2015年10月28日水曜日

大韓韓医学原典学会国際学術大会

皆さんが伝統鍼灸で忙しくしている間に,韓国へ行ってきました。大韓韓医学原典学会国際学術大会というのが有って,それに参加する為です。最初に打診が有ったのは名指しだったけど,遅れて旧知からは実は日本内経医学会から参加をという話だったようです。でも,伝統鍼灸が有るし,期日が迫っているしということで,乗りかかった船で,わたしが行ってきました。というのは過去に二度参加してます。一度目は仁和寺本『太素』の日本的な誤りについて,二度目は『太素』の巻二十一と二十七の翻字について話してきたはずです。今回も,他に急に話せることも無いので,結局は『太素』の,その後に気づいた不可解な楊上善注についての話をまとめました。

今回はソウルに昼頃につくなり,中国からの発表者らと一緒に,スタッフの運転するワゴン車に乗せられて,全州まで移動。初めは二時間くらいと言われたはずだけど,実際に全州のホテルに着いたのは6時ころ。いや,むかしむかし最初の学術交流で天津を訪れたときの体験を思い出しました。
着くとすぐ旧知のメンバーなど何人かが加わって早速に酒宴です。マッコリ、焼酎、ビール,そして焼酎のビール割り(これが以外といけた)。
実は韓国ではまもなく『太素』の韓国語訳が出版される予定で,その代表者のうち二人(白祐相・丁彰炫)が旧知の,原典学会の主要メンバーなんで,まあ相も変わらぬ『太素』の落穂拾いでもいいかと思ったわけ。
次の日,開幕式に先だっての昼食の席に,前に参加したときに通訳してくれた女性(金恩瑕)が現れました。厄介なわたしの発表の打ち合わせのためだと思ったら,現在の会長だそうです。快活で剛胆で聡明で,しかも「まさかそこまで偉くなっているとは思わなかった」と冗談をいうと,「昔から偉かったわよ」と呵々と笑うといったユーモアも有る。でも,初めての女性の会長だと胸を張っていました。考えてみれば,会長にはなるべくしてなったオモニです。
国際学術大会といっても,今回は日本からのわたしと,中国遼寧からと天津からのそれぞれ一人づつでした。大会の主要テーマは温病だったようですが,遼寧からの鞠宝兆さんは和法,天津からの金軍さん(はじめて行ったときに世話になった中国籍の朝鮮族,少なくとも中国語と韓国語と日本語を流暢に話す)は瀉血のはなしで,特に制限は設けて無かったようです。
全体の印象は(韓国語が分からないから不確かだけど)実用的な発表が多かったようです。と言っても,治験発表というわけじゃない。臨床を指導する為に原典を研究する,その間の距離が短い。先ず校勘訓詁に手間、暇をかけるというような気分は薄いのではないか。だから,来春予定している南京とは大違いです。
その中に,朝鮮通信使の医学筆談について話した女性がいました。よくはわからないけれど,出来のいい発表として表彰されたんじゃないかと思う。食事のときに(中国語と日本語で)話したら,『太素』の翻訳にも加わっているそうです。それで,「わたしたちのほうが良い写真を持っているんだから絶対に負けないよ」とからかったら,くやしそうな顔をしていた。そういう意味でちょっとかわいい人でした。
かわいい人は内経にもいくらもいるけれど,彼ら彼女らは韓国語と英語は勿論,中国語も日本語も大なり小なり話す。ところが,『太素』の韓国語訳が成っても,我々の仲間内にはそれを読んで批評できる人はいないのではないか。前回も前々回も同じような感想だったけど,何も変わってないねえ。

もし,韓国語は読める,読めるから読んで見たい,という会員がいたら,資料は提供します。

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