秦鳴鶴爲侍醫。高宗苦風眩,頭重目不能視。武后亦幸災異,逞其志。至是疾甚。召鳴鶴、張文仲診之。鳴鶴曰:「風毒上攻、若刺頭出少血、即愈矣。」天后自簾中怒曰:「此可斬也。天子頭上,豈是試出血處耶。」上曰:「醫之議病,理不加罪。且吾頭重悶殆不能忍,出血未必不佳。」命刺之。鳴鶴刺百會及腦戸,出血。上曰:「吾眼明矣。」言未畢、后自簾中頂禮拜謝之,曰:「此天賜我師也。」躬負繒寶、以遺鳴鶴。
秦鳴鶴 侍醫爲(た)りしとき、高宗 風眩を苦しむ。頭重、目視ること能わず。武后亦た災異を幸いとし、其の志を逞しくす。是に至りて疾甚だし。鳴鶴と張文仲を召して之れを診しむ。鳴鶴が曰く「風毒 上攻す。若し頭を刺して少血を出ださば即ち愈えん」と。天后 簾中自り怒りて曰く「此れ斬っつべし。天子の頭上、豈に是れ試みに血を出だす處ならんや」と。上の曰く「醫の病を議するは、理、罪を加えず。且つ吾が頭、重悶せり。殆ど忍ぶこと能わず。血を出ださば未だ必ずしも佳からずんばあらず」と。命じて之れを刺さしむ。鳴鶴、百會及び腦戸を刺して、血を出だす。上の曰く「吾が眼 明らかなり」と。言 未だ畢らず、后 簾中自り頂禮して之れを拜謝す。曰く「此れ天 我に師を賜えり」と。躬(みずか)ら繒寶を負いて、以て鳴鶴に遺(おく)る。
【注釋】
○鍼愈風眩‥「鍼」は主語ではなく,状語(連用修飾語)。名詞であるが動詞「愈」を修飾する。道具、手段をあらわす。「鍼で,鍼を使って,鍼術をもちいて」。
○風眩‥病名。因風邪、風痰所致的眩暈。多由血氣虧損、風邪上乘所致。又稱風頭眩。分有風寒眩暈、風熱眩運、風痰眩暈等。見『諸病源候論·婦人雜病諸候』。唐高宗李治是罹患此疾的代表性人物。
《聖濟總錄》卷十六‥「風頭眩之狀、頭與目俱運是也。五臟六腑之精華、皆見於目、上註於頭。風邪鼓於上、腦轉而目系急、使真氣不能上達、故虛則眩而心悶、甚則眩而倒仆也。」運‥暈に通ず。
○秦鳴鶴‥
○侍醫‥御醫、為君王及皇室成員治病的醫生。
○高宗‥唐朝の第三代皇帝(649年-683年)。李治。外戚の長孫氏が皇后である武氏の一派によって追放され、代わって武后が政治の実権を掌握するようになっていた。このため高宗は武后廃立を計画したが、失敗する。後に丹薬による中毒で眼病を患い、唐の実権は完全に武后により掌握された。史書によれば,ここにあげられる話は,弘道元年(683年)十一月のことで,崩御したのはこの年のうちである。秦鳴鶴の名が史書に見えるのは,ここのみである。あるいは,これが原因で,武后に粛清されたか。張文仲は,武后の時代も活躍したようである。
○苦‥受累、為難。
○頭重‥[heavyness in the head] 病症名。指頭部自覺重墜或如被捆裹的感覺。
○武后‥武則天(諱は武照(武曌)、623年(武徳6年)? - 705年12月16日(神龍元年11月26日))は、唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝となり、武周朝を建てた。日本では則天武后と呼ばれることが多いが、この名称は彼女が自らの遺言により皇后の礼をもって埋葬された事実を重視した呼称である。一方最近の中国では、彼女が皇帝として即位した事実を重視して「武則天」と呼ぶことが一般的になっている。漢代の呂后、清代の西太后とともに「中国三大悪女」の一人に数えられる。
○亦‥相當於「也」、「也是」。位於句首或句中、無義。
○幸‥高興。希冀、盼望。ねがう。
○災異‥因事物的反常而造成的災禍。指自然災害或某些異常的自然現象。ここでは高宗のの病のことであろう。
○逞‥放縱、任意行事。顯露、展示。自由にふるまう。
○志‥意向、抱負、決心。
○疾‥病。
○甚‥很、非常。過分、過度。
○召‥呼喚、特指上對下的呼喚。招致、引來。
○張文仲‥约生于唐·武德三年(620),卒于唐·圣历三年(700年)。洛州洛阳(今洛阳市)人。年轻时就与洛阳人李虔纵、京兆(今西安)人韦慈藏以医术高明而闻名于世,曾任侍御医、尚药奉御之职。他善疗“风疾”,成为唐高宗、武则天时期宫廷内著名的御医。《旧唐书·方伎传》载,“自则天、中宗以后,诸医咸推文仲(李虔纵、韦慈藏)等三人为首”。/精于灸术,撰《张文仲灸经》一书,已佚。
http://baike.baidu.com/view/436898.htm
http://www.hudong.com/wiki/%E5%BC%A0%E6%96%87%E4%BB%B2
http://baike.soso.com/v700052.htm
http://zy.china.com.cn/zywh/mingyi/464.html
『舊唐書』卷一百九十一 列傳第一百四十一 方伎
張文仲,洛州洛陽人也。少與鄉人李虔縱、京兆人韋慈藏並以醫術知名。文仲,則天 初為侍御醫。時特進蘇良嗣於殿庭因拜跪便絕倒,則天令文仲、慈藏隨至宅候之。文仲曰:「此因憂憤邪氣激也,若痛衝脅,則劇難救。」自朝候之,未及食時,即苦衝脅絞痛。文仲曰:「若入心,即不可療。」俄頃心痛,不復下藥,日旰而卒。文仲尤善療風疾。其後則天令文仲集當時名醫共撰『療風氣諸方』,仍令麟臺監王方慶監其脩撰。文仲奏曰:「風有一百二十四種,氣有八十種。大抵醫藥雖同,人性各異,庸醫不達藥之行使,冬夏失節,因此殺人。唯脚氣頭風上氣,常須服藥不絕,自餘則隨其發動,臨時消息之。但有風氣之人,春末夏初及秋暮,要得通洩,即不困劇。」於是撰四時常服及輕重大小諸方十八首表上之。文仲久視年終於尚藥奉御。撰『隨身備急方』三卷,行於代。
○風毒‥指與所居處潮濕(多湿、濕度)低下有關的致病因素。
○攻‥出擊。說文解字‥「攻、擊也。」
○若‥如果、假如、表示假設。
○即‥便、就。立刻。
○愈‥病情好轉。
○矣‥表示肯定的語氣。表示將然的事。
○天后‥唐武后則天號稱「天后」。唐高宗 永徽 六年廢 王皇后 、立 武宸妃 ( 則天 )為后。 高宗稱天皇 、 武后稱天后 。見《舊唐書·則天皇后紀》。
○自‥從、由。
○簾‥用竹片、布帛等編製成遮蔽門窗的用具。「垂簾聽政(女后臨朝管理國事)」。
○可‥『漢辞海』2版‥225.可能。許可。当然(すべし)。勧誘(するのがよい)。評価(値する。に足る)。
○斬‥砍(用刀斧劈)、殺。斷絕。キッツベシ。謂っつべし。聞っつべし。見っつべし。江戸時代の訓法。
○也‥表示判斷或肯定的語氣。表示感嘆的語氣。如‥「悲也!」
○天子‥舊稱統治天下的帝王。古代認為帝王乃受天命而有天下、所以帝王為上天的兒子、稱為「天子」。
○頭上‥頭的上方;頭頂。
○豈‥2版‥1336.難道、怎麼、表示反詰、疑問。どうして……であろうか。まさか……ではあるまい。「乎、哉、耶」などと呼応する。
○試‥嘗試。
○出血‥血液流出。血管壁破裂、血液外流。
○處‥地方、場所。
○耶‥表示疑問語氣。相當於「呢」、「嗎」。
○上‥皇帝。
○議‥討論、商量。「協議」。
○理‥事物的規律、意旨。道理。
○罪‥刑罰。
○且‥又、並。尚、還。
○重‥劇烈的。如‥「重病」。
○悶‥2版‥533.心部。心中不愉快。苦痛。如‥「煩悶」、「鬱悶」、「苦悶」。懣。
○殆‥近似。幾乎、將近、差不多。
○不能‥不可以、不能夠。/能‥2版‥1159.
○忍‥承受(耐える)。
○未必‥不一定。/未‥2版‥692.
○不佳‥不好。/佳‥美、好。血を出したら,きっとよくなるにちがいない。
○命‥差遣、下命令。
○百會‥②經穴名。出《針灸甲乙經》。別名三陽五會、天滿、巔上。屬督脈。督脈、足太陽之會。在頭部、當前髮際正中直上5寸、或兩耳尖連線的中點處。主治頭痛、昏厥、耳鳴、鼻塞、眩暈、癲狂、陰挺、脫肛、痔瘡、中風失語等。沿皮刺0.5-0.8寸。艾炷灸3-5壯;或艾條灸5-15分鐘。
○及‥與、和。
○腦戸‥腦戶 督脈足太陽之會、出自《素問·刺禁論》、主治頭重、頭痛、面赤、目黃、眩暈、面痛、音啞、項強、癲狂癇證、舌本出血、癭瘤。
○明‥光亮的。清晰的。
○矣‥表示肯定的語氣[indeed]。表示已然的事 [already]。確実[really]。感嘆[how]。
○畢‥結束、終止。
○后‥君王的嫡妻。如‥「王后」、「皇后」。
○頂禮‥五體投地。指以頭頂禮佛足、為佛家的最敬禮。[shiko;buddhist salute of hending the head and kneeling in adoration]跪下、兩手伏地、以頭頂著所尊敬的人的腳、是佛教徒最高的敬禮。
○拜謝‥態度恭敬的致謝。行拜禮表示感謝 [express one's thanks]。
/拜‥對人低頭拱手行禮、或兩手扶地跪下磕頭。
/謝‥辭去、推卻、拒絕。說文解字‥「謝、辭去也。」/辭別、告別。死ぬ。如‥「謝世」。/凋零、消逝。如‥「凋謝」。/表示感激、酬答。如‥「感謝」。/賠罪、認錯。如‥「謝罪」。/告訴。つげる。/詢問、問候。/更換、替代。如‥「新陳代謝」。2版‥1327. と,「謝」にはいろいろ意味があるので,前後関係から適切な意味をえらんでください,と授業で説明します。ここでは,もちろん「感謝」。
○賜‥給予、上級賞給下級。
○師‥教授學問、知識的人。具有專門技藝的人。如‥「醫師」。
○躬‥親身、親自。
○負‥以肩背物。
○繒‥絲織品的總稱。說文解字‥「繒、帛也。」
○寶‥珍貴的東西。舊時錢幣。
【現代語訳】
秦鸣鹤是唐高宗时的宫廷御医。御医这个职位虽然听起来比较尊贵、但是却经常是冒着生命危险为皇亲贵族们服务。下面就讲一个关于他的中医典故。
唐高宗得了眩晕病、头晕目眩、不欲睁眼、召太医秦鸣鹤前来诊治、秦鸣鹤诊后说:“风热之毒上攻头目、若用针点刺头部出血即能痊愈。”皇后在帘内怒气冲冲地说:“你这个医生该杀头!皇帝的头能放血吗?”秦鸣鹤惊慌地磕头请求饶命。皇上说:“医生议论治病、按道理不应该有罪。况且我的头目沉重苦闷、几乎不能忍受、针刺头上出血未必不好。我决意让你扎针。”鸣鹤立即针刺“百会”和“脑户”二穴出血。皇上说:“我感觉眼睛亮多了。”话还没说完、皇后在帘内表示感谢说:“这是老天爷的恩赐呀!”说罢、亲自背负精致丝织品和珠宝赠送给秦鸣鹤医生。
http://zy.china.com.cn/anhui/a/zywh/yydg/10571.html
「武后亦幸災異,逞其志」(武后はまた災異をこれ幸いと,その志を逞しくした)なんて小説みたい。誰かが後から付け加えたんと違うかね。
返信削除最後の現代語訳をGoogle翻訳すると:
返信削除Qinming He was court physician during the Tang Emperor. Physician, this position may sound more noble, but often risked their lives to their service for the nobility. Here to tell a story about his medicine.
日本語訳にすると「court」が宮廷でなく,裁判所になってしまいます。
Qinming彼は唐の皇帝の間に裁判所の医師だった。医師は、このポジションは、より高貴な聞こえるかもしれませんが、しばしば貴族のために彼らのサービスに彼らの生命を危険にさらしたことができる。ここに彼の医学についての話をする。
ちなみにご存じかも知れませんが,Google翻訳は,原文も訳文も音読してくれます。