以下の史料から,つぎのことがわかる。タイトルによれば,張杲は句読をあやまり「風手」という病名・症状をつくりだした。刺史の名前が一字失われている。参考にしたのは『舊唐書』であろうか。
『舊唐書』列傳第一百四十一/方伎/甄權 弟立言
甄權,許州扶溝人也。嘗以母病,與弟立言專醫方,得其旨趣。隋開皇初,為祕書省正字,後稱疾免。隋魯州刺史庫狄嶔苦風患,手不得引弓,諸醫莫能療,權謂曰:「但將弓箭向垜,一鍼可以射矣。」鍼其肩隅一穴,應時即射。權之療疾,多此類也。貞觀十七年,權年一 百三歲,太宗幸其家,視其飲食,訪以藥性,因授朝散大夫,賜几杖衣服。其年卒。撰脈經、 鍼方、明堂人形圖各一卷。
【訓讀】
甄權は、許州扶溝の人なり。嘗て母の病めるを以て,弟の立言と醫方を專らにし,其の旨趣を得たり。隋の開皇の初め、祕書省の正字と為り,後に疾(やまい)と稱して免ぜらる。隋の魯州刺史庫狄嶔 風患を苦しみ,手 弓を引くを得ず。諸醫能く療すること莫し。權謂いて曰く:「但だ弓箭を將(もっ)て垜(あづち)に向え。一鍼もて以て射る可し。」其の肩隅(髃)一穴に鍼す。時に應じて即ち射る。權の疾を療すること、多く此の類(たぐい)なり。貞觀十七年、權 年一百三歲、太宗 其の家に幸(みゆき)し,其の飲食を視て,訪(と)うに藥性を以てす。因て朝散大夫を授け,几杖衣服を賜う。其の年に卒す。『脈經』『鍼方』『明堂人形圖』の各一卷を撰す。
【注釋】
○甄權:541~643。 ○許州扶溝:いま河南省扶溝縣。 ○立言:生没年不詳。『古今錄驗方』『本草藥性』『本草音義』を撰す。 ○專:專攻する。專門に研究する。 ○醫方:醫術。 ○旨趣:宗旨と意義。 ○隋:581~618年。楊堅が南北を再統一した。 ○開皇:年號。581~600年。 ○祕書省:圖籍を管理する役所。 ○正字:職官名。北齊はじめて置く。校書郎とともに典籍を讎校し,文章を刊正するをつかさどる。 ○魯州:北周が設置した。いま山東省東鄆城縣の東方。/隋仁壽末,楊廣の諱を避けて廣州を改めて置いた,治所は魯縣(いま河南省魯山縣)にあり。大業三年(607)廢。 ○刺史:職官名。地方長官。太守。 ○庫狄嶔: ○風患:中風も「風患」というが,ここでは五十肩(頸肩腕症候群)のような症狀。 ○莫:誰も~しない。 ○謂曰:(庫狄嶔)に對していう。 ○將:以て。用いて。 ○弓箭:弓と矢。 ○垜:弓矢を射る的を置く場所の盛り土。標的。 ○一鍼:一本の鍼。一回の刺鍼。 ○其:かれの。 ○肩隅:肩髃。 ○應時:即刻。すぐに。 ○貞觀十七年:643年。 ○太宗:唐朝の第二代皇帝,李世民。在位:626年~649年。 ○幸:帝王皇族が某地にみずから出向く。行幸する。 ○視:觀察する。 ○飲食:食物、飲料。 ○訪:調查する。問う。 ○藥性:藥物の性質。ここでは食物、飲料の温熱平寒涼などをいうか。 ○朝散大夫:散官(名誉職)名。隋はじめて設置す。正四品。煬帝の時にいたり從五品にさげらる。文武官の德聲あるものに授けらる。 ○几杖:脇息(ひじかけ)とつえ。『禮記』曲禮上:「大夫七十而致事,若不得謝,則必賜之几杖。」老人に敬意を示す禮物。 ○卒:死亡する。 ○撰:著述する。編纂する。 ○脈經、 鍼方、明堂人形圖:『備急千金要方』卷二十九針灸上·明堂三人圖第一:「舊明堂圖年代久遠,傳寫錯悞,不足指南,今一依甄權等新撰為定云耳。」
『新唐書』列傳第一百二十九/ 方技/ 甄權 許胤宗 張文仲
甄權,許州扶溝人。以母病,與弟立言究習方書,遂為高醫。仕隋為祕書省正字,稱疾免。魯州刺史庫狄嶔風痺不得挽弓,權使彀矢嚮堋立,鍼其肩隅,一進,曰:「可以射矣。」果如言。貞觀中,權已百歲,太宗幸其舍,視飲食,訪逮其術,擢朝散大夫,賜几杖衣服。尋卒, 年一百三歲。所撰脈經、針方、明堂等圖傳于時。
【訓讀】
甄權は,許州扶溝の人。母の病を以て,弟の立言と方書を究め習い,遂に高醫と為る。隋に仕えて祕書省の正字と為(な)るも,疾と稱して免ぜらる。魯州の刺史庫狄嶔 風痺となり,弓を挽(ひ)くを得ず。權 矢を彀(は)り堋(あづち)に嚮(む)かい立たしめ,其の肩隅(髃)に鍼す。一たび進めて,曰く:「以て射る可し。」果して言の如し。貞觀中、權已に百歲、太宗 其の舍に幸(みゆき)し,飲食を視て,訪(と)いて其の術に逮(およ)ぶ。朝散大夫に擢(ぬきん)で,几杖衣服を賜う。尋(つい)で卒す。年一百三歲。撰ぶ所の『脈經』『針方』『明堂等圖』,時に傳う。
【注釋】
○究習:研究學習する。 ○方書:方術に關する書籍。醫書。 ○高醫:良醫。高名な医師。 ○風痺:風濕性關節炎(リウマチ)などの病。 ○挽:引く。 ○彀:弓をひく。 ○堋:垜に同じ。 ○擢:選んで登用する。 ○尋:久しからず。まもなく。
『備急千金要方』卷八諸風·偏風第四
庫狄欽患偏風,不得挽弓。
針肩髃一穴,即得挽弓,甄權所行。
2006/1/22投稿の『醫説』鍼灸5を見れば、「魯州刺史庫狄欽若患風,手不得引。」の句読を、「魯州刺史庫狄欽若患風手,不得引。」と誤って、「風手」という病名・症状をつくりだしたという話はわかりますが、刺史の名前が一字失われているというのはどういうことでしょうか。
返信削除すみません。
返信削除ご指摘,ありがとうございます。
「刺史の名前が一字失われている。」
は,削除します。
ここの文章は,
京都大学附属図書館富士川文庫蔵本を底本として,「可能な限り原本に忠実に翻刻をこころがけた」という伝承文学資料集成 第二十一輯『医説』福田 安典編著 三弥井書店 (2002/08)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8C%BB%E8%AA%AC-%E4%BC%9D%E6%89%BF%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%87%E6%96%99%E9%9B%86%E6%88%90-21-%E7%A6%8F%E7%94%B0-%E5%AE%89%E5%85%B8/dp/4838240171
または,以下で「医説」を検索。
http://www.miyaishoten.co.jp/
を基本に授業をすすめた,余滴あるいは下準備をしるしています。
その三弥井書店本は刺史の名前が「庫狄」となっています。
これを下記の中国書と比較すると,という意味でした。
四庫全書本および上海科学技術出版社刊の「上海中医学院図書館館藏之癸酉夏五陶風樓本影印」『医説』は「庫狄欽」につくります。
台湾 漢籍電子文献資料庫を見る限り,『舊唐書』『新唐書』は「庫狄嶔」ですが,新安医学名著丛书所収本『医説』(作者:(宋)张杲|主编:王键|校注:王旭光//张宏)(定价:48)(出版社:中国中医药)
http://book.kongfz.com/8478/115104652/
http://www.exvv.com/mall/detail.jsp?proID=934516
の校注によれば,『舊唐書』は「庫狄鏚」につくる,そうです。
ちなみに,http://plaza.umin.ac.jp/~daikei/
にある「醫説 鍼灸」は,基本的に四庫全書本のデータを使っています。