2026年9月3日木曜日

12-1 【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 骨度正穴考圖

 12-1 骨度正穴考圖  岡田靜安撰

    杏雨書屋所蔵(杏五二〇三)

 

骨度正穴考圖序

夫人以天地之氣生以四時之法成故

有形則不離隂陽也然因有隂陽多少

而有性善性不善是故為善性為不善

性各非其性不能為焉今骨度正穴考

圖之成亦非其性不能為焉吾友岡田

子成者武蕨驛人也家無儋石之儲衣

服適寒温不交世俗古人為師詩書為

  一ウラ

友性好考索遂成經穴一家言以復于

上古之舊也夫天地之大氣者春夏出

于地上也人身應於背背實而腹虚也

是故腹及手足裏易傷於温暑也秋冬

入于地下也人身應於腹腹實而背虚

也是故背及手足表易傷於涼寒也又

從大氣而徃來者風與水也風為氣温

也應春而物生始也水為血寒也應冬

  二オモテ

而物成終是故風水不行則天地不和

而萬物變異焉氣血不行則藏府不和

而疾病自成矣醫法於天地以及於人

也其法在調和隂陽也天地之道天地

之命天地之性人亦應之天地之道者

五運六氣變化生殺之謂也天地之命

者一隂一陽奇偶相配分於道之謂也

天地之性者隂陽之本始萬物之生資

  二ウラ

隂陽形於一無為而物生成之謂也蓋

人之性以多陽性為善也以多隂性為

惡也以隂陽和平性為聖也子成曰人

之性天然者以隂陽之氣和不和性有

善惡也非偏善偏惡者矣徴余叙其所

作之意余不敏輙書性之説以冠卷首

經穴分寸之屬則不暇悉論也

時文化十年癸酉之人日秋元玄仙序


  【訓み下し】

骨度正穴考圖の序

夫れ人は天地の氣を以て生まれ、四時の法を以て成る。故に形有り、則ち隂陽を離れざるなり。然して隂陽多少有るに因り、而して性の善なると性の不善なる有り。是の故に善性と為り、不善性と為る。各々其の性に非ずんば、為す能わず。今ま骨度正穴考圖之れ成る。亦た其の性に非ずんば、為す能わず。吾が友岡田子成は、武蕨驛の人なり。家に儋石の儲え無く、衣服は寒温に適い、世俗と交わらず、古人を師と為(し)、詩書を

  一ウラ

友と為(す)。性、考索を好み、遂に經穴に一家言を成し、以て上古の舊に復するなり。夫れ天地の大氣、春夏は地上に出づるなり。人身は背に應ず。背實して腹虚するなり。是の故に腹及び手足の裏は、温暑に傷(やぶ)られ易きなり。秋冬は地下に入るなり。人身は腹に應ず。腹實して背虚するなり。是の故に背及び手足の表は、涼寒に傷(やぶ)られ易きなり。又た大氣に從いて往來する者は、風と水なり。風は氣為(た)り、温なり、春に應じて物生じ始まるなり。水は血氣為(た)り、寒なり、冬に應じて

  二オモテ

物成り終わる。是の故に風水行(めぐ)らざれば、則ち天地和せず、而して萬物變異す。氣血行(めぐ)らざれば、則ち藏府和せず、而して疾病自ら成る。醫は天地に法(のつと)り、以て人に及ぶなり。其の法は隂陽を調和するに在るなり。天地の道、天地の命、天地の性、人も亦た之に應ず。天地の道は、五運六氣、變化生殺の謂(いい)なり。天地の命は、一隂一陽、奇偶相配、道に分かるるの謂(いい)なり。天地の性は、隂陽の本始、萬物の生資、

  二ウラ

隂陽、一に形し、為すこと無くして物生成するの謂(いい)なり。蓋し人の性、陽多きを以て、性、善と為すなり。隂多きを以て、性、惡と為すなり。隂陽和平を以て、性、聖と為すなり。子成曰く、人の性、天然なる者は、隂陽の氣和と不和を以て、性に善惡有るなり。偏善偏惡の者に非ざるなり。余に徴して其の作る所の意を叙べしむ。余、不敏、輙ち性の説を書し、以て卷首に冠す。經穴分寸の屬は、則ち悉く論ずるに暇(いとま)あらざるなり。

時に文化十年癸酉の人日 秋元玄仙序す


 【注釋】

 ○人以天地之氣生以四時之法成‥『素問』寶命全形論「人以天地之氣生、四時之法成」。 ○有性善性不善‥『孟子』告子上「或曰、有性善、有性不善」。 ○岡田子成‥岡田靜安(一七七〇~一八四八)。実名は靜黙(きよしず)。字は子成。号は華陽、松響園、慮得齋。12-2『骨度正穴考聞書』卷下末を参照。 ○武蕨驛‥武蔵国足立郡蕨宿。いま埼玉県蕨市。中山道、日本橋の次の宿場。 ○家無儋石之儲‥家の中に余分な食料も全くない。生活が困窮していることの形容。儋石‥儋は一石の穀物をいれられる容器。そのため「儋石」という。ひとりの人が擔えるだけの粟米ともいう。少量の糧食。 ○衣服適寒温‥『靈樞』師傳「飮食衣服、亦欲適寒温」。 ○古人為師‥『論語』為政「温故而知新、可以為師矣」。 ○詩書‥『詩經』と『書經』。またひろく経書をいう。ここでは、詩を含めた書籍全般か。 一ウラ ○考索‥考査研究。 ○徃‥「往」の異体。 二オモテ ○生資‥資生。『易』坤「至哉坤元、萬物資生」。孔穎達疏「萬物資生者、言萬物資地而生」。生み、助ける。 二ウラ ○徴‥もとめる。要求する。 ○文化十年癸酉‥西暦一八一三年。 ○人日‥旧暦正月七日。 ○秋元玄仙‥


骨度正穴考圖の序

夫れ人は天地の氣を以て生まれ、四時の法を以て成る。

 【意訳】人間は天地の気によって生まれて,四時季節の法則によって成長する。

故に形有り、則ち隂陽を離れざるなり。

 【意訳】よって形体がある以上,陰陽から離れることはない。

然して隂陽多少有るに因り、而して性の善なると性の不善なる有り。

 【意訳】そして陰陽の多い少ないに応じて,性が善であるのと不善であることがある。

是の故に善性と為り、不善性と為る。

 【意訳】このため性が良いものにもなれば,悪いものもにもなる。

各々其の性に非ずんば、為す能わず。

 【意訳】それぞれその性でなければ,なすことはできない。

今ま骨度正穴考圖之れ成る。

 【意訳】いま,『骨度正穴考図』が完成した。

亦た其の性に非ずんば、為す能わず。

 【意訳】これもまた著者自身の天性がなければ,成し遂げられなかったことである。

吾が友岡田子成は、武蕨驛の人なり。

 【意訳】わたくしの友人,岡田子成は,武蔵の国,蕨宿の人である。

家に儋石の儲え無く、衣服は寒温に適い、世俗と交わらず、古人を師と為(し)、詩書を友と為(す)。

 【意訳】自宅の米びつには余った米の蓄えもなく,衣服は季節の寒暖をしのげるほどのものしか持ち合わせがなく,俗人とは交流せず,古代のひと(が書いた書物)を先生とし,詩集と書籍を友人としている。

性、考索を好み、遂に經穴に一家言を成し、以て上古の舊に復するなり。

 【意訳】探究考証を好む性格だったので,結果として経穴に関する独自の見解を打ち立て,古代の正しい状態に戻したのである。

夫れ天地の大氣、春夏は地上に出づるなり。

 【意訳】そもそも天地の大いなる気は,春夏の季節には地上にあらわれる。

人身は背に應ず。

 【意訳】それは人の体では,背中が応じる。

背實して腹虚するなり。

 【意訳】背中が充実して,腹部が虚となる。

是の故に腹及び手足の裏は、温暑に傷(やぶ)られ易きなり。

 【意訳】そのため腹と手足の裏が温暑の熱邪に損なわれやすくなる。

秋冬は地下に入るなり。

 【意訳】天地の大いなる気は,秋冬の季節には地下に入る。

人身は腹に應ず。

 【意訳】人の体では腹が応じる。

腹實して背虚するなり。

 【意訳】腹部が充実して背部が虚となる。

是の故に背及び手足の表は、涼寒に傷(やぶ)られ易きなり。

 【意訳】そのため背中と手足の表が涼寒の邪に損なわれやすくなる。

又た大氣に從いて往來する者は、風と水なり。

 【意訳】また大いなる気にしたがって往来するのは,風と水である。

風は氣為(た)り、温なり、春に應じて物生じ始まるなり。

 【意訳】風は気であり,温であり,春の季節に対応して万物が発生する。

水は血氣為(た)り、寒なり、冬に應じて物成り終わる。

 【意訳】水は血気であり,寒であり,冬の季節に対応して万物が成就して終わる。

是の故に風水行(めぐ)らざれば、則ち天地和せず、而して萬物變異す。

 【意訳】このため,風と水が正常にめぐらないと,天と地が調和せず,あらゆるものが変調する。

氣血行(めぐ)らざれば、則ち藏府和せず、而して疾病自ら成る。

 【意訳】気血がめぐらないと,蔵府の調和がとれず,病気が自然に生じる。

醫は天地に法(のつと)り、以て人に及ぶなり。

 【意訳】医学は天地の法則にならって,それを人間に応用したものである。

其の法は隂陽を調和するに在るなり。

 【意訳】その方法は,陰陽を調和させることにある。

天地の道、天地の命、天地の性、人も亦た之に應ず。

 【意訳】天地の道と,天地の命と,天地の性に,人間も対応する。

天地の道は、五運六氣、變化生殺の謂(いい)なり。

 【意訳】天地の道とは,五運六気が変化させ,生じたり殺したりすることをいう。

天地の命は、一隂一陽、奇偶相配、道に分かるるの謂(いい)なり。

 【意訳】天地の命とは,一陰一陽が奇数と偶数で組み合わさり,道にしたがって分かれることをいう。

天地の性は、隂陽の本始、萬物の生資、隂陽、一に形し、為すこと無くして物生成するの謂(いい)なり。

 【意訳】天地の性とは,陰陽の始まりであり,万物が生まれるもとであり,陰陽が一つの形としてあらわれ,無為のまま万物を生成するという意味である。

蓋し人の性、陽多きを以て、性、善と為すなり。

 【意訳】思うに,人間の性質は,陽が多いと善となる。

隂多きを以て、性、惡と為すなり。

 【意訳】陰が多いと,性質は悪となる。

隂陽和平を以て、性、聖と為すなり。

 【意訳】陰陽が平和(平静でなごやか)であれば,性質は聖なるものとなる。

子成曰く、人の性、天然なる者は、隂陽の氣和と不和を以て、性に善惡有るなり。

 【意訳】子成は次のように言った。「人の性質は,生まれつきであったとしても,陰陽の気が調和しているか否かによって,性質に善悪の違いが生じるのである。

偏善偏惡の者に非ざるなり。

 【意訳】一方的に善であったり悪であったりするものではない」。

余に徴して其の作る所の意を叙べしむ。

 【意訳】子成はわたくしに本書を作成した意図を序文に書くように求めた。

余、不敏、輙ち性の説を書し、以て卷首に冠す。

 【意訳】私には才能が乏しいので,性に関する説を記して,巻頭に置くことにした。

經穴分寸の屬は、則ち悉く論ずるに暇(いとま)あらざるなり。

 【意訳】経穴の取穴の寸法などについては,詳細に論じる余裕はない。

時に文化十年癸酉の人日 秋元玄仙序す

 【意訳】時は文化十年みずのととりの正月七日 秋元玄仙 序をしたためる


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骨度正穴考圖序

骨度者靈七卷六臣伯高所撰人長七

尺五寸縱横有骨分限毎各部有長短

是謂同身之寸唐孫思邈甄權除舊圖

作新選於是明堂圖變仰背側人不完

今本長字為辯自同身寸為半作圖平

體正面以合骨度名編正穴者筋骨間

經合井滎腧原營衞氣所循環正邪氣

  一ウラ  10

所聚焉鍼寒肉宜内温灸温肌宜外寒

毒藥攻内不痊鍼灸可以十全近來圖

鑑亦變撰次古今諸賢據骨度篇正焉

以淂正穴名編滑氏發揮圖選屈伸體

俛仰面垂手廣足斜肩其冩誤不堪看

毎淂生業寸間積日精思染翰使佳譽

冩愚按得其人欲傳焉文化壬申大寒

岡田静黙自撰


  【訓み下し】

骨度正穴考圖の序

骨度とは、靈の七卷、六臣伯高が撰する所、人の長(た)け七尺五寸、縱横に骨の分限有り、各部毎に長短有り、是を同身の寸と謂う。唐の孫思邈、甄權、舊圖を除いて新選を作る。是(ここ)に於いて明堂圖變じ、仰背側人完(まつた)からず。今ま長字に本づき辯を為し、自らの同身寸を半と為し、圖を作るに平體正面、骨度に合するを以て編に名づく。正穴とは、筋骨の間、經合井滎腧原、營衞の氣の循環する所、正邪氣の

  一ウラ  

聚る所なり。鍼は肉を寒(ひや)し、内の温に宜し。灸は肌を温めて外の寒に宜し。毒藥、内を攻めて痊えずんば、鍼灸、以て十全す可し。近來圖鑑亦た變じ、古今の諸賢を撰次す。骨度篇に據って正す。正穴を得るを以て編に名づく。滑氏が發揮の圖選、體を屈伸し、面を俛仰す。手を垂れ足を廣げ肩を斜めにす。其の寫誤、看るに堪えず。生業の寸間を得る毎に積日精思して翰(ふで)を染む。佳譽をして愚按を寫さしめ、其の人を得て傳えんと欲す。文化壬申 大寒 岡田靜黙自ら撰す


 【注釋】

 ○骨度者靈七卷六臣伯高所撰‥二十四卷本『靈樞』卷七、骨度第十四「黄帝問于伯高曰……」。六臣は、岐伯、雷公、鬼臾區、伯高、少兪、少師。 ○唐孫思邈甄權除舊圖作新選‥唐 孫思邈『備急千金要方』卷第二十九鍼灸上 明堂三人圖第一「舊明堂圖年代久遠、傳寫錯悞、不足指南、今一依甄權等新撰爲定云耳」。 ○今本長字為辯自同身寸為半作圖‥本書卷之上、「同身之寸解」を参照。 ○經合井滎腧原‥五行穴と原穴(陰経では、兪穴〔本書の記載では「腧穴」〕と一致する)。『靈樞』九針十二原などを参照。 一ウラ  ○十全‥十人治療して全員治る。『周禮』天官冢宰 醫師「凡邦之有疾病者、疕瘍者造焉、則使醫分而治之……十全為上」。『素問』解精微論「陰陽刺灸、湯藥所滋、行治有賢不肖、未必能十全」。「全」は「痊」に通ず。 ○近來‥近ごろ。 ○淂‥「得」の異体。 ○滑氏發揮‥元 滑壽『十四經發揮』。図は、Internet東亜医学協会の電脳資料庫を参照。 ○積日‥連日。 ○精思‥子細に考える。 ○染翰‥筆写する。 ○佳譽‥岡田靜黙のむすめ。 ○文化壬申‥一八一二年。 ○大寒‥二十四節気のひとつ。旧暦一月二十日か二十一日。


骨度正穴考圖の序

 【意訳】

骨度とは、靈の七卷、六臣伯高が撰する所、人の長(た)け七尺五寸、縱横に骨の分限有り、各部毎に長短有り、是を同身の寸と謂う。

 【意訳】骨度とは,『霊枢』の第七巻にある篇名であり,黄帝の六人の臣の一人である伯高が著わしたものである。人間の身長を七尺五寸と規定し,人体の縦横には,骨による区分があり,それぞれの部位には長短がある。(その一定部位を基準とすること,)これを同身寸というのである。

唐の孫思邈、甄權、舊圖を除いて新選を作る。

 【意訳】唐代の孫思邈と甄権は,古い明堂図を差し替えて,新たに図を作成した。

是(ここ)に於いて明堂圖變じ、仰背側人完(まつた)からず。

 【意訳】その結果,明堂図が変質し,仰人図・背人図・側人図が不完全なものになってしまった。

今ま長字に本づき辯を為し、自らの同身寸を半と為し、圖を作るに平體正面、骨度に合するを以て編に名づく。

 【意訳】今回,(『霊枢』骨度に記載されている)「長(たけ・ながさ)」に基づいて識別し,その同身寸の寸法の二分の一で図を作成し,正面図と「骨度」を一体として,書名(『骨度正穴考図』の一部)とした。


 【意訳】

正穴とは、筋骨の間、經合井滎腧原、營衞の氣の循環する所、正邪氣の聚る所なり。

 【意訳】「正穴」とは,筋骨の間隙,五兪穴・原穴,衛気と営気が循環する場所であり,正気と邪気が集まる場所である。

鍼は肉を寒(ひや)し、内の温に宜し。

 【意訳】鍼には肉を冷やす働きがあり,体内の熱を下げるのによい。

灸は肌を温めて外の寒に宜し。

 【意訳】灸は肌を温める作用があり,体外の冷えによい。

毒藥、内を攻めて痊えずんば、鍼灸、以て十全す可し。

 【意訳】薬物で体内を攻略して病が癒えなければ,鍼灸による(体表からの施術で)十分に治すことができる。

近來圖鑑亦た變じ、古今の諸賢を撰次す。

 【意訳】近年の図鑑もまた変わってきており,古今の多くの賢者の説によって編集されている。

骨度篇に據って正す。

 【意訳】(しかし,わたくしは)『霊枢』骨度篇に基づいて修正した。

正穴を得るを以て編に名づく。

 【意訳】(そうすることで)「正しい穴」が得られるので,これを書名(の一部)とした。

滑氏が發揮の圖選、體を屈伸し、面を俛仰す。

 【意訳】滑寿の『十四経発揮』の図は,体を屈伸させ,顔は上を向いたり下を向いたりしている。

手を垂れ足を廣げ肩を斜めにす。

 【意訳】手を垂らし,足を広げ,左右の肩の高さが平衡ではない。

其の寫誤、看るに堪えず。

 【意訳】その書き誤りは,とても見るに堪えない。

生業の寸間を得る毎に積日精思して翰(ふで)を染む。

 【意訳】仕事をしていてすこしでも空いた時間ができると,毎日熟考して書き留めた。

佳譽をして愚按を寫さしめ、其の人を得て傳えんと欲す。

 【意訳】(娘の)佳誉にわたくしの考えを筆写させて,しかるべき人があればこの内容を伝えたいと願った。

文化壬申 大寒 岡田靜黙自ら撰す

 【意訳】文化九年(1812)大寒の日 岡田静黙 みずから記す

2026年9月2日水曜日

11-2【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 刺絡編

 11-2 刺絡編  荻野元凱撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/六六三)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003375


刺絡編序 

夫醫之道好生之具周官

之守也經落骨髓隂陽表

裡賅而存焉箴石湯火所

施百藥八减之冝齊和之

淂不淂者豈有他哉猶慈     〔淂‥「得」の異体〕

石取鐡於己取之而已矣拙

  一ウラ

者失理以瘉為劇以生為死

是則可恤也荻君子元以

醫著北陸移京師其家翁

世々受方為小兒醫々門多疾

屨滿戸外矣子元慨然自

許務廣業名其家嘗曰

吾不能如扁鵲受異人書

  二オモテ

顧惟神農黄帝歧伯伊      〔歧‥「岐」の異体〕

尹仲景之言具在即其人

已矣吾第從輪扁求之乃

胠篋徧讀諸書夜以繼日

既聞不學易無以知隂陽

則從博士家受易不學物

産無以辨藥石則從某處

  二ウラ

學物産聞某子甲善鍼砭

則就而受業某氏聞越

前奥良筑主吐法其術◇

郡則就受業良筑良筑

淂子元大驚請割荒知

以南聽子矣尋又聞和蘭

善刺絡則毎歳從和蘭入

  三オモテ

貢受刺絡和蘭西洋遠國

其言侏離其書旁行唯依

傳譯而譯者率進孰於我

竟不能得和蘭要領也辟

若以坤輿圖察四海相厺不    〔厺‥「去」の異体〕

過毫氂而間獨數百里視

之若易行之甚難是子元

  三ウラ

所以盻々為急也廼識譯長

某氏某氏輙奉牛酒交驩

譯長手使口授以至進乎技

者數十條録而成編後之説

刺絡蓋自此始所謂窮河

源睹昆崙也哉子元益自

喜請淂鄙言取徴狂夫故

  四ウラ

余述其勤動以復荻君趣

刊行焉

明和庚寅夏四月

   伊勢高道昂譔

       〔印形白字「高印/道昂」、「伯/起氏」〕


  【訓み下し】

刺絡編の序

夫れ醫の道は、生を好むの具、周官の守なり。經落、骨髓、陰陽、表裡、賅(そなわ)りて存す。箴石湯火の施す所、百藥八減の宜、齊和の得ると得ざる者は、豈に他に有らんや。猶お慈石の鐡を取るがごとく、己に於いて之を取るのみ。拙き

  一ウラ

者は理を失い、瘉を以て劇と為(し)、生を以て死と為(す)。是れ則ち恤(うれ)う可きなり。荻君子元、醫を以て北陸に著(あらわ)れ、京師に移る。其の家翁は世々に方を受け、小兒醫と為る。醫門に疾多く、屨(くつ)、戸外に滿つ。子元、慨然として自許して務めて業を廣め、其の家に名あり。嘗て曰く「吾れ扁鵲の如く異人の書を受くること能わず。

  二オモテ

顧(た)だ惟(おもん)みるに、神農、黄帝、岐伯、伊尹、仲景の言、具(つぶ)さに在るは即ち其の人のみ。吾れ第(た)だ輪扁に從い之を求むるのみ」と。乃ち篋(はこ)を胠(あ)け、徧(あまね)く諸書を讀み、夜以て日に繼ぐ。既に聞く、易を學ばず、以て陰陽を知ること無くんば、則ち博士家に從いて易を受け、物産を學ばず、以て藥石を辨ずること無くんば、則ち某處に從い

  二ウラ

物産を學ぶ。某子甲、鍼砭を善くすと聞けば、則ち就きて業を某氏に受く。越前の奥良筑、吐法を主り、其の術◇郡なるを聞けば、則ち就きて業を良筑に受く。良筑、子元を得て、大いに驚き、請割荒知以南聽子矣。尋(つ)いで又た和蘭、刺絡を善くすと聞けば、則ち毎歳、和蘭の入

  三オモテ

貢するに從い、刺絡を受く。和蘭は西洋の遠國にして、其の言は侏離、其の書は旁行なり。唯だ傳譯に依るのみ。而して譯者は率(おおむ)ね進孰す。我に於いて竟に和蘭の要領を得ること能わざるなり。辟(たと)えば坤輿圖を以て、四海を察するが若し。相去ること毫氂に過ぎずして、間(へだ)つること獨り數百里。之を視れば易きが若くして、之を行うこと甚だ難し。是れ子元の

  三ウラ

盻々として急を為す所以(ゆえん)なり。廼ち譯長の某氏を識(し)る。某氏は輙ち牛酒を奉じて交驩す。譯長は手使口授して、以て技を進むる者(こと)數十條、録して編を成すに至る。後の刺絡を説くは、蓋し此れ自り始む。謂う所の河の源を窮めて昆崙を睹るかな。子元は益ます自ら喜びて鄙言を得、徴を狂夫に取らんことを請う。故に

  四ウラ

余は其の勤動を述べ、以て荻君の刊行に趣くに復す。

明和庚寅 夏四月

   伊勢高道昂譔す


 【注釋】

 ○好生‥生命をいとおしむ。『漢書』藝文志「方技者、皆生生之具、王官之一守也」。 ○具‥準備。そなえ。才能。 ○周官‥『書經』「周書」の篇名。ここでは、『周禮』(天官冢宰「醫師」)をいうか。 ○經落骨髓隂陽表裡‥『漢書』藝文志「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜、至齊之得、猶慈石取鐵、以物相使、拙者失理、以瘉為劇、以生為死」。經落‥經絡。 ○賅而存焉‥『莊子』齊物論「百骸、九竅、六藏、賅而存焉」。 ○箴石‥『漢書』注「師古曰、箴、所以刺病也、石謂砭石、即石箴也、古者攻病則有砭、今其術絶矣」。 ○八減之冝齊和‥扁鵲傳「乃使子豹為五分之熨、以八減之齊和煮之」。『索隱』「五分之熨、八減之齊。案、言五分之熨者、謂熨之令温暖之氣入五分也。八減之齊者、謂藥之齊和所減有八。並越人當時有此方也」。 ○淂‥「得」の異体。 ○慈石‥磁石。 ○拙者‥能力の劣る人。 一ウラ ○瘉‥「愈」と同じ。いえる。 ○劇‥はげしくなる。 ○荻君子元‥荻野元凱。生年‥元文二年十月二十七日(一七三七年十一月十九日)。没年‥文化三年四月二十日(一八〇六年六月六日)。江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原、左中、在中、号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ、京都の奥村良筑から古方派の医学を学んだ。明和元(一七六四)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。六年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し、医名を高めた。朝廷からも認められ、三十九歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政六(一七九四)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。四年後幕府から召されて医学館の教授となり、瘟疫論を講じたが、間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し、その功で尚薬となった。文化二(一八〇五)年河内守に任ぜられ、翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが、解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫餘論』がある。∧参考文献∨京都府医師会編『京都の医学史』、杉立義一『京の医史跡探訪』(『朝日日本歴史人物事典』蔵方宏昌)。 ○著‥名を世に知られる。 ○北陸‥若狭国から越後国にいたる地域。 ○京師‥京都。 ○家翁‥一家の主。家長。 ○世々‥代代。何代にもわたり。 ○醫門‥医家。『莊子』人間世「治國去之、亂國就之、醫門多疾」。 ○屨滿戸外‥来訪者の多いさま。『宋史』陸九淵傳「學者輻湊、毎開講席、戸外屨滿」。明・王世貞『弇州四部稿』卷八十三・文先生傳「戸外屨常滿」。清・李清馥『閩中理學淵源考』卷四十・韓伯循先生信同「弟子請業者、戸外屨滿」。 ○慨然‥深く感じ入るさま。気力をふるい起こすさま。 ○自許‥自負、自信がある。 ○名‥名声。評判。 ○扁鵲受異人書‥扁鵲傳「長桑君……悉取其禁方書盡與扁鵲」。『索隱』「長桑君」注「隱者、葢神人」。 二オモテ ○神農‥古代中国伝説上の帝王。製薬の創始者とされる。 ○黄帝‥上古の帝王、軒轅氏。神農氏に取って代わって帝位に就く。 ○歧伯‥黄帝の臣。医学に精通し、黄帝と医学を論じ、その内容が『黄帝内經』に掲載されているとされる。「歧」は「岐」の異体。 ○伊尹‥商(殷)初期の大臣。名は摯。料理人として或る貴族に仕え、主人の娘が商の君主・子履(後の成湯、湯王)に嫁ぐ際に、その付き人として子履に仕える。そこでその才能を子履に認められ、商の国政に参与し重きを成すにいたる。『鍼灸甲乙經』序「伊尹以亞聖之才、撰用神農本艸、以爲湯液。……仲景論廣伊尹湯液爲數十卷」。これにより、湯液は伊尹が創作したとの説あり。また王好古は『伊尹湯液仲景廣為大法』(一二三四年成立)を著した。 ○仲景‥張仲景。後漢の医家。名は機。『傷寒卒病論』を著す。 ○輪扁‥車輪作りの扁という名人。経験ゆたかで、技術のすばらしいひと。3-3鍼科發揮の注を参照。 ○胠篋‥『莊子』胠篋「將為胠篋探囊發匱之盜」。 ○夜以繼日‥昼夜兼行。夜も昼のつづきをして休まないこと。『孟子』離婁下「周公思兼三王、以施四事、其有不合者、仰而思之、夜以繼日。幸而得之、坐以待旦」。『莊子』至樂「夫貴者、夜以繼日、思慮善否、其為形也亦疏矣」。 ○易‥『易經』。 ○隂陽‥万物を生ずる二種類の元素。陰気と陽気。『易經』繫辭上「陰陽不測之謂神」。 ○博士家‥平安以降、大学寮などにおける博士の職を世襲した家柄。菅原・大江・清原・中原などの各家が有名。 ○物産‥天然、人工の産物。動植物・鉱物も含めていう。 二ウラ ○某子‥男子に対する敬称。 ○甲‥某。名前を知らないひと、または故意に名前を隠すべきひと。 ○越前‥いま福井県の一部。 ○奥良筑‥奥村良筑。名は直。号は南山。 ○吐法‥毒物、宿食、病邪などを吐き気をうながす薬を用いる方法。からだの上部に疾病がある場合に用いられる。 ○◇郡‥◇は偏(左側)がはっきりせず、「頃」か「頓」の異体に見える。 ○請割……‥保留。 ○尋‥動詞ではなく副詞と解した。まもなく。 ○和蘭‥オランダ人。オランダ医学。 ○刺絡‥絡脈、静脈を刺して血を出すことにより邪気を除く治療法。 ○入貢‥外国の使節が貢ぎ物を幕府朝廷に献上すること。 三オモテ ○西洋‥ヨーロッパ。 ○侏離‥蛮夷の言語の通じないこと形容。 ○旁行‥横書き。 ○進孰‥進熟。虚美の言を進める。『史記』大宛列傳「而漢使者往既多、其少從率多進熟於天子」。 ○辟‥「譬」に通ず。 ○坤輿圖‥地図。『易經』説卦「坤為地、為母……為大輿。」大地は万物を載せること輿の如し。故に大地を「坤輿」という。 ○四海‥広く天下各所をいう。古代中国は周囲を海で囲まれていたと考えていたので、四方を「四海」という。 ○厺‥「去」の異体。 ○毫氂‥毫釐。極めて小さい数。 三ウラ ○盻々‥苦労しても休まないさま。 ○牛酒‥牛肉と酒。贈答や慰労の品として用いられた。 ○交驩‥交歡。交わりを結んでともに楽しむ。 ○手使‥手を使って。手振りで。 ○口授‥口で伝授する。 ○窮河源睹昆崙‥『史記』大宛列傳「而漢使窮河源……名河所出山曰崑崙云。……太史公曰、禹本紀言河出崑崙。……窮河源、惡睹本紀所謂崑崙者乎」。黄河の源流にたどり着いて崑崙山(カラコルム)を見る。 ○鄙言‥卑俗なことば。自分の話の謙遜語。筆者の序のことであろう。 ○徴‥人を信服させる証拠。ここでは序のことか。 ○狂夫‥愚鈍なひと。序の筆者高道昂のことであろう。 四ウラ ○勤動‥勤労。苦労して力をつくすこと。 ○復‥こたえる。 ○明和庚寅‥明和七(一七七〇)年。 ○伊勢‥いま三重県。ただし高氏と伊勢との関連が見つけられなかった。高氏の『弇州尺牘國字解』には「伊齊 高道昂伯起」とあり、「伊勢」は「伊齊」と同じく号か。『大學國字解』は「伊勢」。 ○高道昂‥高葛坡(陂)。一七二四~一七七六。江戸時代中期の儒者。享保九年生まれ。大坂から下総葛飾にうつる。石島筑波にまなび、京都で講義した。晩年、姓を王とあらためた。安永五年八月八日死去。五十三歳。名は峻。字は伯起、維岳、道昂。通称は嘉右衞門、小左衞門。別号に伊齋。著作に「弇州尺牘國字解」など(『日本人名大辞典』+Plus)。先祖は明代末に日本に来た中国人という。


刺絡編の序

夫れ醫の道は、生を好むの具、周官の守なり。

 【意訳】そもそも医学の道は,生命をいとおしむ備えであり,周の官職の一つである。

經落、骨髓、陰陽、表裡、賅(そなわ)りて存す。

 【意訳】(人体には)経絡・骨髄・陰陽・表裏が備わっている。

箴石湯火の施す所、百藥八減の宜、齊和の得ると得ざる者は、豈に他に有らんや。

 【意訳】鍼・砭石・薬湯・灸をほどこし,多数の薬を使用して,適切な調剤ができるかどうについて,他になにかあろうか。

猶お慈石の鐡を取るがごとく、己に於いて之を取るのみ。

 【意訳】慈石が鉄を引き寄せるように,自分で引き寄せるものなのである。

拙き者は理を失い、瘉を以て劇と為(し)、生を以て死と為(す)。

 【意訳】技術の拙劣な者は,治る患者の症状を悪化させ,生きながらえるはずの患者を死に至らしめる。

是れ則ち恤(うれ)う可きなり。

 【意訳】これは憂うべきことである。

荻君子元、醫を以て北陸に著(あらわ)れ、京師に移る。

 【意訳】荻野子元君は,医師として北陸地方で有名となり,京都に居を移した。

其の家翁は世々に方を受け、小兒醫と為る。

 【意訳】その家系は,代々処方を継承し,小児科医である。

醫門に疾多く、屨(くつ)、戸外に滿つ。

 【意訳】その門前には,患者が多く集まって,家の中に履き物が収まりきれないほどであった。

子元、慨然として自許して務めて業を廣め、其の家に名あり。

 【意訳】子元君は,みずから深く感じて医業を広めることにつとめて,有名となった。

嘗て曰く「吾れ扁鵲の如く異人の書を受くること能わず。

 【意訳】以前,つぎのように言ったことがある。「わたくしは,扁鵲のように異能のひとから秘法の書を授かることはできなかった。

顧(た)だ惟(おもん)みるに、神農、黄帝、岐伯、伊尹、仲景の言、具(つぶ)さに在るは即ち其の人のみ。

 【意訳】しかし考えてみると,神農・黄帝・岐伯・伊尹・張仲景のことばは,そのひとそのものにあるだけである。

吾れ第(た)だ輪扁に從い之を求むるのみ」と。

 【意訳】わたくしは,ただ『荘子』に見える車大工,輪扁のように,実践を通じて追求するだけである」。

乃ち篋(はこ)を胠(あ)け、徧(あまね)く諸書を讀み、夜以て日に繼ぐ。

 【意訳】そこで,本箱を開いて,夜となく昼となく,広く多くの書物を読んだ。

既に聞く、易を學ばず、以て陰陽を知ること無くんば、則ち博士家に從いて易を受け、物産を學ばず、以て藥石を辨ずること無くんば、則ち某處に從い物産を學ぶ。

 【意訳】『易経』を学ばなければ,陰陽のことは理解できないと聞いたので,博士家で『易経』の伝授を受け,物産について学ばなければ,薬物を判別できないと聞いたので,あるところで物産について学んだ。

某子甲、鍼砭を善くすと聞けば、則ち就きて業を某氏に受く。

 【意訳】あるひとが鍼の技術に優れていると聞くと,そのひとに師事してその技を授けてもらった。

越前の奥良筑、吐法を主り、其の術◇郡なるを聞けば、則ち就きて業を良筑に受く。

 【意訳】越前地方の奥良筑が,吐法を専門としていて,その技術が【◇郡/◇は「傾」か?】であると聞くと,師事してその技を奥良筑から伝授された。

良筑、子元を得て、大いに驚き、請割荒知以南聽子矣

 【意訳】奥良筑は,子元が弟子入りして,(その才能に)大いに驚いて,……。

尋(つ)いで又た和蘭、刺絡を善くすと聞けば、則ち毎歳、和蘭の入貢するに從い、刺絡を受く。

 【意訳】すぐまた,オランダ医学は刺絡(瀉血)の技術に長けている聞くと,毎年オランダ人が貢ぎ物を献上しに来日するのにしたがって,刺絡を学んだ。

和蘭は西洋の遠國にして、其の言は侏離、其の書は旁行なり。

 【意訳】オランダは,西洋の遠いところにある国であり,その言葉は理解不能であり,その文字は横書きである。

唯だ傳譯に依るのみ。

 【意訳】ただ通訳に頼るしかなかった。

而して譯者は率(おおむ)ね進孰す。

 【意訳】しかし,通詞はおおむね美辞麗句をならべるだけである。

我に於いて竟に和蘭の要領を得ること能わざるなり。

 【意訳】自分では,結局オランダ医学の神髄を得ることはできなかった。

辟(たと)えば坤輿圖を以て、四海を察するが若し。

 【意訳】たとえば,世界地図をみて,世界の地理を理解するようなものである。

相去ること毫氂に過ぎずして、間(へだ)つること獨り數百里。

 【意訳】地図上では数センチの間隔でしかなくとも,実際には数百キロも離れている。

之を視れば易きが若くして、之を行うこと甚だ難し。

 【意訳】一見するたやすくできそうだが,実際におこなうのは非常に困難である。

是れ子元の盻々として急を為す所以(ゆえん)なり。

 【意訳】これが荻野子元が苦労して急いだ理由である。

廼ち譯長の某氏を識(し)る。

 【意訳】そうしているうちに大通詞の某氏と知り合いになった。

某氏は輙ち牛酒を奉じて交驩す。

 【意訳】某氏にはいつも牛肉と酒を贈って交友を深めた。

譯長は手使口授して、以て技を進むる者(こと)數十條、録して編を成すに至る。

 【意訳】大通詞は身振り手振りをまじえて口授し,実技の要点,数十項目を得て,収録して書物にまとめることができた。

後の刺絡を説くは、蓋し此れ自り始む。

 【意訳】後世において刺絡を論じたのは,おそらくこれが最初であろう。

謂う所の河の源を窮めて昆崙を睹るかな。

 【意訳】いわゆる「黄河の源泉を尋ね求めて,崑崙山を実際に見る」ということだろうか。

子元は益ます自ら喜びて鄙言を得、徴を狂夫に取らんことを請う。

 【意訳】荻野子元は,わたくしの話を一層よろこんで,わたくしに証拠としてほしいと請われた。

故に余は其の勤動を述べ、以て荻君の刊行に趣くに復す。

 【意訳】そのため,わたくしは,その勤勉さを述べて,荻野君が本書を刊行した趣旨について報告する。

明和庚寅 夏四月

 【意訳】明和七年(1770)夏四月

   伊勢高道昂譔す

 【意訳】伊勢 高 道昂 あらわす


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  四ウラ

巖雄達者肥人也雄達共  倶師事吉雄子學

紅毛瘍醫術余聞其所傳紅毛刺絡事旁見其所筆

記畧洽經論惜哉斷錦屑玉未見一匹之美亦孰肻舎

諸遂演繹之作紅毛鍼書嗣後  就余學疾醫

事旦夕相見又聞其所傳間有小異同持以質之吉

雄子則出西書詳悉其事淄澠方分疑怚頓觧囙

採  之所勝裁新所聞較諸經説徵諸患者累稔

易稿又作刺絡編獨以為得經旨卷末顯効案若干

則以備考證古人云獨智難周如其不逮竢後識者

是歳明和庚寅仲春荻元凱再識


  【訓み下し】

巖雄達は、肥の人なり。雄達、共に  倶に吉雄子に師事し、紅毛の瘍醫術を學ぶ。余は其の傳うる所の紅毛刺絡の事を聞き、旁(あまね)く其の筆記する所を見る。略(ほ)ぼ經論を洽(あまね)くするも、惜しいかな、斷錦屑玉、未だ一匹の美を見ず、亦た孰(た)れか諸(これ)を舎(す)つるを肯(うべな)わん。遂に之を演繹して、紅毛の鍼書を作る。嗣後  余に就きて疾醫の事を學び、旦夕相い見(まみ)ゆ。又た其の傳うる所を聞き、間ま小しく異同有らば、持して以て之を吉雄子に質(ただ)す。則ち西書を出だし、詳らかに其の事を悉(つく)し、淄澠方(まさ)に分かち、疑い怚(ほ)ぼ頓(とみ)に解す。因って之が勝る所を採り、新たに聞く所を裁き、諸(これ)を經説に較べ、諸を患者に徴す。稔(とし)を累ね稿を易(か)え、又た刺絡編を作る。獨り以て經旨を得たりと為(す)。卷末に效案若干則を顯(あらわ)し、以て考證に備う。古人云う、獨智は周(あまね)ねきこと難し、と。其の逮(およ)ばざるが如きは、後の識者を竢(ま)つ。

是の歳 明和庚寅 仲春 荻元凱再び識(しる)す


 【注釋】

 ○巖雄達‥ ○肥‥肥州(肥前国と肥後国)。 ○雄達共‥本文には三箇所二字分空白があるが、その意図未詳。尊敬とは無関係に思われる。 ○吉雄子‥吉雄耕牛か。一七二四~一八〇〇。江戸時代中期~後期のオランダ通詞、蘭方医。享保九年生まれ。代々オランダ通詞で、寛延元年大通詞にすすむ。またオランダ商館付医師から外科医学をまなび、吉雄流外科といわれる一派をおこす。前野良澤、杉田玄白らを指導し、「解體新書」に序文をよせた。寛政十二年八月十六日死去。七十七歳。肥前長崎出身。名は永章。通称は幸左衞門、幸作。訳書に「因液發備」など(『日本人名大辞典』+Plus)。 ○紅毛‥紅毛人。江戸時代、オランダ人をよんだ語。ポルトガル人・スペイン人を南蛮人とよんだのに対していう。また、広く西洋人のこと。 ○瘍醫術‥外科医術。 ○經‥「徑」にも見えるが、文意から「經」とした。 ○斷錦屑玉‥美しい絹織物の切れ端と砕かれた宝玉。 ○匹‥絹織物を数える助数詞。 ○孰‥誰。何。 ○肻‥「肯」の異体。承知する。 ○舎‥「捨」に通ず。あるいは「おく」と訓んで「やめる」の意か。 ○演繹‥普遍的な原理をもって特殊な事象を推定する方法。 ○嗣後‥これより以後。 ○旦夕‥朝晩。 ○西書‥西洋の書籍。 ○詳悉‥詳細に知悉する。 ○淄澠‥淄水と澠水。いま、ともに山東省を流れる。両河川の水の味は異なると伝えられ、混じると判別しがたいたとえに用いられた。 ○怚‥「粗」の古字であろう。ほぼ。 ○頓‥たちどころに。 ○觧‥「解」の異体。 ○囙‥「因」の異体。 ○採‥採用する。 ○裁‥判断する。 ○徴‥検証する。証明する。 ○稔‥年。 ○稿‥原稿。 ○顯‥表現する。 ○効案‥効果のあった事案、カルテ。 ○則‥段落などを数える助数詞。 ○獨智難周‥ひとりの智慧(知っていること)は周到であるのは難しい。「獨智」は「獨知」とも。仏典の列祖提綱縁起に見えるが、これが出典かどうか未詳。 ○逮‥到達する。 ○如其‥~に関しては。また仮設をあらわす。 ○竢‥「俟」の異体。 ○識者‥見識ある者。 ○仲春‥陰暦二月。 ○再‥本書は「台州園隨筆之二」。「一」は『吐法編』。『吐法編』にも荻野の序や識語なし。なぜ「再」なのか未詳。


巖雄達は、肥の人なり。

 【意訳】巖雄達は,肥州出身のひとである(肥後国≒熊本県。肥前国≒佐賀県・長崎県)。

雄達、共に  倶に吉雄子に師事し、紅毛の瘍醫術を學ぶ。

 【意訳】巖雄達は( と)ともに吉雄氏に師事して,西洋の外科手術を学んだ。

余は其の傳うる所の紅毛刺絡の事を聞き、旁(あまね)く其の筆記する所を見る。

 【意訳】わたくしは,その伝えられた西洋の刺絡のことを聞き,その筆記された内容をくまなく読んだ。

略(ほ)ぼ經論を洽(あまね)くするも、惜しいかな、斷錦屑玉、未だ一匹の美を見ず、亦た孰(た)れか諸(これ)を舎(す)つるを肯(うべな)わん。

 【意訳】ほぼ医学経典をひろく議論しているが,残念なことに,素晴らしくもあるが断片的であって,全体的な美しさを見ることができなかった。しかしまたこれをうち捨てておくことができようか。

遂に之を演繹して、紅毛の鍼書を作る。

 【意訳】そこでわたくしは,これを敷衍して紅毛流の鍼書を作成した。

嗣後  余に就きて疾醫の事を學び、旦夕相い見(まみ)ゆ。

 【意訳】その後,巖雄達はわたくしに師事して医学を学び,毎日顔を合わせるようになった。

又た其の傳うる所を聞き、間ま小しく異同有らば、持して以て之を吉雄子に質(ただ)す。

 【意訳】またその伝えられた内容に,少しでも異なることがあったら,吉雄氏に質問した。

則ち西書を出だし、詳らかに其の事を悉(つく)し、淄澠方(まさ)に分かち、疑い怚(ほ)ぼ頓(とみ)に解す。

 【意訳】すると吉雄氏は西洋の原書を取り出して,詳細に説明してくれて,淄水と澠水の水の色の違いのようにはっきり区別ができて,疑問がほぼすぐに氷解した。

因って之が勝る所を採り、新たに聞く所を裁き、諸(これ)を經説に較べ、諸を患者に徴す。

 【意訳】そこでその優れているところを採用し,あらたに聞いた内容を加え,これを経典の説と比較し,実際に患者に検証した。

稔(とし)を累ね稿を易(か)え、又た刺絡編を作る。

 【意訳】数年かけて原稿を改訂して,また『刺絡編』を作成した。

獨り以て經旨を得たりと為(す)。

 【意訳】個人的には,医学経典の真意は得られたと思う。

卷末に效案若干則を顯(あらわ)し、以て考證に備う。

 【意訳】書末に,「効案」(症例)をいくつか掲載して,参考資料とした。

古人云う、獨智は周(あまね)ねきこと難し、と。

 【意訳】古人は,「一人の知恵だけでは,すべてを網羅することはむずかしい」といった。

其の逮(およ)ばざるが如きは、後の識者を竢(ま)つ。

 【意訳】わたくしの及ばないところは,のちの有識者が補ってくれることを期待する。

是の歳 明和庚寅 仲春 荻元凱再び識(しる)す

 【意訳】今年,明和七年(1770)二月 荻野元凱 あらためて記す


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昇平之世民飫德澤有餘於文恥学

歐蘇於醫賤慣李朱遡洄徃昔遵

循舊訓古道之盛今斯時為然吾

荻先生嘗嘆刺絡之喪世或不知也耑

據素靈旁考蠻法論次研尋作刺

絡編興疢疾於癈餘躋人暉春之

臺彼傚顰之徒不知刺有法度證有

    ウラ

當否濫執鍼臨疾甚者有瞽者行之

何以辨形色豈不嘆乎然使人〃知

刺有法證有當而不能也適先生此

書成余受而讀之法明説確以範四

方使人鮮過則不仁政之一助乎哉

是所請先生以公于世也

          陸奥 木恒徳謹識


  【訓み下し】

昇平の世、民は德澤の有餘なるに飫(あ)き、文に於いて歐蘇を學ぶを恥じ、醫に於いて李朱に慣るるを賤しむ。往昔に遡洄し、舊訓古道の盛んなるに遵循し、今ま斯(こ)の時を然りと為す。吾が荻先生は嘗(つね)に刺絡の世に喪われ、或いは知られざるを嘆くなり。耑(もつぱ)ら素靈に據り、旁(あまね)く蠻法を考え、論次研尋して刺絡編を作る。疢疾を癈より興(おこ)し、餘つさえ人を暉春の臺に躋(のぼ)す。彼の顰みに傚(なら)うの徒は、刺に法度有り、證に

    ウラ

當否有るを知らず、濫(みだ)りに鍼を執りて疾に臨む。甚だしき者は、瞽者の之を行う有り。何を以てか形色を辨ぜんや。豈に嘆ぜざらんや。然れば人々をして刺に法有り、證に當有りて、而も能くせざるを知らしむるなり。適(まさ)に先生の此の書成る。余受けて之を讀む。法明らかにして説確か、以て四方に範たりて、人をして過(あやま)ちを鮮(すく)なくせしむれば、則ち仁政の一助ならざらんや。是れ先生に請いて、以て世に公けにする所なり。

          陸奥 木恒德謹んで識(しる)す


 【注釋】

 ○昇平‥世の中が平和でよく治まっていること。 ○飫‥飽食する。満ちる、飽きる。 ○德澤‥恩恵。 ○歐‥歐陽修(一〇〇七~一〇七二)。 ○蘇‥蘇軾(一〇三六~一一〇一)。 ○李‥李東垣(一一八〇~一二五一)。 ○朱‥朱丹溪(一二八一~一三五八)。 ○遡洄‥さかのぼる。 ○遵循‥したがう。 ○舊訓古道‥ふるい教えや経典。 ○嘗‥「常」に通ず。むかしからずっと。 ○耑‥「專」と同じ。また「端(はじめ)」に通ず。 ○素‥『素問』。 ○靈‥『靈樞』。 ○旁‥広く。「もっぱら」の対表現としてはあるいは「かたわら」とも考えられるが、「かたわら」はおもに名詞として用いられる。 ○蠻法‥南蛮の技法。西洋の技術。 ○論次‥論定してならべる。 ○研尋‥研究し探求する。 ○興‥病床から起こす。いやす。 ○疢疾‥疾病。 ○癈‥病が久しく治らない。痼疾。 ○暉春‥春暉。春の陽光。 ○臺‥うてな。 ○傚顰‥效顰。自分の身もわきまえず、むやみに他人のまねをする(そして、かえって逆効果になる)こと。 ○法度‥法式。方法。 ○證有當否‥適応症と不適応症。 ウラ ○濫‥軽率に。随意に。 ○瞽者‥盲人。 ○何以‥どのようにして。反語の語気。「ない、できない」ことを示す。 ○形色‥形と色。 ○不能‥否。 ○適‥おりよく。たった今。 ○範‥手本。見習うべきもの。 ○四方‥東西南北各地。 ○過‥錯誤。過失。 ○仁政‥仁徳の政治。 ○所‥所以。ゆえん。 ○陸奥‥奥州。今日の福島県、宮城県、岩手県、青森県と、秋田県の一部にわたる地域。 ○木恒徳‥荻野元凱の門人。木村恒德。字は子愼。本書の校正者。


昇平の世、民は德澤の有餘なるに飫(あ)き、文に於いて歐蘇を學ぶを恥じ、醫に於いて李朱に慣るるを賤しむ。

 【意訳】平和な世の中では,人民は恩恵が有り余っていることにあきあきし,文学では欧陽脩や蘇軾を学ぶことを恥じ,医学では李東垣や朱丹渓の治療法に慣れることを卑しいと思う。

往昔に遡洄し、舊訓古道の盛んなるに遵循し、今ま斯(こ)の時を然りと為す。

 【意訳】昔にさかのぼって,盛んであった古い教えに従うのは,いまがまさしくその時なのである。

吾が荻先生は嘗(つね)に刺絡の世に喪われ、或いは知られざるを嘆くなり。

 【意訳】われわれの荻野先生は,刺絡という治療法が世の中から失われ,知られなくなってしまったことを常に嘆いていた。

耑(もつぱ)ら素靈に據り、旁(あまね)く蠻法を考え、論次研尋して刺絡編を作る。

 【意訳】もっぱら『素問』『霊枢』にもとづき,ひろく西洋の手法を考究し,検討研究を重ねて,『刺絡編』を作成した。

疢疾を癈より興(おこ)し、餘つさえ人を暉春の臺に躋(のぼ)す。

 【意訳】寝たきりだった病人を癒やして立ち上がらせ,それだけでなく春の光輝く台(うてな)に登らせたのである。

彼の顰みに傚(なら)うの徒は、刺に法度有り、證に當否有るを知らず、濫(みだ)りに鍼を執りて疾に臨む。

 【意訳】(しかし)荻野先生のまねをする輩(やから)は,刺絡には手法があり,適応・不適応の証があることを知らず,みだりに鍼を持って患者に応対する。

甚だしき者は、瞽者の之を行う有り。

 【意訳】なかには盲人でさえ,刺絡をおこなうものがある。

何を以てか形色を辨ぜんや。

 【意訳】目が見えないのに,どうやって状態や顔色を判断できるのか。

豈に嘆ぜざらんや。

 【意訳】嘆かわしいことである。

然れば人々をして刺に法有り、證に當有りて、而も能くせざるを知らしむるなり。

 【意訳】だから,人々に刺絡には手法があり,適応症・禁忌症というのがあるのを知らせたのである。

適(まさ)に先生の此の書成る。

 【意訳】折良く先生のこの書物が完成した。

余受けて之を讀む。

 【意訳】わたくしは,受け取って拝読した。

法明らかにして説確か、以て四方に範たりて、人をして過(あやま)ちを鮮(すく)なくせしむれば、則ち仁政の一助ならざらんや。

 【意訳】手法が明確に述べられており,諸国天下の手本となり,これによって医療過誤が少なくなれば,恵み深い政治のいささかの助けとなるのではないか。

是れ先生に請いて、以て世に公けにする所なり。

 【意訳】これが先生にお願いして,(出版して)世の中に公表した理由である。

          陸奥 木恒德謹んで識(しる)す

 【意訳】陸奥 木村恒徳 つつしんで記す