2017年4月21日金曜日

柳長華先生のお話を聞く 2017/04/21

 (注意:以下のMEMOは、先生が話されなかったことも含む。)
・内容は、英国で発表されたことの大意。
 未発表の情報もふくむので、撮影なし、ペーパーなし。
 来日は、家族とともに観光が目的。
・通訳:真柳誠先生・郭秀梅先生。
・柳長華先生は、山東省出身、中国中医科学院教授で、成都天回漢墓医簡整理小組の負責人。
*キーワード:老官山漢墓(天回漢墓)・医簡・『黄帝内経』・扁鵲倉公列伝
 (点と線がある漆塗りの人形については、猪飼祥夫先生の研究を参照)

・いわゆる「成都老官山漢墓医簡」に関する報告であったが、「老官山」とはあの地域を指す俗称であり、漢墓は成都市金牛区天回鎮にあるので、中国中医科学院では「老官山漢墓」ではなく、「天回漢墓」と呼んでいる。
http://www.kaogu.cn/cn/xueshuhuodongzixun/kaoguxueluntan__2013nianzhongguokaoguxinfaxian/2013/1227/44855.html
・出土した医簡を成都と中国中医科学院で共同研究となっているものの、医簡についての名称もそれぞれ別々につけているようだ。
・当初、成都文物考古研究所がつけた暫定的な名称:敝昔医論・脈死候・六十病方・病源論・経脈書・帰脈数。
・成都中医薬大学の任玉蘭ら「成都老官山漢墓出土医簡『十二脈』『別脈』内容与価値初探」(中華医史雑誌2017年第1期)は、第三漢墓にあったものを整理して、『医馬書』『十二脈』『別脈』『刺数』(暫定名「帰脈数」)などとしている。
・中国中医科学院が付与した名称:脈書上経/脈書下経/治六十病和斉湯法/刺数/逆順五色脈蔵験精神。
・「逆順五色脈蔵験精神」が本文に由来する以外は、内容から扁鵲倉公列伝と『黄帝内経』に見える文章との関連から命名した。
・「敝昔」は、(扁鵲の通仮字ではなく、)鷩䧿の省写(省略書き)である。意味は「頭戴鷩冕的雉鵲」で、漢代の画像石がまさにその姿をあらわしている。(「敝昔曰:人有九徼(竅)五臧(臟)十二節,皆[鼂(朝)於氣」。「敝昔曰:所胃(謂)五色者,脈之…」。)
 鷩冕:鷩,繡有雉鳥的禮服。冕,冠冕。鷩冕指古時天子祭祀先祖及饗射時所穿戴的冕服。
・この医簡を通して、扁鵲倉公列伝や『黄帝内経』の再解釈・読み直しをおこなっている。
・この脈書上下経こそが医経であり、『素問』などはその注釈書である。
・上経は医学理論、下経は疾病の変化を論ずる。
・脈書上下経には、経脈(を砭石でなおす)病と湯液(でなおす)病が書かれている。
・この経脈病と湯液病の一体化をはかったのが、張仲景『傷寒雑病論』である。
・脈書上下経のスタイルに沿って編集された本が、王叔和『脈経』である。
・『漢書』藝文志にある内経と外経は、上経と下経に対応する。
・『藝文志』にいう:「醫經者,原人血脈經絡骨髓陰陽表裏,以起百病之本,死生之分,而用度箴石湯火所施,調百藥齊和之所宜」は、
天回漢墓医簡の内容と対応している。
・逆順五色脈蔵験精神は、通俗的な文で、脈書上経の訓詁であり、倉公(淳于意)の弟子の著作である。
・倉公の診籍は、カルテではなく、治療の根拠=医経を書いたものである。
・頻出する「数」という語は、『黄帝内経』では一部「法」という語に置き換えられた。
・漆塗りの人形についている点の意味は、医簡を読んではじめて理解できる。
・漆塗り人形にある点は、『黄帝内経』にいう十二節であり、天に通ずるものである。
(『素問』六節蔵象論:自古通天者.生之本.本於陰陽.其気九州九竅.皆通乎天気.)
・鍼灸は、漢代以降、衰退した。原因は、『霊枢』経脈(10)が脈をつないで循環させるようにしたためである。
穴=十二節は、天(気)と通じていたのに、それを体内に閉じ込めてしまった。
・砭石は、鳥のくちばしの形に啓発されて作られた。
・斉の三字刀(貨幣)は、馬を刺すために用いられた。
  余録:
・山東省出身のためでしょう、扁鵲・倉公(淳于意)への思い入れも強いようです。
・研究風景:プロジェクタに赤外線写真を写しだして、研究員が集団でその読解をしていた。研究発表会かも知れないが。
・漆塗りの人形のレプリカも作っていた。それをパソコンで処理して3D研究。
・竹簡の作り方:まず、丸竹の表面にらせん状に筋目を入れる。それを割って札(簡)を作る。16枚ぐらい。
簡それぞれに糸(韋/「緯」の省写で、たぶん皮ひもではない)でつづりやすいように切れ目を入れる。
竹簡を竹の表面を上にして置く。その際、その竹簡がどの位置にあったか、正しい位置にあるかは、刀で入れた斜線(筋目)でわかる。
こうすることによって、長さも等しく、隣りの簡ともうまく接合するようになる。糸でつづる。
できあがった竹簡冊(巻物)に文字を書く。文字を後から書くので、韋(つづり糸)で文字が隠れることはない。
・今回発掘された竹簡には、もちろん韋は朽ちて残っていなかったが、文字が書かれていない面に、この斜線が残っていた。
そのため、多くの保存状態のよいものでは、本来の竹簡の順序を正しく復元できた。

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