2012年6月10日日曜日

『醫説』鍼灸27 脚氣灸風市

蔡元長知開封、正據案治事。忽覺如有虫、自足心行至腰間、即墜筆暈絶、久之、方甦。掾屬云:此病非兪山人、不能療。趣使呼之。兪曰‥是真脚氣也、(法)當灸風市。爲灸一壯。蔡晏然復常、明日疾如初。再呼兪、曰‥欲除病根、非千艾〔壯〕不可。從其言灸五百壯、自此遂愈。仲兄文安公守姑蘇、以鑾輿巡幸、虚府舍、暫徙呉縣。縣治卑濕、旋感足痺、痛掣不堪忍、服藥弗效。乃用所聞、灼風市、肩隅、曲池三穴、終身不復作。僧普清苦此二十年、毎發率兩月。用此灸二十一壯、即時痛止。其他蒙此力者、不一而足。(夷堅志)

蔡元長 開封を知す。正に案に據りて事を治す。忽ち虫の足心自り行きて腰間に至ること有るが如きを覺ゆ。即ち筆を墜として暈絶す。之れを久うして、方に甦る。掾屬云く「此の病 兪山人に非ざれば、療する能わず」と。趣使(スミヤかに使いして/使いをウナガして)之れを呼ばしむ。兪が曰く「是れ真の脚氣なり。法として當に風市に灸すべし」と。灸を爲すこと一壯。蔡 晏然として常に復す。明日 疾 初の如し。再び兪を呼ぶ。曰く「病根を除かんと欲さば、千艾に非ずんば、可ならず」と。其の言に從いて灸すること五百壯。此れに自りて遂に愈ゆ。仲兄の文安公 姑蘇に守たり。鑾輿(ランヨ)巡幸するを以て、府舍を虚くして、暫く呉縣に徙る。縣の治 卑濕にして、旋(つ)いで足痺に感じ、痛掣 忍ぶに堪えず。藥を服するも效あらず。乃ち聞く所を用いて、風市、肩隅、曲池の三穴を灼く。終身 復た作(お)こらず。僧の普清 此れに苦しむこと二十年。發する毎に率むね兩月なり。此れを用いて灸すること二十一壯。即時に痛み止む。其の他 此の力を蒙る者 一にして足らず。(『夷堅志』)

○脚氣:[beriberi] 病名。又稱腳弱。因外感濕邪風毒、或飲食厚味所傷、積濕生熱、流注於腳而成。其症先起於腿腳、麻木、疼痛、軟弱無力、或攣急、或腫脹、或萎枯、或脛紅腫、發熱、進而入腹攻心、小腹不仁、嘔吐不食、心悸、胸悶、氣喘、神誌恍惚、言語錯亂。治宜宣壅逐濕為主、或兼祛風清熱。/ビタミンB1欠乏症の一つで、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。
○風市:出《肘後備急方》。屬足少陽膽經。在大腿外側部的中線上,當腘橫紋上7寸。或直立垂手時,中指尖處。布有股外側皮神經,股神經肌支和旋股外側動、靜脈肌支。主治半身不遂,下肢痿痹、麻木,遍身瘙癢,腳氣,及坐骨神經痛,股外側皮神經炎,蕁麻疹等。直刺1-2寸。艾炷灸5-7壯;或艾條灸10-15分鐘。
○蔡元長:
『宋史』卷四百七十二 列傳第二百三十一姦臣二「蔡京、字元長、興化仙游人。登熙寧三年進士第、調錢塘尉、舒州推官、累遷起居郎。使遼還、拜中書舍人。時弟卞已為舍人、故事、入官以先後為序、卞乞班京下。兄弟同掌書命、朝廷榮之。改龍圖閣待制、知開封。」蔡京,字符長,北宋權相之一、書法家,以貪瀆聞名。興化仙遊(今屬福建)人,熙寧三年進士及第(即狀元),先為地方官,後任中書舍人,改龍圖閣待制、知開封府。崇寧元年(1102),為右仆射兼門下侍郎(右相),後又官至太師。蔡京先後四次任相,共達十七年之久。蔡京興花石綱之役;改鹽法和茶法,鑄當十大錢。北宋末,太學生陳東上書,稱蔡京為“六賊之首”。宋欽宗即位後,蔡京被貶嶺南,途中死於潭州(今湖南長沙)。《東都事略》卷一○一、《宋史》卷四七二有傳。
 龍圖閣:宋 代閣名。在 會慶殿 西偏,北連禁中,閣東曰資政殿 ,西曰述古殿 ,閣上以奉 太宗 禦書、禦制文集及典籍、圖畫、寶瑞之物,及宗正寺所進屬籍、世譜。有學士、直學士、待制、直閣等官。
 待制:唐代始設,由六品以上的文官擔任,為侍從顧問之職。
○知:掌管、主持。
○開封:趙匡胤により建てられた宋は東京開封府と称して、ここを首都とした。開封府は拡張され、3重の城壁が都市を取り囲んだ。大運河の一部も引き込まれ、水運によって米を始めとした大量の物資が江南地方より運び込まれ、開封には国中の物資が集まるようになり、ここにおいて開封は空前の繁栄期を迎えることとなる。交通の疎外となる区画同士の壁は取り払われ、庶民の夜間通行も許可され、空いている土地には必ず屋台が立ち並び大道芸、講談などが行われ、昼夜を問わず飲食店には人々が集い、酒や茶を飲んだ。上流階級や更にはペットにまで食事を配達する事業も存在した。その繁栄振りは『東京夢華録』『清明上河図』に記されている。
○正:恰巧、剛好。
○據:倚靠。
○案:長方形的桌子。
○治:管理、統理。
○覺:知曉、感受到、意識到。
○自:從﹑由。
○足心:脚底板的中心。
○腰:人體軀幹中間,胯骨以上肋骨以下的部位。
○間:處所、地方、一定面積的建築。~の間。
○墜:掉落﹑落下。
○暈絶:昏厥(因心情緊張、悲痛或疾病大量出血而暫時失去知覺)。昏倒。
○久之:經過一段時間。
○方:才、始。
○甦:蘇醒﹑死而復生。
○掾屬:掾佐。輔佐長官治理政事的官吏。佐治的官吏。 漢代自三公至郡縣,都有掾屬。人員由主官自選,不由朝廷任命。 魏晉以後,改由吏部任免。/掾:古代官府屬員的通稱。/屬:部下。
○山人:隱居山中的士人。仙家、道士。
○兪山人:『太平惠民和剤局方』卷三と『三因極一病證方論』卷三および宋の楊士瀛『仁齋直指』卷五に「兪山人降氣湯」、宋代の不著撰人名『傳信適用方』卷上と宋の王執中『鍼灸資生経』卷四に「兪山人鎭心丹」あり。
○趣:行動歸向。通「趨」。/催促。通「促」。立刻、趕快。
○使:使者 [envoy;messenger]。
○呼:招、喚。
○法:途徑。
○晏然:安寧、平靜。
○復:還原,再回到原來的樣子。
○常:普通的、一般的。
○明日:次日。
○如初:像原先一樣[as before]。
○欲:想要。
○病根:疾病發生的根原。
○艾〔壯〕:
○自此:從此。
○遂:于是,就
○仲兄:次兄、二哥。
○文安公:
○守:防衛、保護。做郡的知州 [be governor]。太守である。
○姑蘇:江蘇省蘇州。宋朝(960年-1279年)在蘇州置平江府,為浙江西道治所。當時蘇州已經是重要的工商業都會,特別以絲綢著稱。1035年,范仲淹建立文廟、創辦府學,此後,蘇州長期文風鼎盛,歷代文人雅士輩出。
○鑾輿:皇帝的座車。借指天子。
○巡幸:舊稱天子出歷各地。
○虚:使空出 [empty]。 通“居”。居住 [reside]。
○府舍:官舍;官邸。
○暫:不久、短時間。猝然、忽然。
○徙:遷移、移轉。
○呉縣:從秦朝至1995年的行政區劃名,在今江蘇省蘇州市。秦始皇二十六年(公元前221年),置吳縣,為會稽郡治所。後歷為吳郡、吳州、蘇州、蘇州府治所。1928年城區劃出設蘇州市,1930年5月16日,撤蘇州市,仍並入吳縣。1949年劃出城區建蘇州市。1995年6月撤消吳縣,設吳縣市(縣級),2000年12月撤消吳縣市,改設蘇州市吳中區和相城區。/宋開寶八年(975),中吳軍仍改為蘇州,屬江南道。宋太平興國三年(978),吳越國歸宋,蘇州隸江南道。吳縣、長洲二縣共35195戶。  宋淳化五年(994),改道為路,蘇州屬兩浙路。宋政和三年(1113),蘇州升為平江府,仍屬兩浙路,吳縣為平江府首縣,長洲縣次之,兩縣均為望縣。大中祥符四年(1011)為66139戶。
○縣治:縣政府所在的地方。
○卑濕:地勢低下潮濕。
○旋:立刻、很快的。ついで。
○感:接觸、引起。
○痺:一種神經性疾病。肢體失去感覺,不能隨意活動。/『中藏經』:“痹者閉也。五臟六腑,感于邪氣,亂于真氣,閉而不仁,故曰痹。”
○掣:牽引﹑牽動。
○堪忍:痛不堪忍:痛苦得不能忍受。
○服藥:吃藥。
○效:徵驗。功用。
○乃:然後、於是。
○灼:炙﹑燒。
○肩隅:屬手陽明大腸經。手陽明、陽蹻之會。在肩部,三角肌上,臂外展,或向前平伸時,當肩峰前下方凹陷處。布有鎖骨上神經后支及腋神經和旋肱后動、靜脈。主治肩臂疼痛,上肢不遂,項強,齒痛,瘰疬,癮疹,及肩關節周圍炎等。
○曲池:屬手陽明大腸經。合(土)穴。在肘橫紋外側端,屈肘,當尺澤與肱骨外上髁連線中點。布有前臂背側皮神經,內側深層為橈神經,并有橈側返動、靜脈的分支通過。主治發熱,咽喉腫痛,目赤,齒痛,臂肘疼痛,上肢不遂,腹痛,吐瀉,痢疾,瘰疬,丹毒,瘡瘍,濕疹,蕁麻疹,及中暑,高血壓,神經衰弱等。
○終身:一生、一輩子。
○不復:不再。
○作:興起、振起。
○僧普清:
○發:開始、啟動。興起。
○率:大約、通常。
○兩: 二 [two]。
○蒙:受到、承受,表示感敬。敬詞。承蒙 [receive]。
○不一而足:不是一事、一物或一次就可以滿足的。語出『公羊傳』文公九年:「許夷狄者,不一而足也。」後比喻同類事物或現象很多,不只一個或不只出現一次。ひとりだけではない。沢山いる。
○夷堅志:現行本『夷堅志』で該当箇所、発見できず。

○宋の洪遵『洪氏集驗方』(人民衛生出版社版『全生指迷方 洪氏集驗方』)卷四 治脚氣灸法「右灸風市兩穴、以多爲貴。蔡元長知開封少尹、一日據案、忽覺如有蟲自足心行至腰間、落筆暈倒、久之方甦。掾曹曰‥此病非兪山人不可療。使呼之、兪曰‥是真脚氣也、灸風市一艾而去。明日又覺蟲自足至風市便止、又明日疾如初。召兪、兪曰‥是疾非千艾不可、一艾力盡、故疾復作。蔡如其言、灸數百、自此遂愈。(沈公雅檢正説‥予紹興辛巳歳在呉門、虚郡宅以備 巡幸、徒〔「徙」か?〕治呉縣。縣卑濕、始得足痺之疾、以風市爲主、兼肩隅、曲池、三里、灸之即愈。)」

0 件のコメント:

コメントを投稿