・腸胃第三十一
口から直腸に至る全消化器官について、大きさ、長さ、容量を列挙し、どのようにお腹に収まっているかなども含めて説明している。
----------
広腸の「左環葉脊上下辟」でなぜ「辟」が使われているのか。
→ 現代語訳では「ひらく」と読んでいるが漢辞海ではこの意味はない。
→ 大漢和では「闢」に通ずるとして「ひらく」の意味がある。
→ 上行結腸と下行結腸が上下に走っていることを表す?
→ 大腸が腹腔の外側を周回している様を「ひらく」で表現している?
※ ここはあれやこれやといろんな意見が出ました。
最後に胃のはじめから腸の終わりまでを六丈四寸四分としているが、それまでの記載から計算すると五丈九尺四寸。
→ その差は十尺四寸。どこかの部位の記載が抜けたのか。。。?
→ 次の平人絶穀第三十二の「腸胃之長」は、五丈八尺四寸で近い。こちらの方が正しい数字か?
・平人絶穀第三十二
人が絶食してから死亡するまでの期間を七日とし、数値からその根拠を説明している。
胃と腸には常時、穀物が二斗、水が一斗五升、計三斗五升が留まっている。
便は日に二回で一回分が二升半、一日五升となる。何も食べないと七日で三斗五升を使い果たし、水穀、精氣、津液すべて尽きて死んでしまう。
----------
解剖して摘出した消化管に、水や穀物を実際に入れて内容量を計測したと想像される。
胃腸に入る水穀の量を「九斗二升一合合之大半」としているが、それまでを合計すると「九斗二升一合合之大半+八分合之一」。
これだけ詳細に計測しているのに八分の一合ずれてる。
→ はじめはもっと細かかった数値を後の大雑把な人に書き換えられた?
→ 八分の一合は「0.125合」。「合之大半」に含まれるということか?
上焦・下焦の部分は、唐突に出てきて前後との関連も無いように思われる。
→ どこかから紛れ込んだか。
この時代の常識として、便通は一日二回ということがわかる。
・この二篇を通して
広腸の「広」は「大」と通じるか。内容からも広腸=大腸と考えられる。
小腸の直径が「八分分之少半」など、かなり細かく計測されている。
→ 数字にこだわった流派があった?それとも消化器官へのこだわりか?
→ 標準値を管轄する公的機関みたいな組織があったのか?
現在,粗読がダイケイで一番有用な講座ではあるまいか。といっても現状は,私が勧めたからといって新たに何人もがおしかけるわけにもいくまいが。だから,もう一つ二つ同様なグループができることを切に望む。
返信削除といっておいて,今回の報告にはいちゃもん。
辟に「ひら・く」という解は,『漢辞海』の第三版には載ってます。最近,電子版が第三版になったので試しに引いてみました。
もっとも,ここの辟を「ひらく」と書き換えてOKかどうかは,疑問です。辟の原義は,かたよって,あつまることのようで,だから,ひらく意味にもなりうるだろうが,『太素』の楊上善注では,「辟,著脊也」です。つまり,偏って何かにひっつく意味にもなる。ここでは楊注のほうが,私には魅力的です。ご検討を。
辞書をひいたら,原義から推して,どういう意味の「ひらく」であるかを,考えるべきだと思う。
それと,「葉脊」でなく「葉積」じゃないですか。
『霊枢』の「葉脊」を『太素』は「葉積」に作る。また,仁和寺本『太素』の楊注「辟著脊也」を『霊枢講義』引楊注は「辟者脊也」に誤っている。
削除もっとも,仁和寺本『太素』をよく見ると,「辟著とは,脊のことなり」のつもりかもしれない。困ったね。
削除まちがえました。第四版の電子版がでてます。
削除『太素』楊上善注の「辟著脊也」は,おそらくは「脊に辟著するなり」です。そして,辟著は辟の字義を,同義もしくは近義の字を添えて熟語のようにして解釈を示しているのだと思う。楊上善独特の方法かどうかはわかりませんが,彼はしばしば用いてます。
返信削除広腸は「左環葉積して上下に辟(つ)く」,どこにつくのか?脊につく,じゃなかろうか,
思いつく度に,よくも検討しないで書き込んだので,ごちゃごちゃしました。すみません。でも,そこが粗読講座風かも。