二則:不表不裏,其形不久
『霊枢』寿夭剛柔(06):
病有形而不痛者,陽之類也;無形而痛者,陰之類也。無形而痛者,其陽完而陰傷之也,急治其陰,無攻其陽;有形而不痛者,其陰完而陽傷之也,急治其陽,無攻其陰。陰陽俱動,乍有形,乍無形,加以煩心,命曰陰勝其陽,此謂不表不裏,其形不久〔病 形有って痛まざる者は,陽の類なり。形無くして痛む者は,陰の類なり。形無くして痛む者は,其の陽 完(まつた)くして陰 之を傷(やぶ)るなり。急(すみ)やかに其の陰を治し,其の陽を攻むること無かれ。形有って痛まざる者は,其の陰 完(まつた)くして陽 之を傷るなり。急(すみ)やかに其の陽を治し,其の陰を攻むること無かれ。陰陽 俱に動ずれば,乍(たちま)ち形有り,乍(たちま)ち形無く,加うるに煩心を以てし,命(なづ)けて陰 其の陽に勝つ,と曰い,此れを表ならず裏ならず,其の形 久しからず,と謂う〕[11]20。
「此謂不表不裏,其形不久」。馬蒔の注:「病有陰陽俱病,形似有無而心為之煩,此乃陰經陽經各受其傷,而陰為尤甚,欲治其表,陰亦為病,欲治其裏,陽亦為病,治之固難,形當不久矣〔病に陰陽 俱に病む有り,形 有無に似て心 之が煩を為す,此れ乃ち陰經・陽經 各々其の傷を受くるも,陰 尤も甚だしと為す。其の表を治せんと欲するも,陰も亦た病を為し,其の裏を治せんと欲するも,陽も亦た病を為す。之を治すること固(まこと)に難く,形 當に久しからざるべし〕」[12]。
天回医簡『逆順五色脈蔵験精神』の「病不表,不【可以鑱】石。病不裹〈裏〉,不可以每(毒)藥。不表不【裏者】,〈死〉 〼〔病 表ならざれば,鑱石を以てす可からず,病 裏ならざれば,毒藥を以てす可からず。表ならず裏ならざる者は,〈死〉〼〕」(簡707)[13]は,「不表不裏」を死証とみなした古い証拠を提供してくれた。『素問』移精変気論(13)は祝由を論じて,「今世治病,毒藥治其內,鍼石治其外,或愈或不愈,何也……故毒藥不能治其內,鍼石不能治其外,故可移精祝由而已〔今の世の治病は,毒藥 其の內を治し,鍼石 其の外を治す。或いは愈え或いは愈ざるは,何ゆえか……故に毒藥は其の內を治すこと能わず,鍼石は其の外を治すこと能わず。故に精を移し由を祝す可きのみ〕」[1]31-32とある。『素間』湯液醪醴論(14)には,「當今之世,必齊毒藥攻其中,鑱石鍼艾治其外也〔今の世に當たっては,必齊・毒藥もて其の中を攻め,鑱石・鍼艾もて其の外を治するなり〕」[1]33とある。ともに「鑱石」(あるいは鍼石)と「毒薬」が対になって文ができていて,天回医簡の文と意味は同じであり,当時の医家の治療法として一般的な方法であった。また『素問』奇病論(47)にある「所謂無損不足者,身羸瘦,無用鑱石也〔謂う所の不足を損すること無かれとは,身 羸瘦するは,鑱石を用いること無かれとなり〕」[1]94は,『史記』で倉公が述べている「尸奪者,形弊;形弊者,不當關灸鑱石及飲毒藥也〔尸奪する者は,形弊(つか)る。形弊(つか)るる者は,當に灸鑱石及び毒藥を飲ましむるに關すべからざるなり〕」[14]2802と一致する。また『史記』倉公伝において,倉公は「論曰:陽疾處內,陰形應外者,不加悍藥及鑱石〔論に曰わく,「陽疾 內に處(お)り,陰形 外に應ずる者は,悍藥及び鑱石を加えず」と〕」[14]2811という。「悍薬」と「毒薬」とは同じ意味である。「論に曰わく」の文例によれば,これはまさに倉公が扁鵲の医論を援用しているにちがいない。『鶡冠子』世賢に「若扁鵲者,鑱血脈,投毒藥,副肌膚閒,而名出聞於諸侯〔扁鵲の若き者は,血脈を鑱し,毒藥を投じ,肌膚の閒を副し,而して名 出でて諸侯に聞こゆ〕」とある。治療の方法としては,扁鵲が鑱石と毒薬の使用にたけ,当時の医学の主流を代表していて,当時の人はみなこのことを熟知していたことがわかる。治療の原則としては,扁鵲は表裏を陰陽に分け,「鑱石」と「毒薬」という二種類の治療法を臨床に用いた。病が表にあり陽に属すれば,鑱石・鍼艾をもちいて攻め,病が裏にあり陰に属すれば,毒薬・湯液をもちいて達するようにした。もしその病が表でもなく裏でもない場合は,これを攻めても可ならず,これに達しても及ばず,治療方法はないので,死証である〔著者は,「病 膏肓に入る」の出典「在肓之上,膏之下,攻之不可,達之不及,藥不至焉」を踏まえて記述していると思われる〕。『霊枢』寿夭剛柔や『素問』奇病論などの篇にみえる「不表不裏」に関する論述が発掘された医経で裏付けられ,今本『黄帝内経』が扁鵲医経の理念を継承していることが明らかにされた。
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