2017年10月15日日曜日

  黄龍祥『鍼灸経験方』考 1

 『鍼灸経験方』、原本は一巻、日本の重刊本は三巻に分かれる。朝鮮の太医許任編撰。仁祖二十二年(1644)の刊。許任は『東医宝鑑』『神応経』『鍼灸資生経』『奇効良方』『銅人腧穴鍼灸図経』『鍼灸大全』『医学入門』などの書籍を基礎として、みずからの臨床経験と結びつけ、『鍼灸経験方』一巻を編集した。
 本書が掲載する鍼灸処方は、『神応経』などの書籍にある腧穴証治から多くの材料を集めているが、編者は自分の臨床経験にもとづいて腧穴の下に刺灸法の内容を多く注記しており、かなり高い臨床的な価値をもっていて、たんなる文献の寄せ集めではない。書名にいう「経験方」とは、使ってみて効果があった処方という意味である。

  一、版本

 本書の原刊は仁祖二十二年で、活字版と木刻版の二種類がある。日本では本書を享保十年(1725)に重刻し、三巻に分けた。匡高19.1cm、幅14.8cm、六行、行十六字、白口、四周単辺。安永七年(1778)日本浪華書林がこの版を得て重印した(図266)〔図は省略。以下おなじ〕
 享保刊本と安永印本を朝鮮原刊本と対照してみると、おもに二つの異なる点がある。その一、原刊本『鍼灸経験方』にある韓国文字〔訓民正音、いわゆるハングル〕が、日本の刊本では全部除かれ、墨釘〔文字を彫っていないため、板本では黒くなっている部分〕の欠文が〔たぶん安永本には〕三十三箇所にみられる。享保刊本には四箇所のみ「音文」という表記があり、另有一处享保本(卷下14頁)无缺文〔未詳。ともかく、享保本の巻下十四丁には訓民正音も墨釘もない。以下の二十八箇所とは区別されるなんらかの特徴があるのであろう。〕、その他の二十八箇所の墨釘は享保本ではいずれも欠文としては処理されていない(図267~269)。その二、日本刊本にはかなり多くの脱文がある。たとえば巻中最後の一丁「食疽」の条文は原刊本一丁分まるまるぬけている。これは、日本刊本の校正が厳密でないか、底本がよくなかったことを物語っている。

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