こんにちは。初めまして。入会2年目の初学者です。
いろいろなところで古典の名言が言われますが、
こんな私を支えてくれていた名言があります。
「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ」
教えてくれた人に孔子の名言ときいていて、
ずっと信じていたのですが、
改めて調べてみると、
原文と出典が見当たらない...!!
ろくに読めない白文をさがしたり、読み下しを探したり、
先生に質問したり、
yahoo知恵袋に質問したりしました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070423045
中間報告としては、
空海の詩文集『遍照発揮性霊集』の
「書もまた古意に擬するを以て善しとなし、
古迹に似るを以て巧みとなさず」
を引用した芭蕉が許六離別の詞で
「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」
がどこかでまちがって、孔子になってしまったのではないかということです。
私の調べ方が足りないと思われますので、
もし、こういったことをご存じの先生が見てくださったら
ご指導をお願いします。
私の投稿を読んでいただきまして、ありがとうございました。
こういうのは苦手なんだが、談話室の管理人としては、せっかく書き込んでくれたのに、誰も反応しないのでは申し訳がない。
返信削除で、インターネットで検索してみると、これを孔子さまがいった、という記事は多いんですね。どこから引用したとは、書いてないけれど。
でも、『論語』には無い、のでしょう。
そうなると、ひょっとしたらと思ったのは、『孔子家語』とか『孔叢子』とか。孔子伝説のおおもととして双璧だそうです。あるいは、『春秋左氏伝』の君子が云々とか、いっそのこと『史記』孔子世家とか仲尼弟子列伝とか。
いずれにせよ、まだ、見つけてません。
これで見つからないようだったら、誰か得意な人、改めてお願いします。
ところで、インターネットを漁る過程で見つけたのが、宋の晁補之『跋董元画』の「師其意而不泥其迹」(その意を師として、その迹に泥まず)。おなじようなことなんでしょうね。
それにしても、「孔子のことばではありません」なんて、簡単に言えることですかね。さまざまな人が、同じようなことを、繰り返し、典拠ありげにいうのは、つまり誰か聖人あるいは聖人なみの人が、そんなことを言ったからじゃないのかな。そういうのが中国系文化人の好みじゃないのかな。芭蕉にとっては、空海は聖人もどきかも知れないけど、晁補之にとってはそんなわけはない。
ネットでの探し方
返信削除中國哲學書電子化計劃
http://ctext.org/zh
ここで,儒家の『論語』や『孔子家語』を選択して,在「書名」中捜索「検索語」で検索してみる。
『史記』の孔子世家も選択できる。
あとは,
台湾の中央研究院の漢籍電子文献で,
儒教教典などをあたる。
また,台湾のGoogle
http://www.google.com/webhp?hl=zh-tw
や大陸の百度
http://baike.baidu.com/
などで,復文(漢語にもどしたもの/渡来の語だと仮定してですが)を検索してみる。
これらの検索エンジンで引っかからないとしたら,和製のものではないでしょうか。
『關尹子』五鑑「善心者,師心不師聖」
(こころを良くしようとするなら,聖人なんかにとらわれずに,自分のこころを師にしたほうがいい)
バランスを取るために,こっちも頭に置いておいたほうがいいとは,思いますが。
管理人さま、菉竹さま
返信削除お忙しいところ、コメントをいただきまして、
まことにありがとうございます!
ネットだけでも広大ですね...
地道にがんばってみますっ!
あちこち探して、
いろいろな言葉を調べていくうちに、
直接先生に伺っているうちに、
また、
こうしてコメントを何度も読み直しているうちに、
心がひろがっていくというか、
とても充実していくことを感じました。
ご指導、ありがとうございました。