2010年6月5日土曜日

可謂

近頃の訓読は「いふべし(いうべし)」。
たとえば『論語』学而「三年父の道を改むる無きは,孝と謂ふ可し」(渡辺末吾『標註論語集註』)。

江戸時代の鍼灸刊本を見ていると「謂」に付いている添え仮名が「ツ」であるものがある。はじめは「フ」の誤りではないかと思った。しかし,あきらかに「ツ」であるものを,少なくとも三例見つけた。

では,この「可謂」はどう読むのか。
禅宗の公案集である『無門関』には少なくとも「可謂」が二例ある。この「可謂」を禅宗では現代でも「いっつべし」と読んでいるようだ。岩波文庫『無門関』および講談社学術文庫『無門関を読む』の振り仮名はいずれも「いつつべし」。おそらくこれが口伝の読み方なのであろう。

有朋堂書店版『平家物語』には,「祇園精舎の鐘の声」ではじまる卷一の前に,「剣(の)卷」がある。ここには「三尺の剣ともいひつべし」という語句がある。

また,以下のような版本による異同がある。

平家物語 高野本 巻第八
あさ【麻】の衣(ころも)はうたねども、とをち【十市】の里(さと)ともい(ッ)つべし。

平家物語 百二十句本(京都本)
麻の衣はうたねども、「十市の里」とも言ひつべし。

歴史的には「いひつべし」=⇒「いっつべし」と変わっていったが,一度伝統が断絶したのか,あるいは江戸時代の訓読の簡略化の流れで「いふべし」という訓読がつくられたと思われる。

この「つ」は古語辞典によれば,助動詞であり,意志的な動作を表わす動詞に付き,推量の助動詞(べし)とともに用いて,「確かに」「間違いなく」「きっと」「必ず」という気持ちを述べる。要するに,強調をあらわす。

ネット辞典を引用すれば,
「デジタル大辞林」つべし:
[連語]《完了の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「べし」。この場合の「つ」は強調の用法》
1 推量・予想の意を表す。きっと…だろう。…してしまうにちがいない。
2 意志を表す。きっと…しよう。…してしまうつもりだ。
3 可能、または可能の推量の意を表す。きっと…することができる。…できそうだ。
4 当然の意を表す。きっと…するはずである。
1 適当の意を表す。…するのがよい。
とある。
例文は,ここを参照。

なお『平家物語』卷三・医師問答には「此(この)疵(きず)治(ぢ)しつべし」という語句もみえる。

江戸時代のひとが,実際どのように訓(よ)んでいたか,発音していたかは,現在をそのまま投影するわけにはいかないようだ。
「孔子」は「くじ」とも発音していたようだし。

2 件のコメント:

  1. 明治四十五年三月二十九日の官報第八六三0號に,服部宇之吉ほか十名による「漢文教授ニ関スル調査報告」が載せられている。それには「所謂(いはゆる)」「云爾(しかいふ)」などには返り点を施さない,などとある。その中に注意として,
      可謂ノ謂ヲ「イヒツ」ト讀ム場合ハ從來ノ習慣ニ從フ
    とある。この時点では,「いひつべし」という読み方は延命していたと見るべきであろう。
    戦前の訓読に大きな影響力を持ったのは,文部省検定受験参考書であったという(東洋文化研究所平㔟隆郎教授談)が,この「文検」受験参考書が「いふべし」という読み方の契機となったか,未調査。

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  2. 『古今和歌集』真名序
    「夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者也。……可以述懐、可以発憤。」
    訓「もちて懐を述べつべく、もちて憤を発しつべし。」

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