2011年3月23日水曜日

36-6 内景備覽

36-6『内景備覽』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『内景備覽』(ナ-25)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
内景備覽序
昔秦越人受長桑之秘三十日知物而有
八十一難著厯代傳之一人至魏華佗乃
燼其書於獄中蓋亡矣今傳者呉大醫令
呂廣所重編與佗之所燼者名存而實亡
矣元張翥毎以文章自負其序滑壽之所
著難經本義曰發難析疑鬼神無遁情也  「析」、原文は「折」。
言過尊信於越人乎可謂不幸也元明清
之毉惑翥之言奉爲典型以爲萬世之法
  一ウラ
者豈不謬也耶茲年庚子之夏臥病病間
取嘗所著内景備覽令子弟校之以上梓
如此書世之業毉者能各置一卷於側以  「卷」、原文は「𢎥」〔弓+二〕。
補素靈之闕乃不借深求力討而宗脉榮
衞十二藏膻中命門三焦丹田其他諸器
夫人具於己者如見垣一方人使越人復
生未肯多讓奉軒岐之道者不棄予鄙俚  「肯」、原文は「止+日」。
之辭有所發明者靈蘭金匱之秘亦不外
於此書此所望諸後進者也
  二オモテ
天保庚子夏五月
七十一翁竽齋石坂文和宗哲甫序
於定理毉學書屋
    徒隊士 田邉平三郎修書

  【訓み下し】
内景備覽序
昔、秦越人、長桑の秘を受け、三十日にして物を知る。而して
八十一難の著有り。歴代、之を一人に傳え、魏の華佗に至り、乃ち
其の書を獄中に燼(や)く。蓋し亡(ほろ)びしならん。今ま傳わる者は、呉の大醫令
呂廣の重編する所なり。佗の燼く所の者と、名は存して實は亡ぶ。
元の張翥、毎(つね)に文章を以て自負す。其の滑壽が
著す所の難經本義に序して曰く、難を發し疑を析し、鬼神も情を遁(かく)すこと無し、と。
言、尊信に過ぐ。越人に於いて、不幸と謂っつ可し。元明清
の醫、翥が言に惑わされ、奉じて典型と爲し、以て萬世の法と爲す
  一ウラ
者は、豈に謬りならざらんや。茲年庚子の夏、病に臥し、病の間
嘗て著す所の内景備覽を取り、子弟をして之を校せしめ、以て梓に上(のぼ)す。
此の書の如きは、世の醫を業とする者、能く各々一卷を側に置き、以て
素靈の闕を補い、乃ち深求力討を借りずして、宗脉・榮
衞・十二藏・膻中・命門・三焦・丹田、其の他の諸器、
夫れ人々己に具わる者、垣の一方の人を見るが如く、越人をして復
生せしめん。未だ肯えて多く讓らず、軒岐の道を奉ずる者は、予が鄙俚  
の辭を棄てず、發明する所の者有らば、靈蘭金匱の秘も、亦た
此の書に外ならず。此れ、諸(これ)を後進に望む所の者なり。
  二オモテ
天保庚子、夏五月
七十一翁竽齋石坂文和宗哲甫
定理毉學書屋に序す。
    徒隊士 田邉平三郎修書す。


  【注釋】
○秦越人受長桑之秘:『史記』扁鵲倉公傳を参照。 ○八十一難:秦越人が著したとされる『難経』。 ○厯:「歴」の異体字。 ○魏華佗:『後漢書』方術列傳および『三國志』魏書・方技を参照。 ○呉大醫令呂廣:赤烏二年(二三九年)、大医令となる。はじめて『難経』に注をつける。佚。『王翰林黄帝八十一難経集注』にその説が見える。 ○張翥:一二八七~一三六八。字は、仲舉、世に蛻庵先生と称される。翰林、国史院編修官。詩人として著明。『元史』に伝あり。 ○發難:難問の意味を明らかにする。 ○析疑:原文は「折疑」。『難経本義』序文および意味の上からあらためる。難問を分析して答えをだす。 ○遁情:真実、事情を隠す。「情」は、「誠」に通ず。 ○尊信:尊重して信奉する。 ○典型:模範。標準。
  一ウラ
○茲年:今年。 ○庚子:天保十一年(一八四〇年)。 ○卷:原文は「𢎥」〔弓+二〕で「卷」の異体字。道教系の文献によく見られる。 ○素靈:『素問』『霊枢』。 ○措:捨てる。 ○深求力討:深く探求して力(つと)めて検討する。「討」は、たずねる、もとめる、きわめる。 ○見垣一方人:『史記』扁鵲倉公傳を参照。 ○復生:生き返らす。 ○未肯多讓:謙遜することなく。 ○鄙俚:鄙俗な。質朴な。 ○發明:物事の道理や意味を明らかにする。明らかに悟る。 ○靈蘭:黄帝の図書室の名。『素問』靈蘭秘典論「黃帝乃擇吉日良兆、而藏靈蘭之室、以傳保焉」。 ○金匱:金属製(銅製)の蔵書箱。『素問』氣穴論「余願聞夫子溢志盡言其處、令解其意、請藏之金匱、不敢復出」。 ○秘:秘蔵書。大切にしまってある蔵書。 ○所望:希望するもの。してほしいと望むもの。
  二オモテ
○天保庚子:天保十一(一八四〇)年。 ○七十一翁竽齋石坂文和宗哲:宗哲(一七七〇~一八四一)は江戸後期の代表的針灸医家で、甲府の人。名は永教(ながのり)、号は竽斎(うさい)。寛政中、幕府の奥医師となり、法眼に進む。寛政九(一七九九)年に甲府医学所を創立。中国古典医学を重視する一方、蘭学に興味を示し、解剖学を修めた。またトゥルリングやシーボルトらを介してヨーロッパヘ日本の針灸を伝えた〔『日本漢方典籍辞典』、一部修訂〕。 ○甫:男子の名字の下に加える美称。 ○定理毉學書屋:石坂宗哲の屋号。 ○徒隊士:未詳。御徒目付か、それに関係する役職を指すか。 ○田邉平三郎修:未詳。


内景備覽序
昔庾子山愛温鵬舉之侯山祠堂碑文
曰北朝唯寒山一片石堪共語其它驢
鳴犬吠也耳方今承文運亨通之餘諸
家著録之富何啻車載谷量乃梨棗竹
帛之甘於受鐫契刷染果有幾何今茲
庚子之夏  竽齋石坂君移病屏居
其有間又理篋衍出舊著内景備覽更
  一ウラ
加訂正釐爲二册命之剞劂囑愷叙之
通篇大意張皇軒岐之眞詮於夷醜曲
説排擠搏擊皆中肯綮所謂入室執戈
誰得遁匿哉天下有明眼靈識則毋俟
乎愚之贊揚焉與夫諸家紛〃駝𡇼狗   𡇼:「囗+曷」〔国構えの中に「曷」〕
狺〃喧聒可厭而隨成隨毀固當殊絶
矣儻者以爲寒山之遺石亦何不可且
其精神魂魄一則昔曽與錦城翁論駁
  二オモテ
往復當時翁亦遜于君之精覈云嗟翁
之在日愷何敢言譬之布皷之於雷門
方聞此言亦瞠若自失矣今 竽齋君
碩果乎杏林而巍然魯靈光也況前修
錦城已爲篤友則愷輩應趨其目指氣
使是可矣何拒鄙言之見徴乎是不肖
之所以屢序于其著書也
天保十一年星夕前一日
  二ウラ
     唐公愷識 〔印形黒字「公/愷」、白字「稚松/老朽」〕
       小西思順書 〔印形黒字「己◆/思順」〕


  【訓み下し】
内景備覽序
昔、庾子山、温鵬舉の侯山祠堂の碑文を愛(め)でて
曰く、北朝、唯だ寒山一片の石のみ、共に語るに堪(た)う。其の它は驢
鳴き犬吠ゆるのみ、と。方今、文運亨通の餘を承(う)け、諸
家著録の富、何ぞ啻(ただ)に車載谷量のみならん。乃ち梨棗竹
帛の鐫契刷染を受くるに甘んずるは、果して幾何(いくばく)か有る。今茲
庚子の夏  竽齋石坂君、病を移して屏居す。
其れ間有り、又た篋衍を理(おさ)め、舊(も)と著す内景備覽を出だし、更に
  一ウラ
訂正を加え、釐(おさ)めて二册と爲す。之を剞劂に命ず。愷に囑して之を叙せしむ。
通篇の大意は、軒岐の眞詮を張皇す。夷醜曲
説に於いて排擠搏擊し、皆な肯綮に中(あた)る。謂う所の入室して戈を執れば、
誰か遁(に)げ匿(かく)るることを得んや。天下に明眼靈識有れば、則ち
愚の贊揚に俟つこと毋からん。夫(か)の諸家紛紛として、駝𡇼(ほ)え狗
狺狺として喧聒して厭う可く、而して隨って成り隨って毀(こぼ)つとは、固(もと)より當に殊絶すべし。
儻者(もし)以て寒山の遺石と爲らば、亦た何ぞ不可ならん。且つ
其の精神魂魄の一則、昔曽て錦城翁と論駁
  二オモテ
往復す。當時、翁も亦た君の精覈に遜(ゆず)ると云う。嗟(ああ)、翁
の在りし日、愷何をか敢えて言わん。之を布皷の雷門に於けるに譬う。
方(まさ)に此の言を聞かば、亦た瞠若として自失せん。今 竽齋君、
杏林に碩果たり。而も巍然たる魯の靈光なり。況んや前修
錦城已に篤友爲(た)れば、則ち愷が輩、其の目指氣
使に應趨して、是れ可なり。何ぞ鄙言の徴を見(あらわ)すを拒まんや。是れ不肖
の屢しば其の著書に序する所以なり。
天保十一年、星夕前一日
  二ウラ
     唐公愷識(しる)す
       小西思順書す

  【注釋】
○庾子山:庾信(五一三~五八一)。字は子山。南陽新野(河南省)のひと。著書に『庾子山集』あり。南朝の梁に生まれ、梁の宮廷詩人として活躍したが、侯景の乱の後、やむなく北朝に仕える身となった。以下は、南人に北方はどうであるかと問われた際の答え。引用文の内容は、宋・曽慥編『類説』卷二十五・玉泉子・驢鳴狗吠、宋・葉廷珪撰『海録碎事』卷十八・文學部上・石堪共語、宋・祝穆撰『古今事文類聚』別集卷十三・韓山寺碑、宋・潘自牧撰『記纂淵海』卷七十五・評文下、『淵鑑類函』卷二百・文學部九・碑文三「寒山片石、薦福千錢」の注「世説……」などに見られるが、現行本の『玉泉子』や『世説新語』にはない佚文と思われる。 ○温鵬舉:温子昇 (四九五~五四七)。字は鵬舉。太原(山西省)のひと。北魏・東魏の文学者。『文筆』など伝わる。 ○侯山祠堂碑文:『魏書』卷八十五・列傳文苑第七十三・温子昇「子昇初受學於崔靈恩、劉蘭、精勤、以夜繼晝、晝夜不倦。長乃博覽百家、文章清婉。為廣陽王淵賤客、在馬坊教諸奴子書。作侯山祠堂碑文、常景見而善之、故詣淵謝之。景曰、頃見溫生。淵怪問之、景曰、溫生是大才士。淵由是稍知之」。 ○北朝:隋の文帝が北周を滅ぼすまでに興った北魏・東魏・西魏・北齊・北周を「北朝」という。 ○寒山一片石:温鵬舉の碑文。「寒山」はさびれて静かな山。寒い山。 ○方今:当今。 ○文運:文学盛衰の気運。 ○亨通:順調にいく。 ○何啻:ただ、~のみならず。 ○車載:車に載せてはかる。数の多いことの形容。 ○谷量:山谷をもって牛馬などの家畜の数をはかる。きわめて多いことをいう。『史記』貨殖列傳「畜至用谷量馬牛。」 ○梨棗:古くは印刷する際、梨の木、棗の木を用いた。そのため書籍版木を「梨棗」という。 ○竹帛:竹簡と白絹。古くは文字を記載した。引伸して書籍。 ○鐫契:鐫刻。彫刻。 ○刷染:印刷。 ○甘:満足する。心から願う。 ○幾何:どれくらい。 ○今茲:今年。 ○庚子:天保十一年(一八四〇年)。 ○移病:仕官していたものが引退するとき、病気という理由の書面を提出する。 ○屏居:隠居する。 ○有間:しばらくして。 ○篋衍:竹製の長方形の箱。 
  一ウラ
○釐:整える。改める。 ○剞劂:彫り師。出版業者。原義は彫刻用の曲刀。引伸して木版印刷。刊行する。 ○張皇:広める。拡大する。 ○軒:軒轅。黄帝は軒轅の丘に生まれたため軒轅氏と称される。 ○岐:岐伯。黄帝の臣にして、医学の師。 ○眞詮:真理、真諦。 ○夷:傲慢無礼な。 ○曲説:曲論。事実を歪曲した説。一方に偏った言論。 ○排擠:手段を使って他人を排斥する。 ○搏擊:力を奮って攻撃する。 ○肯綮:大切な部分。要所。 ○入室執戈:入室操戈。『後漢書』卷三十五・鄭玄傳「康成入吾室、操吾矛以伐我乎」。相手の論点に対して、その疎漏誤謬を追求して、相手を攻めることの比喩。 ○明眼:事物に対して観察が鋭く、見識のあること。またひと。 ○靈識:智慧のあること。またひと。 ○愚:自称に用いる。謙遜語。 ○贊揚:称賛。称揚。 ○紛紛:多くて乱れているさま。 ○駝:駱駝。ラクダ。 ○��:「囗+曷」〔国構えの中に「曷」〕。ラクダの鳴き声。 ○狺狺:犬の鳴き声。 ○喧聒:耳障りな騒音。 ○隨成隨毀:出来たと思ったら、すぐにこわす。 ○殊絶:区別。隔絶。大いに異なること。 ○寒山之遺石:温鵬舉の侯山祠堂の碑文(のように価値ある文献)。 ○亦何:反語。 ○且:判読に疑念あり。しばらく「且」としておく。 ○一則:一項目。「精神魂魄」については、本文、宗氣篇第一を参照。 ○錦城:太田錦城(一七六五~一八二五)。江戸時代後期の儒学者。名は元貞、字は公幹、才佐と称し、錦城と号した。医者の家に生まれたが医に甘んぜず、当時の大儒、京の皆川淇園、江戸の山本北山に就いて学んだがいずれも意に満たず、古人を師として独学刻苦した。たまたま幕府の医官、多紀桂山が、その才学を認めて後援し、ようやく都下にその名が知られるに至った。(『国史大辞典』) ○翁:男子、特に年長者に対する尊称。太田錦城。 ○論駁:弁論駁正。論じあい誤りを正す。
  二オモテ
○精覈:詳しく緻密で正確なさま。 ○在日:亡くなる前。生きていた時。 ○布皷之於雷門:「皷」は「鼓」の異体字。雷門は、會稽(今の浙江省紹興県)の城門。ここに大鼓があり、その音は大きく、洛陽城まで達した。布で作った鼓は音が出ない。この布鼓と雷門の大鼓を比べる。達人の前で自分の才能をひけらかして、世間の物笑いとなることの比喩。『漢書』卷七十六・王尊傳「太傅在前説相鼠之詩、尊曰、毋持布鼓過雷門」。 ○瞠若:驚いて目を見張るさま。瞠然。 ○自失:茫然として意気阻喪すること。 ○竽齋:ウサイ。若い頃、笛(竽)を吹いて、流し按摩をしていたのにちなみ、号とした。 ○碩果:学識や徳行にすぐれた偉大な人物。得難い数少ない人物。 ○杏林:医学界。三国時代、呉のひと董奉は廬山に隠居し、病を治して代金を求めず、わずかに重病が治癒した者には、杏の樹を五株、軽症だった者には一株植えることを求めた。数年後には杏は十万株を越え、見事な林となった。『太平廣記』卷十二・董奉に見える。 ○巍然:高くそびえ壮観なさま。 ○魯靈光:魯殿の靈光。漢代の魯の恭王は宮室を建てるのを好んだ。後に漢王朝は衰微し、宮殿も多く破壊されたが、魯の靈光殿は幸いにして残った。『文選』王延壽・魯靈光殿賦に見える。「碩果僅存」の人や事物の比喩。 ○前修:前代の徳を修めた優れたひと。前賢。 ○篤友:誠実で人情味の厚い友人。 ○應趨:応じてそれにしたがう。 ○目指氣使:話をせずとも、ただ瞳を動かしたり、気配だけで物を指したり、人を使ったりすること。権勢のあるひとの下のひとに対して威風あるさま。 ○鄙言:浅はかで粗雑なことば。 ○徴:証明。証拠。 ○不肖:才能がないこと、ひと。賢くないこと、ひと。 ○屢序:堤公愷は宗哲の『鍼灸知要一言』にも序を書いている。 ○天保十一年:一八四〇年。 ○星夕前一日:旧暦七月六日。
  二ウラ
○唐公愷:堤公愷(つつみ・きみよし)。塘(つつみ)とも書く。字は公甫。通称は鴻之佐、鴻佐。号は它山、稚松亭。漢学者。天明六(一七八三)年~嘉永二(一八四九)年。塘・唐は、修姓(漢人風に模した姓)。 ○小西思順:未詳。


内景備覽序
事之難學者惟毉爲最而世徃〃有妙
悟精通其術者其人未甞自以爲苦學
砥礪而知之而如得諸禁方神悟偶然
者和漢古今史乘其人不尠也盖病
機之變候千態萬狀若一〃立其方以
  一ウラ
待病在聖人亦有勢之不能爾者矣夫
聖人之教引而不發設以待其人經曰
知其要者一言而終曰然則醫之道不
在學問講求而但在禁方神悟而止
乎曰否夫術或有得諸偶然者而若
其法與道則是學問之極功矣非深
  二オモテ
通經義之人必不能窮源極流而到其
域也明通人身性命之原内藏外府腦
髓命門骨肉筋膜洞然如見然後察
其受病之由臨機應變治無一誤其
誰謂淺甞者所能知耶吾大嶽竽齋
先生今茲養痾之暇裒甞所示門弟
  二ウラ
子之語題曰内景備覽書雖係諺語
國字皆得之苦學實驗之餘故其
爲語不蔓不枝恰中窾會若夫論
精神宗氣之原心藏非一身之主
宰并榮衞逆順諸藏器之職掌歴
〃可睹至若其辨上中下三焦之能
  三オモテ
自仲景後殆二千年和漢夷蠻之書
共所未言及而悉徴諸内經聖語由
知上古醫必皆證諸實驗毫無臆
測之語所謂其死解剖而視之語愈
可以徴也於戲古經之不講久矣夫木
朽而蟲生於是乎喎蘭之學遄以内
  三ウラ
景肆其説意者彼只出新衒奇以
騖愚人之視聽爾夫我已曰宗脈而
彼譯曰神經我已曰榮衞而彼譯曰
動靜二脈其實我既盡之而彼第異
其名似寖加詳審要是支分節解
不過葛藤之談至若其膵與腺則
  四オモテ
創製烏有文字以瞞不學之徒好翻古
聖成案巧扇一世之俗噫是誰之過與
無乃世不講古經之繇與先生夙抱不
世出之資深有慨于此凡於黄岐仲
景之書咸能辨析秋毫規彈笞蘭
極口罵世醫雖苛論不少假而其言
  四ウラ
悉發於力學智辨之餘則他喙三
尺亦猶巧避言巽而不敢當其鋒矣
瞿鑠踰七袠猶能勉強自謂探本
溯源之學吾已得其宗焉盖非虗
稱也夫既擅天生之資而復涂之以人
力之學宜乎其於法與術不復詭於
  五オモテ
古毉聖經之道嗚呼世欲讀古醫經
者置此書一部以充指南車則庶乎
其不失所趍向矣書成而有命乃録
前言以爲序旹天保庚子之秋
東都逸毉 櫟園石阪宗珪撰
  五ウラ
  蓼洲北圃有親書
        邨嘉平刻

  【訓み下し】
内景備覽序
事の學び難き者は、惟(おも)うに毉を最と爲す。而して世に往々にして
其の術に妙悟精通する者有り。其の人未だ嘗て自ら以て苦學
砥礪して之を知ると爲さず。而して諸(これ)を禁方神悟の偶然に得るが如き
者は、和漢古今の史乘、其の人尠(すく)なからざるなり。蓋し病
機の變候、千態萬狀、若(も)し一々其の方を立て、以て
  一ウラ
病を待てば、聖人に在っても、亦た勢いの爾(しか)る能わざる者有らん。夫(そ)れ
聖人の教えは、引いて發せず、設けて以て其の人を待つ。經に曰く、
其の要を知る者は、一言にして終わる、と。曰く、然らば則ち醫の道は、
學問講求に在らずして、但だ禁方神悟に在りて止む
か。曰く、否。夫れ術、或るいは諸(これ)を偶然に得る者有らん。而して
其の法と道との若(ごと)きは、則ち是れ學問の極功なり。深く
  二オモテ
經義に通ずるの人に非ざれば、必ず源を窮め流れを極めて、其の
域に到る能わざるなり。明らかに人身性命の原に通じ、内藏外府、腦
髓命門、骨肉筋膜、洞然として見るが如し。然る後に
其の受病の由を察して、機に臨みて變に應ずれば、治に一誤無し。其れ
誰か淺嘗者の能く知る所と謂わんや。吾が大嶽、竽齋
先生、今茲、養痾の暇(いとま)、嘗て門弟
  二ウラ
子に示す所の語を裒(あつ)めて、題して内景備覽と曰う。書は諺語
國字に係ると雖も、皆な之を苦學實驗の餘に得たり。故に其の
語爲(た)るや、蔓せず枝せず、恰(あたか)も窾會に中(あた)る。夫(か)の
精神宗氣の原、心藏、一身の主
宰に非ず、并びに榮衞の逆順、諸藏器の職掌を論ずるが若きは、歴
歴として睹る可し。其の上中下三焦の能を辨する若きに至っては、
  三オモテ
仲景自り後、殆ど二千年、和漢夷蠻の書
共に未だ言及せざる所にして、悉く諸(これ)を内經の聖語に徴す。由って
知る、上古の醫は必ず皆な諸(これ)を實驗に證して、毫も臆
測の語無きを。謂う所の其の死するや解剖して視るの語、愈いよ
以て徴す可し。於戲(ああ)、古經の講ぜざること久し。夫れ木
朽ちて蟲生ず。是(ここ)に於いて、喎蘭の學、遄(もつぱ)ら内
  三ウラ
景を以て其の説を肆(ほしいまま)にす。意者(おもう)に彼れ只だ新を出だし奇を衒(てら)い、以て
愚人の視聽を騖すのみ。夫(そ)れ我れ已に曰く、宗脈と。
而して彼れ譯して神經と曰う。我れ已に曰く、榮衞と。而して彼れ譯して
動靜二脈と曰う。其の實は、我れ既に之を盡(つ)くして、而して彼れ第(た)だ
其の名を異にす。寖(ようや)く詳審を加うるに似るも、要するに是れ支分節解、
葛藤の談に過ぎず。其の膵と腺との若きに至れば、則ち
  四オモテ
烏有の文字を創製して、以て不學の徒を瞞(だま)す。好(この)んで古
聖の成案を翻(ひるがえ)し、巧みに一世の俗を扇ぐ。噫(ああ)、是れ誰の過(あやま)ちぞや。
乃ち世、古經を講ぜざるに之れ繇(よ)ること無からんや。先生夙(はや)く不
世出の資を抱(いだ)く。深く此に慨(なげ)き有り。凡そ黄岐仲
景の書に於ける、咸(み)な能く秋毫を辨析し、彈を規(ただ)し蘭を笞うち、
口を極めて世醫を罵る。苛論、少しも假せずと雖も、而して其の言
  四ウラ
悉く力學智辨の餘に發すれば、則ち他の喙(くちばし)三
尺も、亦た猶お巧みに避け言巽して、敢えて其の鋒に當らず。
瞿鑠として七袠を踰(こ)え、猶お能く勉強し、自(みずか)ら謂えらく、探本
溯源の學、吾れ已に其の宗を得たり、と。蓋し虗
稱に非ざるなり。夫(そ)れ既に天生の資を擅(ほしいまま)にし、復(ま)た之を涂するに人
力の學を以てす。宜(むべ)なるかな、其の法と術とに於いて、復た
  五オモテ
古毉聖經の道に詭(たが)わざるは。嗚呼(ああ)、世の古醫經を讀まんと欲する
者、此の書一部を置きて、以て指南車に充てば、則ち
其れ趍向する所を失わざるに庶(ちか)からん。書成りて命有り。乃ち
前言を録し、以て序と爲す。旹(とき)、天保庚子の秋
東都逸毉 櫟園石阪宗珪撰す。
  五ウラ
  蓼洲北圃有親書す。


  【注釋】
○妙悟:尋常を越えた理解。 ○精通:深く理解し、通暁する。 ○苦學:苦労して学習する。 ○砥礪:錬磨する。「砥」も「礪」も、砥石。 ○禁方:秘密の医方。 ○神悟:理解が神がかって早い。理解力が並外れていること。 ○史乘:歴史書。「乘」は、春秋時代、晋国の史書の名称。のちに「史乘」で広く歴史書を指すようになった。 ○病機:病のメカニズム。 ○變候:証候の変化。 ○千態萬狀:各種各様の形態。状態の種類はきわめて多いさま。 
  一ウラ
○引而不發:『孟子』盡心上:「君子引而不發、躍如也。」弓を引き絞っても矢を発しない。後に啓発誘導して、その学びを妥当な状態に準備させ、機を伺って行動させることの比喩となる。 ○經曰:『霊枢』九鍼十二原。 ○功:成就。「極功」は、功の極致。
  二オモテ
○經義:経典の意味。 ○窮源極流:物事の根本源流と沿革流別を探究する。窮源溯流。 ○性命:生命。 ○洞然:明白に。はっきりと。 ○臨機應變:事に臨んで適切に変化に順応した処置をほどこせる。 ○淺甞:淺嘗。ちょっとだけ嘗めて味見をする。ただ上っ面の興味があるだけで、深いところまで研究しないことの比喩。 ○大嶽:大いなる岳父。宗珪(宗圭)は女婿。 ○今茲:今年。現在。 ○養痾:養病。疾病を調養する。 ○門弟子:門弟。門下生。『論語』泰伯「曾子有疾、召門弟子曰」。子罕「子聞之、謂門弟子曰」。
  二ウラ
○諺語:民間で使われている通俗なことば。和語。 ○國字:仮名。 ○不蔓不枝:蓮は真っ直ぐ伸びて、蔓も枝も生じない。宋・周敦頤『愛蓮説』「中通外直、不蔓不枝」。文章が簡潔で流暢であることの比喩。 ○恰:まさに。ぴったり。 ○窾會:空隙。要諦。鍵となる部分。 ○精神宗氣之原、心藏非一身之主宰、并榮衞逆順諸藏器之職掌:本文を参照。 ○歴歴:はっきりしている。歴然。 
  三オモテ
○仲景:張仲景。 ○夷蠻:蠻夷。東夷・南蛮。 ○所謂:『靈樞』經水を参照。 ○木朽而蟲生:木朽蛀生。点検を怠ると誤りがおこる。 ○喎蘭之學:蘭学。/喎蘭:阿蘭陀。オランダ。 ○遄:「遄」の意味は、「急速なさま・頻繁に往来する」であるが、原文に「ラ」の送りがながあるため、「耑」の通字と取った。「耑」は「專」の異体字。 ○内景:道教の用語としては本来、体内の神を指すが、解剖図、人体の内部構造の意味で使われる。
  三ウラ
○意者:そもそも。 ○衒:誇示する。ひけらかす。 ○騖:しいて求める。「ハス」と訓ずるか。 ○視聽:見聞。 ○夫:そもそも。 ○寖:しだいに。 ○支分節解:枝葉末節を分けるような重要でないこと。 ○葛藤之談:入り組んで回りくどい話。 ○膵:平田篤胤『志都能石屋(医道大意)』に見える。 ○腺:宇田川榛斎『医範提綱』に見える。国字。
  四オモテ
○烏有:存在しないもの。烏(いず)くんぞ有らん。 ○成案:旧例。定論。 ○扇:扇動する。 ○一世:世の中全体。 ○無乃:~ではなかろうか。 ○不世出:めったに世に現われることのないほどすぐれている。 ○資:元来備わっていて、やがて役だつべき能力。質。 ○慨:悲嘆。憤慨。 ○秋毫:秋になって生え始めた鳥獣の細毛。微細なもののたとえ。 ○規彈笞蘭:未詳。「彈」に関して、判読に自信なし。「萍」か。/かりに、怠け心をただしいましめ(規)、疲れた体にむち打つ、の意としておく。 ○世醫:代々医業を行っている者。 ○苛論:厳格すぎる論評。 ○假:寛容に扱う。ただし、この字、判読に自信なし。 
  四ウラ
○力學:努力して学ぶ。勉学にはげむ。 ○智辨:智辯。聡明さと弁舌の才。 ○喙三尺:よく弁論することのたとえ。のちに風刺の意が込められるようになった。『莊子』徐无鬼「丘願有喙三尺」。「喙長三尺」「三尺喙」ともいう。 ○巽:ゆずる。『論語』子罕「巽與之言、能無説乎、繹之為貴/巽與の言は、能く説(よろこ)ぶ無からんや。之を繹(たず)ぬるを貴しと為す」。相手に逆らわず、へりくだった言い方をすること。巽言。 ○鋒:兵器(の鋭利な部分)。/「避鋭鋒」情勢を見て身を避ける。 ○瞿鑠:矍鑠。老いても壮健なこと。「瞿」は「矍」の省文か。 ○七袠:七十歳。「袠」は「袟」の異体字で、「秩」に通ず。十年を「秩」という。 ○勉強:力をつくして事を行う。 ○探本溯源:根本・水源をたずねもとめる。事物の本源を探究しさかのぼることの比喩。 ○宗:おおもと。主旨。 ○虗:「虚」の異体字。事実と異なる。むなしい。虚偽の。 ○擅:一手に握る。 ○天生:生まれながらの。 ○涂:「塗」「途」に通ず。わたる。みち。動詞として「すすむ・あゆむ」の意か。 ○詭:違背する。
  五オモテ
○指南車:古代に用いられた方向を指し示す車。車の上に木製の人形を置き、歯車で動かして、つねに腕が南方を指すようになっている。 ○趍向:趍は「趨」の異体字。おもむく。進み行く。 ○旹:「時」の異体字。 ○天保庚子:一八四〇年。 ○東都:江戸。 ○逸毉:官職についていない医師。小川春興『本朝鍼灸医人伝』によれば、宗哲の死後、封を襲って鍼侍医となったという。 ○櫟園石阪宗珪:石坂宗哲の女婿。宗圭とも書く。別名、宗元。字は公琦。櫟園と号す。文久三年(一八六三)、没す。『鍼灸茗話』などを著す。
  五ウラ
○蓼洲北圃有親:未詳。 ○邨嘉平:木村嘉平。天明6(1786)年初代(1823没)が開業して以来明治まで5代にわたり,木版彫刻の第一人者としての名声を得た江戸の字彫り板木師。嘉平は代々の称。多く「邨嘉平」の刻名を用いた。3代房義(1823~1886.3.25)は文字の生動をもよく再現する筆意彫りで知られ,薩摩,加賀両藩版や,薩摩藩の木活字,鉛活字の制作も行った。刻本には,2代(~1840)の市河米庵『墨場必携』(1836),『江戸名所図会』松平冠山序や,3代の『小山林堂書画文房図録』(1848)など多数。特に米庵の書は,そのほとんどに刀をふるったという。<参考文献>木村嘉次『字彫り版木師木村嘉平とその刻本』(安永美恵)朝日日本歴史人物事典。
※参考資料
 『淵鑑類函』卷二百・文學部九・碑文三「寒山片石、薦福千錢」の注に「世説、庾信自南朝至北方、惟愛温子昇寒山寺碑、後還、人問北方何如、曰、惟寒山一片石、堪共語、餘驢鳴犬吠耳、 題何工卷詩曰、延陵墓上止十字、薦福寺裏須千錢」とあるが、『世説新語』での出所未詳。
 宋・朱勝非撰『紺珠集』巻十三「韓陵石堪語」の注に「庾信自南朝至北方、愛温子升所作韓陵寺碑、或問信北方何如、曰、惟韓陵寺一片石堪共語、餘不足若驢鳴狗吠耳」とある。
 宋・曽慥編『類説』卷二十五・玉泉子・驢鳴狗吠に「庾信自南朝至北方、惟愛温子昇所作寒山寺碑、或問信北方何如、曰唯寒山寺一片石堪共語餘若驢鳴狗吠」とある。
 宋・葉廷珪撰『海録碎事』卷十八・文學部上・石堪共語に「庾信自南朝至北方、性愛温子昇所作韓山寺碑、或問信北方何如、曰惟韓山寺一片石堪共語、餘若驢鳴狗吠耳」とある。
 宋・祝穆撰『古今事文類聚』別集卷十三・韓山寺碑に「庾信自南朝至北方、惟愛溫子升所作韓山寺碑或問信曰北方何如曰惟韓山一片石堪與語餘若驢鳴犬吠耳(玉泉子)」とある。
 宋・潘自牧撰『記纂淵海』卷七十五・評文下に「庾信自南朝至北方、惟愛温子昇所作韓山寺碑、或問信曰北方何如、曰惟韓山一片石堪共語、餘若驢鳴狗吠耳(玉泉子)」とある。
 明・何良俊撰『何氏語林』卷二十八・輕詆に「庾信至北唯愛温子昇寒山寺碑、後還南、人問北方何如、信曰唯寒山寺一片石堪共語、餘若驢鳴犬吠耳」とある。
内景備覽跋
嗚呼夫越人之死無越人仲景之没無仲   「嗚」、原文「鳴」
景於是也内經之道殆乎煙滅矣定理亦
遂不眀後之人妄據己所見而臆度之贗   「眀」、「明」の異体字
託牴牾互相紛起養空守虗𢬵真逞偽擾   「𢬵」〔「手偏+弃」〕は「拌」の異体字
〃蠢〃從皆馳支離不稽之説而所謂醫
道定理之所在置不復窺焉滔〃者千有   「窺」、原文「夫」の部分「ネ」
餘年于今豈非天待其人乃闡内經之秘蘊
  一ウラ
乎嚴君有見于此以特絶之識説祛千古
之流弊復起上世神醫之道於分崩離析   「析」、原文「坼」につくる
之中著書立論標榜醫方之定理使迷者
頓悟豈非天待此人乃闡内經之秘蘊耶
今歳夏月嚴君偶抱負薪病間取其所
嘗著之内景備覽使吾輩校之更自補苴
分作二卷將以上梓其所説宗氣榮衞之
循環諸器諸臓之功能燭照數計令睹者
  二オモテ
一目瞭然盖醫之定理於此乎乃盡此書
已以達于四海之外必有奮然而起愕然
而驚或簞食壺漿以奉迎之或喚呼抃
躍以稱揚之者焉乃知以此一定不變之
理察他萬變不定之病何行而不精確
乎若至其讀之詳之問之習之而有厭於
己者則可上以療君親之病下以救貧賤
之厄中以保身養性矣以此廣施之于世
  二ウラ
則起虢望齊之診豈謂之難哉要是一
時警發天下不亦一大快事哉刻已成
余尋思之能令一世之醫知吾新復之定
理祛彼古染之久弊惠于後學多矣豈曰
小補哉仍攄鄙言爲之跋亦奉其教也
天保庚子秋
     數原清菴親謹跋并書

  【訓み下し】
内景備覽跋
嗚呼、夫(そ)れ越人の死するや越人無く、仲景の没するや仲
景無し。是(ここ)に於いて、内經の道は煙滅するに殆(ちか)し。定理も亦た
遂に明らかならず。後の人、妄りに己れが見る所に據りて之を臆度し、贗
託牴牾し、互いに相い紛(みだ)れ起こり、空を養い虚を守り、真を𢬵(す)て偽を逞しくすること、擾擾蠢蠢たり。從って皆な支離不稽の説を馳す。而して所謂(いわゆ)る醫
道定理の在る所は、置きて復た窺われず。滔滔たる者(こと)、今に千
有餘年、豈に天、其の人を待って乃ち内經の秘蘊を闡(ひら)くに非ざるや。
  一ウラ
嚴君、此に見有り。特絶の識を以て、説きて千古
の流弊を祛(はら)い、復(ま)た上世の神醫の道を起こし、分崩離析
の中に於いて、書を著し論を立て、醫方の定理を標榜し、迷う者をして
頓悟せしむ。豈に天、此の人を待って乃ち内經の秘蘊を闡くに非ざるや。
今歳夏月、嚴君偶(たま)たま薪を抱負す。病い間ありて、其の
嘗て著す所の内景備覽を取り、吾が輩をして之を校せしめ、更に自ら補苴して、
分けて二卷を作り、將に以て上梓せんとす。其の説く所の宗氣・榮衞の
循環、諸器諸臓の功能、燭照らし數計(はか)りて、睹る者をして
  二オモテ
一目瞭然たらしむ。蓋し醫の定理、此に於いて乃ち盡(つ)く。此の書
已に以て四海の外に達す。必ず奮然として起ち、愕然として
驚き、或いは簞食壺漿して、以て之を奉迎し、或いは喚呼抃
躍し、以て之を稱揚する者有らん。乃ち知る、此の一定不變の
理を以て、他の萬變不定の病を察するを。何んぞ行いて精確ならざらんや。
其れ之を讀み之を詳かにし、之を問い之を習い、而して
己に厭(あ)くこと有るに至るが若(ごと)き者は、則ち上(かみ)は以て君親の病いを療し、下(しも)は以て貧賤
の厄(わざわ)いを救い、中は以て身を保ち性を養う可し。此を以て廣く之を世に施さば、
  二ウラ
則ち起虢望齊の診、豈に之を難(かた)しと謂わんや。要するに是れ一
時に天下を警發す。亦た一大快事ならずや。刻已に成る。
余、之を尋思するに、能(よ)く一世の醫をして、吾が新たに復するの定
理を知り、彼(か)の古く染まりし久弊を祛(はら)わしめば、後學に惠みあること多からん。豈に
小補を曰わんや。仍りて鄙言を攄(の)べて之が跋と爲し、亦た其の教えに奉ずるなり。
天保庚子の秋
     數原(すはら)清菴親(みずか)ら謹しみて跋し、并びに書す


 【注釋】
○越人:秦越人。 ○仲景:張仲景。 ○煙滅:煙のように跡形もなく消えてしまう。 ○定理:永久不変の真理。 ○所見:見たところ。見解。意見。 ○臆度:主観的な見方で推測する。臆測。 ○贋託:他人の名義を借用する。 ○牴牾:牛の角が接触する。引伸して、互いに衝突する。 ○虗:「虚」の異体字。 ○𢬵〔「手偏+弃」〕:「拌」の異体字。すてる。 ○贗:「贋」の異体字。 ○擾擾:みだれて秩序のないさま。 ○蠢蠢:騒がしくみだれたさま。 ○馳:伝える。 ○支離:ばらばらで秩序だっていない。 ○不稽:とりとめのない。 ○醫道定理:『四庫全書總目提要』醫家類「儒有定理、而醫無定法」。 ○置:廃棄する。すてる。 ○不復:二度とは~しない。 ○窺:探究する。深く観察する。 ○滔滔:水の流れがとめどなく絶えないさま。 ○闡:明らかにする。 ○内經:『黄帝内経』。 ○秘蘊:秘奥。事物の精奥なところ。
  一ウラ
○嚴君:父親。日本ではおもに他人の父親に対する尊敬語。父君。厳父。 ○有見:正確で透徹した見解を有する。 ○特絶:なみはずれた。卓絶した。 ○識:見識。知識。 ○祛:取り除く。 ○千古:はるか昔からの。 ○流弊:以前から途切れず続いている悪弊。 ○復:もう一度。 ○起:よみがえらす。 ○神醫:卓絶した医療技術を持ったひと。 ○分崩離析:国家などが分裂瓦解したさま。『論語』季氏「邦分崩離析、而不能守也」。ここでは、医学の論が四分五裂したさまの比喩であろう。 ○著書立論:「著書立説」ともいう。書籍を著し、一家の言をなすこと。 ○標榜:掲示する。 ○頓悟:たちどころに真理を悟る。 ○今歳:ことし。 ○夏月:夏の日。 ○抱負薪:薪を背負って疲れて、体力が恢復しない。引伸して病気になること。『史記』平津侯傳:「素有負薪之病」。『文選』阮籍『詣蔣公』「負薪疲病、足力不強」。 ○病間:病情が好転すること。『論語』子罕「子疾病/子の疾、病〔重体〕なり。/……病間曰……」。注「疾甚曰病。少差〔癒える〕曰間」。 ○吾輩:我われ。 ○校:校正。 ○補苴:脱漏・不備を補う。補綴する。/苴:つくろう。おぎなう。 ○燭照數計:明確に事を推し量ることができることの比喩。明かりで暗を照らし、そろばんで物を数える。唐・韓愈『送石處士序』「王良、造父為之先後也、若燭照數計而龜卜也/王良・造父〔ふたりとも古代の優れた馭者〕、之が先後を為すや、燭照らし數計りて龜卜するが若し」。
  二オモテ
○達于四海之外:「四海」はもともと中国をとりまく四方の海。ひろく天下各地をいう。石坂宗哲『鍼灸知要一言』によれば、ヨーロッパを念頭に置いているのであろう。 ○奮然:ふるいたつさま。 ○愕然:おどろくさま。 ○簞食壺漿:「簞食」は竹製の器に盛った飯。「壺漿」は壺に入れた飲み物。軍隊が民衆の擁護と尊敬を受けて、次々とねぎらわれるさま。『孟子』梁惠王下「簞食壺漿、以迎王師」。 ○奉迎:迎え接す。 ○喚呼:大声で呼び叫ぶ。 ○抃躍:よろこんで舞い踊る。「抃」は拍手する。 ○稱揚:ほめあげる。 ○精確:詳細でしかも誤りがない。 ○有厭於己:『素問』挙痛論「善言人者、必有厭於己」。「厭」は満足する。 ○君親:君主と父母。 ○貧賤:貧しく身分が低い。 ○厄:災難。 ○養性:「養生」とおなじ。 
  二ウラ
○起虢望齊之診:『史記』扁鵲伝に、扁鵲が仮死状態にあった虢の太子を起たせ、齊の桓侯を望診して治療をすすめたが、桓侯は信ぜず、死亡した記事が見える。扁鵲のように優れた診断力を持てるようになること。 ○一時:現代。 ○警發:いましめ啓発する。 ○大快:痛快。 ○尋思:反覆して思索する。沈思する。 ○久弊:古くからの弊害。 ○後學:後進の者。のちの学習者。 ○小補:ささいな補益。 ○攄:思いを表現する。 ○鄙言:浅薄な粗野なことば。謙遜語。 ○天保庚子:天保十一(一八四〇)年。 ○數原清菴:当時は寄合医師。五百石廿人扶持。本所相生町。

1 件のコメント:

  1. 「徒隊士 田邉平三郎修書」
    徒隊士は御徒で歩兵、騎馬武者よりは下だが、足軽よりはかなり上。どこの藩のと言わないところをみると、おそらくは幕府の御徒であろう。因みに今の御徒町は、彼らが居住していたところ。番町は、騎馬武者である番衆の居住していたところ。
    修書は、文字通りには、欠点や誤りを改め直すことだが、ここでは石坂宗哲の序の内容を修正できるような人がいたとは思えないから、おそらくは版下として清書したという意味だろう。御徒の中にそうした技芸をもって、生活の足しにしていたものがいたことは充分に想像できる。名前を出せたくらいだから、それなりに名の通った人だったのだろう。そちら方面を探れば見つかるかもしれない。下の、木村嘉平と似た立場のようだが、当時としては、サムライとして胸のはれるアルバイトだったのではなかろうか。

    返信削除