三則:快然
〔図1:天回医簡 簡421「後與氣則律然」あり。省略す。〕
『霊枢』経脈(10):
脾足太陰之脈,……是動則病舌本強,食則嘔,胃脘痛,腹脹善噫,得後與氣則快然如衰,身體皆重〔是れ動ずれば則ち病み舌本 強(こわ)ばり,食らえば則ち嘔(は)き,胃脘 痛み,腹 脹(ふく)れ善く噫(おくび)し,後と氣とを得れば則ち快然として衰うるが如し,身體 皆な重し〕[11]31。
「得與氣則快然如衰」:『太素』の楊上善注:「穀入胃已,其氣上為營衛及膻中氣,後有下行與糟粕俱下者,名曰餘氣。餘氣不與糟粕俱下,壅而為脹,今得之泄之,故快然腹減也〔穀 胃に入り已(お)わり,其の氣上(のぼ)って營衛及び膻中の氣と為り,後に下行して糟粕と俱に下る者有り,名づけて餘氣と曰う。餘氣 糟粕と俱に下(くだ)らざれば,壅(ふさ)がって脹と為る。今 之を得て之を泄らす。故に快然として腹 減ずるなり〕」[16]190 。
「快然如衰」:馬王堆帛書『陰陽十一脈灸経』甲本21は「怢然衰」[17]200に作る。乙本20は「逢然衰」[18]に作る。張家山竹簡『脈書』簡三四は「怢然衰」の三字が残欠していて,帛書の甲本から補う[19]121。
『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』の注釈:
魏啓鵬・胡翔驊(1992:29):怢は「佚」「逸」に通じ,安逸,心地よい。いま按ずるに,「逢」と「怢」は書き方がまったく異なる。形の構成から見れば,「怢」字は,「心」に従い「失」の声である。戦国の楚の文字では通常「失」字は,〓1〔辶+方+𠂉+羊〕と書かれ,あるいは隸定〔隸書の字形〕では〓2〔辶+止+羊〕となり,……「逸」と「失」は「失」の声に従い,往々にして通仮し……「逢」字は秦漢の文字では〓3〔辶+夂+羊〕とも書かれ,「羊」が誤って「丰」の形に変わる。帛書乙本の「逢」は〓1〔辶+方+𠂉+羊〕(〓2〔辶+止+羊〕)の形が誤ったものにちがいないことがわかる。そして『霊枢』経脈などの医籍に見える甲本の「怢」に相当するところにある「快」はあきらかに「怢」字の形が誤ったものである[17]200。
馬王堆簡帛には楚文字のなごりが多く残されており,主に楚系の写本の影響を受けているとの指摘がすでにある[20]。馬王堆帛書乙本を書いた人は,おそらく〓2〔辶+止+羊〕字の楚文字の形をあまりわかっていなかったため,字形の近い「逢」に誤って書いたのだろう。天回医簡『脈書』下経は「快然」を「律然」に作る(簡421,図1)。見たところ,〓1〔辶+方+𠂉+羊〕(〓2〔辶+止+羊〕)から来た字形の誤りは,帛書乙本が「逢」字に作る情況と似ている。この字形の違いから,われわれはこのいくつかの経脈文献が異なる伝承に由来し,底本には異なる文字が書いてあったと推測できる。帛書乙本と天回医簡はともに戦国文字で書かれた底本を写したものであるが,『霊枢』経脈篇が基づいた底本は帛書甲本に近い秦漢文字に転写された写本である(その字形の変遷関係は図2を参照)。
図2 字形字形の変遷関係表
〓1(〓2) →字形を誤る→逢(秦漢の際・馬王堆『陰陽』乙本)
(戦国) →字形を誤る→律(西漢初・天回医簡『脈書』下経)
→通仮字→怢(秦漢の際・馬王堆『陰陽』甲本)→字形を誤る→快(伝世医籍『霊枢』)
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