江淩圳・丁立維主編『楼英中医薬文化』〔中国中医薬出版社,2023〕から『医学綱目』の版本紹介の部分〔064~073頁〕を訳出した。訳出するにあたって,改行を増やした。図は省略した。〔〕内は訳注。*は別に訳注をつけた。
『医学綱目』は脱稿後,当初は刊行されなかった。明の嘉靖四十四年(1565)になって,明の進士曹灼がこの原稿を入手した。『医学綱目』を絶讃して,「簡而知要,繁而有條〔簡にして要を知り,繁にして條有り〕」と褒め称えたが,本書が世に知られていないことを歎いた。「夫不治刑不知造律者之深意,不治病不知著書者之苦心。先生康濟之心甚盛,而幾於無所用者〔夫れ刑を治めざれば律を造る者の深意を知らず,病を治めざれば書を著わす者の苦心を知らず。先生 康濟(民を安らかにし救う)の心甚だ盛んなれども,用いる所の者無きに幾(ちか)し〕」(『医学綱目』曹灼序)。そこで資金を出して上梓し,「此書二百年來,幾晦而復明,幾廢而復舉,寧不有定數存乎!〔此の書二百年來,幾(ほとん)ど晦くして復た明らか,幾ど廢して復た舉(お)こる,寧(いづ)くんぞ定數(天のよって定められた変えることができない運命)有らずして存せんや!〕」という。
『中国中医古籍総目』の記載によれば,『医学綱目』の現存する版本の主なものは,明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本(曹灼本と略称する)・明刻本・清初抄本および多種の残欠のある抄本などである。他に1937年の上海世界書局の鉛印本がある。
『医学綱目』で現在伝存する版本には,二つの大きな版本系統がある。一つは伝世本の明嘉靖四十四年曹灼刻本とそれから派生した本で,残欠がない本は全部で40巻,目録が1巻である。もう一つは,黄龍祥教授が鑑定した明嘉靖万暦年間の建陽刻本とその派生本(建陽本と略称する)であり,残欠がない本は全部で41巻,目録が4巻である。二つの版本には内容に若干の相違点があって,それぞれに優れたところ,特色がある。
曹灼は,生没年不詳で,字は子明,またの字は用晦で,履斎と号した。明・嘉靖年間の太倉(いま江蘇省太倉)の人,明・嘉靖三十二年の進士。江西撫州の推官に任じられ,刑部郎に抜擢された。
曹灼本の全書は,陰陽臓腑・肝胆・心小腸・脾胃・肺大腸・腎臓膀胱・傷寒・婦人・小児・運気の十部に排列されている。その中で陰陽臓腑部(九巻〔巻1~巻9〕)は,陰陽・表裏・寒熱・虚実・臓腑・察病・診治および鍼灸・調摂・禁忌などが述べられ,総論を構成している。肝胆部(六巻〔巻10~巻15〕)は,中風・癲癇・痙厥などの病証を論述している。心小腸部(五巻〔巻16~巻20〕)は,心痛・胸痛・煩躁・譫妄などの病証を紹介している。脾胃部(五巻〔巻21~巻25〕)は内傷飲食・諸痰・諸痞積などの病証に分けて述べられている。肺大腸部(二巻〔巻26~巻27〕)は,咳嗽・喘急・善悲などが掲載されている。腎膀胱部(二巻〔巻28~巻29〕)は,耳鳴・耳聾・骨病・歯病などの処方薬による治療が述べられている。傷寒部(四巻〔巻30~巻33〕)は傷寒の六経諸証および陽痿・陰毒などの病因証治を主に紹介している。婦人部(二巻〔巻34~巻35〕)と小児部(二巻〔四巻の誤りか。巻36~巻39〕)はそれぞれ婦人と小児の諸病の証治を論述している。運気部(一巻〔巻40〕)は五運六気の内容を述べることを主とする。
建陽本は目録が四巻である以外にも,最後の運気部も曹灼本とは異なり,巻四十と巻四十一の2巻に分かれているだけでなく,内容も全く異なっている。
我々の研究によれば,「運気部」は実は楼英が著わした専門書の一つ,『内経運気類注』4巻に由来するはずで,二つの版本はそれぞれその一部を残している可能性がある。そのため内容が異なる。詳細は,本書〔『楼英中医薬文化』〕の第六章『運気類注』に見える。
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