『佚存叢書』本『難経集注』に明王九思輯とあり、林述斎の跋にふれられています。それが『四庫未収書目提要』『四部叢刊書録』にも受け継がれているようです。『医籍考』、篠原孝市「『難経』解題」(難経古注集成)で考証されています。
最近の中国における『難経』の、わりと手軽な導読に、『王翰林集注黄帝八十一難経』を紹介して:五巻、『難経集注』と簡称する。王惟一の校注。おおよそ南宋の間の刊行。一説に本書を明代の王九思らの編とする。丹波元胤は書中の校者の王九思は北宋の人で、明代の王九思と同名だと考えている。馬継興は、この書の名に「王翰林」と冠してはいるが、書中の虞庶と楊康侯の二人の注釈家は王惟一の後数十年の人であるから、本書を最終的に輯成したものは王氏ではありえず、北宋以後の人のはずである、と指摘する。まあ、これくらいが中国の、ちょっと勉強熱心な学生の常識じゃなかろうか。(希望的観測です。)『難経導読』2008年 人民軍医出版社 沈澍農 武丹丹主編。
『佚存叢書』本『難経集注』に明王九思輯とあり、林述斎の跋にふれられています。
返信削除それが『四庫未収書目提要』『四部叢刊書録』にも受け継がれているようです。
『医籍考』、篠原孝市「『難経』解題」(難経古注集成)で考証されています。
最近の中国における『難経』の、わりと手軽な導読に、『王翰林集注黄帝八十一難経』を紹介して:
返信削除五巻、『難経集注』と簡称する。王惟一の校注。おおよそ南宋の間の刊行。一説に本書を明代の王九思らの編とする。丹波元胤は書中の校者の王九思は北宋の人で、明代の王九思と同名だと考えている。馬継興は、この書の名に「王翰林」と冠してはいるが、書中の虞庶と楊康侯の二人の注釈家は王惟一の後数十年の人であるから、本書を最終的に輯成したものは王氏ではありえず、北宋以後の人のはずである、と指摘する。
まあ、これくらいが中国の、ちょっと勉強熱心な学生の常識じゃなかろうか。(希望的観測です。)
『難経導読』2008年 人民軍医出版社 沈澍農 武丹丹主編。