2011年3月26日土曜日

36-9 發泡打膿考

36-9『發泡打膿考』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『發泡打膿考』(ハ・61)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収

五十瀬武部子藝者余未面之人也子藝
嘗遊于崎陽講習西學其留在之際通書
於余而爲疑問者數矣爾後見聘于 紀
藩列于其醫員云于今雁魚屢徃復頃致
其所著發泡術一編以請序於余把而閲
之是即和蘭外科治術中之一法而其効從
  一ウラ
來所經試以知者也先是三十又餘年鷧
齋先生得諸和蘭一書中首唱以行之取
効不少當時社中稱原名呼凮荅涅鹿最
後余續譯先生所起草之瘍醫新書其手
術部弟二十芫菁發泡方法者即是也其
篇既成也愈得審其絶術之正法矣近時
此學盛行于都下社末亦於他之内外諸
  二オモテ
書説知此法多功用而常施之於治以獲
竒驗者爲不尠矣然僅唯止其社中今也
子藝在于關以南未接吾社後于三十年
而別得其法廣試其効亦將傳世之同道
之士其博濟之志實可謂厚矣余等常譯
述内外方術書既如此法則所常施行也
其佗彼捷徑便法慣其多而不敢爲新奇
  二ウラ
焉此所謂得魚忘筌又當局者迷之類乎
今子藝之有此舉雖彼精術中之一端至
其弘施斯一新術以裨益於世則功豈謂
淺鮮也乎乃録其所善弁編首以還云
文化丁丑仲春 磐水 平茂質
      〔印形黒字「皇和/小民」、白字「號/磐水」〕


  【訓み下し】
五十瀬(いせ)の武部子藝なる者、余が未だ面せざるの人なり。子藝
嘗て崎陽に遊び、西學を講習す。其の留まり在るの際、書を
余に通して疑問を爲すこと數(しば)々なり。爾後 紀
藩に聘して其の醫員に列せらると云う。今に于(お)いても雁魚屢(しば)々往復す。頃(ころ)おい
其の著す所の發泡術一編を致し、以て序を余に請う。把(と)りて
之を閲(み)れば、是れ即ち和蘭外科治術中の一法にして、其の効、從
  一ウラ
來經試して以て知る所の者なり。是れに先だつこと三十又餘年、鷧
齋先生諸(これ)を和蘭の一書中に得て、首唱して以て之を行う。
効を取ること少なからず。當時、社中は原名を稱(とな)えて凮荅涅鹿と呼べり。最
後に余は續けて先生起草する所の瘍醫新書を譯す。其の手
術部弟二十、芫菁發泡方法なる者は、即ち是れなり。其の
篇既に成るや、愈(いよ)々其の絶術の正法を審かにするを得たり。近時、
此の學盛んに都下の社末に行わる。亦た他の内外の諸
  二オモテ
書の説に於いて、此の法の功用多くして、常に之を治に施して以て
奇驗を獲(う)る者尠(すく)なからずと爲すを知る。然れども僅かに唯だ其の社中に止まるのみ。今や
子藝は關以南に在りて、未だ吾が社に接せず。後(おく)るること三十年
にして別に其の法を得て、廣く其の効を試し、亦た將に世の同道
の士に傳えんとす。其の博濟の志は、實(まこと)に厚しと謂っつ可し。余等常に
内外の方術書を譯述し、既に此(かく)の如き法は、則ち常に施行する所なり。
其の佗の彼の捷徑便法は、其の多きに慣れて、敢えて新奇と爲さず。
  二ウラ
此れ、所謂(いわゆ)る魚を得て筌を忘る、又た當局者の迷いの類か。
今ま子藝に此の舉有り。彼の精術中の一端と雖も、
其の弘く斯の一新術を施し、以て世に裨益するに至っては、則ち功、豈に
淺鮮なりと謂わんや。乃ち其の善くする所を録し、編首に弁して以て還(かえ)すと云う。
文化丁丑仲春 磐水 平茂質


  【注釋】
○五十瀬:宮城に五十瀬(いそせ)神社というのがあるが、ここでは「いせ」と読み、本書の著者の出身地である「伊勢」の意味であろう。 ○武部子藝:〔臨床鍼灸古典全書は、「式部」に誤る。〕名は游。子藝は字。紀州藩医。伊勢出身。蘭医・吉雄耕牛の嗣子、如淵の門人〔臨床古典全書解説の「吉尾」は誤字であろう〕。本序文の著者、大槻玄澤も吉雄と交流あり。 ○面:面会する。 ○遊:遊学する。 ○崎陽:長崎の唐風表現。 ○講習:講授研習。 ○西學:西洋の学問、特に蘭学。。 ○際:期間。当時。 ○通書:書簡により連絡をとりあう。 ○爾後:その後。 ○聘:請われて職に就く。報酬により招く。 ○紀藩:紀州藩。 ○醫員:藩医。 ○于今:現在。 ○雁魚:「雁素魚箋」の略。書信をいう。 ○徃:「往」の異体字。 ○頃:ちかごろ。 ○致:送り届ける。 ○閲:書物を読む。内容を調べる。 ○和蘭:オランダ。 ○効:効果。
  一ウラ
○經試:経験、試験する。 ○三十又餘年:三十有餘年。 ○鷧齋先生:杉田玄白(一七三三~一八一七)。大槻玄澤『六物新志』(天明七〔一七八七〕年刊)題言七則「和蘭学の此の二先生における、その一を欠いては則ち不可なり。何となれば則ち蘭化先生〔前野良澤〕微(なかり)せば則ち此の学、精密の地位に至ること能はず。鷧齋先生〔玄白の号〕微(なかり)せば則ち此の学、海内に鼓動して而(しか)して今日の如くなること能はず」(揖斐高『江戸の文化サロン』九四頁所引) ○首唱:最初に提唱する。 ○社:杉田玄白の蘭学塾・天真楼。 ○凮荅涅鹿:本文によれば、「ホンタネル」と読む。「凮」は「風」、「荅」は「答」の異体字。 ○瘍醫新書:Laurens Heister (一六八三~一七五八)/ロレンツ(ラウレンス)・ハイステル(ヘイステル)の外科書の序章・手術部にあたる。 ○弟:「第」に同じ。 ○芫菁:「スパーンセフリーゲン」の名。青娘子。ツチハンミョウ科の昆虫、緑芫青。 ○絶術:卓絶した治療術。 
  二オモテ
○關以南:ここでは紀州和歌山のことか。 ○吾社:芝蘭堂。 ○同道之士:同業者。ここでは医者。 ○博濟:ひろく救う。 ○方術書:ひろく占術書なども含むが、ここでは医書。 ○捷徑便法:簡便にすばやく目的に達する方法、近道。 
  二ウラ
○得魚忘筌:魚を捕ってしまうと、その道具の筌(やな)のことなど忘れてしまうということ。転じて、目的を達すると、それまでに役立ったものを忘れてしまうことのたとえ。『莊子』外物「筌者所以在魚、得魚而忘筌。蹄者所以在兔、得兔而忘蹄」。 ○當局者迷:当事者は往々にして事の真相を理解しない(局外にある者の方が、かえってはっきり理解している)。「當局者迷、傍觀者清」、「當局稱迷、傍觀必審」ともいう。 ○淺鮮:軽微。 ○弁:一番前に置く。序とする。 ○編首:篇首。 ○還:返書する。 ○文化丁丑:文化十四(一八一七)年。 ○仲春:陰暦二月。 ○磐水平茂質:大槻玄澤(一七五七~一八二七)。平氏。名は茂質(しげかた)。字は子煥。磐水は号。玄澤は通称。仙台藩の医官。


發疱打膿考序
夫醫之於術内外固異治法然或有
内患從外治外患得内治而愈者非
明窮形骸之理審辨疾病之故又能識
人身自然妙用之所在者則致錯誤爲
不尠矣友人武部子藝以喎蘭醫術鳴
南紀起廢救死者特多頃有發疱打
  一ウラ
膿考之著亦平生所試効是其一端云
蓋呼毒之法固係外治而今閲此書又
施諸内患諸症予初恐其錯誤已而
知悉淂肯綮而無一差忒也子藝非潛
心覃志研窮醫術則安能淂精妙至
於此哉子藝之業可謂強矣予戀醉
喎蘭醫術子藝有此舉吾豈可以莫
  二ウラ
嘉乎哉子藝乞序予不敢辭爲弁
數言
文化丁丑初春
    大阪 齋藤淳方策
     〔印形白字「醫/淳」、黒字「知不/足齋」〕


  【訓み下し】
發疱打膿考序
夫(そ)れ醫の術に於けるや、内外固(もと)より治法を異にす。然して或るいは
内患の外治に從い、外患の内治を得て愈ゆる者有り。
明らかに形骸の理を窮め、審らかに疾病の故を辨じ、又た能く
人身自然妙用の所在を識るに非ざれば、則ち錯誤を致すこと
尠(すく)なからずと爲す。友人武部子藝は、喎蘭の醫術を以て
南紀に鳴り、廢を起こし死を救う者(こと)特に多し。頃おい發疱打
  一ウラ
膿考の著有り。亦た平生試効する所の是れ其の一端と云う。
蓋し毒を呼すの法は、固(もと)より外治に係る。而して今ま此の書を閲(けみ)するに、又た
諸(これ)を内患の諸症に施す。予初めは其の錯誤を恐る。已にして
知悉して肯綮を得れば、一として差忒すること無きなり。子藝、
心を潛め覃(ふか)く志し、醫術を研窮するに非ずんば、則ち安(いず)くんぞ能く精妙を得て
此に至らんや。子藝の業は強しと謂っつ可し。予は
喎蘭の醫術に戀醉す。子藝に此の舉有り。吾れ豈(あ)に以て
  二ウラ
嘉(よ)みすること莫かる可けんや。子藝、序を乞う。予、敢えて辭せず。爲(ため)に
數言を弁す。
文化丁丑初春
    大阪 齋藤淳方策

  【注釋】
○喎蘭:オランダ。 ○鳴:名声が遠くまで聞こえる。 ○南紀:紀伊国(和歌山県と三重県の一部)。 ○起廢救死:廃人を起き上がらせ、瀕死の人を救う。 ○疱:「泡」。
  一ウラ
○試効:効果を発揮する。 ○呼:「吸」の反。体外へ排出する。 ○已而:やがて。すぐに。 ○知悉:細かいところまで知り尽くす。 ○淂:「得」の異体字。 ○肯綮:物事の急所。重要点。 ○差忒:錯誤。 ○潛心:心を静かに集中させる。 ○覃志:深くこころざす。(覃思:深く思う。) ○研窮:研究。 ○戀醉:恋慕心酔する。 ○舉:行為。 
  二ウラ
○嘉:賛美する。 ○不敢辭:断れない。 ○文化丁丑:文化二(一八〇五)年。 ○初春:陰暦正月。 ○齋藤淳方策:齋藤淳(一七七一~一八〇一)。字は方策。号は知不足齋。蘭方医。『蒲朗加兒都解剖圖説』(ブランカールト『新訂解剖学』)などの訳書あり。


發泡打膿考(跋)
大抵醫之療病與將之用兵工夫略同其制敵
取勝者全在于謀畧如何耳而謀略之所本不
過于竒正正者常也竒者變也以我正對彼
正雖孫呉豈有他術哉勝敗之決在其志力
也已獨至于變化之妙則兵家之秘以寡制
衆以小敗大突然扼前倐爾斷後或左或右
撃其不意機變百出不可具狀夫然後賊
將可斬強敵可屈如吾發泡打膿之術其
殆醫家之竒兵歟湯熨之所不及鍼石之所
ウラ
不至沈伏在内者誘而浮之升逆在高者引而
降之聚結者撃而碎其巢穴散漫者驅而
會之一所呼彼逐此皆常道之所不能制夫
然後結毒可抜廢痼可起今如此編僅舉其
概若夫運用無端變出不竆唯存乎其人

  文化丙子季秋題于蘭圃書屋
         武部游子藝
      〔印形白字「武部/游印」「子/藝」〕


  【訓み下し】
發泡打膿考(跋)
大抵、醫の療病と將の用兵とは、工夫略(ほ)ぼ同じ。其の敵を制して
勝ちを取る者は、全く謀畧如何(いかん)に在るのみ。而して謀略の本づく所は、
奇正に過ぎず。正なる者は常なり。奇なる者は變なり。我が正を以て彼の正に對すれば、
孫呉と雖も、豈に他術有らんや。勝敗の決は其の志力に在る
のみ。獨り變化の妙に至れば、則ち兵家の秘は、寡を以て
衆を制し、小を以て大を敗り、突然として前を扼(お)さえて、倐爾として後ろを斷ち、或いは左に或いは右に、
其の不意を撃ち、機變百出すること、狀を具(の)ぶる可からざるかな。然る後に賊
將は斬る可く、強敵は屈す可し。吾が發泡打膿の術の如きは、其れ
殆ど醫家の奇兵か。湯熨の及ばざる所、鍼石の
  ウラ
至らざる所、沈伏して内に在る者は、誘いて之を浮かべ、升逆して高きに在る者は、引きて
之を降し、聚結する者は、撃ちて其の巢穴を碎き、散漫する者は、驅りて
之を一所に會し、彼を呼び此を逐す。皆な常道の制する能わざる所かな。
然る後に結毒は抜く可く、廢痼は起こす可し。今ま此の編の如きは、僅かに其の
概を舉ぐるのみ。若(も)し夫(そ)れ運用して端無く、變出でて竆(きわ)まらざるは、唯だ其の人に存するのみ。

  文化丙子の季秋、蘭圃書屋に題す
         武部游子藝


  【注釋】
○畧:「略」の異体字。 ○孫呉:孫子と呉子。 ○志力:心智才力。 ○倐爾:倏爾。突然。にわかに。たちまち。 ○機變:臨機応変の策略。詭計。 ○百出:多くの物が次々に出る。 ○然後:そうしてはじめて。 ○湯熨:湯熨法。外治法の一種で、薬や温熱の作用で患部に直接作用して、気血の流れをよくして、病を治療したり、痛みを緩解させる方法。あるいは湯液と熨法(アイロンのような器具・薬物など用いて患部を温める)。『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲曰、疾之居腠理也、湯熨之所及也。在血脈、鍼石之所及也」。
ウラ
○廢痼:廃人、痼疾。 ○概:あらまし。 ○若夫:~に関しては。 ○概:あらまし。 ○無端:始めも終わりもない。 ○竆:「窮」の異体字。 ○存乎其人:深遠な道理は、すぐれた人であってはじめて理解できる。事物の道理を理解したひとは、適切に運用して、瑣末なことに拘泥しない。『易』繋辭上「化而裁之存乎變、推而行之存乎通。神而明之、存乎其人」。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○季秋:陰暦九月。 ○蘭圃書屋:武部子藝の書斎名であろう。

なお本書の画像は、早稲田大学図書館古典籍総合データベースで閲覧可能である。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_c0240/index.html

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