2011年3月22日火曜日

36-5 鍼灸知要一言

36-5 鍼灸知要一言
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『竽齋叢書』(カ/二三七)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
     出版科学総合研究所『鍼灸医学典籍大系』14所収
 跋文は読みやすさを考慮して、濁点をうち、一部ルビをつけ、句読点をうつなどした。

知要一言序
知己之難必契於千載是葢矜夸憤世之言也
苟德邵道精雖夷狄禽獸猶且知之何況其世
乎夫養叔操弓猨狖擁樹而泣汾陽温國之賢
中國時以讒隱晦回紇契丹信之不渝豈非德
之卲道之精以致此乎今士挾窾識襪材張膽
明目與一世角逐爭競而猶且不見知乃期悠
繆千載於枯骨之後不亦惑乎文化壬午喎蘭
貢於江戸就
侍醫竽齋先生問鍼刺之法焉盖此術彼邦未
  一ウラ
甞講因欲得之以資方技也公乃箚記其概畧
授諸舌人使傳致之喎蘭得之如醯雞之發覆
跛者之頓起距踊三百喜而歸矣客歳乙酉修
書札贈方物謝辭甚肅如師弟之禮然今茲丙
戌之春又來庭其醫曰西乙福兒篤舎館初定
先求謁竽齋先生公即就見醫稽首曰往年所
賜鍼法之書翻譯鏤版公之國中衆共寶之不
徒拱璧謹拜君之大賚矣意亦不獨私吾土謹
傳之歐邏巴所帶之諸國俾知治療有鍼刺之
良術焉實所謂仁人之教其利溥矣亦可謂霧
  二オモテ
海之南指者哉公辭不敢當乃就彼肌膚下鍼
以示其徐疾淺深葢從其請也嗟公使其道能
信於天下又使海外侏離之俗猶且知之豈非
其精到以致此乎夫喎蘭之學傳播裁十數年
矣人情好竒厭常棄舊圖新不察其真妄時尚
所靡甘乎溟涬然弟之是可慨矣公則反之儼
然抗顏使彼不覺膝屈是非柱下衆父之父則
淮陰所謂善將將者也豈非一大愉快邪且使
海外諸種知
我國醫有若人豈非一大盛事邪其嚮授喎蘭
  二ウラ
者顏曰知要一言將梓布世以序見徴夫一言
知要頗前修所難然技葢精到則公之優為之
固宜然也彼侏離鵙舌之夷而其受之如曽子
一唯之敏何也是雖由其求之切如饑渇然亦
其言之簡而該也昔張詠論寇萊公謂人千言
而不盡者公能一言而盡云者果不誣矣
 文政丙戌竹醉之前一日
        它山 唐公愷 謹譔

  【訓み下し】
知己の難き、必ず千載に契す。是れ蓋し矜夸憤世の言なり。
苟も德邵(あき)らかに道精ならば、夷狄禽獸と雖も猶お且つ之れを知る。何んぞ況んや其の世をや。
夫れ養叔、弓を操れば、猨狖樹を擁して泣く。汾陽・温國の賢、
中國時に讒を以て隱晦すれども、回紇・契丹は、之れを信じて渝(かわ)らず。豈に德
の卲らかに、道の精なれば、以て此に致すに非ずや。今士、窾識・襪材を挾んで、膽を張り、
目を明らかにし、一世と角逐爭競して、猶且つ知を見ず、乃ち悠
繆たる千載を枯骨の後に期す。亦た惑ならずや。文化壬午、喎蘭(おらんだ)、
江戸に貢す。
侍醫竽齋先生に就き、鍼刺の法を問う。蓋し此の術、彼の邦未だ
  一ウラ
嘗て講ぜず。因りて之れを得て、以て方技に資せんと欲するなり。公乃ち其の概略を箚記す。
諸(これ)を舌人に授け、之れを傳致せしむ。喎蘭之れを得。醯雞の覆を發し、
跛者の頓かに起(た)つが如く、距踊すること三百、喜びて歸る。客歳乙酉、
書札を修め、方物を贈り、謝辭甚だ肅(つつし)む。師弟の禮の如く然り。今茲丙
戌の春、又た來庭す。其の醫を西乙福兒篤(シイポルト)と曰う。舎館初めて定めて、
先づ竽齋先生に謁せんことを求む。公、即ち就きて見る。醫、稽首して曰く「往年
賜る所の鍼法の書、翻譯鏤版し、之れを國中に公にし、衆、共に之れを寶とする。
徒(た)だ拱璧のみならず、謹んで君の大賚を拜す。意も亦た獨り吾が土に私せず、謹みて
之れを歐邏巴(ヲフロッツパ)所帶の諸國に傳え、治療に鍼刺の良術有るを知らしむ。實(まこと)に所謂(いわゆる)、仁人の教え、其の利溥(ひろ)いかな。亦た霧
  二オモテ
海の南に指す者と謂う可きかな」と。公、辭して敢えて當たらず。乃ち彼の肌膚に就きて、鍼を下して
以て其の徐疾・淺深を示す。蓋し其の請に從うなり。嗟(ああ)、公、其の道をして能く
天下に信ぜしむ。又た海外侏離の俗をして猶お且つ之れを知らしむ。豈に
其の精到、以て此れを致すに非ずや。夫れ喎蘭の學、傳播すること裁(わず)かに十數年なり。
人情、奇を好み常を厭う。舊を棄てて新を圖る。其の真妄を察せずして、時尚
靡せられ、溟涬然として之れに弟たるに甘んず。是れ慨(なげ)くべし。公は則ち之れに反す。儼
然として顏を抗(あ)げ、彼をして覺えず膝屈せしむ。是れ柱下衆父の父に非ずんば、則ち
淮陰謂う所の善く將に將たる者なり。豈に一大愉快に非ずや。且つ
海外の諸種をして
我が國醫に若(かくの)ごとき人有るを知らしむ。豈に一大盛事に非ずや。其れ嚮(さき)に喎蘭に授くる
  二ウラ
者、顏して『知要一言』と曰う。將に梓して世に布せんとす。序を以て徴を見(あらわ)す。夫れ一言もて
要を知るは、頗る前修の難とする所。然れども技蓋し精なれば到る。則ち公の優に之れを為すは、固(もと)より宜しく然るべきなり。彼の侏離鵙舌の夷にして、其れ之れを受くること、曽子
一唯の敏の如きは何ぞや。是れ其の求むるの切、饑渇の如くなるに由(よ)ると雖も、然れども亦た
其の言の簡にして該(か)ぬればなり。昔、張詠、寇萊公を論じて謂う、人の千言にして
盡くさざる者、公は能く一言にして盡すと云う者は、果たして誣(し)いせず。
 文政丙戌、竹醉の前一日。
              它山 唐公愷 謹み譔す。


  【注釋】
○知己:自分のことを理解してくれる人。韓愈の與汝州盧郎中論薦侯喜狀に「故〔豫譲〕曰、士爲知己者死……感知己之難」とある。豫讓については、『史記』刺客列傳を参照。 ○契:意気投合する。 ○千載:千年。非常に長い時間。 ○葢:「蓋」の異体字。 ○矜夸:矜誇に同じ。ほこりいばること。/「夸」、原文は二画多い異体字。 ○憤世:世の中に憤り不満を持つ。 ○德邵:「卲」「劭」に同じ。古来混用される。以下同じ。すぐれている。うるわしい。 ○夷狄禽獸:韓愈の原人に「人道亂而夷狄禽獸不得其情。……人者夷狄禽獸之主也、主而暴之、不得其為主之道矣」とある。 ○ 養叔:養由基。『史記』や『戦国策』に見える楚国の弓の名手。「百発百中」の典拠。韓愈の送高閑上人序に「堯舜禹湯治天下、養叔治射、庖丁治牛、師曠治音聲、扁鵲治病」とあり、『文選』卷十九、張茂先の勵志に「養由矯矢、獸號于林」とあり、その注に「淮南子曰、楚恭王遊于林中、有白猨緣木而矯、王使左右射之、騰躍避矢不能中。於是使由基撫弓而眄、猨乃抱木而長號」とある。 ○猨狖:サル。テナガザルとオナガザル。『文選』卷十一の魯靈光殿賦、卷三十三の招隠士などにみえる。 ○汾陽:郭子儀(六九七 ~七八一)。唐代の名将。安史の乱の際、回紇・吐蕃の諸兵を率いて、長安・洛陽を奪回し、汾陽王に封ぜられた。敗戦の責任を取らされて兵権を奪われ、一時期、閑職に追いやられた。迴紇(ウイグル)は尊敬の念を持って「郭令公」、「吾父」と呼んだ。 ○温國:司馬光(一〇一九~一〇八六)。北宋の政治家・歴史家。死後、太師・温国公が贈られ、文正の諡号が与えられた。王安石の新法に反対したため、一時期朝廷から退けられた。『資治通鑑』を著す。『宋史』司馬光伝によれば、遼(契丹)や西夏の使者が宋を訪れると、必ず司馬光の消息を尋ね、司馬光が宰相となると、国境の守備兵に「いまは司馬光が宰相であるから、軽々しく事をおこしてはならない」と勅令を発したという。
○讒:讒言の具体的内容は、未詳。 ○回紇:ウイグル。 ○契丹:契丹族の耶律阿保機が九一六年に建国し、「大遼」「大契丹国」などと称した。 ○窾識:「窾」、むなしい。空虚な。「識」、知識。 ○襪材:「襪」、特に優れた才能がない。「材」、才能。 ○挾:はさむ。持つ。 ○張膽、明目:畏れる所なく奮発して事にあたる。『唐書』韋思謙伝「須明目張膽、以身任責。」 ○悠繆:悠謬と同じ。でたらめ、いい加減。 ○枯骨:ひからびた死人の骨。死人。 ○期:期待する。待つ。 ○文化壬午:文化年間(一八〇四~一八一八)に壬午なし。文政壬午(一八二二)年の誤り。本文冒頭を参照。 ○鍼刺:「刺」、原文は「剌」につくる。以下同じ。 ○盖:「蓋」の異体字。 
  一ウラ
○方技:医術。 ○甞:「嘗」の異体字。 ○公:竽齋先生石坂宗哲。 ○箚記:札記。ノート。書き留める。 ○畧:「略」の異体字。 ○舌人:通訳者。 ○醯雞:酒甕中に棲息する酒虫の一種。蠛蠓(ヌカカ、まくなぎ?)。 ○發覆:外覆を去って真相をあらわす。酒つぼの中にいた小虫が、蓋を開くと、わつと飛び出るように、か。 ○距踊:距跳。距躍。おどりあがる。 ○三百:多数をあらわす語。/長岡昭四郎先生が、雑誌『医道の日本』一九九四年四月号「随筆やじろべえ」に引用する呉秀三訳「文政壬午の年、喎蘭が江戸に貢して侍医竽齋先生に就いて鍼法を問ふた。そこでその概略を記して授けた。喎蘭これを得て、醯雞(酢であえた鶏肉)の発復し、跛者の頓かに起こつた如く距躍すること三百、喜んで帰つた。」 ○客歳乙酉:「客歳」、去年。文政八乙酉(一八二五)年。 ○方物:地方の産物。ここではオランダ土産か。 ○今茲丙戌:「今茲」、今年。文政九丙戌(一八二六)年三月二十五日、オランダ商館長ヨハン・ウィヘルム・ド・ステュルレル、德川家斉に謁見す。シーボルト随行。シーボルト『江戸参府紀行』を参照。 ○來庭:朝廷(江戸幕府)に来て天子(徳川将軍)に謁見する。 ○初:~するとすぐ。 ○稽首:頭を地に近づけて、しばらくとどめ、敬礼する。頓首とともに最も重い礼。 ○鏤版:出版する。 ○拱璧:珙璧。ひとかかえもあるほどの大きな玉。ひろく貴重な品をいう。 ○賚:たまもの。上から下へたまわったもの。恩恵。 ○拜:原文は、手が一画多い異体字。ありがたくいただく。 ○土:原文は、点がある増画字〔��〕。 ○所帶:一帯。 ○溥:原文は三水〔氵〕に「専」。あまねくひろがる。
  二オモテ
 ○南指者:指南。羅針盤。 ○辭:こばむ。遠慮する。 ○不敢當:他人が示した自己に対する信任、称賛などに対して、その実力や資格がないという謙遜語。めっそうもない。とんでもない。 ○侏離:「離」、原文は「禹+隹」につくる異体字〔��〕。以下同じ。侏離は、西戎の音楽。転じてここでは、西方異国。 ○精到:周到。細部まで行き届くこと。 ○時尚:時の風尚。流行。 ○靡:なびく。風靡。 ○ 溟涬然:みさかいなく。さかんに。 ○弟:弟子、門徒である。 ○儼然:おごそかで近寄り難いさま。 ○抗顏:顔つきをきびしくする。きびしい態度を取る。 ○不覺:無意識に。知らず識らず。いつの間にか。 ○膝屈:膝をかがめる。屈服する。 ○柱下:柱下史。侍御史。殿中に給事することを掌る。ここでは、侍医法眼であることをいうか。 ○衆父:天子。国君。『孟子』離婁上「二老者、天下之大老也、而歸之、是天下之父歸之也。天下之父歸之、其子焉往」。集注「天下之父、言齒德皆尊、如衆父然」。 ○淮陰所謂善將將者:『史記』淮陰侯列傳。劉邦は韓信(淮陰侯)と諸将の品定めをしたが、話が劉邦の能力におよんで、韓信は「陛下は兵を将(ひきい)ることが出来なくても、よく将軍たちの将であることができます。……これは天授のものであり、人力によるものではありません」と答えた(「〔韓〕信曰、陛下不能將兵、而善將將……且陛下所謂天授、非人力也」)。 ○種:人種。 ○國醫:御医。奥御医師。
  二ウラ
○顏:題名を付ける。 ○梓:上梓。出版する。 ○布:流布。ひろめる。 ○前修:前賢。 ○鵙舌:鴃舌に同じ。南蛮人の言葉。『孟子』滕文公上「南蠻鴃舌之人、非先王之道」。 ○曽子一唯之敏:『論語』里仁「子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣/子曰く、参(しん)や、吾が道は一以て之れを貫く。曽子曰く、唯(い)、と。子出づ。門人問うて曰く、何の謂ぞや、と。曽子曰く、夫子の道は、忠恕のみ、と」。参は曽子。『論語』学而「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好學也已/子曰く、君子は食飽くを求むること無く、居安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ」。公冶長「子曰、敏而好學、不恥下問、是以謂之文也/子曰く、敏にして學を好み、下問を恥じず、是を以て之れを文と謂うなり」。 ○該:そなわる。十分にゆきわたる。 ○張詠:宋のひと。字は復之。号は乖崖。諡は忠定。 ○寇萊公:「寇」、原文は「冠」字の「寸」を「女」につくる異体字〔㓂〕。寇準、宋のひと。字は平仲。諡は忠愍。萊國公に封ぜらる。南宋・朱熹『宋名臣言行錄』前集巻四・丞相萊國寇忠愍公に引く、宋・陳師道『後山談叢』「張忠定守蜀、聞公大拜。曰、寇凖、眞宰相也。又曰、蒼生無福。門人李畋怪而問之。曰、人千言而不盡者、凖一言而盡」。 ○誣:誇大に言いふらす。 ○文政丙戌:文政九(一八二六)年。 ○竹醉:陰暦五月十三日。 ○它山 唐公愷:堤公愷(つつみ きみよし)。塘とも書く。字は公甫。通称は鴻之佐、鴻佐。号は它山、稚松亭。漢学者。天明六(一七八三)年~嘉永二(一八四九)年。塘・唐は、修姓(漢人風に模した姓)。


  (跋)
  一オモテ
人の身に針をさして、病をいやすこと、他
の國にては、伏羲の時よりはじまり、わが
みかどにも千早振(ちはやぶる)神代より有けんと
思はるることあれど、これはしばらくさし
をきつ、人の御世となりて、允恭天皇の
「我既に病を除かむと欲して、ひそかに
身を破(やぶり)けり」と、語られしは、まさしく針治
なりけらし。されば、いそのかみ(石上)ふる(古)き代
よりそのわざ無(なき)にしもあらざれど、か(書)き
あらはせし書の傳はらざるは、いと口おし。
  一ウラ
大寶令に、針師五人、針博士一人、針生
廿人をを(置)かれ、針師は、もろもろの疾病を
療する事と、補と瀉とを掌どる、博士
は、針生等に教(おしう)ることをつかさどると
記されしかば、もは(専)ら行はれぬらん。又針
治に名を得たる人もありしかど、その
後はいかが有(あり)けん。廣狹神倶集などよ
り、そのわざ、こまやかになりにしも、又中(なか)
絶(たち)てのち、近きころに至りて盛(さかん)にをこ(行)
なはるることにぞ有ける。さ(然)るを阿蘭陀
  二オモテ
に針灸な(無)かりしは、いぶかしきことなり。天
竺のいにしへ、梵天子、天(あま)降りて、四吠陀論を
傳へ、その裔孫、婆羅門といひて、そのみち(道)
をうけつぎたり。その四吠陀の第一を壽
吠陀といひて、養生繕性醫方諸事を
いふ。西方五明論に、針刺わざ(技)もあり、と
南海寄歸傳にしるし、西洋の國々へは、
窮理・醫術ともに天竺より傳へつれば、
針さ(刺)すわざも傳はらざることは有(ある)まじ
くおも(思)はるるに、その術なしと云(いう)は、いぶ
  二ウラ
かしともいぶかし。そもそも御國は東
に位して、日のもと、とし(年)もいへば、天地
のひら(開)けはじ(始)まりける時より中、今の
御世に至るまで、若くたけききざ
し有(あり)。西にあたれる國々は、むかしより
老たる氣質ありて、物ごとにいたらぬ
くま(隈)な(無)きやうにみ(見)ゆれば、何ごとも、その
かたさまより習(ならい)つた(伝)へぬるごとく、誰もおも(思)
へど、そのきざしは、御國ぞ始(はじめ)なりける。
されば石坂ぬしの家の業を、かの阿蘭陀
  三オモテ
あたりまでも傳へたまへるは、あなかし
こ、おほなもち・すくなひこなの神代に
つげる盛事には有(あり)けりと、いとめ
でたく、かつは此(この)書によりて、其(その)道
のおぎろを聞(きく)ことをえたるがよろこ(喜)ば
しさに、六十あまり九の翁弘賢(ひろかた)か(書)き
つけはべり。


  【注釋】
  一オモテ
 ○伏羲: 中国、伝説上の帝王。三皇の一。太昊(たいこう)などともいう。『太平御覧』卷七二一・方術二・醫一「帝王世紀曰:伏羲氏……制九針、以拯夭枉焉」。張杲『医説』卷二・鍼灸・鍼灸之始「帝王世紀曰:太昊……乃制九鍼。又曰:黄帝命雷公岐伯、教制九鍼。蓋鍼灸之始也」。 ○千早振:ちはやぶる。「神」にかかる枕詞。 ○允恭天皇:第十九代天皇。名は雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごすくねのみこと)。『日本書紀』卷十三・允恭紀「雄朝津間稚子宿禰皇子謝曰、我不天、久離篤疾、不能歩行。且我既欲除病、獨非奏言而密破身治病、猶勿差」。 ○いそのかみ:石上。「ふる」(古)にかかる枕詞。
  一ウラ
 ○大寶令:大宝律令。日本古代の基本法典。大宝元(七〇一)年制定。律六卷、令十一卷。現伝しないが、養老令の注釈書『令集解(りょうのしゅうげ)』卷五・職員令・典薬寮に「針師五人(掌療諸瘡病、及補寫)。針博士一人(掌教針生等)。針生廿人(掌學針)」とある。/「廿人ををかれ」、原文を「廿人をヽかれ」と読んだ。「ヽ」は「し」字で「敷かれ」かも知れない。なお「置く」の歴史的仮名遣いは「おく」。 ○廣狹神倶集:室町時代の僧といわれる雲棲子の鍼灸書。宗哲が校注をほどこし、文政二(一八一九)年に『鍼灸廣狹神倶集』として刊行した。 ○さるを:然るを。接続詞。ところが。
  二オモテ
 ○天竺:インドの旧称。 ○梵天子:梵天王。ブラフマー。 ○四吠陀:四つのヴェーダ(文献・聖なる知識)。一般には、「梨倶吠陀(リグ・ヴェーダ)」「娑摩吠陀(サーマ・ヴェーダ)」「夜柔吠陀(ヤジュル・ヴェーダ)」「阿闥婆吠陀(アタルヴァ・ヴェーダ)」をいう。 ○裔孫:末裔。子孫。 ○婆羅門:インドにおける最上階級。梵天の後裔と称し、祭司を世襲する。 ○壽吠陀:壽命吠陀ともいう。アーユル・ヴェーダのこと。 ○繕性:養性と同じ。繕は、補う、治める、善くする、つよくするの意。 ○西方五明論:義淨『南海寄歸内法傳』卷三・二十七先體病源「然西方五明論中、其醫明曰、先當察聲色、然後行八醫。如不解斯妙、求順反成違。言八醫者、一論所有諸瘡、二論針刺首疾……」。 ○窮理:論理学。哲学。
  二ウラ
 ○いぶかしともいぶかし:「とも」は、同一用言の間に用いて意味を強める連語。不審に思われること、はなはだしい。 ○かたさま:かたざま。方様。方角。 ○ぬし:主。敬称。殿。君。
  三オモテ
 ○あなかしこ:ああ、おそれおおい。 ○おほなもち:大穴持/大名持命(おほなもちのみこと)。大国主命の若い頃の名。スサノオの後に少彦名神とともに天下を経営し、医薬などの道を教え、国作りを完成させた。 ○すくなひこな:日本の医薬の祖神。『古事記』では、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)、『日本書記』では、少彦名命(すくなひこなのみこと)と表記される。 ○おぎろ:頥・賾。深遠な道理。 ○六十あまり九の翁弘賢:屋代弘賢(やしろひろかた)。宝暦八(一七五八)~天保十二(一八四一)年。書誌学者。通称は大郎、号は輪池。幕府祐筆頭。塙保己一の『群書類従』編纂に携わる。絵入り百科事典『古今要覧』の編纂を企てたが未完。蔵書家として著名。

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