2012年9月19日水曜日

『黄帝八十一難經輯釋備考』その2

小引
醫之臨證也四診弗可廢一而切以決之耳矣今世
或有以切脉而試醫之功拙者又或有唱無言而察
證之法者二者皆非也蓋今之習俗病者邀醫則醫
亦輒望聞問之外先以三指按察爲要務矣不爾則
人人倶莫不怪異故三部九候之診法弗得不從越
人也上古之法非不講但不施於行事耳余稟賦無
記性而又多病且壯時爲衣食所役不遑讀書故腹
笥弗藏片言隻字雖偶披卷帙而鈍質不才終不能
得綱領是以學無定見古經之難通者大率據前人
之説參五錯綜欲以質諸人然且學且治則先以切
於今日者爲下手之肇矣顧若夫脉法則比之内經
三部九候則爲最切於今日乃省診之餘暇先理是
經毎篇徴之素靈傍及張氏之書又會衆説以折衷
之或後世諸家之説亦有切於今日者則併攷焉又
不揣疏謬附以鄙見專以切於今日爲要務遂成二
册子吁嗟固陋寡聞不足以爲編也爾後屢罹篤疾
心神益晦終致廢棄久之頃者撿舊簏而偶得是稿
乃取閲之回顧昔時恍如隔世況今逼耄耋不能再
加刪定但閑獨之夜自繕寫以爲銷間之資云上章
閹茂仲春梧隂病叟誌宜雨閑房燈下

 【訓讀】
   小引
醫の證に臨むや、四診、一として廢す可からざるも、而も切して以て之を決するのみ。今世、或いは切脉を以てして醫の功拙を試みる者有り、又た或いは無言にして證を察するの法を唱うる者有り。二者皆(とも)に非なり。蓋し今の習俗、病者、醫を邀(むか)うれば、則ち醫も亦た輒ち望聞問の外、先づ三指を以て按察するを要務と為す。爾(しか)らずんば、則ち人人倶に怪異せざるは莫し。故に三部九候の診法は、越人に從わざるを得弗(ざ)るなり。上古の法、講ぜざるに非ず、但だ事を行うに施さざるのみ。余、稟賦に記性無く、而して又た多病にして、且つ壯時は衣食の役する所と為り、讀書に遑(いとま)あらず。故に腹笥に片言隻字も藏せず。偶たま卷帙を披(ひら)くと雖も、鈍質不才にして終(つい)に綱領を得ること能わず。是(ここ)を以て學に定見無し。古經の通じ難き者は、大率(おおむね)前人の説に據り、參五錯綜すれば、以て諸(これ)を人に質(ただ)さんと欲す。然して且つ學び且つ治するは、則ち先づ今日に切なる者を以て、下手の肇と為す。顧(もと)より夫(か)の脉法の若きは、則ち之を内經の三部九候に比すれば、則ち今日に最も切と為す。乃ち省診の餘暇、先づ是の經を理(おさ)め、篇毎(ごと)に之を素靈に徴し、傍ら張氏の書に及び、又た衆説を會して、以て之を折衷す。或いは後世諸家の説も、亦た今日に切なる者有れば、則ち併せて焉(これ)を攷ふ。又た疏謬を揣(はか)らず、附するに鄙見を以てし、專ら今日に切なるを以て要務と為す。遂に二册子と成る。吁嗟(ああ)、固陋寡聞にして、以て編と為すに足らず。爾(しか)る後(のち)屢(しば)しば篤疾に罹(かか)り、心神益ます晦(くら)し。終(つい)に廢棄を致して之を久しうす。頃者(このごろ)舊(ふる)き簏(はこ)を撿して、而して偶たま是の稿を得たり。乃ち取りて之を閲(み)る。昔時を回顧して、恍として隔世の如し。況んや今ま耄耋に逼(せま)り、再びは刪定を加うること能わず。但だ閑獨の夜、自ら繕寫し、以て間を銷(け)すの資と為すと云う。上章閹茂仲春、梧隂病叟、宜雨閑房の燈下に誌(しる)す

 【注釋】
○小引:文章あるいは書籍の前におかれる簡単な説明文。著作の縁起などがしるされる。
○醫:医者。 
○臨證:診断する際は。/證:病症、症候。証拠・事実にもとづき、表明・判断する。 
○四診:望・聞・問・切という四種類の診察法。 
○切:切診。四診の一つ。医者は手指をもって病人の体表を、触れ、叩き、押すなどして弁証のための情報をえる。ここでは、そのなかの脈診(動脈にふれて、病情とその変化をうかがう)をいう。 
○決:証を決定する。 
○今世:現代。 
○功拙:巧拙。うまいかへたか。 
○唱:「倡」に通ず。提唱する。唱導する。 
○無言:会話を交わさず。問診せず。 
○察:仔細に考える。仔細に監査する。理解する。察知する。 
○蓋:およそ。思うに。 
○習俗:習慣、風俗。 
○病者:病人。 
○邀:まねく。 
○輒:そのたびごとに。いつも。 
○望:望診。診断学用語。四診の一つ。視覚により病人の表情・形態・体表各部や舌と舌苔、大小便およびその他の分泌物などを観察し、それにより疾病とかかわる弁証材料をえる。一般に顔の表情を診ることと舌を診ることに重点をおく。 
○聞:聞診。診断学用語。四診の一つ。音声をきくことと、においをかぐことの二つの面をふくむ。音声をきくとは、病人のこえ・ことば・呼吸・せき・嘔吐・しゃっくり・げっぷ・ためいき・うめき・腸鳴などの音の変化を診察することである。においをかぐとは、病人の身体から発せられる各種の臭気、分泌物や排泄物のにおいをかぐことにより、寒熱虚実や病変部位を判断する助けとする。 
○問:問診。診断学用語。四診の一つ。患者の既往症、家族の病歴、病気の原因、発病の経過および治療過程などをたずね、現在のおもな疼痛の所在、自覚症状、飲食の好き嫌いなどの情況と照らし合わせる。望診、聞診、切診とともに総合的に分析して診断をおこなう。 
○三指:第二・第三・第四指の三本の指。 
○按察:(動脈を)圧迫して診察する。 
○要務:重要なことがら。大切な任務。 
○不爾:そうでなければ。そうしなければ。 
○人人:あらゆるひと。みな。 
○倶:すべて。 
○莫不:皆。~しないものはない。 
○怪異:驚き不思議がる。 
○三部九候之診法:脈診の術語。①全身遍診法。頭部、上肢、下肢の三部の脈を診る。それぞれの部に上・中・下の動脈があり、各部位の脈に大・小・遅・数が単独であらわれれば、該当する経の臓気に寒熱虚実の変化を示していることになる。くわしくは、『素問』三部九候論(20)などを参照。 
②寸口診法。寸口の脈を寸・関・尺の三部に分け、それぞれの部で、軽・中・重の指の力で脈をおさえて浮・中・沈に分けて診る。『難経』十八難。ここでは、②をいう。 
○越人:秦越人。『難経』の撰者。扁鵲とされる。 
○上古:遠く古き時代。おおく秦、漢以前。 
○非不……但不施於行事:非常に古い診察法は、講義学習しないわけではないが、実際の診察では使っていない、という意味か。 
○余:われ。 
○稟賦:天賦。天からさずかったうまれつきの性質・才能。 
○記性:記憶力。 
○壯時:三十歳のころ。 
○衣食:衣服と食物。生活の必要品。 
○役:働かせる。為A所B。AによってBされる。受け身。生活に追われて。 
○不遑:暇、時間がない。 
○腹笥:腹中に記憶された書籍、学問。「笥」は書箱。 
○片言隻字:少しの文字。 
○披:ページをめくる。開く。 
○卷帙:巻物と、書籍を守る外装、ケース、袋など。あわせて書籍をいう。 
○鈍質:愚鈍。天から授かった資質はおろかで。 
○不才:非才。才能がない。 
○綱領:大綱要領。全体と要点。 
○是以:したがって。そのため。 
○定見:一定の、確定した主張、見解。 
○古經:古い医経。『黄帝内経』『難経』など。 
○大率:大概。大抵。 
○參五錯綜:『易經』繫辭上:「參伍以變、錯綜其數。」「參」と「五」は変化不定の数。「錯綜」は入りまじえたり、まとめたりする。また、複雑に入り交じる。 
○欲:しようともとめる。したがる。必要とする。 
○質:質問する。問い明かす。 
○諸:「之」「於」二字の合音。 
○人:他人。別のひと。 
○且學且治:且A且B:AしながらBする。/治:治療する。研究する。 
○切:切実。差し迫った。 
○今日:目前、現在。 
○下手:知識や技能の低く劣っている(もの)。 
○肇:はじめ。 
○顧:当然。 
○若夫:若其。文頭におかれる助詞。感嘆詞。接続詞。順接、逆接、両方あり。~に関しては。「モシソレ」とも訓(よ)む。 
○脉法:『難経』の脈法。 
○内經:『黄帝内経』。ここでは『素問』。 
○乃:そこで。 
○省診:診察。 
○理:おさらいする。復習する。 
○徴:検証する。たしかめる。 
○素靈:『素問』『霊枢』。 
○張氏之書:張介賓『類経』。 
○會:集め合わせる。 
○衆説:多くの学説。 
○折衷:折中。行き過ぎと不足を調節し、理に合ったものとする。異なる意見を協調させて多くのひとに受け容れやすいものとする。 
○不揣:身のほど知らず。謙遜語。 
○疏:おろそか。 
○謬:あやまり。 
○鄙見:自分の意見を謙遜していう。いやしい見解。 
○册子:装丁された本。 
○吁嗟:感嘆詞。 
○固陋:見聞がせまく、かたくな。 
○寡聞:見聞がすくなく、学識に乏しい。 
○編:書籍。 
○爾後:その後。 
○篤疾:重症。不治の病。中風により、右半身不随となり、さらに片方失明した。 
○心神:精神状態。考える力。 
○晦:はっきりとはたらかない。不明瞭。 
○廢棄:利用価値がうしなわれたため、すてるbr /> r /> ○久之:時間がしばらく経過する。長い時間がたつ。 
○頃者:ちかごろ。 
○撿:「檢」に通ず。点検する。 
○簏:竹を編んだ箱。「書簏」は書箱。 
○稿:書かれた文章。特に草稿。 
○閲:みる。 
○回顧:回想する。 
○昔時:往きし日。過去。 
○恍如隔世:人事や景色のうつりかわりが、一世代をへだてていることを彷彿とさせるさま。/恍如:あたかも。 
○況:ましてや。まさに。 
○耄耋:高齢。「耄」は八、九十歳。「耋」は七十歳。 
○刪定:修改して確定する。/刪:削除する。 
○閑獨:しずかにひとりでいる。 
○繕寫:書きうつす。 
○銷:ついやす。消費する。 
○間:「閑」に通ず。ひま。あいま。 
○資:材料。たすけ。 
○云:文末に置かれる助詞。意味なし。しいていえば、「かくのごとし」。 
○上章閹茂:庚戌。嘉永三(1850)年か。清川愷は寛政四(1792)年生まれ。/上章:『淮南子』天文訓「在庚曰上章」。『爾雅』釋天「在庚曰上章」。/閹茂:『淮南子』天文訓「太陰在戌、歲名曰閹茂」。 
○仲春:陰暦の二月。 
○梧隂:清川愷の号。 
○病叟:病をもつ年老いた男。 
○誌:記録する。しるす。 
○宜雨:王育林ら点校『難経輯釈備考』(学苑出版社、2012)は「雨」を「兩」とするが、「宜兩閑房」は難解。おそらく、李漁(1610年-1680年)の詩『伊園十二宜』にある「宜雨」にもとづくと思われる。与謝蕪村に十宜帖(川端康成記念館蔵、国宝)があり、日本では著名。詩は「宜春・宜夏・宜秋・宜冬・宜曉・宜晩・宜晴・宜陰・宜雨・宜風」の十宜しかない。それで蕪村の図は「十宜」。「二宜」はなくなったか、このままでいいのか、不詳。宜雨「小漲新添欲吼灘、漁樵散雲野蓑寒。溪山多少空濛色、付與詩人獨自看。」 
○閑房:しずかな家、居室。「宜雨閑房」は清川愷の室号、斎号か。 
○燈下:あかりのした。

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