2023年10月8日日曜日

張雷 『靈樞』九針十二原 語句校詁01

 1 「子」字の校詁


 『靈樞』九針十二原:「黃帝問於岐伯曰:余子萬民,養百姓,而收其租稅」。[1]

『靈樞』九針十二原は中医学の各版企画教材『鍼灸医籍選(読)』にも収録されているが,「子萬民」に対する注解は一つもなく,この語句は理解が容易で,議論も何もないようである。『黄帝內經集解』は「歴代医学家の『內經』論著に関する精華を広く引用」(張孝騫の語)した集大成の著作である[2]が,この本を読んでも古人の論述は見られなかった。古人は論述していないが,現代の学者は多く言及していて,見解はおおかた同じである。「子」は名詞を意動詞〔訳注:名詞・形容詞が賓語(目的語)を取って他動詞として用いられ,主観的な判断・評価をしめす〕として用いられていて,「萬民」は「子」の賓語であり[3],「子萬民」は「万民を以て子と為す」[4-5],「一般大衆を自分の子と同様にみなす」[6],「万民を子とみなす」[7-8]と考えており,各家の説はほぼ一致している。しかし,本論ではこのような「子」を意動詞と見なす説には議論の余地があり,また「子」を「愛」[9]と解釈するのも十分には厳密ではないと考える。

 「子萬民」は『戰國策』齊策の「趙威後問齊使」篇にも見られ,文章は高校の教材に採用され,一部の古文選読の専門書にも収録されている。これらの資料を通覧したところ,「子萬民」に対する解釈は,前述の意見と一致していた。しかしこれに対して異を唱える学者もいる。かれはその他の古籍に見える「子」の用法を整理し,「趙威後問齊使」にある「子萬民」中の「子」は,「慈」の通仮字であって,その意味は「愛する,かわいがる」であり,「子萬民」とはすなわち「愛萬民」であると考えている[10]。本論は,この説には従うべきだと考えるが,依然として議論の余地がある。

 「子」と「字」は通用する。伝世文献では『尚書』益稷に「予弗子〔予 子とせず/わたしは父として可愛がってやりもせず〕」,『列子』說符〔楊朱の誤りか〕に「子產弗字〔子 產れども字(いつくし)まず〕」が見える[11]。出土文献では,『張家山漢簡』二年律令・雜律に「吏六百石以上及宦皇帝,而敢字貸錢財者,免之」とある。張家山漢簡研読班は「字」を「子」と読んでいる[12]〔吏六百石以上及び宦皇帝,敢えて錢財を字貸する(利子をつけて貸す)者,之を免ず〕。「字」には「養」の意味もある。『玉篇』子部に「字,養也」[13]とある。『左傳』昭公十一年の「〔僖子〕宿於薳氏,生懿子及南宮敬叔於泉丘人。其僚無子,使字敬叔〔薳氏に宿り,懿子と南宮敬叔とを泉丘の人に生ませしむ。其の僚 子無かりければ,敬叔を字(やしな)わしむ〕」の杜預注に「字,養也」[14]とある。『漢語大字典』は,この文を引用して,「字」の語釈として「撫育,養育」[15]と注している。黄帝が万民を撫育する例はさらに多い。たとえば,司馬遷『史記』五帝本紀に「軒轅乃修德振兵,治五氣,蓺五種,撫萬民,度四方,教熊羆貔貅貙虎,以與炎帝戰於阪泉之野〔軒轅乃ち德を修め兵を振(ととの)え,五氣を治め,五種を蓺(う)え,萬民を撫で,四方を度(わた)り,熊羆貔貅貙虎を教え,以て炎帝と阪泉の野に戰う〕」 [16]とある。関連する文献としては,皇甫謐『帝王世紀』自皇古至五帝に「及神農氏衰,黃帝修德撫民〔神農氏の衰うるに及んで,黃帝 德を修め民を撫づ〕」(『藝文類聚』卷11と『群書治要』卷11の注の引用では,いずれも「撫」字となっているが,『太平御覽』卷79のみは,「化」に作る [17])。「子」と「撫」はいずれも黄帝の作法を形容していて,『史記』『內經』『帝王世紀』に歴史的な一致がある。

 「子萬民」は後文の「養百姓」 と互いに関連させて理解すべきであると本論は考える。すなわち互文の修辞法である。「撫」と「養」はまた意味も近い。たとえば,『華陽國志』漢中志に「撫其民以致賢人〔其の民を撫で以て賢人を致す〕」とあるが,任乃強は校注で「『漢書』は〈養〉に作る」と指摘している。「互文」とは,「前後の言語単位間で互いに省略されたり補完されたりして,その両者を綜合してはじめて完全な意味を表現できる言語現象」[19]〔精選版 日本国語大辞典:対をなしているような表現で,一方に説くことと他方に説くことが,互いに相通じ,補いあって文意を完成する表現法〕を指す。

 指摘しておく必要があることは,「萬民」とは一般庶民のことではなく,諸侯を指す。李今庸は『孝經』天子章と『禮記』內則の鄭玄注の「天子を兆民と曰い,諸侯を萬民と曰う」にもとづき,ここの「百姓」と「萬民」は対句の関係にある[20]と指摘しているが,まさにその通りである。『靈樞』九針十二原でいう「百姓」とは「百官」を指していて,一般人民大衆のことではない。丹波元簡〔『靈樞識』〕は,「『國語』周語注:〈百姓,百官有世功者〉。又『書』堯典・孔傳:〈百姓,百官〉。」[2]を引用し,「百姓」とはすなわち「百官」であることを指摘している。

 ここでは「百姓」と「萬民」が対となってあげられていて,「子」は「字」として読むべきであり,「字」には「養」の意味がある。本文は「互文」中の「語義が近似する互文」に属す。この二つの文は,「萬民と百姓を撫育する」ことを示している。この言語構造と表現方式は,伝世文献にも類似した記載がある。たとえば,『淮南子』俶眞訓の「今夫積惠重厚,累愛襲恩,以聲華嘔符嫗掩萬民百姓〔今夫(そ)れ惠を積み厚を重ね,愛を累ね恩を襲ねて,聲華(=聲譽榮耀)嘔符(=撫愛)を以て,萬民百姓を嫗掩す〕」に,陳廣中は「嫗掩は,撫育」[21]と訳注をつけている。この「嫗掩」は「子」「養」と意味は同じであり,この例も前文にある「子」字の校詁意見の証拠とすることができる。

 「互文」は『內經』においても常用される手法である。たとえば『素問』上古天真論の「提挈天地,把握陰陽」[22]に,李中梓は「提挈は,把握なり」[23]と注している。『素問』痺論の「五藏有俞,六府有合」 [23]に,高世栻は「但だ六府に俞有るのみならず,五藏にも也(また)俞有り。但だ五藏に合有るのみならず,六府にも也(また)合有り」[23]と指摘している。『內經』のその他の箇所にも互文の手法は多く使われているが,ここでは省略する。

 本論は,『靈樞』九針十二原:「子萬民」の「子」は動詞であるべきで,「撫育」の意味があり,後面の「養百姓」とともに,互文の修辞手法として用いられていると考える。


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