家の本棚にあった『養生訓』(講談社学術文庫)を久しぶりに手に取り見ていた。
第五巻 五官に、冬の按摩について「禁忌」と書いてあった。
「気がよく循環して快適なときは、導引や按摩をしてはいけない。また冬期の按摩はよくないことが『内経』に書いてある。……」
はたして『内経』にそんなこと書いてあるのか。疑問になり、調べてみた。
その前に国会図書館の近代デジタルライブラリーにある『養生訓』のいくつかを見てみた。
「気のよくめぐりて快き時に、導引按摩すべからず。又冬月按摩を忌む事、内経に見えたり。身を労働して気上る病には、導引按摩ともにあしし。只身をしづかに動かし歩行する事は、四時ともによし。……」
結果、どれも同じ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174137/101
6行目
『益軒十訓. 下』
出版者 有朋堂書店
出版年月日 昭2
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1903897/101
『養生訓』
出版者 聖山閣書店
出版年月日 1926
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193128/62
『養生訓』
出版者 斎藤報恩会
出版年月日 昭和8
いずれの本でも禁忌である。
『内経』の引用している箇所は、『素問』金匱真言論篇第四である。
「冬不按蹻.春不鼽衄.春不病頚項.」
(冬に按蹻せざれば、春に鼽衂せず、春に頸項を病まず)
森立之は『素問攷注』で、次のように述べている。
・案。「不」字古人語助。「不按蹻」者按蹻也。
・案。冬時按蹻。令血脈流通。則風邪無來侵之地。「春不鼽衄」者血氣無凝滯之徴。「春不病頸項」者外邪不來犯之謂也。
・案。上文云「病在頭」。此云「病頸項」。異文同義。蓋「病頸項」者即春病温之義。
つまり「不」は助詞であり、按摩をしなければ、ではなく、按摩をすれば、の意味だと。
『漢字海』(三省堂)の「不」の字を見てみると、助詞の用例として次の解説がある。
「〈助〉:文のリズムを整えることば。文中に置き、実質的な意味はない。
例、有周不顕。(ゆうしゅうハあきラカナリ)
訳、周(の徳)は明らかである(詩・大・文王)」
冬に按摩をすれば血脈の流れがよくなり、風邪に侵されない、というわけである。
納得。冬の按摩の禁忌は、貝原益軒の誤りであることがわかった。
必ずしも然らず。
返信削除同じ文章が,時には禁止,時には奨励と言われたのでは,言語としての用をなさない。また,例としてあげられるのが,『詩経』ではいささか古い。別の辞書を当たってみても,他には『楚辭』が引かれるくらいじゃないか。いずれも詩である。詩の言葉遣いはいささか特殊だろう。
『太素』楊注には,「夫冬傷寒氣在於腠理者,以冬强勇按矯多勞,因腠理開,寒氣入客。今冬不作按矯,則无傷寒,至春不患熱病鼽衂,故春不病頸項者也」とある。これもまた順当な解である。
また,『太素』25三瘧(S35瘧論)に「夏傷於大暑,汗大出,腠理開發,因遇夏氣淒滄之小寒(寒)迫之,藏於腠理皮膚之中,秋傷於風,病盛矣」とあるのも,これと似通った考え方だと思う。夏に暑さのせいで,疏理が開ききったところを寒が襲うと,それがわずかなものでも,奥に入り込んで,秋になって思わぬ大病を引きおこすことがある。ここでは,冬には用心して腠理を閉じているべきものであるが,按蹻などと要らぬことをすると,腠理が開いて……。
春は生,夏は長,秋は収,冬は蔵。これって常識だと思うし。
断っておきますが,これが正解!なんぞと主張する気はありません。
ただ,森立之にだってイチャモンは付けていいと思う。
また案ずるに,「冬不按蹻」は「冬好不按蹻」で,語気を強める為のものじゃないか。これは教育部国語辞典を参照してます。
考えてみれば,「冬に按蹻なんてしてみろ!(とんでもないことになるぞ)」とも言うよね。似たような気分のものじゃないかな。
むかし,むかし,初雪が降った早朝に,ランニング+ステテコ姿でジョッギングしている叔父さんとすれ違ったことが有る。あの叔父さん,その後どうなったのかなあ。
(たびたび誤変換などを見つけて,たびたび修正してます。申し訳ない。)
疏理→腠理
返信削除おおきな分類名では導引といい、手足を動かすので按蹻といい、また自我按摩をするので按摩ともいいます。按蹻といい、按摩といい、導引の別称です。日本語の按摩と含意がことなります。ちなみに、『千金方』に天竺按摩とありますが、天竺導引のことです。
返信削除神仙家であれば、年中導引をしてもかまいませんが、陰陽家の時令によれば、冬は閉蔵の季節ですから、導引はしてはいけません。金匱真言論は、あきらかに陰陽家の著作ですから、「冬不按蹻~~」は、冬季の導引を禁止している文章になります。貝原益軒のいうとおりです。2点の注意がいるでしょう。
①按摩をあん摩と誤解しないこと
②思想家によって、養生法はことなること
なるほど、深い読み。この解釈で了解。
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