2011年9月4日日曜日

孔子でしょうか?

こんにちは。初めまして。入会2年目の初学者です。


いろいろなところで古典の名言が言われますが、
こんな私を支えてくれていた名言があります。
 「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ」
教えてくれた人に孔子の名言ときいていて、
ずっと信じていたのですが、
改めて調べてみると、
原文と出典が見当たらない...!!
ろくに読めない白文をさがしたり、読み下しを探したり、
先生に質問したり、
yahoo知恵袋に質問したりしました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070423045


中間報告としては、
空海の詩文集『遍照発揮性霊集』の
 「書もまた古意に擬するを以て善しとなし、
  古迹に似るを以て巧みとなさず」
を引用した芭蕉が許六離別の詞で
 「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」
がどこかでまちがって、孔子になってしまったのではないかということです。


私の調べ方が足りないと思われますので、
もし、こういったことをご存じの先生が見てくださったら
ご指導をお願いします。


私の投稿を読んでいただきまして、ありがとうございました。

3 件のコメント:

  1. こういうのは苦手なんだが、談話室の管理人としては、せっかく書き込んでくれたのに、誰も反応しないのでは申し訳がない。
    で、インターネットで検索してみると、これを孔子さまがいった、という記事は多いんですね。どこから引用したとは、書いてないけれど。
    でも、『論語』には無い、のでしょう。
    そうなると、ひょっとしたらと思ったのは、『孔子家語』とか『孔叢子』とか。孔子伝説のおおもととして双璧だそうです。あるいは、『春秋左氏伝』の君子が云々とか、いっそのこと『史記』孔子世家とか仲尼弟子列伝とか。
    いずれにせよ、まだ、見つけてません。
    これで見つからないようだったら、誰か得意な人、改めてお願いします。

    ところで、インターネットを漁る過程で見つけたのが、宋の晁補之『跋董元画』の「師其意而不泥其迹」(その意を師として、その迹に泥まず)。おなじようなことなんでしょうね。

    それにしても、「孔子のことばではありません」なんて、簡単に言えることですかね。さまざまな人が、同じようなことを、繰り返し、典拠ありげにいうのは、つまり誰か聖人あるいは聖人なみの人が、そんなことを言ったからじゃないのかな。そういうのが中国系文化人の好みじゃないのかな。芭蕉にとっては、空海は聖人もどきかも知れないけど、晁補之にとってはそんなわけはない。

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  2. ネットでの探し方
    中國哲學書電子化計劃
    http://ctext.org/zh
    ここで,儒家の『論語』や『孔子家語』を選択して,在「書名」中捜索「検索語」で検索してみる。
    『史記』の孔子世家も選択できる。
    あとは,
    台湾の中央研究院の漢籍電子文献で,
    儒教教典などをあたる。

    また,台湾のGoogle
    http://www.google.com/webhp?hl=zh-tw
    や大陸の百度
    http://baike.baidu.com/
    などで,復文(漢語にもどしたもの/渡来の語だと仮定してですが)を検索してみる。
    これらの検索エンジンで引っかからないとしたら,和製のものではないでしょうか。

     『關尹子』五鑑「善心者,師心不師聖」
    (こころを良くしようとするなら,聖人なんかにとらわれずに,自分のこころを師にしたほうがいい)
     バランスを取るために,こっちも頭に置いておいたほうがいいとは,思いますが。

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  3. 管理人さま、菉竹さま

    お忙しいところ、コメントをいただきまして、
    まことにありがとうございます!

    ネットだけでも広大ですね...
    地道にがんばってみますっ!

    あちこち探して、
    いろいろな言葉を調べていくうちに、
    直接先生に伺っているうちに、
    また、
    こうしてコメントを何度も読み直しているうちに、
    心がひろがっていくというか、
    とても充実していくことを感じました。

    ご指導、ありがとうございました。

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