18-1 挨穴資蒙 井岡洌撰
京大富士川文庫所蔵(ア/四七)
三葉目の文は、二葉目のものと同文(各行の文字数は異なる)。
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挨穴資蒙叙
氣穴三百六十五以應周期之日其説尚矣
而甲乙經以下所載多闕而不具醫流憾
焉頃者本滑伯仁發揮畧正其分寸之
訛間移易穴位更挿補數穴以充舊數
一ウラ
既而自謂膏肓穴始見千金方附之背
部者實創于銅人經當素問時恐無此
穴又如八髎穴水熱穴論未嘗言其所屬
骨空刺腰痛論亦未嘗言某經脉氣
所發亦似是奇兪盖去古既遠相傳多
二オモテ
失其詳不可得而知也今也冥捜妄
填強合其數是徒爲身不如闕疑之爲
愈也雖則云然使初學多記穴名亦所不
妨遂釋以國字以資蒙士聞之 先府君
云君初在豊前宇佐郡遭一游僧善鐡鍼
二ウラ
從而學焉僧出書一卷授之書意謂邪
之所中傷即鍼灸之所當迎隨是以人
身無有可禁之兪又無有不可禁之穴
先府君毎以此見誨併書於茲以諗問
兪穴者 井岡冽識
三オモテ
失其詳不可得而知也今也冥捜妄填
強合其數是徒爲身不如闕疑之爲愈也
雖則云然使初學多記穴名亦所不妨
遂釋以國字以資蒙士聞之 先府君云
君初在豊前宇佐郡遭一游僧善鐡鍼
三ウラ
從而學焉僧出書一卷授之書意謂邪之
所中傷即鍼灸之所當迎隨是以人身無
有可禁之兪又無有不可禁之穴 先府君
毎以此見誨併書於茲以諗問兪穴者
井岡冽識
【訓み下し】
挨穴資蒙の叙
氣穴三百六十五、以て周期の日に應ず。其の説尚(ひさ)し。而して『甲乙經』以下、載する所多く闕して具(そな)わらず。醫流焉(これ)を憾む。頃者(このごろ)、滑伯仁の『發揮』に本づき、略(や)や其の分寸の訛(あやま)りを正し、間(しば)し穴位を移し易え、更に數穴を挿補して以て舊數に充つ。
一ウラ
既にして自ら謂(おも)えらく、膏肓穴は始めて『千金方』に見え、之を背部に附する者は、實に『銅人經』に創(はじ)む。『素問』の時に當りては恐らく此の穴無からん。又た八髎穴の如きは、「水熱穴論」未だ嘗て其の屬する所を言わず。「骨空」「刺腰痛論」も亦た未だ嘗て某經の脉氣發する所と言わず。亦た是れ奇兪に似たり。蓋し古(いにしえ)を去ること既に遠く、相傳多く
二オモテ
其の詳しきを失いて、得て知る可からざるなり。今や冥搜して其の數を妄りに填(う)め強(し)いて合せしむ。是れ徒(た)だ身の爲には闕疑の愈(まさ)れると爲すに如(し)かざるなり。則ち然りと云うと雖も初學をして多く穴名を記さしむるも亦た妨げざる所なり。遂に釋するに國字を以し、以て蒙士を資(たす)けんと、之を先府君に聞く。云う、君、初め豐前の宇佐郡に在り、一游僧の鐡鍼を善くするに遭う。
二ウラ
從って學ぶ。僧、書一卷を出だし之を授く。書の意、邪の中傷する所は即ち鍼灸の當に迎隨すべき所と謂う。是(ここ)を以て人身に之を禁ず可きの兪有ること無く、又た之を禁ず可からざるの穴有ること無し、と。先府君毎(つね)に此の見を以て誨(おし)う。併(あわ)せて茲(ここ)に書して以て兪穴を問う者に諗(いさ)む。 井岡冽識(しる)す
【注釋】
○氣穴三百六十五‥『素問』氣穴論「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」。 一ウラ ○膏肓穴‥『備急千金要方』卷三十針灸下・雜病第七に「膏肓輸無所不治……」とあるが、位置の記載は見えない。本書では『千金翼方』に記載されている取穴法を引用している。 ○銅人經‥『銅人腧穴鍼灸圖經』。 ○八髎穴‥上髎穴、次髎穴、中髎穴、下髎穴、左右あわせて八穴。 ○水熱穴論……骨空刺腰痛論‥みな『素問』の篇名。 ○奇兪‥奇穴。経外穴。『類經圖翼』卷十に「奇兪類集」あり。 また熱病五十九兪あるいは六腑の別絡を指す。『靈樞』刺節真邪「徹衣者、盡刺諸陽之奇輸也……盡刺諸陽之奇輸、未有常處也」。『黄帝内經太素』卷二十二・五藏刺、楊上善注「諸陽奇輸、謂五十九刺」。 二オモテ ○冥搜‥力をつくしてさがす。 ○身‥自身。本人。 ○闕疑‥疑問があるところはしばらく保留にして断定しないでおく。 ○雖則‥譲歩をあらわす。たとい。かりに。それが正しいとしても。 ○國字‥仮名。漢字カナ交じり文。 ○蒙士‥浅学無知のひと(男子)。 ○先‥亡くなった人に対する尊称。 ○府君‥亡くなった祖父・父への尊称。 ○君‥先府君。 ○豊前宇佐郡‥現在、大分県豊後高田市。宇佐神宮などあり。 ○游僧‥雲水僧。 ○中傷‥きずつける。 ○井岡冽‥本書の纂述者。
挨穴資蒙の叙
氣穴三百六十五、以て周期の日に應ず。其の説尚(ひさ)し。
【意訳】気穴の365という数は,一年の日数に対応するが,その説は古くから存在する。
而して『甲乙經』以下、載する所多く闕して具(そな)わらず。醫流焉(これ)を憾む。
【意訳】しかしながら『鍼灸甲乙経』以下の諸本の多くは,掲載する穴数がこれに足りておらず,医者たちはこれを遺憾に思っていた。
頃者(このごろ)、滑伯仁の『發揮』に本づき、略(や)や其の分寸の訛(あやま)りを正し、間(しば)し穴位を移し易え、更に數穴を挿補して以て舊數に充つ。
【意訳】最近,滑伯仁の『十四経発揮』を基礎とし,『発揮』に見える経穴の位置に関する記載の誤りを若干修正し,いくつか所属する経脈を別の経脈に移し替え,さらに数穴を補って,365という数字に合わせるように充填した。
既にして自ら謂(おも)えらく、膏肓穴は始めて『千金方』に見え、之を背部に附する者は、實に『銅人經』に創(はじ)む。『素問』の時に當りては恐らく此の穴無からん。
【意訳】ほどなく,次のように思った。膏肓穴の初出は『千金方』であり,これを背部に位置づけたのは実際,『銅人腧穴鍼灸図経』から始まったのである。『素問』の時代にはこの穴はおそらくなかったであろう,と。
又た八髎穴の如きは、「水熱穴論」未だ嘗て其の屬する所を言わず。「骨空」「刺腰痛論」も亦た未だ嘗て某經の脉氣發する所と言わず。亦た是れ奇兪に似たり。
【意訳】また八髎穴(上髎・次髎・中髎・下髎)についても,『素問』水熱穴論(61)においては,その所属する経脈についての言及がない。『素問』の骨空論(60)や刺腰痛論(41)でも,「○○経の脈気が発するところ」とは言っていないので,これもまた奇穴のように思われる。
蓋し古(いにしえ)を去ること既に遠く、相傳多く其の詳しきを失いて、得て知る可からざるなり。
【意訳】思うに,古代からかなり長い時間がたっており,その伝承の多くは詳しい内容が失われてしまって,知ることができなくなったのだろう。
今や冥搜して其の數を妄りに填(う)め強(し)いて合せしむ。
【意訳】しかし今,力を尽くしてその穴を探して,無理矢理365という数に合わせた。
是れ徒(た)だ身の爲には闕疑の愈(まさ)れると爲すに如(し)かざるなり。
【意訳】これについては,自分のためには疑問があるところはしばらく保留にしておくに越したことはない。
則ち然りと云うと雖も初學をして多く穴名を記さしむるも亦た妨げざる所なり。
【意訳】そうであるとはいえ,初学者に多くの穴名を記憶させても,また問題なかろう。
遂に釋するに國字を以し、以て蒙士を資(たす)けんと、之を先府君に聞く。
【意訳】そこで和語で解説を加えて,浅学無知のひとたちの一助にしようとして,このことをいまは亡き父に尋ねた。
云う、君、初め豐前の宇佐郡に在り、一游僧の鐡鍼を善くするに遭う。從って學ぶ。
【意訳】父は次のように言った。「私は,その昔,豊前国宇佐郡にいたとき,鉄鍼のすぐれた使い手である雲水に出会い,その僧から鍼術を学んだ。
僧、書一卷を出だし之を授く。
【意訳】その僧侶が,一巻の書物を取り出して,私に授けてくれた。
書の意、邪の中傷する所は即ち鍼灸の當に迎隨すべき所と謂う。
【意訳】その書物が意図するところは,邪があたりそこなう場所こそ,鍼灸で迎随(の補瀉)をおこなうべきところだという。
是(ここ)を以て人身に之を禁ず可きの兪有ること無く、又た之を禁ず可からざるの穴有ること無し、と。
【意訳】そういうわけで,人体には鍼灸をほどこすことを禁止すべき腧穴など存在しないし,禁止してはならない腧穴も存在しない」と。
先府君毎(つね)に此の見を以て誨(おし)う。
【意訳】亡き父君は,いつもこの意見をもって私を教え導いてくれた。
併(あわ)せて茲(ここ)に書して以て兪穴を問う者に諗(いさ)む。
【意訳】このことを合わせてここに書き記して,腧穴を学ぼうとする者に忠告する。
井岡冽識(しる)す
【意訳】井岡冽 記す
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(跋)
余近欲脩鍼刺之術就 家君質兪
穴所在 君乃出挨穴撮要及資蒙
二書見授聞之 君幼從驪恕公先
生問經絡之説既而先生没時
君年僅十五未能悉竟其義比至
弱冠折衷羣籍斟酌時師之説
以作為此書距今幾四十年矣予
ウラ
恐其棄置籭底充蠧蟫之腹竊
淨録之以為帳秘云
天保乙未重陽前一日
井岡篤拜識
【訓み下し】
余、近ごろ鍼刺の術を脩(おさ)めんと欲し、 家君に就きて、兪穴の所在を質(ただ)す。 君乃ち『挨穴撮要』及び『資蒙』の二書を出だし、授けられ、之を聞く。 君、幼くして驪恕公先生に從い、經絡の説を問う。既にして先生没す。時に君、年僅かに十五、未だ悉く其の義を竟(お)うること能わず。弱冠に至る比(ころ)おい、群籍を折衷し、時師の説を斟酌し、以て作りて此の書を為す。今に距つること幾(ほとん)ど四十年なり。予、
ウラ
其の籭(ふるい)の底に棄て置かれ、蠧蟫の腹を充たすを恐れ、竊(ひそ)かに之を淨録して以て帳と為し秘すと云う。
天保乙未 重陽の前一日
井岡篤拜して識す
【注釋】
○家君‥自分の父。 ○挨穴撮要‥ ○驪恕公‥目黒道琢(一七三九~一七九八)。『参攷挨穴編』の撰者。 ○問‥たずね聞く。考察する。 ○既而‥まもなく。 ○弱冠‥二十歳。 ○羣籍‥「羣」は「群」の異体。多くの書籍。もともとは五経以外の諸書を指したが、のちにはひろく各種の書籍を指すようになった。 ○時師‥現代の学者。 ○籭‥篩。ここでは竹の容器か。 ○蠧‥蠹。キクイムシ。蟫と同じ。 ○蟫‥シミ。衣服や書籍を食べる害虫。 ○淨録‥浄書する。 ○天保乙未‥天保六(一八三五)年。 ○重陽‥陰暦の九月九日。 ○井岡篤‥冽の男(むすこ)。本書の校録者。
余、近ごろ鍼刺の術を脩(おさ)めんと欲し、 家君に就きて、兪穴の所在を質(ただ)す。
【意訳】わたくしは,最近,鍼刺の技術を習得しようと思い,父上について腧穴の位置を質問した。
君乃ち『挨穴撮要』及び『資蒙』の二書を出だし、授けられ、之を聞く。
【意訳】父はそこで『挨穴撮要』と『挨穴資蒙』の二書を出してきて,授けられた。わたくしは,これらの書の由来を伺った。
君、幼くして驪恕公先生に從い、經絡の説を問う。
【意訳】父上は,幼い頃に目黒道琢先生に師事して,経絡(経穴)の説を学んだ。
既にして先生没す。
【意訳】そうこうしているうちに,目黒先生が亡くなってしまった。
時に君、年僅かに十五、未だ悉く其の義を竟(お)うること能わず。
【意訳】その時,父上はまだわずか十五歳であったため,経絡経穴のことを完全には理解し終えてはいなかった。
弱冠に至る比(ころ)おい、群籍を折衷し、時師の説を斟酌し、以て作りて此の書を為す。
【意訳】二十歳になった頃,多くの書籍を取捨選択して適切なものを取り入れ,現代の専門家の説をくみ取って,この書を作った。
今に距つること幾(ほとん)ど四十年なり。
【意訳】今から四十年近く前のことである,という。
予、其の籭(ふるい)の底に棄て置かれ、蠧蟫の腹を充たすを恐れ、竊(ひそ)かに之を淨録して以て帳と為し秘すと云う。
【意訳】わたくしは,本書が篩いの底に放置され,シミの餌になってしまうことを恐れたので,個人的にこれを清書して書冊にして秘蔵する。
天保乙未 重陽の前一日
【意訳】天保六年(1835) 重陽の節句の前日,九月八日
井岡篤拜して識す
【意訳】井岡篤 謹んで記す
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