2010年6月30日水曜日

凌雲 三たび人を殺す

明 楊儀『高坡異纂』卷下
凌漢章,湖州人,少學針灸。三殺人,乃棄其針於水中,針皆上浮水面。漢章曰:“天命我矣。”拜而受之。遂精研其術,名動天下。嘗至常熟,偶寓東海湯禮家。早起,聞其鄰徐叔元家哭甚哀。往問之,乃其子婦以產難死,叔元以為不祥,將舁出付火葬,漢章急止之。命其夫發棺,揣胸前尚微溫,出針下數穴,良久,子下,婦得生。又一跛翁扶杖過之,自言少多瘡瘍,有庸醫誤折針膝中,今杖行二十年,莫能愈。漢章為從肩臂上針三四穴,折針從患處突出,棄杖再拜而去。
【倭讀】
凌漢章は,湖州の人なり。少(わか)くして針灸を學ぶ。三たび人を殺す。乃ち其の針を水中に棄つ。針,皆な上がって水面に浮く。漢章曰く:「天,我に命ずるなり」と。拜して之を受く。遂に其の術を精研して,名は天下を動かす。嘗て常熟に至り,偶(たま)たま東海の湯禮の家に寓す。早く起き,其の隣りの徐叔元の家の哭すること甚だしく哀しきを聞く。往きて之を問う。乃ち其の子婦,產難を以て死す。叔元,以て不祥と為し,將に舁(か)き出だして火葬に付せんとす。漢章急ぎて之を止どむ。其の夫に命じて棺を發(ひら)かしむ。胸前を揣(さぐ)れば尚お微(わず)かに溫し。針を出だし下すこと數穴,良(やや)久しくして,子下り,婦,生を得たり。又た一跛翁,杖を扶(つ)きて之に過(よぎ)る。自ら言う,「少(わか)くして瘡瘍多し。庸醫有り,誤って針を膝中に折る。今ま杖つきて行(ある)くこと二十年。能く愈ゆること莫し」と。漢章,〔かれの〕為に肩臂上從り針すること三四穴。折れ針,患處從り突(にわ)かに出づ。杖を棄てて再拜して去る。
【注釋】
○楊儀:明 蘇州府常熟のひと。字は夢羽,号は五川居士。祖父は集。 ○『高坡異纂』:上中下三卷。 ○凌漢章:『明史』卷二百九十九 列傳第一百八十七 方伎:「凌雲,字漢章,歸安人。為諸生,棄去。北遊泰山,古廟前遇病人,氣垂絕,雲嗟歎久之。一道人忽曰:「汝欲生之乎?」曰:「然。」道人鍼其左股,立蘇,曰:「此人毒氣內侵,非死也,毒散自生耳。」因授雲鍼術,治疾無不效。/里人病嗽,絕食五日,衆投以補劑,益甚。雲曰:「此寒濕積也,穴在頂,鍼之必暈絕,逾時始蘇。」命四人分牽其髮,使勿傾側,乃鍼,果暈絕。家人皆哭,雲言笑自如。頃之,氣漸蘇,復加補,始出鍼,嘔積痰斗許,病即除。/有男子病後舌吐。雲兄亦知醫,謂雲曰:「此病後近女色太蚤也。舌者心之苗,腎水竭,不能制心火,病在陰虛。其穴在右股太陽,是當以陽攻陰。」雲曰:「然。」如其穴針之,舌吐如故。雲曰:「此知瀉而不知補也。」補數劑,舌漸復故。/淮陽王病風三載,請於朝,召四方名醫,治不效,雲投以鍼,不三日,行步如故。/金華富家婦,少寡,得狂疾,至裸形野立。雲視曰:「是謂喪心。吾鍼其心,心正必知恥。蔽之帳中,慰以好言釋其愧,可不發。」乃令二人堅持,用涼水噴面,鍼之果愈。/吳江婦臨產,胎不下者三日,呼號求死。雲鍼刺其心,鍼出,兒應手下。主人喜,問故。曰:「此抱心生也。手鍼痛則舒。」取兒掌視之,有鍼痕。/孝宗聞雲名,召至京,命太醫官出銅人,蔽以衣而試之,所刺無不中,乃授御醫。年七十七,卒於家。子孫傳其術,海內稱鍼法者,曰歸安凌氏。」歸安は明 湖州府の県。 ○湖州:今,浙江省湖州市。太湖の南にある。 ○精研:仔細に研究する。/精:くわしい。/研:深くきわめる。研究する。 ○常熟:今,江蘇省常熟市。 ○東海:今,江蘇省連雲港市東海県か。江蘇省の北部で,山東省と接する。あるいは常熟付近の地名か。 ○湯禮:未詳。 ○徐叔元:未詳。 ○哭:悲しさのために声をたてて泣く。人の死を弔い礼として泣く。 ○子婦:子と妻。 ○產難:難産。 ○以為:思う。 ○不祥:縁起が悪いこと。 ○舁:担ぎ上げる。 ○跛:足の具合が悪く,体をかしげて歩き,平衡が保てない。 ○翁:年長の男性。 ○過:訪問する。 ○瘡瘍:腫れ物。 ○庸醫:藪医者。 ○從肩臂上針三四穴,折針從患處突出:類似のエピソードを読んだ記憶があるが,いま思い出せない。 ○再拜:より丁寧な敬意を表するため二度お辞儀をする。

能子 (塗方禹)道醫武醫 能子先生的博客  古代道家針法
據光緒二十年《錫金識小錄》卷八記載:“淩雲,針術甚神,其婿某商於外,好遊妓館。既歸,將複他出,來別婦翁。雲為診其脈曰:子將病,吾為子針方得無事,遂於某穴針之。婿至舊遊地,宿妓館,陽不能舉,大驚。服他熱藥終不效。以為將有大病。遂收其資本而歸,叩婦翁複求診。雲笑曰:當複為子針之。針畢歸,而陽複舉矣。”
・複:おそらく「復」であろう。

3 件のコメント:

  1. 上海の凌耀星教授は,この凌雲から数えて十六代目だか十七代目だかのはずです。教授は女性で,お子さんは夫君の氏を称しているわけだから,針の伝家としての帰安凌氏は,一応,教授の代で絶えるのだとか……。そもそも,むすこさんは医を継がなかったはず。ただ,むすめさんも有って,針術を私的にしこんであって,「上手なんですよ」とも聞いています。むすめさんには,男の子がいたけれど,なんて名前だったか。もう成人はされたと思うけれど,どちらの道へ進まれたのかなあ。

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  2. 『柳谷素霊選集 下』(績文堂)に、「鍼一本で急発の萎陰になった話」というのが載っている。ご覧あれ。 別に古代の道医でなくても、できる人にはできた。いや、できたんだから道家の鍼法を善くしたと讃えるべきか。

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  3. 地図で調べました。常熟の西に東海という地名が有ります。常熟と無錫と蘇州でほぼ逆三角形をなしていて,その常熟と無錫を結ぶ東西の線の(常熟に近い)3分の1ほどのところらしい。
    それと,湯禮は,湯氏の禮さんじゃなかろうか。湯という氏も,禮という名も,そんなに稀ではない。

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