2011年12月13日火曜日

多紀元簡

多紀は苗字,日本風な氏は丹波(源・平・藤・橘などのレベルの氏),ただし後漢の霊帝の後裔を称するので,中国風には劉氏。
幼名は金松,長じて安清,安長と改める(これが通称のはず?と思うけど,アンチョウさんなんて呼んでたのかね?)。
実名(諱)は元簡(普通はゲンカンとよむけれど,日本風にはモトヤスとよむべきかも知れない。この間,私の言ったのは間違っていたかも。ただし,一般的にゲンカンとよんだほうが通じやすかろう。また,後漢の霊帝の末裔を気取っていたとすると,自分ではゲンカンのつもりだったかも知れない。),字(アザナ)を廉夫(諱と関連してつける。おそらく簡単で廉直。本来なら,同輩や,ましてや後輩が,人を諱でよんだりしては大変な失礼なことである。)とする。
桂山と号し,別号に櫟窓がある。何故だか,当時(江戸末期)の考証学者は,植物名を一字使った号をつけるのが多かった。

2 件のコメント:

  1. 森潤三郎(森鴎外の弟)に,『多紀氏の事蹟』という著作があって,その巻頭に掲げられた系図の元簡に,「もとやす」と振り仮名がありますね。やはり「もとやす」ですかね。でも,本人のつもりがどうだったかは,やはりわからない(まけおしみ)。
    で,安長というのは通称です。それも代々の通称のようです。父親の元悳も,安長を称しています。子や孫たちも,安○です。子の元胤も,孫の元昕も,安良を称しています。

    たとえていえば,遠山の金さんは,苗字が遠山,通称が金四郎,本氏は藤原,実名は景元です。最晩年には,剃髪して帰雲と号したらしいけど,さすがにこれは知らなかった。

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  2. たとえていえば、森鴎外なら、苗字が森、通称が林太郎、本氏は源、実名は高湛だったかな。鴎外と号した。

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