隱、傳示後昆、名爲難經、

【訓讀】
按ずるに黃帝內經二帙、帙各おの九卷、而れども其の義幽賾〔深遠玄妙〕にして、殆ど究覽し難し。越人乃ち英華を採摘し、精要を抄撮す。二部經の內 凡(すべ)て八十一章、勒(寫)して卷軸を成し、其の首に伸演するに、微(かく)れたるを探り隱(かく)れたるを索(もと)めて、後昆(後代の子孫)に傳示す。名づけて難經と爲す。

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