中医鍼灸は教科書では一種の形式主義の風格をより多く体現している。ほとんどあらゆる中医がみな中国の伝統鍼灸は『内経』を尊崇することだと公言しているが、『内経』の鍼灸と彼らの思い抱いているものと習ったものが大いに異なるものであることを認識している人は少ない。初期の鍼灸は簡単で実用的なものであり、外科治療のようなものであった。もし本当に『内経』の伝統を継承するのであれば、鍼灸は現代外科の一分野として発展したであろう。
現在の鍼灸の伝統は、実際上は、宋元時代に構築されたものである。それは医学理論と儒家思想を結合して創造されたひとつの美的理論の枠組みであり、この枠組みは明清時代も引き継がれた。中華民国時代になり、鍼灸研究者は伝統の革新に取り組みはじめた。彼らの著作には、彼らが影響を受けた西洋医学の理論、とりわけ日本の鍼灸書の影響が反映されている。鍼灸はかなりはやくから科学の道をあゆむ機会があったが、20世紀50年代の後期に、政策の影響によって、ふたたび宋元時代の古い道に方向を変えさせられた。それにもかかわらず、現在の鍼灸は実験室であれ臨床であれ、いずれも古い伝統をたえず突き破っている。
鍼灸の伝統とは、一度できあがってしまったら変わりようのない概念ではなく、社会文化が変われば、たえず改めて考える必要があるものである。つぎのように言ってもよい。あらゆるいわゆる伝統は特定の時代と地域に基づくものであり、その伝統はみな文化の一部である。このような傾向は近代が始まって以来、ますます顕著である。一定程度、鍼灸は国家あるいは組織の発言力をあらわしている。「中医鍼灸」「西洋鍼灸」というように、地域の流派のラベルが貼られている。他のフランス伝統鍼灸に類似した流派もこの「鍼灸戦争」①の分け前を手に入れようとしている。西洋の鍼灸研究者は、中医伝統鍼灸から新しい科学鍼灸あるいは医学鍼灸を分離しようと試みている。彼らからみると、現行の「中医鍼灸」は古代の鍼灸とくらべて全く変化がなく、おくれた非科学的なものである。実際上、この観点そのものは、型にはまったもので、確固たる根拠があるものとはいいがたい。中医鍼灸も現代医学の影響を受けていて、正確な診断と詳細な検査は、西洋鍼灸独自の特徴ではけっしてない。鍼灸は発展過程にある治療と知識体系であると、中国の鍼灸医と学者は明らかにみてはいるが、中には「伝統」鍼灸のヴェールを脱ぎたがらない人もいる。
原注:①「鍼灸戦争」は、米国の学者Bridie Andrews(呉章)が2015年6月5日に復旦大学でおこなった学術講演において提出した概念である。彼女の考えでは、現在の鍼灸が国家の発言力をあらわしていて、その中では中国・日本・韓国などが参与している。
今まで不変の伝統など存在したことはない。中医の伝統は、世界のその時その場では適用されないし、医学の歴史もひとつの簡単な進歩の過程ではない。ひとつの治療理論がその歴史的な時代にふさわしくない時、それは社会観念のしもべとなる。それぞれの時期における鍼灸理論と実践は、たえず補充され、修正され、変化したが、当然すべての変化が積極的であったわけではけっしてない。鍼刺理論は社会的要素の影響下にあり、単純な技術の問題でなかっただけでなく、技術のルールにだけによっても解釈できなかった。
最後に、未来の鍼灸はどうなっているだろうか?世界の発展過程において、科学は主流である。したがって医学鍼灸は進歩するであろう。大多数の人々の角度からみれば、中医鍼灸は依然としてもっとも権威ある形式であり、さすがに中国は鍼灸の故郷である。西洋では自然主義がますます盛行し、伝統鍼灸の保守派も存続可能であろう。しかしすべては社会文化そのものによって決定される。想像されることは、古い鍼灸伝統は絶えざる変化の中にあり、新たな伝統もたえず生み出されるだろう、ということである。
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