2011年3月20日日曜日

35-4 銅人形引經訣

35-4 『銅人形引經訣』
      九州大学医学図書館所蔵(ト-一〇九)
      オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収

(叙)
醫門大經在五部五部機要在經隧四家
以來王滑諸子指導巍巍然各爲標木雖
然龍紋交錯鳥跡簡奥初學或不易解焉
本邦醫編凡預方藥者十存其九惟我先
生著明經脈勃然于東都也先生姓村上
名親方字宗占號一得子仕土浦城爲醫
員其所著之愈穴辨解骨度正誤既皆行   ※愈:「兪」の誤りか。意図したものか。
于世矣其於經脉教門人諄々扣其兩端
而竭矣公私之暇且著銅人形引經訣而
藏焉嗚呼先生歿矣其書手澤尚存今欲
秘則恐雕蟲水火之災深韞匱而藏則非
  一ウラ
君子之業也不佞謀諸同志皆以爲是也
因命工以鋟于梓遠及于不朽庶幾先生
之志亦不朽者耶亦不是爲二三子醫門
經絡之樞索者也
明和八年辛卯春三月

  飯山城醫員一壺子岩崎隆碩謹叙


  【訓み下し】
醫門の大經は五部に在り。五部の機要は經隧に在り。四家
以來、王滑諸子の指導、巍巍然として各々標木〔本〕爲(た)り。
然りと雖も、龍紋交錯し、鳥跡簡奥にして、初學は或いは解すること易すからず。
本邦の醫編、凡そ方藥に預かる者は、十に其の九を存す。惟(おもんみ)るに我が先
生は經脈に著明にして、東都に勃然たり。先生、姓は村上、
名は親方(ちかまさ)、字(あざな)は宗占、號は一得子。土浦城に仕え、醫
員爲(た)り。其の著す所の愈穴辨解、骨度正誤、既に皆な
世に行わる。其の經脉に於いて、門人を教うること諄々として、其の兩端を扣(たた)きて
竭(つ)くせり。公私の暇(いとま)、且(まさ)に銅人形引經訣を著さんとして
藏す。嗚呼(ああ)、先生歿す。其の書手澤、尚お存す。今ま
秘せんと欲せば、則ち雕蟲水火の災いを恐る。深く匱(はこ)に韞(おさ)めて藏(かく)せば、則ち
  一ウラ
君子の業に非ざるなり。不佞諸(これ)を同志に謀る。皆な以爲(おもえ)らく是なり、と。
因りて工に命じて以て梓に鋟(きざ)み、遠く不朽に及ぼさしむ。庶幾(こいねがわ)くは先生
の志も亦た不朽なる者ならんか。亦た是れ二三子の爲に醫門
經絡の樞索たる者ならずや。
明和八年辛卯、春三月

  飯山城醫員、一壺子岩崎隆碩、謹みて叙す


  【注釋】
○五部:『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』『金匱要略』か。 ○機要:機密重要。精義要旨。 ○經隧:經絡。 ○四家:未詳。醫經・經方・房中・神僊?金元四大家?  ○王:唐・王冰。 ○滑:元・滑壽。 ○巍巍然:崇高雄偉なさま。 ○標木:「表木(目印)」の意か。あるいは「標本」のあやまりか。標準。典型。 ○龍紋:龍の鱗。龍の形をした紋章。「龍文」に通じ、雄健な文筆か。 ○交錯:入り交じる。 ○鳥跡:鳥の足跡。ここでは『説文解字』序などをふまえて文字のことか。 ○簡奥:飾り気がなく古雅で奥深い。 ○預:関与する。かかわる。 ○惟:「タダ」か。 ○勃然:盛んに起こるさま。 ○東都:江戸。 ○親方:ちかまさ。 ○愈穴辨解:『兪穴辨解』。『臨床鍼灸古典全書』11所収。寛保二年(一七四二)自序。 ○骨度正誤:『骨度正誤図説』。骨度(人体部位の寸法測定)研究書。不分巻1冊。延享元(1744)年自序、翌同2年の井上雅貴(いのうえまさたか)序、宝暦2(1752)年の与玄伸(よげんしん)(忠広[ただひろ]・茅坡園[ぼうはえん])跋を付して刊。加藤俊丈(かとうしゅんじょう)の校。経穴の定位に必要な骨度に関して諸文献を引き、図解した書。『臨床鍼灸古典全書』15に影印収録。『兪穴弁解』を補完する目的で編まれたもの。(『日本漢方典籍辞典』) ○諄諄:丁寧に教え諭して、倦まないさま。 ○扣其兩端而竭矣:「扣」は「叩」に同じ。質問する。『論語』子罕「子曰、吾有知乎哉、無知也。有鄙夫問於我、空空如也、我叩其兩端而竭焉」。隅から隅まで問いただして、十分に答えてやる。 ○手澤:亡くなった人が遺した物や墨跡、書写。『禮記』玉藻「父沒而不能讀父之書、手澤存焉耳」。 ○雕蟲:詩文。また学問・技芸をいやしめていう。しかし、ここでは「蠹蟲」(紙魚・虫食い)の意をあらわす語であろう。 ○水火之災:水害・火災。 ○韞匱:箱に収蔵する。優れたものを抱いて用いないことの比喩。『論語』子罕「有美玉於斯、韞匵而藏諸(斯に美玉有り、匵に韞めて諸(これ)を藏せんか)」。
  一ウラ
○君子:才徳の衆より抜きんでた人。 ○不佞:不才。自己を謙遜していう。「佞」は才能。 ○鋟:彫刻する。 ○梓:彫刻して印刷に用いる板。 ○二三子:諸君。門人。 ○樞索:中枢と大綱。 ○明和八年辛卯:一七七一年。 ○飯山城:信濃国飯山藩。 ○醫員:藩医。「員」は団体組織の構成員。ある職業のひと。 ○一壺子岩崎隆碩:『骨度正誤図説』の編集にもかかわる。


銅人形引經訣序
扁鵲有言鍼灸藥三者得參兼而後可與
言醫張長沙治傷寒亦唯瞭然分六經矣
故爲醫者苟不學經絡則不知察病之所
在也猶知日中而不知東西也雖施藥餌
不中其肯綮則如失其鵠而發矢固無待
乎論也孔子曰人而不學周南召南其猶
正墻面立也歟誠哉 一得先生嚮著諭   ※諭:「輸・兪」のあやまりか。
穴辨解骨度正誤今已行于世蓋經絡骨
度之法參考百家改正差謬即青囊家之
鴻寳也予獲之而甚有益于濟世也 先
  二ウラ
生嘗復稿乎銅人形引經訣深秘帳中而
没矣實鍼灸之妙救衆之要也予幸與一
壺子受業于 先生之門學經絡琢磨有
年矣頃一壺子與予相議而鋟于梓欲廣
備保生之一助予左袒其舉因題卷首以   ※袒:原作「祖」。
傳同志云猶冀後之君子幸審諸
明和辛卯春三月
 東奥 盛岡醫員 八角宗温敬叙


  【訓み下し】
銅人形引經訣序
扁鵲に言有り。鍼灸藥の三者は、參兼を得て、しかる後に與(とも)に
醫を言う可し、と。張長沙の傷寒を治するも、亦た唯だ瞭然として六經に分かつ。
故に醫爲(た)る者、苟も經絡を學ばずんば、則ち病の在る所を察するを知らざること、
猶お日の中するを知りて東西を知らざるがごときなり。藥餌を施すと雖も、
其の肯綮に中(あた)らずんば、則ち其の鵠(まと)を失いて、矢を發するが如く、固(もと)より
論を待つこと無きなり。孔子曰く、人にして周南・召南を學ばずんば、其れ猶お
正しく墻に面(むか)いて立つがごときか、と。誠なるかな。 一得先生、嚮(さき)に諭〔兪〕
穴辨解、骨度正誤を著し、今ま已に世に行わる。蓋し經絡骨
度の法は、百家を參考して差謬を改正す。即ち青囊家の
鴻寳なり。予、之を獲て、甚だ濟世に益有るなり。 先
  二ウラ
生嘗て復た銅人形引經訣を稿し、深く帳中に秘して
没す。實(まこと)に鍼灸の妙、衆を救うの要なり。予、幸いに一
壺子と業を 先生の門に受けて經絡を學び、琢磨して
年有り。頃おい一壺子、予と相い議して梓に鋟(きざ)み、廣く
保生の一助に備えんと欲す。予、其の舉に左袒す。因りて卷首に題して、以て
同志に傳うと云う。猶お冀(ねがわ)わくは後の君子、幸いに諸(これ)を審(つまびら)かにせよ。
明和辛卯春三月
 東奥 盛岡醫員 八角宗温敬叙す

  
  【注釋】
○扁鵲有言:明・徐春甫『古今醫統大全』卷三・翼醫通考下・醫道・鍼灸藥三者備爲醫之良「扁鵲有言、疾在腠理、熨焫之所及。在血脈、鍼石之所及。其在腸胃、酒醪之所及。是鍼灸藥三者得兼、而後可與言醫。可與言醫者、斯周官之十全者也」。 ○參兼:まじえ兼ねあわせる。 ○而後:そうして初めて。 ○張長沙:後漢・張仲景。仲景は長沙の太守であったという。 ○瞭然:明瞭に、はっきりと。 ○日中:正午。太陽が南方にあること。 ○藥餌:薬物。 ○肯綮:骨と筋肉が結合する部分。物事の要所の比喩。 ○鵠:矢の標的。 ○孔子曰:『論語』陽貨「人而不為周南・召南、其猶正牆面而立也與(人として『詩経』の周南と召南を学ばないと、まるで垣に面と向かって立っているようなもので、それ以上前に進めない)」。 ○一得先生:本書の著者、村上宗占。 ○諭穴辨解:「諭」字はあやまりか、意図的なものか。 ○骨度正誤:『骨度正誤図説』。 ○百家:多数のひと。各種の流派。 ○差謬:錯誤。あやまり。 ○青囊家:医者。青囊は、医者が医学書を入れていた袋。『三國演義』第七八回「華佗在獄、有一獄卒、姓呉、人皆稱為呉押獄。此人毎日以酒食供奉華佗。 佗感其恩、乃告曰、『我今將死、恨有青囊書未傳於世。感公厚意、無可為報。我修一書、公可遣人送與我家、取青囊書來贈公、以繼吾術』」。  ○鴻寳:大きな宝。 ○濟世:世の中のひとを救う。 
  二ウラ
○稿:原稿をつくる、下書きする、という動詞か。 ○帳:記録した書冊。 ○一壺子:岩崎隆碩。 ○琢磨:玉をみがく。たえず改善することの比喩。思索・研究する。 ○有年:多年。数年。 ○頃:近ごろ。 ○保生:生命を維持し守る。 ○左袒:味方する。賛成する。前漢の周勃が呂氏の反乱を鎮圧しようとした時、漢王朝に味方するものは左袒し、呂氏に味方するものは右袒せよと言ったところ、全軍皆左袒したという故事から。『史記』呂后本紀。なお原文は「左祖」につくる。 ○云:意味はない、文末の助詞。 ○幸:~してほしいと思う。 ○審:分析する。細かく調べる。 ○東奥:青森・岩手の東部地域。東陸奥。東奥州。 ○盛岡:盛岡藩は、現在の岩手県中北部から青森県東部の地域に位置した。江戸時代に「南部」から「盛岡」へと改められた。 ○八角宗温:編集者に名を連ねる八角紫樓であろう。

・このあとに村上親方によると思われる「銅人形引經之序説」(白文)が二葉半ほどある。

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