(以下は和文である。読みやすさを考慮して、カタカナをひらがなにし、ルビをつけ、原文にない濁点・句読点を打つ。漢字は旧字体で統一する。)
斯(この)一卷は、昔慶長年間、甲斐の國の良醫、長田德本と云(いう)人(原注:梅花無盡藏の作者也(なり))、朝鮮國の醫官、金德邦と云(いう)人より授(さずか)りし術なり。其(その)後、田中知新にさづけてより傳(つたえ)來(きた)りて、其(その)家々に秘して、傳(つたう)るに口受を以てし、或(あるい)は其(その)門に入(い)るといへども、切紙を以て授(さずけ)て、全備する人、稀(まれ)なり。吾(われ)、京師遊學の頃、術を大坂の原泰庵先生に學びて、兩端を叩く。其(その)後、毎々試(こころみる)に寔(まこと)に死を活(いか)すことしばしば也(なり)。予、思
ウラ
ふに、金も山に藏(かく)し珠も淵に沈め置(おく)は、何の益かあらん。矧(いわん)や醫術は天下の民命にかかるものなり。是(これ)を家に朽(くち)さんこと、醫を業とする者の道に非(あら)ず、と。此(この)故に傳受口訣の條々、一事も遺(のこ)さず書(かき)あらはして、世に公(おおやけ)にする者なり。能(よく)此(この)書に心をひそめば、簡にして得(う)る處(ところ)、大なるべし。世の術に志(こころざ)す人々、此(この)法を以て弘く世に施さば、予が本懷なり。
陸奥福島 木邨太仲元貞書
【注釋】
○慶長:一五九六年一〇月二七日~一六一五年七月一三日。 ○甲斐:いま山梨県あたり。 ○田中知新:『鍼灸流儀書集成』十に『田中知新流鍼灸秘伝』をおさめる。柳谷素霊は、『田中知新流鍼灸秘伝』の内容解説において、『鍼治秘伝書』(本書の異本)との「内容ノ差異大デアル」という。 ○口受:『大辞林』第三版の解説:くじゅ。学問・技術などを口頭で教えられること。口(く)授(じゆ)を受けること。こうじゅ。 ○切紙:『大辞林』第三版の解説:きりかみ〔「きりがみ」とも〕〔「切紙免(めん)許(きよ)」の略〕 芸能・武芸などで、最初のゆるし。初等の免許状。切り紙に書きつけたのでいう。 ○原泰庵:未調査。 ○兩端を叩く:『大辞林』第三版の解説:〔論語 子罕〕事の始終・本末を究め尽くす。 ○毎々:いつも。毎回。その度ごと。 ○死を活す:写本『鍼治秘伝書』は「死を活する」につくる。 ○金も山に藏し珠も淵に沈め置:『莊子』天地「藏金於山、藏珠於淵」から。黄金を山に、真珠を淵に、本来あるべきところにおく。 ○此故に:『鍼治秘伝書』は「コヽヲ以」につくる。 ○書あらはして:『鍼治秘伝書』は「著撰シテ」につくる。 ○能:『鍼治秘伝書』は「能々」につくる。 ○心をひそめ:「潛心」を和読したことば。物事にこころを集中する。 ○簡にして:『鍼治秘伝書』は「事間ニシテ」につくる。 ○世の術に:『鍼治秘伝書』は「世の鍼術に」につくる。 ○本懷なり:『鍼治秘伝書』にはこのあとに改行して、「此書老親石場翁ノ壯年ニ大膳大夫亮説先生ニ受ルノ書ナリ先生ハ翁ノ經絡ノ師ナリトス此書ヤ鄙語ニ近シト雖モ掌中ノ手本ナリ」がある。
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