2024年9月21日土曜日

  『医学綱目』の版本について 01

   (一)明・嘉靖四十四年曹灼刻本


 図5-1 杭州図書館館蔵明嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本


 国家図書館・中国科学院図書館・首都図書館・中国中医科学院図書館・杭州図書館・上海中医薬大学図書館など十以上の図書館が明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本を所蔵している。明・嘉靖四十四年曹灼刻本は,本文が40巻,目次が1巻である。巻頭に嘉靖四十四年の曹灼の序と楼英の自序,7つの序例,目録1巻がある。半葉13行,毎行22字,左右双辺,白口,単魚尾,上下双欄,上欄には批注,下欄に本文が刻されている。匡郭の高さは上欄が1.9 cm,下欄が17.2 cm,幅は14.4 cm。

 杭州図書館所蔵本を例としてあげれば,曹灼序・楼英「医学綱目序」・序例・目録,巻一から巻三十九,末に「補遺方」を付す。巻四十には「五運六気総論」「内経運気類注序」「運気占候補遺序」「運気占候補遺」「跋」が収録されている。

 嘉靖四十四年曹灼刻本『医学綱目』の曹灼序に「友人邵君偉元授予以『醫學綱目』四十卷,曰是書出於蕭山婁全善先生【所輯】〔友人邵君偉元,予に授くるに『醫學綱目』四十卷を以てし,是の書は蕭山の婁(=樓)全善先生【輯(あつ)むる所】に出づと曰う/末尾の【所輯】2字は,曹灼序にしたがい訳者が補った〕」とある。

 *内閣文庫本:https://www.digital.archives.go.jp/img/4108698 4/97コマ目

 *龍谷大学本:https://da.library.ryukoku.ac.jp/view/980013/1 3/69コマ目


 曹灼の曹氏一族は沙渓鎮〔いま広東省中山市〕の名門名家であり,祖父の曹昶は東楼公と呼ばれ,松陽県の訓導を務め,父の曹献は明・正徳年間に例貢,南京兵馬指揮を務め,三城を歴て,文林郎の階にのぼった。

 曹灼は,明・嘉靖十年に礼経で京兆に魁〔第一位〕となり,明・嘉靖三十二年〔1553〕に進士,江西撫州の推官を務め,刑部郎に抜擢された。在任中,非常に政治的信望が高く,深く民に愛され,史書には,「律令精熟,政事諳練,鋤豪摘奸,平反冤訟,當官舉決,不避權勢〔律令に精熟し,政事に諳練(熟練)し,豪を鋤(のぞ)き奸を摘み,冤訟を平反し(誤審を覆して冤罪を晴らし),官に當たって舉決し,權勢を避けず〕」と記載されている。清廉潔白で,後世の敬服するところとなった。邵弁(邵偉元)とともに楼英の『医学綱目』40巻,『運気占候遺方』1巻,『補遺方』1巻を合刻して刊行した。隆慶年間〔1567~1572〕に李杲の『古本東垣十書』12種22巻,南宋・張杲の『医説』10巻,周恭の『医説続編』18巻を刊行し,自ら『表学軌範』8巻を編んだ。

 邵弁(1511~1598)は,明・嘉靖年間太倉(いま江蘇省太倉)の人,字は偉元,別の字は希周,玄沙と号した。〔著書に〕『詩序解頤』がある。嘉靖年間に曹灼とともに『医学綱目』40巻を合刻印行した。そのため『医学綱目』曹灼刻本の最後には,「玄沙邵偉元甫跋」がある。ここで特に指摘しておくべきことは,運気部の最後に「因讎校樓氏『醫學綱目』書,覽其後有運氣補註一篇,惜其用意甚勤,而尚遺古人占候之法,是以取諸『內經』之旨,列占候十五篇,命曰『運氣占候補遺』以續樓氏之後云〔樓氏が『醫學綱目』の書を讎校するに因って,其の後を覽るに運氣補註の一篇有り,其の用意甚だ勤にして,尚お古人占候の法を遺すを惜しむ,是こを以て諸(これ)を『內經』の旨に取り,占候十五篇を列ねて,命(な)づけて『運氣占候補遺』と曰い,以て樓氏の後に續くと云う〕」とあることである。これは,曹灼本『医学綱目』に付されている『運気占候補遺』は邵弁が作ったもので,楼英の著作ではないことを示している。

 『医学綱目』の曹灼序に「因與偉元暨劉君化卿,分帙校讐,矢志弗措,有不合者,晝繹夜思,若將通之。凡再逾寒暑,而後就梓,訛者正,缺者補,秩然可觀〔因って偉元暨(およ)び劉君化卿と,帙を分かちて校讐す,志を矢(ちか)って措(お)かず,合わざる者有らば,晝(ひる)に繹(たず)ね夜に思い,將に之を通ぜんとするが若(ごと)し。凡そ再び寒暑を逾(こ)え〔二年ほど経過して〕,而る後に梓に就く,訛(あやま)る者は正し,缺(か)くる者は補い,秩然として觀つ可し〕」とあるが,劉君化卿の生涯については不詳である。


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