2011年3月19日土曜日

35-3 鍼灸則

35-3 『鍼灸則』
     東洋医学研究会所蔵
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収
     出版科学総合研究所『鍼灸医学典籍大系』17所収

鍼灸則序
大凡豪傑之復古一道者其始皆受業於
時師之門習之又習既盡其道然才之不
可已自生不知與古人合與實叓合否之
疑而其讀古今書之間亡論道之同與不
同有惡席上空言之説出而啓發我之由
  一ウラ
非耶然如儒術自非有聖人在上舉試之
事業則其説之當未能使惑者信之也如
兵家亦然太平百有余年未試之戰陣則
其説之當未能使惑者信之也獨於醫術
病敵常在前施諸實叓而似良拙可以覩
者也然二豎久不言偶中得名者多矣誰
  二オモテ
知其良拙故醫之於復古葢其無他博學
以舎虚妄説與術合而見有眀驗者為良
耳攝都醫士菅周圭以鍼灸復古良於其
術也墨突不黔而亦能著書示其弟子名
曰鍼灸則葢取血之方其最云此書一梓
行則豈但其弟子哉凡濟世家之一古方
  二ウラ
則也可謂豪傑之事業也已矣

明和丙戌冬十一月東溟林義卿撰
   〔印形黒字「東溟」、白字「林印/義卿」〕

  【訓み下し】
鍼灸則序
大凡(おおよ)そ豪傑の一道を復古する者は、其の始め皆な業を
時師の門に受く。之を習いて又た習い、既に其の道を盡くす。然れども才の
已む可からざる、自(おのずか)ら古人と合うや、實事と合うや否やを知らざるの
疑いを生ず。而して其の古今の書を讀むの間、道の同と不同とに論亡(な)し。
席上の空言を惡(にく)むの説出づること有って、我を啓發する之れ由る、
  一ウラ
非か。然れども儒術の如き、聖人有って上に在り、舉げて之を事業に試みるに
非ざる自りは、〔則ち〕其の説の當、未だ惑える者をして之を信ぜしむる能わず。
兵家の如きも亦た然り。太平百有餘年、未だ之を戰陣に試みざれば、〔則ち〕
其の説の當、未だ惑える者をして之を信ぜしむる能わず。獨り醫術に於ける、
病敵常に前に在り。諸(これ)を實事に施して、良拙以て覩っつ可き者に似たり。
然れども二豎久しく言わず。偶(たま)たま中に名を得る者多し。誰か
  二オモテ
其の良拙を知らん。故に醫の復古に於ける、蓋し其れ他無し。博學
以て虚妄を舎(す)て、説と術と合して、見に明驗有る者を良と為(す)る
のみ。攝都の醫士菅周圭、鍼灸の復古を以て其の術に良なり。
墨突黔(くろ)まず、而して亦た能く書を著し、其の弟子に示す。名づけて
鍼灸則と曰う。蓋し取血の方、其の最と云う。此の書一たび梓
行せば、〔則ち〕豈に但に其の弟子のみならんや。凡そ濟世家の一古方
  二ウラ
則なり。豪傑の事業と謂(い)っつ可きのみ。

明和丙戌冬十一月、東溟林義卿撰す


  【注釋】
○時師:当代の儒者。 ○叓:「事」の異体字。 ○席上:筵の上。酒席の上、宴会中。 
  一ウラ
○儒術:儒学。儒家の学術思想。 ○自非:もし~でないならば。 ○實事:実際の事柄、状況。 ○二豎:病魔、疾病。『春秋左氏傳』成公十年「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之、未至、公夢疾為二豎子、曰:『彼良醫也、懼傷我、焉逃之?』其一曰:『居肓之上、膏之下、若我何?』」。 ○眀:「明」の異体字。 
  二オモテ
○葢:「蓋」の異体字。 ○攝都:摂津国の都。大坂。 ○菅周圭:「菅」は「菅沼」という姓を中国風に一字にした表記(修姓)。「周圭」もおそらく同じ。本文では「周桂」につくる。菅沼周桂(一七〇六~一七六四)。名は長之。 ○墨突不黔:墨は、墨子(墨翟)。突は、煙突。「墨突」とは、墨翟が心を世を救うことに置き、四方に奔走して、一箇所に留まらず、煙突が煤ける前に、別の場所に移ったことをいう。天下のために奔走すること。『文選』班固『答賓戲』「是以聖哲之治、棲棲遑遑、孔席不暖、墨突不黔」から「孔席墨突」ともいう。 ○梓行:出版する。 ○濟世:世の中のひとを助ける。 
  二ウラ
○明和丙戌:明和三年(一七六六)。 ○東溟林義卿:林東溟 (はやし‐とうめい)1708‐1780。江戸時代中期の儒者。宝永5年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩校明倫館で山県周南にまなぶ。大坂、京都で塾をひらき、上方ではじめて徂徠(そらい)学を講じた。弟子鍋島公明の偽作事件に関連し、服部南郭らに排斥された。安永9年9月25日死去。73歳。長門出身。名は義卿。字(あざな)は周父。通称は周助。著作に「詩則」など。(講談社・デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)


鍼灸則拔
孟子曰盡信書則不如無書豈必取乎豈
必不取乎取舎唯在其人耳吾菅先生所
著鍼灸則不取十二經十五絡所生是動
井榮兪經合八會等僅以經穴許多可鍼
則鍼可灸則灸可出血則出血而能起沈
  五十ウラ
疴矣然此書也先生唯示門人小子耳不必
示他人也蒙命僕校正其句讀矣觀者有
不可取者正之若有所取者則幸甚
明和丙戌春三月朔
    門人阿州 菅義則玄愼
      〔印形白字「菅/義則」、黒字「字/旹中」〕


   【訓み下し】
鍼灸則拔
孟子曰く、盡(ことごと)く書を信ぜば、〔則ち〕書無きに如かず、と。豈に必ず取らんや、豈に
必ず取らざるや。取舎は唯だ其の人に在るのみ。吾が菅先生
著す所の鍼灸則、十二經、十五絡、所生、是動、
井榮兪經合、八會等を取らず。僅かに經穴許多を以て、鍼す可きは、
〔則ち〕鍼す。灸す可きは、〔則ち〕灸す。出血す可きは、〔則ち〕出血す。而して能く
  五十ウラ
沈疴を起こす。然れども此の書や、先生唯だ門人小子に示すのみ。必ずしも
他人に示さず。命を蒙りて、僕其の句讀を校正す。觀る者
取る可からざる者有らば之を正せ。若し取る所の者有らば、則ち幸甚。
明和丙戌春三月朔
門人阿州 菅義則玄愼

  【注釋】
○拔:「跋」と同じ。 ○孟子曰:『孟子』盡心下。 ○取舎:取捨。 ○榮:意味の上からいえば、「滎」が正しいと思われるが、原文は下部を「木」に作るため、「榮」としておく。 ○八會:奇経と関連する八脈公會穴のことではなく、『難經』四十五難にいう「府會・藏會・筋會・髓會・血會・骨會・脉會」のことであろう。 ○許多:ここでは、「多数」ではなく、「数個、いくつか、若干」の意。 ○起:治す。病ある患者を治して床から起き上がらせる。起死回生。 ○沈疴:沈痾。宿痾。長く治療しても治らない病。長患い。 ○小子:若輩。後進。 ○蒙:受ける。 ○命:命令。 ○僕:自分を謙遜する語。 ○阿州:阿波国。 ○菅義則玄愼:印形によれば字は時中。

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