2026年9月4日金曜日

12-2【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 骨度正穴聞書

 12-2 骨度正穴聞書  岡田靜安

    杏雨書屋所蔵(杏六八三四)


骨度正穴聞書題辭

夫欲善鍼灸者先審經絡流注而

後可及孔穴主對學鍼而不灸

學灸而不鍼以非良醫也湯藥攻

其内鍼灸攻其外鍼灸之効臨時

救難過湯藥半也然年代久遠傳

  一ウラ

冩錯誤不可不正焉佳譽者子成

之女也有遺草一卷請欲上梓子

成授余曰滑伯仁搜採黄岐之經

著十四經發揮指南經穴也從此

以來聚英入門及岡本一抱子村上

親方等書益出各爲一家言也雖然

  二オモテ

本文與圖説不合者過其半也今

據經絡骨度折衷諸家以經穴之

書備矣欲使女佳譽續此業也幸

有志于鍼灸也居几下寫圖解在

膝前聞口傳聞而不忘書而不殘

雖俗辭解至辯識正説則是正

  二ウラ

穴考明鑑帳中重寶也後世

一人讀此遺草而有辨正其是

非者則佳譽大幸善哉此言也

余不敏無可加一辭者因所聞書

之以冠卷首云文化乙亥仲秋

     佐藤元澤題 〔印形白字「榮/貞」〕


  【訓み下し】

骨度正穴聞書題辭

夫(そ)れ鍼灸を善くせんと欲する者は、先づ經絡流注を審らかにして、而して後に孔穴主對に及ぶ可し。鍼を學びて灸せず、灸を學びて鍼せざるは、以て良醫に非ず。湯藥、其の内を攻め、鍼灸、其の外を攻む。鍼灸の效、時に臨んで難を救うこと、湯藥の半ばに過ぐ。然れども年代久遠にして、傳

  一ウラ

寫の錯誤、正さずんばある可からず。佳譽は、子成の女(むすめ)なり。遺草一卷有り。請いて梓に上(のぼ)せんと欲す。子成、余に授けて曰く、滑伯仁、黄岐の經を搜採し、十四經發揮を著し、經穴を指南す。此れ從り以來(このかた)、聚英・入門、及び岡本一抱子、村上親方等が書、益々出でて、各々一家言を爲す。然りと雖も、

  二オモテ

本文と圖説と、合わざる者、其の半ばに過ぐ。今ま經絡骨度に據って、諸家を折衷して、以て經穴の書備りぬ。女佳譽をして此の業を續かしめんと欲す。幸いに鍼灸に志有り。几下に居りて圖解を寫し、膝前に在りて、口傳を聞く。聞きて忘れず、書きて殘さず。俗辭解と雖も、正説を辯識するに至っ

ては、則ち是れ正

  二ウラ

穴考の明鑑、帳中の重寶なり。後世一人、此の遺草を讀みて、而して其の是非を辨正する者有れば、則ち佳譽の大幸。善なるかな、此の言や。余不敏、一辭を加う可き者無し。因って聞く所、之を書し、以て卷首に冠すと云う。文化乙亥 仲秋

     佐藤元澤題す


 【注釋】

 ○孔穴主對‥『備急千金要方』卷三十・孔穴主對法「凡云孔穴主對者、穴名在上、病狀在下、或一病有數十穴、或數病共一穴皆臨時斟酌作法用之……若針而不灸、灸而不針、皆非良醫也」。 ○攻‥おさめる。治療する。『素問』湯液醪醴「必齊毒薬攻其中、鑱石鍼艾治其外也」。 一ウラ ○佳譽‥岡田佳譽。岡田靜安の女(むすめ)。 ○子成‥岡田靜安。俗名は靜安、実名は靜黙、字は子成。号は華陽。武蔵国蕨のひと。一七七〇~一八四八。『骨度正穴考(圖)』『經脈骨度解』『孔穴主對』などの撰者。 ○遺草‥遺著。死後の残された草稿。○欲上梓‥出版したい。 ○滑伯仁‥元・滑壽。伯仁は字。攖寧生と号す。『十四經發揮』を撰す。 ○黄岐之經‥黄帝岐伯の経典。すなわち『黄帝内經』(『素問』『靈樞』)。 ○聚英‥明・高武撰『鍼灸聚英』。 ○入門‥明・李梴撰『醫學入門』。 ○岡本一抱‥名は伊恒(これつね)、通称は為竹。福井のひと。近松門左衞門の実弟。一六五四~一七一六。『十四經絡發揮和解』『鍼灸阿是要穴』の撰者。「子」は尊敬。 ○村上親方‥村上宗占。名は親方(ちかまさ)、字が宗占、号は一得子。生没年不詳。土浦藩医員。『兪穴辨解』『骨度正誤圖説』『十四經發揮經絡兪穴骨度之圖』『銅人形引經訣』の撰者(『典籍辞典』)。 二オモテ ○續‥つぐ。継続する。 ○几下‥机の下。 ○書而不殘‥書き漏らしがない。 二ウラ ○正穴考‥『骨度正穴考(圖)』。「考」字は「左」か「老」に見えるが、意味の上から「考」とした。 ○明鑑‥明鏡。ならいしたがうべき前例。ここでは『骨度正穴考(圖)』の参考書の意であろう。 ○帳‥記録した書冊。あるいは董仲舒が帳を下ろして講義していた故事から塾、教室のことか。 ○俗辭解‥漢文ではなく和文(漢字カナ交じり文)で本文を著していること。 ○文化乙亥‥文化十二(一八一五)年。 ○仲秋‥陰暦八月。 ○佐藤元澤‥岡田靜安『難經韻語圖解』の後序も草す。安西安周『日本儒醫研究』第十八章 岡田華陽:岡田の門人で佳誉の夫。佐渡の人。字は榮貞。


骨度正穴聞書題辭

夫(そ)れ鍼灸を善くせんと欲する者は、先づ經絡流注を審らかにして、而して後に孔穴主對に及ぶ可し。

 【意訳】すぐれた鍼灸治療をしたいならば,まず最初に経絡の流注を詳しく理解して,その上で(『千金方』にあるように)穴とその主治証を検討すべきである。

鍼を學びて灸せず、灸を學びて鍼せざるは、以て良醫に非ず。

 【意訳】鍼だけを学んで灸をしない,灸だけを学んで鍼をしないひとは,良医とはいえない。

湯藥、其の内を攻め、鍼灸、其の外を攻む。

 【意訳】湯液は人体の内部から治療し,鍼灸は外部から治療する。

鍼灸の效、時に臨んで難を救うこと、湯藥の半ばに過ぐ。

 【意訳】鍼灸が急病を救済する効果は,湯液による場合の半分以上ある。

然れども年代久遠にして、傳寫の錯誤、正さずんばある可からず。

 【意訳】しかしながら,鍼灸の書籍ができてから長い年月を経ているため,書き写しの誤りがあり,かならず訂正しなければならない。

佳譽は、子成の女(むすめ)なり。

 【意訳】佳誉は,岡田子成の娘である。

遺草一卷有り。

 【意訳】岡田氏には,残された草稿が一巻ある。

請いて梓に上(のぼ)せんと欲す。

 【意訳】佳誉は本書を出版することを求めた。

子成、余に授けて曰く、滑伯仁、黄岐の經を搜採し、十四經發揮を著し、經穴を指南す。

 【意訳】(以前)子成はわたくしに教えて言ったことがある。滑伯仁は黄帝・岐伯が著わした『内経』を広く調べて採用し,『十四経発揮』を著わすことによって,経穴学の指南役となった。

此れ從り以來(このかた)、聚英・入門、及び岡本一抱子、村上親方等が書、益々出でて、各々一家言を爲す。

 【意訳】それ以来,(高武の)『鍼灸聚英』,(李梴の)『医学入門』,および岡本一抱子(『十四経発揮和解』),村上親方(『兪穴弁解』)などの書籍が続々と世に出て,それぞれ独自の主張を繰り広げた。

然りと雖も、本文と圖説と、合わざる者、其の半ばに過ぐ。

 【意訳】とはいえ,本文と図説が一致していないものが,半分以上を占める。

今ま經絡骨度に據って、諸家を折衷して、以て經穴の書備りぬ。

 【意訳】そこでいま,経絡と骨度にもとづき,諸家の説を取捨選択して適切なものをあつめ,経穴書として完備したものにまとめた。

女佳譽をして此の業を續かしめんと欲す。

 【意訳】娘の佳誉にこの仕事を継がせようと思う。

幸いに鍼灸に志有り。

 【意訳】幸いなことに,佳誉は鍼灸の道を志している。

几下に居りて圖解を寫し、膝前に在りて、口傳を聞く。

 【意訳】父の机下に居て図解を写し,膝の前で口伝を聞いている。

聞きて忘れず、書きて殘さず。

 【意訳】聞いたことを忘れず,書き漏らすこともない。

俗辭解と雖も、正説を辯識するに至っては、則ち是れ正穴考の明鑑、帳中の重寶なり。

 【意訳】日本語の漢字カナ交じり文による解説とはいえ,正しい学説を識別することに関しては,『骨度正穴考』の参考書となり,書棚の宝物である。

後世一人、此の遺草を讀みて、而して其の是非を辨正する者有れば、則ち佳譽の大幸。

 【意訳】後世において一人でもこの遺稿を読んで,その是非を明らかにし,誤りを正してくれる人がいるならば,佳誉にとっても大いなる幸せである。

善なるかな、此の言や。

 【意訳】なんと素晴らしい言葉ではないか。

余不敏、一辭を加う可き者無し。

 【意訳】わたくしには才能がないので,一言もこれに加える言葉がない。

因って聞く所、之を書し、以て卷首に冠すと云う。

 【意訳】そこで聞いたことを書いて,巻頭に置く。

文化乙亥 仲秋

 【意訳】文化十二年(1815)八月

     佐藤元澤題す

 【意訳】佐藤元澤 書き記す


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  以下、読点をうつ。


 卷下

  四十五オモテ

家翁者、明和庚寅歳五月十三日寅日寅時ニ生ル、故ニ寅吉ト云也、業成テ元糠、號ハ華陽、園ハ松響トハ、藤東海先生、字ハ德明ト云者アリ、家翁之山中宰相ノ分量ニ據テ、張仲景之分量頗ル得ヲ以テ、陶隱居ニアヤカル樣ニトテ名付

  四十五ウラ

也、藥方分量考上梓スルニ至テ、元糠ハ惡カル可トテ、俗名ヲ靜安、實名ハ静黙、字ハ子成、慮得齋ト、半井成美君人公ヨリ成美之成字ヲ戴キ、改名ヲ爲ス、志願足レリト云リ、故ニ骨度正穴考、經脉骨度解、孔穴主對、岡田静黙著松響園灸治録、慮得齋方成ハ、同人之著述也、


骨度正穴考聞書卷之下終


 【注釋】 

 ○明和庚寅歳‥明和七(一七七〇)年。 ○藤東海先生‥齋藤東海(蘐園学派)。安西安周『日本儒醫研究』14,429頁。 ○山中宰相‥陶弘景(四五二~五三六)。字は通明。号は華陽隱居。梁の武帝が召したが赴かず、大事あるごとに相談されたので、山中宰相といわれた。 四十五ウラ ○半井成美君人公‥なからい・なりよし。典薬頭。大和守。幕府に『醫心方』を提出しなかったため処罰された。


 卷下

家翁者、明和庚寅歳五月十三日寅日寅時ニ生ル、故ニ寅吉ト云也、

 【意訳】岡田家の家長は明和七年(1770)五月十三日の寅の日,寅の時に生まれた。そのため「寅吉」という名前になった。

業成テ元糠、號ハ華陽、園ハ松響トハ、藤東海先生、字ハ德明ト云者アリ、

 【意訳】学業がなってからは,元糠〔元好・玄好〕と称した。号を華陽,園号を松響としたのは,父の先生に齋藤東海,字は徳明という人がいた。

     ★今井 功一:学問知識と民俗知識の交流 : 岡田静安『農家至宝記』と『素問韻語図解』の出版を例に 民俗学論叢  相模民俗学会 編 (31), 59-70, 2016-07 

家翁之山中宰相ノ分量ニ據テ、張仲景之分量頗ル得ヲ以テ、陶隱居ニアヤカル樣ニトテ名付也、

 【意訳】家長は山中宰相(陶弘景)が示した薬物の分量にもとづいて,張仲景が使用した薬物の分量を確定したので,東海先生は,陶隠居(号は華陽,松風の響きを愛した)にあやかるようにと,号を華陽,庭を松響園と名付けた。

     ★『梁書』陶弘景傳:陶弘景 字通明,丹陽秣陵人也。……自號華陽隱居。……特愛松風,每聞其響,欣然為樂。

     ★岡田静黙『(傷寒金匱)薬方分量考』の自序を参照。

藥方分量考上梓スルニ至テ、元糠ハ惡カル可トテ、俗名ヲ靜安、實名ハ静黙、字ハ子成、慮得齋ト、半井成美君人公ヨリ成美之成字ヲ戴キ、改名ヲ爲ス、

 【意訳】『(傷寒金匱)薬方分量考』を出版することになって,元糠というのはよくないとして,俗名(通称)は静安,実名(本名)は静黙,字は子成,慮得斎とした。これは(医学の師である)半井成美さまから「成美」の「成」をいただいて,改名したものである。

志願足レリト云リ、

 【意訳】願い望んだことは達成された。


故ニ骨度正穴考、經脉骨度解、孔穴主對、岡田静黙著松響園灸治録、慮得齋方成ハ、同人之著述也、

 【意訳】よって『骨度正穴考』『経脈骨度解』『孔穴主対』,岡田靜黙著『松響園灸治録』『慮得斎方成』は,岡田氏の著作である。

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