2026年11月1日日曜日

17-5 江戸時代鍼灸文献序跋集 經穴示蒙

 17-5 經穴示蒙  西村公密撰 

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一八)

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經穴示蒙序

經絡兪穴之義昉于素靈難     

經厯世祖述焉葢經絡兪穴

在人身也推其所出在藏府

内藏府活機固不可測知也

先輩之諸説愈多愈誤余

嘗有志于此學然寒郷乏

師友丙寅之夏陪扈吾 公

  一ウラ

來于 江戸羈寓于邸中一年

許僚友有西村先生者博學

洽聞醫家蘊奥無不研窮

余遊其門親炙有日教育殊

厚不亦感戴乎我

本邦近世有一家之醫流其

爲學也捷徑而疎漏不取陰陽

不論藏府以素難爲僞造

  二オモテ

爲迂濶其説曰醫之學唯方

而已於是乎黄岐之道隱焉

經絡兪穴之義廢焉所謂舎

其本根取其枝葉皮之不存

毛將安屬焉先生憂之乃正

經絡督兪穴辨駁後人之

紕繆採摭古先之正説作一小

册題曰經穴示蒙欲使世醫

  二ウラ

興志於古醫道也古人云興廢

繼絶此之謂也

文化丁卯春日

  越後 杏所神岡謙識

    〔印形白字「謙」、黒字「◇/◇」〕


  【訓み下し】

經穴示蒙の序

經絡兪穴の義、素靈難經に昉(はじ)まり、歴世、焉(これ)を祖述す。蓋し經絡兪穴、人身に在るなり。其の出づる所を推せば、藏府の内に在り。藏府の活機、固(もと)より測知す可からざるなり。先輩の諸説、愈いよ多くして愈いよ誤まる。余、嘗て此の學に志有り。然れども寒郷、師友に乏し。丙寅の夏、吾が公に陪扈し、

  一ウラ

江戸に來たる。邸中に羈寓すること一年許(ばか)り。僚友に西村先生なる者有り。博學洽聞、醫家の蘊奥、研窮せざること無し。余、其の門に遊び、親炙すること日有り、教育殊に厚し。亦た感戴せざるや。我が本邦に近世、一家の醫流有り。其の學爲(た)るや、捷徑にして疎漏なり。陰陽を取らず、藏府を論ぜず。素難を以て僞造と爲し、

  二オモテ

迂濶と爲す。其の説に曰く、醫の學は唯だ方のみ、と。是(ここ)に於いて、黄岐の道隱れ、經絡兪穴の義廢る。謂う所の其の本根を舎(す)て、其の枝葉を取る、皮の存ぜずんば、毛將(は)た安(いず)くにか屬(つ)かん。先生、之を憂いて、乃ち經絡を正し、兪穴を督(ただ)し、後人の紕繆を辨駁し、古先の正説を採摭して、一小册を作る。題して經穴示蒙と曰う。世醫をして

  二ウラ

志を古き醫道に興こさしめんと欲すればなり。古人云う、廢を興こし絶を繼ぐ、と。此の謂(いい)なり。

文化丁卯の春日

  越後 杏所神岡謙識(しる)す


 【注釋】

 ○祖述‥前人の学術や行動をならいしたがう。 ○活機‥開閉。機微。 ○寒郷‥貧しくわびしい土地。 ○丙寅‥文化三(一八〇六)年。 ○陪扈‥殿のお供をする。 一ウラ ○羈寓‥寄居する。 ○邸‥藩邸。 ○僚友‥同じ仕事にたずさわる友人。 ○西村先生‥西村玄周。字は公密。本書の撰者。 ○博學洽聞‥学問のはばがひろく、見識が豊富である。 ○蘊奥‥学問のもっとも深いところ。奥義。 ○研窮‥研究。問題になる事柄について深く調べ考えて内容をあきらかにする。 ○遊‥遊学する。学ぶために行く。 ○親炙‥直接指導を受ける。 ○有日‥多日。長い間。 ○感戴‥感激し敬愛する。目上のひとの徳の恵みに感じて尊敬する。 ○捷徑‥簡便な近道。正規にしたがわず、早く目的に達する方法。以下、古方派に対する批判。 二オモテ ○迂濶‥迂闊。思想言行が実際に合致しない。 ○醫之學唯方而已‥吉益東洞『類聚方』自序「醫之學也方焉耳」。 ○黄岐‥黄帝と岐伯。医家の祖。のちに医道の比喩として用いられる。 ○所謂‥『傷寒論』序「祟飾其末、忽棄其本、華其外、而悴其内、皮之不存、毛將安附焉」。 ○督‥正し直す。 ○紕繆‥錯誤。 ○採摭‥拾い取る。 ○世醫‥何代にもわたり医業を行っているひと。 二ウラ ○興廢繼絶‥滅亡に瀕する、あるいは滅亡した国家をたすけ、伝承を復興させる。『文選』班固『兩都賦』序「以興廢繼絶、潤色鴻業」。『論語』堯曰「興滅國、繼絶世」。 ○文化丁卯‥文化四(一八〇七)年。 ○越後‥いま新潟県(佐渡を除く)のあたり。 ○杏所神岡謙‥


經穴示蒙の序

經絡兪穴の義、素靈難經に昉(はじ)まり、歴世、焉(これ)を祖述す。

 【意訳】経絡と腧穴の意義は,『素問』『霊枢』『難経』から始まり,歴代これを継承して,述べ伝えている。

蓋し經絡兪穴、人身に在るなり。其の出づる所を推せば、藏府の内に在り。

 【意訳】思うに,経絡と腧穴は人体にあるが,その出所を推し量れば,蔵府の内部にある。

藏府の活機、固(もと)より測知す可からざるなり。

 【意訳】蔵府の生命活動の微妙な働きは,本来計り知ることができないものである。

先輩の諸説、愈いよ多くして愈いよ誤まる。

 【意訳】(そのため)先人たちが多く説を唱えれば唱えるほど,いよいよ誤りが多くなった。

余、嘗て此の學に志有り。然れども寒郷、師友に乏し。

 【意訳】わたくしは,以前から医学を学ぼうと思っていたが,田舎のために先生にも友人にも恵まれなかった。

丙寅の夏、吾が公に陪扈し、江戸に來たる。

 【意訳】文化三年(1806)の夏に,わが殿のお供として,江戸に出てきた。

邸中に羈寓すること一年許(ばか)り。僚友に西村先生なる者有り。

 【意訳】藩邸に仮住まいすること,一年ほど,同僚に西村先生という方がいらっしゃった。

博學洽聞、醫家の蘊奥、研窮せざること無し。

 【意訳】学問の幅が広く,見識が豊かで,医家の奥義を余すところなく研究し尽くしていた。

余、其の門に遊び、親炙すること日有り、教育殊に厚し。亦た感戴せざるや。

 【意訳】わたくしは弟子入りして,直接長いこと薫陶を受けた。教育熱心で,こころから感激し敬愛している。

我が本邦に近世、一家の醫流有り。其の學爲(た)るや、捷徑にして疎漏なり。

 【意訳】我が国で近頃,ある一派の医師たちがいる。その医学は,正道によらない手近な方法を用いて,お粗末である。

陰陽を取らず、藏府を論ぜず。素難を以て僞造と爲し、迂濶と爲す。

 【意訳】陰陽説を採用せず,蔵府を研究することもしない。『素問』『難経』を偽物だとし,実情に適さないとする。

其の説に曰く、醫の學は唯だ方のみ、と。

 【意訳】その説では,「医学は処方さえあれば,それでよい」という。

是(ここ)に於いて、黄岐の道隱れ、經絡兪穴の義廢る。

 【意訳】こうして黄帝と岐伯が興こした医道は隠れて見えなくなり,経絡・腧穴の意義も廃れてしまった。

謂う所の其の本根を舎(す)て、其の枝葉を取る、皮の存ぜずんば、毛將(は)た安(いず)くにか屬(つ)かん。

 【意訳】いわゆる「その根本を棄て去って,その枝葉という末端を取る。皮膚がなければ,毛はいったいどこに付着すればいいのか」である。

先生、之を憂いて、乃ち經絡を正し、兪穴を督(ただ)し、後人の紕繆を辨駁し、古先の正説を採摭して、一小册を作る。題して經穴示蒙と曰う。

 【意訳】西村先生は,この事態を憂慮された。そこで経絡と腧穴の説を正しく直し,後世の人の誤りに反論し,古人の正しい説を拾い取って,一冊にまとめられた。そして『経穴示蒙〔初心者に教え示す〕』と名づけられた。

世醫をして志を古き醫道に興こさしめんと欲すればなり。

 【意訳】世の中の医者たちに,古い医道への志を盛んにさせようと思ったからである。

古人云う、廢を興こし絶を繼ぐ、と。此の謂(いい)なり。

 【意訳】昔の人が言った,滅亡に瀕したものを復興し,伝承を受け継ぐ,とは,こういう意味である。

文化丁卯の春日

 【意訳】文化四年(1807)の春の日

  越後 杏所神岡謙識(しる)す

 【意訳】越後の杏所 神岡謙 記す


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凡例

一此書專以内經爲主甲乙經次之且傍採摭諸家

 之説以爲童蒙學經穴捷徑

一經穴次第十之八九仍舊其如雲門中府及經渠

 大淵列缺不得已易其次

一五里舊収于大腸經今移置于肺經天容舊収于

 小腸經今移置于膽經其他猶有可疑者仍舊不

 改以俟後之君子

   一ウラ

一脱名穴舊闕而不載焉今取以列次

一稱傳曰者本邦古來諸名家之説多所聞諸先師

 驪恕公者也


          西村公密識

           〔印形黒字「西村/密印」、白字「玄/周」〕


  【訓み下し】

凡例

一、此の書專ら内經を以て主と爲(し)、甲乙經もて之に次(つ)ぐ。且つ傍ら諸家の説を採摭し、以て童蒙、經穴を學ぶの捷徑と爲(す)。

一、經穴の次第は十の八九は舊に仍(よ)る。其の雲門、中府及び經渠、大淵、列缺の如きは、已むを得ず其の次を易う。

一、五里、舊くは大腸經に收むるも、今ま肺經に移し置く。天容、舊くは小腸經に收むるも、今ま膽經に移し置く。其の他猶お疑う可き者有るも、舊に仍り改めず、以て後の君子を俟(ま)つ。

   一ウラ

一、脱名穴、舊くは闕して載せず。今ま取るに列次を以てす。

一、傳に曰くと稱する者、本邦古來の諸名家の説、多く諸(これ)を先師驪恕公に聞く所の者なり。


          西村公密識(しる)す


 【注釋】

 ○其次‥その次序。順序。ならび。 一ウラ ○脱名‥本書二十二丁表、天柱の次にあり。 ○先師‥今は亡き師。 ○驪恕公‥目黒道琢(一七三九~九八)。名は尚忠。字は恕公、あるいは道琢。号は飯溪。「めぐろ」の地名の由来に「馬畦(めくろ)」説あり。『説文解字』「驪、馬深黑色」。 ○西村公密‥玄周。著書に『春靄録』(文化二年序)。書末の「谷王亭著書目録」には、他に『奇兪便蒙』『八十一難經講録』『禇氏遺書注』あり。


凡例

一、此の書專ら内經を以て主と爲(し)、甲乙經もて之に次(つ)ぐ。且つ傍ら諸家の説を採摭し、以て童蒙、經穴を學ぶの捷徑と爲(す)。

 【意訳】○本書〔に掲載した経穴〕は,『黄帝内経』の記載を第一とし,〔『黄帝内経』に記載がない経穴は〕それに次ぐものとして『鍼灸甲乙経』の記載を挙げる。かつまた,多くの専門家の説を拾い取って,初心者が経穴学を学ぶための近道としたものである。

一、經穴の次第は十の八九は舊に仍(よ)る。其の雲門、中府及び經渠、大淵、列缺の如きは、已むを得ず其の次を易う。

 【意訳】○経穴を掲載する順序は,十中八九,旧来の〔『十四経発揮』の〕配列に依る。ただし,雲門と中府,経渠・大淵・列欠など,その順番をやむを得ず変えたものがある。

 ★本書の並び順。肺手太陰經穴:「雲門→中府→天府→侠白→五里→尺沢→孔最→経渠→大淵→列欠→魚際→少商」。

一、五里、舊くは大腸經に收むるも、今ま肺經に移し置く。天容、舊くは小腸經に收むるも、今ま膽經に移し置く。其の他猶お疑う可き者有るも、舊に仍り改めず、以て後の君子を俟(ま)つ。

 【意訳】○五里穴は,旧来大腸経の所属とされてきたが,今回,肺経に移動した。天容穴は,旧来小腸経の所属とされてきたが,今回,胆経に移動した。そのほかにも疑わしい穴があるが,旧例にしたがって改めなかった。後世の人格学識のすぐれた人が補ってくれることを期待する。

一、脱名穴、舊くは闕して載せず。今ま取るに列次を以てす。

 【意訳】○名称を欠いている穴(脱名穴)については,旧来経穴書には掲載されなかったが,今回は順番にしたがって掲載した。

 ★膀胱足太陽経穴:「天柱→脱名→大杼→風門……」。

一、傳に曰くと稱する者、本邦古來の諸名家の説、多く諸(これ)を先師驪恕公に聞く所の者なり。

 【意訳】○「伝曰」と書いてあるのは,我が国に古来から伝わる名だたる専門家たちの説である。その多くは,亡くなられた吾が師,目黒道琢先生から伺ったものである。


          西村公密識(しる)す

 【意訳】西村 公密 記す