2024年9月21日土曜日

  『医学綱目』の版本について 03

   (三)清抄本

  図5-4 浙江図書館所蔵清初抄本


 浙江図書館には清初の抄本が所蔵されている。

     https://opac.zjlib.cn/opac/book/3291975?index=4&globalSearchWay=&base=q%3D%25E5%258C%25BB%25E5%25AD%25A6%25E7%25BA%25B2%25E7%259B%25AE%26searchType%3Dstandard%26isFacet%3Dfalse%26view%3Dstandard%26ro%3D10%26sortWay%3Dscore%26sortOrder%3Ddesc%26searchWay0%3Dmarc%26logical0%3DAND%26rows%3D1&isCluster=false&searchKeyword=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E7%BA%B2%E7%9B%AE

    醫學綱目:三十九卷,首一卷 (明)樓英撰 24册, 清(1644-1911)抄本,没有标签。


   この清初の抄本は,清代の諱をいずれも避けていない。浙江図書館は書写の様式・料紙・字体などから清初の抄本と鑑定している。

 全24冊,39巻,半葉11行,毎行22字,四周単辺,黒口,単黒魚尾で,眉批がある。匡郭の高さ22.2cm,幅14.6cm。銭塘東荘〔いま浙江省杭州市銭塘区臨江街道にある村名〕陳𪓌の書識・目録,本文巻一から巻三十九末の「小児部五硬五軟」まであるが,補遺方と運気部は見当たらない。


  図5-5 浙江省中医薬研究院図書館所蔵清抄本(残)


 浙江省中医薬研究院は清抄本として著録する。巻十五,1冊を存す。半葉の行数は13行,毎行の字数は25字,巻十五の首葉には,四明・曹炳章〔1878~1956。浙江省鄞県のひと。『中国医学大成』の編者〕の蔵書印がある。


  (四)曹灼刻本と建陽刻本の比較挙例

  図5-6 明曹灼刻本:其病有二……其二屬

  図5-7 明建陽刻本:其病有二……其二屬

  図5-8 明・曹灼刻本:「陳無擇治卒喉痹」は第34葉の第6列に,「丹溪治喉痹」は第36葉の第11列にある。

  図5-9 明・建陽刻本:「丹溪治喉痹」は「陳無擇治卒喉痹」の後にあり,曹灼刻本と比較すると2葉の内容を欠く。


  『医学綱目』の版本について 02

   (二)明・嘉靖建陽刻本

 上海図書館の古籍聯合目録および循証平台*によれば,『医学綱目』には「明刻本四十巻,附一巻,目録四巻」があり,中国医学科学院図書館・成都中医薬大学図書館・寧波天一閣博物館・吉林省図書館・広州中医薬大学図書館などの機関に所蔵されている。

    *古籍联合目录及循证平台:中文古籍聯合目錄及循證平臺(Chinese Ancient Books Union Catalogue and Evidence-based Platform)是上海圖書館數字〔デジタル〕人文平臺的一個試驗型項目,目前收錄有1400餘家機構的古籍館藏目錄,其中上海圖書館的古籍館藏、加州柏克萊大學〔カリフォルニア大学バークレー校〕東亞圖書館的中文善本館藏、哈佛〔ハーバード大学〕燕京圖書館的中文善本館藏、澳門〔マカオ〕大學圖書館的中文古籍館藏可在線訪問部分掃描〔スキャン〕影像全文。除此之外,還融合了一些在歷史上有一定影響的官修目錄、史誌目錄、藏書樓目錄、私家目錄和版本目錄等,輔之以人名、地名、印章、避諱字、刻工等額外規範數據,並將結合即將開發完成的內容分析統計、時空及社會關係分析和可視化工具。該項目旨在藉由分佈式雲平臺技術〔分散クラウドプラットフォーム技術〕和關聯語義技術〔連想セマンティック技術〕,實現各館現存古籍珍藏的聯合查詢、規範控制,並提供學者循證版本、考鏡流藏之功用,未來希望更多的圖書館攜手加入,以嘉惠學林、澤被後人。 https://gj.library.sh.cn/index


 2021年に中国中医科学院の黄龍祥教授は「明刊45巻本『医学綱目』の版本とその文献的価値」〔「明刊四十五卷本《医学纲目》的版本及文献价值」,『中華医史雑誌』,2021年5月第51巻第3期〕を発表した。その論文で,この明刻本は明・嘉靖建陽刻本で,曹灼刻本に引けを取らない価値があると鑑定し,学界で大いに注目される重要な版本となった。

 曹灼刻本と比較すると,曹灼刻本にある補遺方・五運六気総論・運気占候補遺序・運気占候補遺十五篇および書末の跋が,建陽刻本にはない。反対に建陽刻本の主体となる章,五運の常・五運の変・六気の常・六気の変の諸篇は,曹灼刻本にはみな見られない。


  図5-2 中国医学科学院図書館蔵明嘉靖建陽刻本

  図5-3 寧波市天一閣博物館蔵明嘉靖建陽刻本


 2021年10月に浙江省中医薬研究院中医文献信息〔=情報〕研究所と楼英の故郷,浙江省杭州市蕭山区楼塔鎮人民政府が共同して奮闘し,黄龍祥教授から無償の学術支援を受けて,学苑出版社から『医学綱目』の明・建陽刻本を影印出版*した。

 *http://www.book001.com/News/Detail?id=511


 それに続いて浙江省中医薬研究院中医文献信息研究所も,国家中医薬管理局の『中華医蔵』編纂プロジェクトの一環として『医学綱目』提要の執筆と影印出版を担当し,杭州図書館所蔵の明・嘉靖四十四年曹灼刻本を〔底本として〕選択して影印出版した。

 これによって,より多くの学者が異なる版本を目にする機会が与えられ,全面的で深く持続的な研究をおこなうことができる。

 以下は『医学綱目』の明・建陽刻本の紹介である。


 1 建陽刻本の版本学的価値。

 明・建陽刻本は,本文41巻,目録4巻。前の39巻は曹灼本と同じく上下双欄で,上欄に批注,下欄に本文が刻される。匡郭の高さ20.8 cm,幅30 cm,半葉12行,毎行26字,四周単辺,白口,単黒魚尾で,天頭に字が刻まれているところもある。版心の下方に刻工の名がある。刻工には「余長清・鄒・余賜・波・詹一・詹四・葉一・陸仲周・朱四・周一本・詹嬭員・余唐八・六一・陸七・余双・張八・余朝・劉五・渓・朱・林四・賜一」があり,「小倉侍医王上準庵図書之記*」などが鈐印がある。

    *東京国立博物館所蔵の多紀元簡『金匱玉函要略輯義』には,「小倉侍医山上準庵図書之記」の朱印があるという。これによれば,「王」は「山」字の誤読であろう。豊前小倉藩の侍医であった山上準庵の旧蔵書であろう。

    https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/QB-7174?locale=ja


 曹灼本40巻,匡郭の高さ19 cm,幅30 cm,半葉13行,毎行22字,左右双辺,単白魚尾。版心下の表(おもて)面には書写した銭世傑・顧檈などの名があり,裏面にはそれを彫刻した柯仁意・夏文徳・袁宏などの名がある。「赤龍館図書記*」「弘前医官渋江氏蔵書記」「森氏」などの鈐印がある。

     *赤龍館:国文学研究資料館館蔵和古書目録データベースによれば,国文研所蔵の『詠茶詩録』に「赤竜館」という蔵書印があるという。/弘前医官渋江氏=渋江抽斎。森氏≒森立之。


 明・建陽刻本が基づいた別本は,曹灼刻本とは文と版式に大きな相違がある。版心には刻工の姓名がある。『中国古籍版刻辞典』『古籍刻工名録』などには,詹嬭員・詹三・劉五などは明代の嘉靖年間,余賜は明代の隆慶年間,余長清・陸仲周・余唐八・葉一・周一本・余双などは明代の万暦年間の刻工として載せられている。高い版本学としての価値があり,学者がさらに研究するための参考とすることができる。


 明・建陽刻本の校正と刊刻は,いずれも曹灼本の綿密さには及ばないし,錯葉〔乱丁〕もある。たとえば中国医学科学院図書館と成都中医薬大学図書館の蔵版は,いずれも第五冊の巻之八の第15・16葉は,第十九冊の巻之三十七の第25・26葉とまったく同じであり,上下の文脈を比べれば,巻八に錯葉があるはずである。

 曹灼本が40巻であるのとは異なり,明・建陽刻本は,本文41巻と目録4巻である。

 明・建陽刻本には目録と本文に齟齬がある。目録〔に記載されているの〕は40巻である。その巻四十は運気部であるが,目録に「運氣部別見運氣類注〔運氣部は別に運氣類注に見ゆ〕」との注記がある。本文は41巻である。しかし本文巻四十の巻頭にある大題は「内経運気類注巻之四十」で,本文巻四十一の巻頭にある大題,「内経運気類注巻之四十一」と同じである。他の39巻はこれと異なり,「医学綱目巻之一」から「医学綱目巻之三十九」である。巻三十九巻の巻頭にある大題と巻三十九巻の末尾にある大題は異なっていて,内容に脱漏があることを疑わせる。

 しかしながら,明・建陽刻本は明代以前の文献を大量に保存しており,重要な文献学的価値がある。


 3 建陽刻本の4巻目録の価値

 明・建陽刻本は総綱*のほかに,4巻の目録**〔目次〕がある。これは楼英の原書の基本構成を鑑定し,全書の構造を確定する最も重要な根拠であり,『医学綱目』を読解を保証するものである。全書本文の上欄にある文字もすべてこの4巻目録から出ており,楼英の批注だけでなく,さらに本書の類目もある。この4巻目録があるからこそ,目録と本文はまた本校***の役割も果たしている。

    *医学総綱 https://www.digital.archives.go.jp/img/4421866 4/98 

    **医学目録 https://www.digital.archives.go.jp/img/4421866 14/98 

    ***本校:校勘の方法の一つ。その書の内部で前後の内容を比較し,異同を見つけて,誤りを知る。陳垣『校勘学釈例』を参照。

    

 たとえば,「大法」「雑方」「運気」「鍼灸上」「鍼灸下」「診」などと多くの小見出しは,これらの類目とタイトルの連結を失うと,『医学綱目』はばらばらの砂のようになってしまう。したがって,この4巻の目録がなければ,『医学綱目』の構造と内容を真に理解することは難しい。


 4 建陽刻本における楼英の医学思想の価値

 明・建陽刻本は楼英本人の学術主張と診療思想をより正しく反映している。明・嘉靖四十四年(1565)に曹灼は友人の邵偉元・劉化卿と分担して校讐し,眉批の一部を削除し,誤りを正し,欠けているところを補い,おおやけに刊行した。

 巻一の「朱丹渓相火論」を例にとると,明・建陽刻本には,楼英による多くの批注がある。たとえば,「相火,人之日用燃焚火屬君火,天之龍雷海火屬相火,相火在天,出於龍雷海在人,具於下焦肝腎二部」,「相火皆本於地中陰氣」,「相火無時妄動,則受煎熬而為病,死之漸」,「相火聽命道心而主靜,則陰得養育而為生生之運」などがある。

 これらの文は,曹灼刻本ではいずれも削除されたが,明・建陽刻本ではみな保存されている。このような例はいたるところに見られるので,明・建陽刻本は,我々がさらに研究するに値するものである。


 5 宋元の善本文献を非常の豊富に引用している

 楼氏一族の家学は深く奥行きがあり,専用に排翠楼(後に名を「清燕楼」に改めた)を建て,何代にもわたって収蔵した大量の古籍経典を保存した。とりわけ医学の典籍は,研究・著書・診察・製薬・接客・弟子への伝授に用いられた。

 楼英は三十一歳から排翠楼に隠居をはじめ,収蔵している医書を利用して書物を著わして説を立てた。『医学綱目』は明以前の文献を全部で百種余り引用していて,「内経運気類注」以外の各巻に広く見られる。

 特に隋・唐・五代時代の文献はすでに散佚しているものが多いが,楼氏『医学綱目』はこれらを引用することによってその内容ある程度保存している。また収録した文献が基づいているのは,宋・元代の善本が多いので,金・元の文献を輯校するための宝庫とも言え,極めて高い文献・版本としての価値を有する。

 医学書の校勘にも重要な他校*の資料として用いることができるので,学者のさらなる研究に供することができる。たとえば,黄龍祥教授は『医学綱目』建陽刻本を用いて『鍼灸甲乙経』を校勘した。

    *他校:校勘の方法の一つ。校勘の対象となる書籍以外の書籍と対照して字句の誤りを正すこと。『校勘学釈例』を参照。


 まさに明・建陽本が後世に伝えられたことによって,楼英『医学綱目』が構築した理論がよりよく理解される。『医学綱目』は楼英の最も偉大な作品であり,中国医学理論体系の二度目の系統的再構築を完成し,統一理論体系を基とする鍼方と薬方の知識体系の統合を実現した。本書は,現代的な意義を持つ「中医学」の経典である。

 通行本の多くは曹灼本を底本とするが,明・建陽刻本は曹灼本と明らかに異なる。その貴重な文献と版本学的価値の過小評価には,はなはだしいものがある。とりわけ建陽刻本は『医学綱目』の古態に近いので,楼英の学術思想を復元し研究するための重要な参考価値を持っている。

  『医学綱目』の版本について 01

   (一)明・嘉靖四十四年曹灼刻本


 図5-1 杭州図書館館蔵明嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本


 国家図書館・中国科学院図書館・首都図書館・中国中医科学院図書館・杭州図書館・上海中医薬大学図書館など十以上の図書館が明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本を所蔵している。明・嘉靖四十四年曹灼刻本は,本文が40巻,目次が1巻である。巻頭に嘉靖四十四年の曹灼の序と楼英の自序,7つの序例,目録1巻がある。半葉13行,毎行22字,左右双辺,白口,単魚尾,上下双欄,上欄には批注,下欄に本文が刻されている。匡郭の高さは上欄が1.9 cm,下欄が17.2 cm,幅は14.4 cm。

 杭州図書館所蔵本を例としてあげれば,曹灼序・楼英「医学綱目序」・序例・目録,巻一から巻三十九,末に「補遺方」を付す。巻四十には「五運六気総論」「内経運気類注序」「運気占候補遺序」「運気占候補遺」「跋」が収録されている。

 嘉靖四十四年曹灼刻本『医学綱目』の曹灼序に「友人邵君偉元授予以『醫學綱目』四十卷,曰是書出於蕭山婁全善先生【所輯】〔友人邵君偉元,予に授くるに『醫學綱目』四十卷を以てし,是の書は蕭山の婁(=樓)全善先生【輯(あつ)むる所】に出づと曰う/末尾の【所輯】2字は,曹灼序にしたがい訳者が補った〕」とある。

 *内閣文庫本:https://www.digital.archives.go.jp/img/4108698 4/97コマ目

 *龍谷大学本:https://da.library.ryukoku.ac.jp/view/980013/1 3/69コマ目


 曹灼の曹氏一族は沙渓鎮〔いま広東省中山市〕の名門名家であり,祖父の曹昶は東楼公と呼ばれ,松陽県の訓導を務め,父の曹献は明・正徳年間に例貢,南京兵馬指揮を務め,三城を歴て,文林郎の階にのぼった。

 曹灼は,明・嘉靖十年に礼経で京兆に魁〔第一位〕となり,明・嘉靖三十二年〔1553〕に進士,江西撫州の推官を務め,刑部郎に抜擢された。在任中,非常に政治的信望が高く,深く民に愛され,史書には,「律令精熟,政事諳練,鋤豪摘奸,平反冤訟,當官舉決,不避權勢〔律令に精熟し,政事に諳練(熟練)し,豪を鋤(のぞ)き奸を摘み,冤訟を平反し(誤審を覆して冤罪を晴らし),官に當たって舉決し,權勢を避けず〕」と記載されている。清廉潔白で,後世の敬服するところとなった。邵弁(邵偉元)とともに楼英の『医学綱目』40巻,『運気占候遺方』1巻,『補遺方』1巻を合刻して刊行した。隆慶年間〔1567~1572〕に李杲の『古本東垣十書』12種22巻,南宋・張杲の『医説』10巻,周恭の『医説続編』18巻を刊行し,自ら『表学軌範』8巻を編んだ。

 邵弁(1511~1598)は,明・嘉靖年間太倉(いま江蘇省太倉)の人,字は偉元,別の字は希周,玄沙と号した。〔著書に〕『詩序解頤』がある。嘉靖年間に曹灼とともに『医学綱目』40巻を合刻印行した。そのため『医学綱目』曹灼刻本の最後には,「玄沙邵偉元甫跋」がある。ここで特に指摘しておくべきことは,運気部の最後に「因讎校樓氏『醫學綱目』書,覽其後有運氣補註一篇,惜其用意甚勤,而尚遺古人占候之法,是以取諸『內經』之旨,列占候十五篇,命曰『運氣占候補遺』以續樓氏之後云〔樓氏が『醫學綱目』の書を讎校するに因って,其の後を覽るに運氣補註の一篇有り,其の用意甚だ勤にして,尚お古人占候の法を遺すを惜しむ,是こを以て諸(これ)を『內經』の旨に取り,占候十五篇を列ねて,命(な)づけて『運氣占候補遺』と曰い,以て樓氏の後に續くと云う〕」とあることである。これは,曹灼本『医学綱目』に付されている『運気占候補遺』は邵弁が作ったもので,楼英の著作ではないことを示している。

 『医学綱目』の曹灼序に「因與偉元暨劉君化卿,分帙校讐,矢志弗措,有不合者,晝繹夜思,若將通之。凡再逾寒暑,而後就梓,訛者正,缺者補,秩然可觀〔因って偉元暨(およ)び劉君化卿と,帙を分かちて校讐す,志を矢(ちか)って措(お)かず,合わざる者有らば,晝(ひる)に繹(たず)ね夜に思い,將に之を通ぜんとするが若(ごと)し。凡そ再び寒暑を逾(こ)え〔二年ほど経過して〕,而る後に梓に就く,訛(あやま)る者は正し,缺(か)くる者は補い,秩然として觀つ可し〕」とあるが,劉君化卿の生涯については不詳である。


 『医学綱目』の版本について 00

     江淩圳・丁立維主編『楼英中医薬文化』〔中国中医薬出版社,2023〕から『医学綱目』の版本紹介の部分〔064~073頁〕を訳出した。訳出するにあたって,改行を増やした。図は省略した。〔〕内は訳注。*は別に訳注をつけた。


 『医学綱目』は脱稿後,当初は刊行されなかった。明の嘉靖四十四年(1565)になって,明の進士曹灼がこの原稿を入手した。『医学綱目』を絶讃して,「簡而知要,繁而有條〔簡にして要を知り,繁にして條有り〕」と褒め称えたが,本書が世に知られていないことを歎いた。「夫不治刑不知造律者之深意,不治病不知著書者之苦心。先生康濟之心甚盛,而幾於無所用者〔夫れ刑を治めざれば律を造る者の深意を知らず,病を治めざれば書を著わす者の苦心を知らず。先生 康濟(民を安らかにし救う)の心甚だ盛んなれども,用いる所の者無きに幾(ちか)し〕」(『医学綱目』曹灼序)。そこで資金を出して上梓し,「此書二百年來,幾晦而復明,幾廢而復舉,寧不有定數存乎!〔此の書二百年來,幾(ほとん)ど晦くして復た明らか,幾ど廢して復た舉(お)こる,寧(いづ)くんぞ定數(天のよって定められた変えることができない運命)有らずして存せんや!〕」という。

 『中国中医古籍総目』の記載によれば,『医学綱目』の現存する版本の主なものは,明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本(曹灼本と略称する)・明刻本・清初抄本および多種の残欠のある抄本などである。他に1937年の上海世界書局の鉛印本がある。

 『医学綱目』で現在伝存する版本には,二つの大きな版本系統がある。一つは伝世本の明嘉靖四十四年曹灼刻本とそれから派生した本で,残欠がない本は全部で40巻,目録が1巻である。もう一つは,黄龍祥教授が鑑定した明嘉靖万暦年間の建陽刻本とその派生本(建陽本と略称する)であり,残欠がない本は全部で41巻,目録が4巻である。二つの版本には内容に若干の相違点があって,それぞれに優れたところ,特色がある。

 曹灼は,生没年不詳で,字は子明,またの字は用晦で,履斎と号した。明・嘉靖年間の太倉(いま江蘇省太倉)の人,明・嘉靖三十二年の進士。江西撫州の推官に任じられ,刑部郎に抜擢された。

 曹灼本の全書は,陰陽臓腑・肝胆・心小腸・脾胃・肺大腸・腎臓膀胱・傷寒・婦人・小児・運気の十部に排列されている。その中で陰陽臓腑部(九巻〔巻1~巻9〕)は,陰陽・表裏・寒熱・虚実・臓腑・察病・診治および鍼灸・調摂・禁忌などが述べられ,総論を構成している。肝胆部(六巻〔巻10~巻15〕)は,中風・癲癇・痙厥などの病証を論述している。心小腸部(五巻〔巻16~巻20〕)は,心痛・胸痛・煩躁・譫妄などの病証を紹介している。脾胃部(五巻〔巻21~巻25〕)は内傷飲食・諸痰・諸痞積などの病証に分けて述べられている。肺大腸部(二巻〔巻26~巻27〕)は,咳嗽・喘急・善悲などが掲載されている。腎膀胱部(二巻〔巻28~巻29〕)は,耳鳴・耳聾・骨病・歯病などの処方薬による治療が述べられている。傷寒部(四巻〔巻30~巻33〕)は傷寒の六経諸証および陽痿・陰毒などの病因証治を主に紹介している。婦人部(二巻〔巻34~巻35〕)と小児部(二巻〔四巻の誤りか。巻36~巻39〕)はそれぞれ婦人と小児の諸病の証治を論述している。運気部(一巻〔巻40〕)は五運六気の内容を述べることを主とする。

 建陽本は目録が四巻である以外にも,最後の運気部も曹灼本とは異なり,巻四十と巻四十一の2巻に分かれているだけでなく,内容も全く異なっている。

 我々の研究によれば,「運気部」は実は楼英が著わした専門書の一つ,『内経運気類注』4巻に由来するはずで,二つの版本はそれぞれその一部を残している可能性がある。そのため内容が異なる。詳細は,本書〔『楼英中医薬文化』〕の第六章『運気類注』に見える。