2016年11月13日日曜日

卓廉士先生の『素問』標本病伝論(65)講義 その11 おわり

以上からわかるように、『黄帝内経』ができた時代には、医者は標を刺し本を刺すこと、すなわち四肢あるいは胸腹頭面の腧穴をえらんで取ることを、治療を成功させるための大事とみなしていた。標本刺法は衛気を基礎として、衛気の移動を追うことを目的とし、衛気の所在を詳細に観察し、四肢と胸腹頭面の関係を強調し、本部腧穴が起こるところの遠隔部に対する治療作用をとりわけ重視した。疾病の多くは証候情態が複雑で、病機をあきらかにするのはむつかしいので、衛気はみつけにくい。このような情況で、発病の先後というきわめて容易に理解しやすい事実にもとづいて、どの腧穴を取ればいいか決定できる。本を治し標を治す、標を先にし本を後にす、本を先にし標を後にす、あるいは標本あわせてほどこす。これを「一を執る」といい、これを保持することで、鍼刺の重要な道理大局を知り、「可以無惑于天下」〔『霊枢』衛気(52)。【現代語訳】複雑な病を治療する際に余裕をもって対処でき、戸惑うこともない〕。したがって、「知標本者.万挙万当.不知標本.是謂妄行」〔『素問』標本病伝論(65)。【現代語訳】標と本とにおける軽重と緩急との関係がわかると、すべてうまく治療することができるようになるのです。しかし標本を知らなければ盲目的な治療となってしまいます〕であり、この言葉はむなしいものではないし、鍼刺治療の経験談でもある。

このほか注意すべきことは、文子が「執一而応万」を「術」と称したが、「術」は「述」とも書く。『漢書』に注して顔師古は「術,道徑也,心之所由也」〔『漢書』禮樂志:「夫民有血氣心知之性,而無哀樂喜怒之常,應感而動,然後心術形焉」。師古曰:「言人之性感物則動也。術,道徑也。心術,心之所由也。形,見也」〕といった。中国古代哲学では、「執一」という原則は、つねに普遍としての「道」の高みにあげられる。「道通為一」(『荘子』斉物論)からである。術数からみると、道の数は一であり、「執一」はよく道と合し、道と合すれば、事業は成功する。同時に、標本の説も一つの心路であり、「心の由る所」である。この心路の上に診療過程における医者の実体験とそこで感じたことが十分重視されているので、「以意調之」〔【現代語訳】細心の注意をはらって標本、先後を区別してから適切に治療を行わなければなりません〕という措辞がある。「意」とは、証候病情を感じとることであり、一心に存し〔『宋史』岳飛伝:「陣而後戦,兵法之常,運用之妙,存乎一心」〕、心に区別を知り、気にしたがって巧みを用いる〔『後漢書』郭玉伝:「醫之為言意也。腠理至微,隨氣用巧,針石之閒,毫芒即乖」〕。もし先病後病がまだはっきりしない場合は、間甚で判断でき、「間者并行.甚者独行」〔『素問』標本病伝論(65)【現代語訳】間甚:浅深軽重を指す。間は軽く浅いことで、甚は深く重いことである。并行:その他の病症と同時に治療してもよいことであり、すなわち標本同治のことである。独行:単独で治療を進め他病と兼治してはならぬことで、とりもなおさず標を治すか本を治すかのどちらかであることである〕である。「間」とは、それほど重篤な病証情態にはないことであり、綿密に計画を立て、あわてずに準備し、標本あわせてほどこす。「甚」とは、病が重いことであり、病証情態が切迫しており、標を取るにしても本を取るにしても、一二穴の即効穴が不可欠である。たとえば、ショックに人中に鍼し、神闕に灸するのは、単独で標部を取ることであり、狭心痛に少衝と中衝に刺して血を出すのは、単独で本部を取ることである。

標本の上下の関連は、おもに衛気と経脈の生理の反映である。衛気は十二経脈に沿って手足頭面に分布し、部位があり、気化〔気の運動変化〕があり、集散があり、また移動をいい、具体的な刺法がある。また普遍的な原則をそなえ、心物一体で、「医は意なり」などの内容をふくんでいる。ゆえに古代人は「標本之為道也」〔『素問』標本病伝論(65)。【現代語訳】「夫陰陽逆従.標本之為道也」陰陽、逆従、標本の道理は、一見すると非常に簡単にみえますが、その応用価値はきわめて大きいのです。したがって標本逆従の道理を語るならば、多くの疾病による危害を知ることができるのです/筆者卓廉士は「標本これを道となすなり」と解していると思われる〕といい、標本と道とは相応じて、生命の気をみたし顕彰している。

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