『宋史』卷四百六十二 列傳第二百二十一/ 方技下/ 許希
許希,開封人。以醫為業,補翰林醫學。景祐元年,仁宗不豫,侍醫數進藥,不效,人心憂恐。冀國大長公主薦希,希診曰:「鍼心下包絡之間,可亟愈。」左右爭以為不可,諸黃門祈以身試,試之,無所害。遂以鍼進,而帝疾愈。命為翰林醫官,賜緋衣、銀魚及器幣。希拜謝已,又西嚮拜,帝問其故,對曰:「扁鵲,臣師也。今者非臣之功,殆臣師之賜,安敢忘師乎?」乃請以所得金興扁鵲廟。帝為築廟于城西隅,封靈應侯。其後廟益完,學醫者歸趨之,因立太醫局于其旁。希至殿中省尚藥奉御,卒。著神應鍼經要訣行于世。錄其子宗道至內殿崇班。
【訓讀】
許希は,開封の人なり。醫を以て業と為す。翰林醫學に補せらる。景祐元年、仁宗不豫なり。侍醫數(しば)しば藥を進むも,效あらず。人心憂い恐る。冀國の大長公主 希を薦む。希診て曰く:「心下包絡の間に鍼すれば,亟(すみや)かに愈ゆ可し。」左右爭って以て不可と為す。諸黃門祈(もと)めて身を以て試(こころ)みる。之を試みて、害する所無し。遂に鍼を以て進む。而して帝の疾愈ゆ。命じて翰林醫官と為し,緋衣、銀魚及び器幣を賜う。希拜謝し已(お)わり、又た西に嚮(む)かって拜す。帝 其の故を問う。對(こた)えて曰く:「扁鵲は,臣が師なり。今者(いま) 臣の功に非ず。殆(ほとん)ど臣が師の賜なり。安(いず)くんぞ敢えて師を忘れんや?」乃ち請うて得る所の金を以て扁鵲廟を興す。帝為に廟を城の西隅に築き,靈應侯に封ず。其の後廟益ます完(まった)し。醫を學ぶ者は之に歸趨す。因って太醫局を其の旁らに立つ。希 殿中省尚藥奉御に至り,卒す。『神應鍼經要訣』を著し,世に行わる。其の子宗道 內殿崇班に至るを錄す。
【注釋】
○開封:河南省の省會(政府所在地)。 ○補:職の空きに補充する。任命する。 ○翰林醫學:宋代に設置された翰林醫官院の下級醫官。從九品。北宋政和三年八月二十五日に新たにふやされた醫職八階の一つ,醫官二十二階の第二十一階。上に翰林醫官院正,副使,直院などの上級醫官あり。翰林良醫(正七品)、翰林醫官(從七品,十五階)、翰林醫效(從七品)、翰林醫痊(從七品)、翰林醫愈(從八品)、翰林醫正(從八品)、醫診(從八品)、醫侯(從八品)、翰林醫學。 ○景祐元年:1034年。 ○仁宗:北宋の第四代皇帝,趙禎。在位:1022年 ~1063年。銅人形を製作を命じた。 ○不豫:天子の病をはばかっていう。 ○侍醫:帝王および皇室の成員の病気治療にあたる宮廷醫師。 ○進:ささげ差し出す。飲む。 ○效:ききめ。 ○冀國:河北に地域。 ○大長公主:封號(帝王が封授した爵號あるいは稱號)名。天子のおば。皇帝のむすめを公主といい,皇帝の姉妹を長公主といい,帝のおばを大長公主という。 ○心下:一般に胃部をいうが,ここでは心藏の下か。 ○包絡:心包絡。 ○左右:左右にひかえる侍者。側近。 ○爭:あるいは「いさめて」。 ○不可:禁止。許さない。 ○黃門:太監。宦官。 ○祈:請求する。 ○緋衣:深紅色の衣服。官吏が着る。唐代は五品以上の官服。 ○銀魚:魚符の一種。銀魚袋(ふくろに入れるので)とも。銀製で唐の四、五品の官員がこれを佩して,皇宫に出入する身分證とした。割り符のようになっていて,宮廷の出入りの際,合わせる。姓名を刻す。階官品が緋章服を賜るに及ばないものに,特に緋服にあらため,銀魚袋を佩するを,賜緋銀魚袋と稱す。 ○器幣:禮器と玉帛。 ○拜謝:恭しく感謝の意を表す。 ○臣:君、父などに對して自己を謙遜していう。わたくし。 ○師:師匠。先生。 ○今者:いま。「者」は時間を表すことばの後ろにつく接尾詞。 ○功:成效。勲功。てがら。 ○賜:恩惠。たまもの。 ○廟:祖宗、神佛などをまつる建物。みたまや。開封市の扁鵲廟はおそらく,いまはない。扁鵲廟は,各地に遺蹟があり,その中では河北省邢台市內丘縣のものが,比較的有名か。墓も河南省安陽市湯陰縣、山西省永濟市運城、山東省濟南市北郊鵲山西側、陝西省臨潼縣南陳村など各地にあり。 ○城:開封。 ○封:帝王が土地や爵位、名號を王族や功績のあった人に授ける。 ○靈應侯:以下の『宋史』文苑傳では「神應侯」につくる。元·王國瑞に『扁鵲神應鍼灸玉龍經』あり。 ○益:さらに。少しずつ。 ○歸趨:おもむきむかう。 ○太醫局:北宋淳化三年(992年),隋唐の太醫署にならい設置する。醫藥をつかさどる。「宋代初期に翰林醫官院(一〇八二年になって醫官局と改稱された)が設立された。……翰林醫官院は當初定員を設けていなかったが,寶元元年(一〇三八年)に總定員百二名と定められ,院使·副使·尚藥奉御·醫官・醫學(醫學博士のこと)·祇候(奔走する官吏)などの職位が置かれた。」(傅維康主編、川井正久編譯『中國醫學の歷史』三〇五頁~) ○殿中省:唐代,殿內省を殿中省に改める。皇帝の生活諸事をつかさどる。所屬に尚食局、尚藥局、尚衣局、尚舍局、尚乘局、尚輦局の六局あり。 ○尚藥奉御:尚藥局の長官。二人。御藥の調劑と診察をつかさどる。 ○卒:死亡する。 ○神應鍼經要訣:未詳。 ○錄:以下の記錄がある,ということか。 ○內殿崇班:武官。宋前期は七品。政和六年(1116年),修武郎と名を改める。神宗元豐(1078—1085)年間に制度があらためられ,正八品となる。
『宋史』卷四百四十二 列傳第二百一/文苑四/顏太初
顏太初字醇之,徐州彭城人,顏子四十七世孫。少博學,有雋才,慷慨好義。喜為詩, 多譏切時事。天聖中,亳州衞真令黎德潤為吏誣構,死獄中,太初以詩發其冤,覽者壯之。文宣公孔聖祐卒,無子,除襲封且十年。是時有醫許希以鍼愈仁宗疾,拜賜已,西向拜扁鵲曰:「不敢忘師也!」帝為封扁鵲神應侯,立祠城西。太初作許希詩,指聖祐事以諷在位,又致書參知政事蔡齊,齊為言於上,遂以聖祐弟襲封。
顏太初,字は醇之, 徐州彭城の人,顏子四十七世孫なり。少(わか)くして博學,雋才有り,慷慨にして義を好む。詩を為(つく)るを喜(この)み,時事を譏切すること多し。天聖中,亳州衛真の令,黎德潤吏に誣構為(せ)られ,獄中に死す。太初 詩を以て其の寃を發(あば)く。覽る者之を壯(さか)んなりとす。文宣公孔聖祐卒し,子無く,襲封を除かれて且(まさ)に十年ならんとす。是の時醫の許希有り,鍼を以て仁宗の疾を愈し,拜賜し已(お)わり,西に向きて扁鵲を拜して曰く:「敢えて師を忘れざらんや!」帝 為に扁鵲を神應侯に封じ,祠を城の西に立つ。太初 許希の詩を作って,聖祐の事を指して以て位に在るを諷し,又た書を參知政事の蔡齊に致す。齊 為に上に言(つ)ぐ。遂に聖祐の弟を以て封を襲わしむ。
【注釋】
○顏太初:鳧繹處士と號す。『顏太初集』『淳曜聯英』を撰す。 ○徐州彭城:いま江蘇省徐州。 ○顏子:顏淵。 ○世孫:嫡孫(家を繼ぐ子孫)。 四十七代目の子孫。 ○博學:學識が豐富でひろい。 ○雋才:俊才。「雋」は「俊」に通ず。傑出した才能がある。 ○慷慨好義:慷慨仗義。心高ぶり意気盛んにして正義を行うをこのむ。 ○譏切:そしりせめる。 ○時事:當時の事情あるいは事物。最近發生した事件。 ○天聖:仁宗の年号。一〇二三~一〇三二年。 ○亳州衛真:北宋大中祥符七年(1014),真源縣を改めて置く。いま河南鹿邑縣。 ○令:縣の長官。 ○黎德潤: ○吏:事務處理を行う下級の役人。 ○誣構:無實の罪をでっちあげる。濡れ衣を着せる。 ○獄:監獄。牢獄。 ○冤:ぬれぎぬ。冤枉。 ○壯:讚許﹑欽服する。感心する。 ○文宣公孔聖祐:唐の玄宗が孔子に「文宣公」の封號をおくる。Wikipediaでは「孔聖佑」につくる。三十歲で亡くなる。 ○襲封:祖先の爵位や領地を繼承すること。/襲:繼承する。受けつぐ。/封:帝王が臣下に土地や爵位を授ける。またその土地や爵位。 ○拜賜:(皇帝からの)賜り物に對して感謝する。 ○祠:廟。 ○致書:書簡をおくる。 ○參知政事:參政。副宰相。 ○蔡齊:988~1039。字は子思,萊州膠水(いま山東省平度)の人。大中祥符八年の進士第一,狀元。翰林學士、密州、應天府知府,右諫議大夫、御史中丞、權三司使、樞密副使、禮部侍郎、參知政事、穎州知府を歷任し,政に仁聲あり。歐陽修,その傳をつくる。 ○上:皇帝。 ○襲封:宋の皇帝仁宗は1055年、第46代孔宗願に「衍聖公」という稱号を授與した。以後「衍聖公」の名は清朝まで變わることなく受け繼がれた(日本Wikipedia)。孔宗願は中國Wikipediaによれば「孔子第四十六代孫,字子莊,孔延澤の子,初代衍聖公。生卒年月不詳。四十六代文宣公孔聖佑の從弟。/至和二年(1055年),……封號を四十六代孫の孔宗願のとき,至聖文宣王から改めて,衍聖公とする。」四十六代はいとこで,かさなるのか?
【補説】
『皇朝類苑』(『醫説』鍼灸6と同文)では,許希と孔子の子孫との關聯が不分明であるが,『宋史』の二つの傳を讀むことによって,つながりが明瞭となる。
太初は許希の詩を聖祐の事を指すと作して,以て位に在るひとを諷し,又た書を參知政事の蔡齊に致す。
返信削除錄には,任用の意味が有るらしい。
返信削除他ならぬ『漢辞海』の「録」のAの6「と-る」のさらに下に,イとして「任用する」をあげ,韓愈の詩を引いています。