經穴彙觧叙
余重表弟山崎子政(善)世以針
科仕
朝尤妙手爪之運見為侍醫兼醫
學教諭嘗語余曰靈素之外眀
堂尚矣甲乙収而傳焉繼之有
一ウラ
徐叔嚮秦承祖甄權等書俱係
于亡佚是可惜也宋仁宗倣貞
觀故事命翰林醫官王惟一撰
定銅人鍼灸圖經於是三隂三
陽合任督而為十四孔穴三百
六十五其義始備矣元滑壽著
二オモテ
發揮一依忽公泰金蘭循經云
忽氏之書此間無傳然攷其文
正與銅人同則循經全採之于
銅人而滑氏不及寓目於銅人
也自此而降各家撰述頗多得
失互存後學不能無迷今本之
二ウラ
於靈素甲乙參之於銅人圖經
而上自千金外臺下至眀清諸
書蒐羅衆說會粹精要正之以
經衇流注量之以尺度分寸揣
之以宍郄骨間動脈宛宛中則
莫有孔穴乖錯之弊眀堂之能
三オモテ
事畢矣若夫方圓迎隨之微吹
雲見蒼之妙則在於得之心手
豈可言傳耶
水藩侍醫原子子柔撰經穴彙
解八卷纂廿有餘家之說考証
辨訂定為一家之學以嘉惠後
學殆與子政之言符蓋其用心
也勤矣書已上梓以問序于余
余非顓門故昧乎經兪之義焉
得措辭然子柔在數百里之外
懇請不已囙綴所聞於子政掲
于卷端以諗讀斯書者云
文化四年歳在丁卯仲春上澣
東都醫官督醫學丹波元簡撰
水戸藩 扈從士員立原任書
【書き下し】
『經穴彙解』叙
余が重表弟山崎子政(善),世々針科を以て朝に仕え,尤も手爪の運に妙にして,侍醫兼醫學教諭と為(せ)らる。嘗て余に語って曰く,『靈』『素』の外,『明堂』尚し。『甲乙』收めて傳う。之を繼ぐに,徐叔嚮、秦承祖、甄權等の書有るも,俱に亡佚に係る。是れ惜しむ可きかな。宋の仁宗,貞觀の故事に倣い,翰林醫官の王惟一に命じて『銅人鍼灸圖經』を撰定せしむ。是(ここ)に於いて三陰三陽,任督と合して十四と為り,孔穴三百六十五,其の義始めて備わる。元の滑壽,『發揮』を著わす。一に忽公泰の『金蘭循經』に依ると云う。忽氏の書,此の間傳わること無し。然れども其の文を攷うるに,正に『銅人』と同じ。則ち『循經』,全く之を『銅人』に採る。而して滑氏は『銅人』を寓目するに及ばざるなり。此れ自り降りて,各家の撰述頗る多く,得失互いに存し,後學迷うこと無きこと能わず。今ま之を『靈』『素』『甲乙』に本づき,之を『銅人圖經』に參ず。而して上は『千金』『外臺』自り,下は明清の諸書に至るまで,衆說を蒐羅し,精要を會粹す。之を正すに經脈流注を以てし,之を量るに尺度分寸を以てし,之を揣(はか)るに肉郄、骨間、動脈、宛宛たる中を以てすれば,則ち孔穴乖錯の弊有ること莫し。『明堂』の能事畢れり。若し夫れ方圓迎隨の微、雲を吹き蒼を見るの妙は,則ち之を心手に得るに在り。豈に言い傳うる可けんや。
水藩侍醫原子子柔,『經穴彙解』八卷を撰す。廿有餘家の説を纂(あつ)めて,考證辨訂し,定めて一家の學と為す。以て後學を嘉惠すること,殆ど子政の言と符す。蓋し其の用心や勤めたり。書已に上梓し,以て序を余に問う。余,顓門に非ず。故に經兪の義に昧し。焉(いず)くんぞ辭を措くを得ん。然れども子柔,數百里の外に在って懇請して已(や)まず。因って子政に聞く所を綴って卷端に掲げ,以て斯の書を讀む者を諗(つ)ぐと云う。
文化四年,歳は丁卯に在り,仲春上澣
東都醫官督醫學丹波元簡撰す
水戸藩 扈從士員立原任書す
【注釋】
○經穴彙觧:「觧」は「解」の異体。原南陽(はらなんよう)(1752~1820)の著になる針灸経穴学書。全8巻。享和3(1803)年自序、文化4(1807)年多紀元簡(たきもとやす)序、刊。嘉永7(1854)年再刻。本書は,『甲乙経(こうおつきょう)』を骨子とし、中国・日本の歴代医書を引用して経穴・経脈を解説する。江戸後期の代表的経穴学書として流布した。『鍼灸典籍大系』『鍼灸典籍集成』に影印収録。東方会(1974)や中医古籍出版社(1982)からの影印本も出ている(『日本漢方典籍辞典』)。 ○重表弟:父の女のいとこの子(『大漢和辞典』)で,自分より年少の男子。/表弟:父の姉妹の子と母の兄弟姉妹の子。父の兄弟の子以外のいとこ(『漢辞海』第三版),自分より年少の男子。 ○山崎子政(善):山崎菁園。名は次善,字は子政,通称は宗徳,宗運。山崎氏五代目。初代宗円次氏,鍼治を善くするところから医師に列せらる。三代宗円次茂,多紀元悳(元簡の父)の女を妻(次善の母)とす。元簡の甥。法眼。子なく,養子は元悳の第四子(元簡の弟)(『多紀氏の事蹟』)。 ○世:代々。よよ。 ○仕朝:朝廷(幕府)に仕官する。「朝」字が,一字擡頭されているため,この行,一字多い。 ○尤妙手爪之運:鍼の手さばき,腕が非常にすぐれている。/手爪:手指。『後漢書』趙壹傳:「鍼石運乎手爪」。注:「古者以砭石為鍼。凡鍼之法,右手象天,左手法地,彈而怒之,搔而下之,此運手爪也」。 ○侍醫:寛政元年(1789),奥医師に列す。 ○兼醫學教諭:寛政四年(1792),医学館世話役。「兼」字,闕筆。丹波兼康にたいする避諱か。未詳。 ○靈素:『霊枢』『素問』。 ○眀堂:「眀」は「明」の異体。『明堂経』(『黄帝明堂経』また『明堂孔穴』)。 ○尚:ひさし(古い)。たっとし(尊ぶ)。おそらく,前者。 ○甲乙:『黄帝三部鍼灸甲乙経』。『素問』と『九巻』(『霊枢』)と『明堂』の三部からなる鍼灸書。 ○徐叔嚮:劉宋の医家。『鍼灸要鈔』を撰す。徐嗣伯の父。 ○秦承祖:劉宋の医家。『偃側雑鍼灸経』『偃側人経』『明堂図』等を撰す。『黄帝内経太素』卷十一·気穴に「近代,秦承祖『明堂』」とあり。 ○甄權:隋唐の医家。『明堂人形図』『鍼経鈔』等を撰す。 ○宋仁宗:北宋第4代皇帝。趙禎。在位1022~63年。 ○貞觀故事:貞観は,唐の太宗の年号(627~649)。孫思邈は勅を奉じて,甄権等の著作を参考にして『明堂三人図』を新たに撰した。 ○翰林醫官王惟一:北宋の医家。王惟德とも。朝散大夫,殿中省尚薬奉御騎都尉。天聖五年(1027),鍼灸銅人形を鋳造した。 ○銅人鍼灸圖經:天聖四年,夏竦序。『銅人腧穴鍼灸図経』三巻。 ○三隂三陽:「隂」は「陰」の異体。手足三陰三陽の十二経。 ○任督:奇経の任脈と督脈。 ○孔穴:腧穴。『千金方』に見える用語。 ○三百六十五:『素問』氣穴論「氣穴三百六十五,以應一歲,……凡三百六十五穴,鍼之所由行也」。腧穴の概数。 ○元滑壽:約1304~1386。字は伯仁。晩年,攖寧生と号す。『素問鈔』『難経本義』等を撰す。 ○發揮:『十四経(絡)発揮』。三巻。 ○忽公泰:銭曾『読書敏求記』医家:「忽先生金蘭循經取穴圖解一卷。忽先生,名公泰,字吉甫,元翰林集賢直學士、中順大夫」。高武『鍼灸聚英』集用書目:「金蘭循經,元翰林學士忽泰必列所著」によれば,「公」は,名の一部ではなく,尊称。 ○金蘭循經:高武『鍼灸聚英』集用書目:「大德癸卯平江郡文學巖陵邵文龍為之序。首繪藏府前後二圖,中述手足三陰三陽走屬,繼取十四經絡流注,各為註釋,列圖於後。傳之北方,自恆山董氏鋟梓呉門,傳者始廣。自滑氏注十四經發揮,而人始嫌其簡略矣」。 ○攷:「考」の異体。 ○寓目:目にする。目を通す。見る。 ○而降:以降。以来。 ○得失:利害。良い点と悪い点。 ○後學:同じ学問の道に後から入った者。後進。 ○參:加える。他の材料をもちいてある事柄を検証研究する。参考にする。 ○千金:唐の孫思邈が撰した『千金要方』と『千金翼方』。 ○外臺:唐の王燾が撰した『外台秘要方』。 ○蒐羅:蒐集網羅する。 ○衆說:たくさんの説。 ○會粹:會稡。聚集する。あつめる。 ○精要:精微。精華要点。 ○經衇流注:「衇」は「脈」の異体。『霊枢』経脈篇などに見られる経脈の流れに関する記載。 ○尺度分寸:骨度法,同身寸法による距離間隔の表示法。 ○揣:測量する。 ○宍郄:「宍」は「肉」の異体。「郄」は,空隙,裂け目。横紋の入る部分。 ○動脈宛宛中:孔穴の位置を表示するのによく用いられる語。「動脈」は,脈搏を感じられるところ。「宛宛中」は,くねくね曲がっているさまではなく,くぼんでいる,へこんでいる中。 ○乖錯:誤謬。混乱。 ○弊:弊害。 ○眀堂之能事畢矣:孔穴の位置に関することで,できることはすべてやりつくした。『事物紀原』卷七:明堂「今醫家記鍼灸之穴,爲偶人,點誌其處,名明堂。按銅人腧穴圖序曰:黄帝問岐伯,以人之經絡窮妙於血脈,參變乎隂陽,盡書其言,藏於金蘭之室,洎雷公請問,乃坐明堂,以授之,後世之言明堂者以此」。『易』繫辭上:「引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣」。 ○若夫:~に関しては。 ○方圓迎隨:補瀉の方法。『素問』八正神明論:「寫必用方……補必用員」。『霊枢』官能:「寫必用員……補必用方」。『霊枢』九針十二原:「刺之微……迎而奪之……迎之隨之」。『霊枢』小針解:「迎而奪之者,寫也」。『霊枢』終始:「寫者迎之,補者隨之」。 ○吹雲見蒼:『霊枢』九針十二原:「刺之要,氣至而有效,效之信,若風之吹雲,明乎若見蒼天,刺之道畢矣」。 ○得之心手:『莊子』天道:「得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間」。刺灸の精妙な技術や感覚は,手で覚え,心で感得するしかない。 ○水藩:水戸藩。 ○侍醫:奥医師。 ○原子子柔:原南陽,名は昌克(まさかつ),字は子柔,(しじゅう)通称玄璵(げんよ)。水戸藩医の家に生まれ,京都に遊学して山脇東門(やまわきとうもん)や産科の賀川玄迪(かがわげんてき)に学び,江戸で開業。のち父の跡を継いで水戸藩医となって臨床・学問に腕をふるった(『日本漢方典籍辞典』)。「原子」の「子」は,尊称。 ○纂:材料を探しあつめて書を編む。編輯する。 ○考証:考證。信頼できる資料にもとづいて古い事柄を研究して,真偽を明らかにする。 ○辨訂:誤りを判定して訂正する。 ○一家之學:独自の見解有して体系化した学派。 ○嘉惠:恩恵をほどこす。 ○用心:心をつくす。専心する。 ○勤:周到である。おこたりない。勤勉である。 ○上梓:文字を版面に刻む。印刷する。 ○顓門:擅長於某種學術或技能。ある種の学問や技能に関して専門知識を有している。「顓」は「専」に通ず。 ○昧:不明。暗い。 ○經兪:経脈腧穴。 ○措辭:ことばを選んで,自分の意見などをあらわす。 ○數百里之外:水戸。 ○諗:告知する。忠告する。 ○文化四年:1807年。 ○歳:木星(の位置)。 ○仲春上澣:陰暦二月上旬。 ○東都:江戸。 ○醫官:侍医。 ○督醫學:医学館の重(おも)立(だつ)世話役。 ○丹波元簡:元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した(『日本漢方典籍辞典』)。 ○水戸藩:常陸(ひたち)国水戸に藩庁を置いた親藩,三家の一つ。参勤交代は免除され定府。領知は常陸国と下野国の各一部で,表高35万石。1609年徳川家康の11男頼房が入封,初代藩主となった(百科事典マイペディア)。水戸藩には,宮本春仙以来,腧穴学の伝統がある。 ○扈從:扈随。小姓。 ○士員:武士。 ○立原任:立原杏所(1786~1840)。字は子遠。南画家。儒者,立原翠軒の嫡男。
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