2023年10月8日日曜日

張雷 『靈樞』九針十二原 語句校詁02

 2 「形」字の校詁

 『靈樞』九針十二原:「令各有形,先立針經」。

 この中の「形」字について,吳富東主編『鍼灸醫籍選』は,「形は,鍼具の形状を指す」[24]と注している。常小榮主編『鍼灸醫籍選』[25]はこれに従っている。高希言主編の第3版『鍼灸醫籍選』(ここでは2018年版を例とする)もこれに従っている。本論は,これらはみな誤読であると考える。各版の教材では,この箇所の意味を後文の「九針之名,各不同形」の「形」字の影響を受けて,両方の「形」字とも「鍼具の形状」を指していると考えたのかも知れない。実際は「令各有形」の「形」字は,「鍼具の形状」ではなく,この前にある「必明為之法」の「法」と「為之經紀」の「經紀」を指している。「法」と「經紀」が指しているのは,みな「以微針通其經脈,調其血氣,營其逆順出入之會〔微針を以て其の經脈を通じ,其の血氣を調え,其の逆順出入の會を營す〕」という鍼灸臨床実践を総括し,さらに進んで理論にまで高め,形,すなわち文章に形づくることであり,この文ではまず『針經』を編纂することを指している。〔訳注:「文章」,原文は「文字」。単に「もじ」という意味だけではなく,「文章・書籍」の意味でも用いられる。〕

 「形」には「形象」の意味があり,『周易』繫辭に「在天成象,在地成形,變化見矣〔天に在っては象を成し,地に在っては形を成して,變化見(あら)わる〕」[27]とある。『莊子』天地に「泰初有無,無有無名;一之所起,有一而未形。物得以生,謂之德;未形者有分,且然無間,謂之命;留動而生物,物成生理謂之形〔泰初に無有り,有無く名無し。一の起こる所にして,一有れども未だ形あらず。物得て以て生ず,之を德と謂う。未だ形あらざる者に分有り,且つ然も間無し,之を命と謂う。留動して物を生ず,物成って理を生ず,之を形と謂う〕」[28]とある。『靈樞』のこの箇所の「形」は「形象」の意味からさらに引伸して「文章」の意味となった。これは後面の「針經」の成立と一致する。「形」と「針經」とは,実際上,ひとつの論理上の関係がある。すなわち「形」には「針經」が含まれ,「針經」は「形」一部分である。

 これは実際には古代の重要な哲学の思弁問題,すなわち「形名」の弁[29]に関連している。『管子』心術上に「物固有形,形固有名,……故曰聖人〔物に固(もと)より形有り,形に固より名有り,……故に聖人と曰う〕」[30]とある。『淮南子』說山訓に「凡得道者,形不可得而見,名不可得而揚,今汝已有形名矣,何道之所能乎?〔凡そ道を得る者は,形 得て見る可からず,名 得て揚ぐ可からず,今ま汝已に形名 有り,何の道をか之れ能くする所あらんや?〕」[31]とある。先秦時代から漢代にいたる形名の弁の最大となる成果は『釋名』の編纂である。『釋名』の自序に「名號雅俗,各方名殊,……夫名之於實,各有義類,百姓日稱而不知其所以之意,故撰天地、陰陽、四時、邦國、都鄙、車服、喪紀,下及民庶應用之器,論敘指歸,謂之《釋名》,凡二十七篇〔名號の雅俗,各方に名 殊にす,……夫れ名の實に於いて,各々義類有り,百姓 日々に稱えて其の所以(ゆえん)の意を知らず,故に天地・陰陽・四時・邦國・都鄙・車服・喪紀を撰び,下は民庶應用の器に及び,論じて指歸を敘す,之を『釋名』と謂う,凡(すべ)て二十七篇〕」とある。「名」は最終的には「字」「語」の形式で表現される。すなわち鍼灸医学の実践は,文字で構成された理論的な作品として形づくられるのである。

 『靈樞』のここでの 「形」 の使用は,『荘子』の言意の弁と共通するものがあり,抽象的な思考をどのように表現するかという問題にも及んでいる。『莊子』外物に「筌者所以在魚,得魚而忘筌;蹄者所以在兔,得兔而忘蹄;言者所以在意,得意而忘言〔筌なる者は魚に在る所以,魚を得て筌を忘る。蹄なる者は兔に在る所以,兔を得て蹄を忘る。言なる者は意に在る所以,意を得て言を忘る〕」 [28]とある。言語は思考を表現する道具ではあるが,完全に表現することはできず,比喩や象徴や暗示などの方法の助けを借りて,人々の想像や連想を引き出し,人々の生活の中で経験したある種の認識や印象の回想から,多くのさらに豊富で複雑な思考内容を結びつけ,形づくることによって,「言外の意」 [33]を獲得すると荘子は考えている。唐代になって,「言」は「字」に変わり,「意を得て言を忘る」説は,洗練されて司空圖の『二十四詩品』含蓄の「不著一字,盡得風流〔一字も著わさずして,盡(ことごと)く風流を得〕」[34]となった。『靈樞』のここは,まさに『莊子』の「意を得て言を忘れる」過程とは反対に,『靈樞』は普段にまとめられた抽象的思考,すなわち臨床経験(「法」と「經紀」)が形象つまり文字に変えられ,「令各有形〔各々形有らしむ〕」,「針經」は「形」の一部分であるので,「先ず立てる」ことが必要だった。


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