12-3 刺絡聞見録 三輪東朔〔説〕伊藤大助〔記〕
京大富士川文庫所蔵(シ/四六六)
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003374
刺絡聞見録序
吾本州人荻元凱著刺絡編詳説
和蘭之術毉家刺絡之術自是而
興焉越前縣道策近江中神右内
輩皆長此術矣雖然非專于此者
也其專此術而屢奏神效者莫三
輪東朔若也東朔之言曰百病生于
欝滯〃〃生于氣血擁塞刺絡祛瘀
一ウラ
濁之血通邪結之氣則擁塞者開
焉欝滯者散焉正氣宣達而眞
血流通諸患於是乎頓瘥矣是刺
絡之效也臺駘宣汾洮神禹疏九
河瀹濟漯決汝漢排淮泗能止天
下之大患能濟天下之黔黎吾術
同于此矣彼昏不知補住是悦欝
者益欝壅者益壅不近似鯀障
二オモテ
洪水乎此言極是夫專其術者必
造其玅〃而不止必入其神東朔
專攻此術四十年如一日矣今年
踰七旬其術殆入神妙而其獲
奇效偉驗駭人之耳目固宜矣
雖然醫之發汗吐下莫非開欝莫
非達塞又何特刺絡乎吐下之所
不及假此開達壅欝是為得之矣
二ウラ
醫治非專在于此而是亦醫治之
所不可闕也吾門人信濃伊藤大介
精于古醫方頃從東朔受其術筆
記其説以傳四方來而請序於予
予語之曰鯀障洪水而殛死漢志
以隄障為下策雖然漢唐宋明能
捍黄河之大患者唯此隄障〃〃
之功能殖百穀能育萬民則上古
三オモテ
之事不可以律今也且也靜然補
病莊周曾言之病之有補三代遺
言也予以謂毉治補瀉兩端猶車
之有兩輪與聖人之德刑仝缺一不
可發汗吐下皆是瀉也刺絡則瀉
術之最明顯者也聖人德禮之化
後人難企而覇者政刑之治其功
易成醫家之滔〃乎趣瀉術是亦
三ウラ
世道之汚隆時勢之所使然予不
得不為此三嘆也
文化丁丑春二月十三日
錦城老人加賀大田元貞才
佐撰
董齋文進書
〔印形黒字「文」「進」、白字「董/齋」〕
沖鶴年鎸
【訓み下し】
刺絡聞見録の序
吾が本州の人、荻元凱、刺絡編を著し、和蘭の術を詳説す。醫家刺絡の術、是れ自り而して興る。越前の縣道策、近江の中神右内の輩、皆な此の術に長ず。然りと雖も、此れに專らなる者に非ざる也。其れ此の術に專らにして、而して屢しば神效を奏する者は、三輪東朔に若(し)くは莫し。東朔の言に曰く「百病は、欝滯に生じ、欝滯は氣血の擁塞に生ず。絡を刺して瘀
一ウラ
濁の血を祛(さ)り、邪結の氣を通ぜしめば、則ち擁塞する者は開き、欝滯する者は散じ、正氣宣達して眞血流通す。諸患、是(ここ)に於いて頓(とみ)に瘥(い)えん。是れ刺絡の效なり。臺駘は汾・洮を宣(とお)し、神禹は九河を疏(とお)して、濟・漯を瀹(おさ)め、汝・漢を決して、淮・泗を排し、能く天下の大患を止め、能く天下の黔黎を濟(すく)う。吾が術は此れに同じ。彼れ昏くして知らず、補い住(とど)むるを是れ悦(よろこ)びて、欝する者は益々欝し、壅する者は益々壅するを。鯀の洪水を障(さえぎ)るに近似せざるや」と。
二オモテ
此の言極めて是なり。夫れ其の術を專らにする者は、必ず其の玅に造(いた)り、玅にして止まらざれば、必ず其の神に入る。東朔、專ら此の術を攻(おさ)めて、四十年一日の如し。今年、七旬を踰(こ)え、其の術、殆ど神妙に入る。而して其の奇效偉驗を獲て、人の耳目を駭(おどろ)かすこと、固(まこと)に宜(むべ)なるかな。然りと雖も醫の發汗吐下、欝を開くに非ざるは莫く、塞を達(とお)すに非ざるは莫し。又た何ぞ特(た)だ刺絡のみならんや。吐下の及ばざる所は、此れに假りて壅欝を開達す。是れ之を得たりと為す。
二ウラ
醫治は專ら此に在るに非ず、而して是れも亦た醫治の闕(か)く可からざる所なり。吾が門人、信濃の伊藤大介、古醫方に精(くわ)し。頃(このご)ろ東朔に從いて其の術を受け、其の説を筆記し以て四方に傳う。來たりて序を予に請う。予、之に語りて曰く「鯀、洪水を障りて殛死す。漢志、隄障を以て下策と為す。然りと雖も漢・唐・宋・明、能く黄河の大患を捍(ふせ)ぐ者は、唯だ此の隄障のみ。隄障の功は能く百穀を殖(う)え、能く萬民を育つ。則ち上古
三オモテ
の事は以て今を律す可からざるなり。且や靜然として病を補うこと、莊周曾て之を言う。病の補有るは、三代の遺言(いげん)なり。予以謂(おもえ)らく、醫治の補瀉は兩端にして、猶お車の兩輪有るがごとし。聖人の德刑と同じく、一を缺(か)くも不可なり。發汗吐下、皆な是れ瀉なり。刺絡は則ち瀉術の最も明顯なる者なり。聖人の德禮の化は、後人企て難し。而れども覇者の政刑の治は、其の功、成し易し。醫家の滔滔乎として瀉術に趣く。是れも亦た
三ウラ
世道の汚隆、時勢の然らしむる所なりと。予、此れが為に三嘆せざるを得ざるなり」と。
文化丁丑 春二月十三日
錦城老人 加賀大田元貞才佐撰す
董齋文進書す
沖鶴年鐫す
【注釋】
○本州‥故郷。地元。ここでは加賀。 ○荻元凱著刺絡編‥11-2刺絡編の注を参照。 ○縣道策‥江戸中期の人(生没年未詳)。越前府中の医家。名は長英、字は華山、道策は通称。奥村良筑に吐方を学び、刺絡療法にも通じた。著書『縣氏吐方』。長男(名は省、字は子修)は二代目縣道策、大田錦城が一時養嗣子になった。二男(名は蘭)は奥村良筑の養嗣子となった。 ○中神右内‥中神(なかがみ)琴溪(きんけい)。一七四四~一八三三。名は孚(まこと)、字は以隣(いりん)、通称右内(うない)。堂号は生々堂(せいせいどう)。門人の筆録として『生々堂醫譚』『生々堂養生論』『生々堂傷寒約言』『生々堂雑記』などの書がある。 ○三輪東朔‥一七四七~一八一九。京都の人で、字は望卿(ぼうけい)、号は浅草庵(せんそうあん)。刺絡術を荻野(おぎの)元凱(げんがい)に学んだ(『典籍辞典』)。 一ウラ ○祛‥とりのぞく。「はらう」が一般的な訓。 ○臺駘‥上古五帝のひとり、帝嚳の時の人。汾河、洮河を治めた。『左傳』昭公元年「臺駘能業其官、宣汾・洮」。 ○禹‥五帝のひとり、帝顓頊の孫。夏王朝の創始者。黄河の治水につとめる。『孟子』滕文公上「禹疏九河、瀹濟漯、……決汝漢、排淮泗」。九河は多くの河川。濟・漯・汝・漢・淮・泗は、みな河川の名前。禹は、たくさんの河川を治水した。濟水・漯水を疏通させ、汝水・漢水を決壊させ、淮水・泗水に流し込んだ。 ○黔黎‥人民。一般の人々。 ○彼昏不知‥『詩經』小雅 節南山 小宛「彼昏不知」。 ○鯀‥禹の父。堤防を築くことによって黄河の氾濫を治めようと試みたが、失敗した。そのため堯に殺されたともいう。 二オモテ ○七旬‥七十。 二ウラ ○伊藤大介‥一七七八~一八三八。大助は通称。名は初め祐(すけ)慶(よし)のちに祐(すけ)義(よし)。字は忠岱、別に鹿里・潛龍齋・迎繼堂と号した。藤原不比等の流れを汲む。二十七歳(一八〇四)で京都に出て吉益南涯に入門(『漢方の臨床』四十九卷五号、町泉寿郎)。本書の筆記者。 ○殛‥責めて殺す。 ○漢志‥『漢書』溝洫志「治河有上中下策……若乃繕完故隄、增卑倍薄、勞費無已、數逢其害、此最下策也」。 ○隄障‥堤防。 三オモテ ○靜然補病‥『莊子』外物「靜然可以補病、揃滅可以休老、寧可以止遽」。 ○莊周‥『莊子』の撰者とされる。 ○三代‥夏・殷・周の三王朝。 ○遺言‥先人のすぐれたことば。 ○德刑‥恩沢と刑罰。『左傳』宣公十二年「叛而伐之、服而舍之、德刑成矣。伐叛、刑也。柔服、德也。二者立矣」。 ○滔滔‥世の風潮にしたがって進み行くさま。 三ウラ ○汚隆‥時世風俗の盛衰。浮き沈み。 ○三嘆‥何度も感嘆する。深く感心する。 ○文化丁丑‥文化十四(一八一七)年。 ○大田元貞‥一七六五(明和二)~一八二五(文政八年四月二十三日)。名は元貞、字は公軒、通称は才佐、号は錦城。加賀大聖寺の医師・本草学者大田玄覺の子。京都の皆川淇園、江戸の山本北山に学ぶも、意に満たず、考証派となる。 ○董齋文進‥松本正義。董齋は号。大阪の中井董堂に師事した書家。東京都江東区の亀戸天神に董齋筆塚があるという。 ○沖鶴年‥近世後期の版木彫り師。名家の書や序跋文の摸刻など、字彫りを専らとした。鶴年は号、平次郎と称した。生没年未詳。鶴年の名を刻する作品は、……文化十一年刊『諸家人名録』の龜田鵬齋序(秦星池書)、文化十四年刊三輪東朔『刺絡見聞録』の大田錦城序文、文政二年刊大窪詩佛著『西游詩艸』大田錦城序(秦星池書)、文政四年刊大田錦城著『仁説三書』源半千序(秦星池書)、松本董齋序(書も)、同年刊林國雄著『興哥考』松本董齋序(書も)など、特定の文人に集中する(岩波書店『日本古典籍書誌学辞典』高橋明彦)。 ○鎸‥「鐫」の異体。刻む。彫る。
刺絡聞見録の序
吾が本州の人、荻元凱、刺絡編を著し、和蘭の術を詳説す。
【意訳】我が国(加賀)の人である荻野元凱は,『刺絡編』を著わして,日本とオランダの技術を詳しく説明している。
醫家刺絡の術、是れ自り而して興る。
【意訳】医者の間で,刺絡の術が,これをきっかけに盛んになった。
越前の縣道策、近江の中神右内の輩、皆な此の術に長ず。
【意訳】越前の縣道策や,近江の中神琴渓などは,みなこの刺絡術にたけていた。
然りと雖も、此れに專らなる者に非ざる也。
【意訳】とはいえ,これを専門におこなっていたわけではない。
其れ此の術に專らにして、而して屢しば神效を奏する者は、三輪東朔に若(し)くは莫し。
【意訳】この技術を専門にして,たびたび驚異的な成果を挙げたひとでは,三輪東朔の右に出るものはいない。
東朔の言に曰く
【意訳】三輪東朔は次のように言った。
「百病は、欝滯に生じ、欝滯は氣血の擁塞に生ず。
【意訳】「多種多様な病は,鬱滞から生まれ,鬱滞は気血がふさがることから生まれる。
絡を刺して瘀濁の血を祛(さ)り、邪結の氣を通ぜしめば、則ち擁塞する者は開き、欝滯する者は散じ、正氣宣達して眞血流通す。
【意訳】血絡を刺して滞って濁った血を取り除き,邪の結ぼれた気が通うようにすれば,塞がりは開き,鬱滞は消散し,正気が通り達し,(瘀血ではなく)本来の血が流れ通るようになる。
諸患、是(ここ)に於いて頓(とみ)に瘥(い)えん。
【意訳】多くの病は,そこでたちまち治癒するだろう。
是れ刺絡の效なり。
【意訳】これが刺絡の効果なのである。
臺駘は汾・洮を宣(とお)し、神禹は九河を疏(とお)して、濟・漯を瀹(おさ)め、汝・漢を決して、淮・泗を排し、能く天下の大患を止め、能く天下の黔黎を濟(すく)う。
【意訳】(古代中国の治水に譬えていえば)台駘が汾水と洮水を疎通させ,神禹(禹の尊称)が九つの河川を疎通させ,済水と漯水の流れを治め,汝水と漢水の堤防を決壊させ,淮水と泗水に流し込んだようなものである。そうして天下の大きな災害を止め,天下の人民を救うことができたのである。
吾が術は此れに同じ。
【意訳】私の術も,これと同じである。
彼れ昏くして知らず、補い住(とど)むるを是れ悦(よろこ)びて、欝する者は益々欝し、壅する者は益々壅するを。
【意訳】(ところが)医学に暗く,よろこんで補法ばかりしていて,(そのため)鬱滞するものは,ますます鬱滞し,塞がるものは,ますます閉塞するを知らない。
鯀の洪水を障(さえぎ)るに近似せざるや」と。
【意訳】これは,鯀が洪水を防ぐために堤防を築いたのに,似ていないだろうか」。
此の言極めて是なり。
【意訳】この言葉はきわめて正しい。
夫れ其の術を專らにする者は、必ず其の玅に造(いた)り、玅にして止まらざれば、必ず其の神に入る。
【意訳】そもそも刺絡の術を専門にするものは,かならずその奥深い境地にいたり,そこにとどまらずさらに研鑽すれば,神妙の境地に達する。
東朔、專ら此の術を攻(おさ)めて、四十年一日の如し。
【意訳】三輪東朔は,この刺絡の術を専攻し,四十年ずっと変わらなかった。
今年、七旬を踰(こ)え、其の術、殆ど神妙に入る。
【意訳】今年すでに七十歳をこえて,その術はほぼ神妙の境地に達している。
而して其の奇效偉驗を獲て、人の耳目を駭(おどろ)かすこと、固(まこと)に宜(むべ)なるかな。
【意訳】そしてその思ってもみないような偉大な治験を獲得して,人々を驚かせているのは,当然なことである。
然りと雖も醫の發汗吐下、欝を開くに非ざるは莫く、塞を達(とお)すに非ざるは莫し。
【意訳】とはいえ,医術において発汗・催吐・瀉下の治法は,みな鬱滞閉塞を取り除くものである。
又た何ぞ特(た)だ刺絡のみならんや。
【意訳】またどうして刺絡のみを特別視する必要があろうか。
吐下の及ばざる所は、此れに假りて壅欝を開達す。
【意訳】吐法・下法では効果が期待できない場合は,この刺絡の方法を利用して閉塞を開き,鬱滞をとおるようにする。
是れ之を得たりと為す。
【意訳】これこそ刺絡のすぐれたところである。
醫治は專ら此に在るに非ず、而して是れも亦た醫治の闕(か)く可からざる所なり。
【意訳】医療がすべて刺絡にあるわけではないが,これもやはり医療に欠くことができない治法の一つである。
吾が門人、信濃の伊藤大介、古醫方に精(くわ)し。
【意訳】我が門下生である信濃出身の伊藤大介は,古い医学に精通している。
頃(このご)ろ東朔に從いて其の術を受け、其の説を筆記し以て四方に傳う。
【意訳】近頃,三輪東朔から刺絡術を学び,その説を書き留めて,四方へ伝えようとしている。
來たりて序を予に請う。
【意訳】わたくしの所へ来て,序文を書いてほしいと請われた。
予、之に語りて曰く
【意訳】わたくしは,伊藤大介に次のように言った。
「鯀、洪水を障りて殛死す。
【意訳】鯀は洪水を防ぐために川の水をせき止めたが,そのために(尭に)誅殺された。
漢志、隄障を以て下策と為す。
【意訳】『漢書』溝洫志は,堤防を築くことは,まずい方法だとした。
然りと雖も漢・唐・宋・明、能く黄河の大患を捍(ふせ)ぐ者は、唯だ此の隄障のみ。
【意訳】そうはいっても,漢・唐・宋・明の時代を通じて,黄河の大洪水を防ぐことができたのは,この堤防があったからに他ならない。
隄障の功は能く百穀を殖(う)え、能く萬民を育つ。
【意訳】堤防があったおかげで,穀物を植えることができ,多数の民を育(はぐく)むことができたのである。
則ち上古の事は以て今を律す可からざるなり。
【意訳】したがって古代の方法に基づいて,現代の問題を判断処理することはできない。
且や靜然として病を補うこと、莊周曾て之を言う。
【意訳】また静かに病に補をおこなうことについては,莊子もかつて(『莊子』雜篇・外物で)言及している。
病の補有るは、三代の遺言(いげん)なり。
【意訳】病の治療法に補法があることは,夏・殷・周の三代から伝えられてきたすぐれた言葉である。
予以謂(おもえ)らく、醫治の補瀉は兩端にして、猶お車の兩輪有るがごとし。
【意訳】わたくしが思うに,医療において補瀉は二つのもので,車に車輪が二つあるのと同じである。
聖人の德刑と同じく、一を缺(か)くも不可なり。
【意訳】また聖人には,徳治と刑罰がともにあるのと同じであり,どちらか一方が欠けても成り立たない。
發汗吐下、皆な是れ瀉なり。
【意訳】発汗法と吐下法は,みな瀉法である。
刺絡は則ち瀉術の最も明顯なる者なり。
【意訳】刺絡は,瀉法の中でも最もあきらかなものである。
聖人の德禮の化は、後人企て難し。
【意訳】聖人による徳と礼による教化は,後世の人間には追いつくことは難しい。
而れども覇者の政刑の治は、其の功、成し易し。
【意訳】しかし覇者による政令と刑罰による治世は,その効果をあげやすい。
醫家の滔滔乎として瀉術に趣く。
【意訳】医家が世の風潮にしたがって瀉術にしたがい向かう。
是れも亦た世道の汚隆、時勢の然らしむる所なりと。
【意訳】これもまた世の中の盛衰,時代の情勢がそうさせているのである,と。
予、此れが為に三嘆せざるを得ざるなり」と。
【意訳】わたくしは,このために何度もため息を漏らさざるを得ないのだ」と。
文化丁丑 春二月十三日
【意訳】文化十四年(1817)春二月十三日
錦城老人 加賀大田元貞才佐撰す
【意訳】錦城老人 加賀の大田元貞才佐 著わす
董齋文進書す
【意訳】董斎 文進(松本正義) 浄書
沖鶴年鐫す
【意訳】沖 鶴年 彫る
以下、句切り、濁点を用い、ひらがなで送りがなを増やす。訓点に用いられる「コト」「シテ」をあらわす文字はひらがなとする。ルビをつける。
刺絡聞見録(伊藤大助序)
余弱冠ヨリ医学ニ志シ、初め李朱ノ説ヲ尊信セシガ、後ち東洞先生ノ著書ヲ朋友ノ許(もと)ニ見テ、仲景氏ノ方法ノ精妙ナルことヲ知リ、専らコレヲ尊奉シ、晋唐以來ノ諸大家ノ家言ヲ眄睨シ、千載ノ卓見トセリ。其の後亦た平安ニ至リ、其の嗣タル南涯先生ニ師事シテ傷寒論金匱要略ノ講説ヲ聞く。始めハ思フ、古先生ノ旨ニ戻(もと)リ、氣血水ノ三統ヲ以テ、此れヲ辨別スルハイカント。日ヲ經(へ)月ヲ累(かさ)ヌルニ從っテ、先生ノ意味ノ寓スル所ヲ知リ、此の説ヲ篤ク信ゼリ。篤ク信ズルこと數年ナリシガ、一日一大疑案ヲ生じタリ。イカント云フニ、凡そ仲景氏ノ傷寒論ハ論ナルべシ。論ナラバ論ヲ以テ主トスベキニ、今ま其の撰次ノ書ヲ歴觀スレバ、類聚ヲ以て主
一ウラ
トスルモノナリ。然ルヲ、イカンシテ論ト云ふモノヲ以テ講説スルことヲ得ンヤト疑フ。コレヨリ其の疑フ所ニ意ヲ留メテ、其の遺訓ヲ讀むニ、ナルホド其の一章ノ體ハ論ナリ。論ヲ以テ主トナシタル證據ハ、晋唐以來ノ医書トヒト(等)シカラズ。三隂三陽ノ病名ヲ建て而(て)、其の陽病云云ノ證ハ何湯主之、云云ノ證ハ何湯ニ宜しト云ひ、或いは與ふト云ひテ、證ヲ先ニシ方ヲ後ニス。其の先ニスルノ證ニ他ト混ズルヲ別ツアリ。其の別ツ所ニ目ヲ注いデ、造次顛沛ニモコレヲ思ふ。コレヲ思ふこと數年ナリ。數年ニシテ其の書、體ハモト論ニシテ、類聚ハ王叔和ガ自己ニ出づルことヲ知リ、斷然トシテ云ふ、作者ノ意味ハ論ニアツテ、類聚ニアラズト。コレヨリ王叔和ノ撰次ニヨルことヲ止メ、論ヲ主トシテ證ヲ其の混ズル所ニ集メ、コレヲ別ツノ撰次ヲナス。其の撰次ヤ十余年ノ星霜ヲ經(へ)
二オモテ
テ、漸クナルナリテ、其の意ヲ註解シ、コレヲ獨斷ト名づけ、先づ其の正文ナルモノヲ世ニ公けニセントス。其の詳らかナルハ、傷寒論或問ニ辨論ス。故ニ爰(ここ)ニ贅セズ。實ニ仲景氏ノ遺訓ヲ讀みテ其の意味ヲ知ルことヲ得バ、信(まこと)ニ我ガ精氣ノ極ノ然ラシムル所ト、其の身モコレヲ自負シ、其のスル所ハ東洞先生ノ主トスル所ヲ主トシ、其の講説スル所ハ其の排スル所ヲ排セズ。東漢ニ溯洄シ、仲景氏ノ主トスル所ヲ主トス。是れ平生、其の志行ノ所ヲ云ふノミ。其の志行ヲナス中ニ、ヒトリ湯液ノ及バザル所ヲ輔翼スルモノアリ。世ニ云ふ刺絡ノ術ナリ。其の術ハ瘀濁ノ惡血ヲトルト云ふモノニシテ、其の事ヲ平安ノ荻台州ガ著セシ刺絡篇ニテ知リ、郭右陶ノ痧脹玉衡ヲ求メテ讀むニ、萬病ニ痧アルことヲ覚(さと)ル。其の後、高陽朴ノ医談、中神右内ノ医談雜記ヲ得テ、其の事マタ詳らかニナレリ。
二ウラ
然レドモ常ニ見ザルノ血ヲ見ルノ術タル故ニ、病家モ好マズ、又た己モ人ノ好まザル所ヲ施すニ心ナシ。其の施すニ心ナキハ、其の事ニナレザルニ起こル。ナレザル刺絡ハモトヨリ論ナシ。平日トリ(取)アツカ(扱)ウ湯藥サヘ、下劑ノツヨ(強)キハ人ノ惡ム所ナリ。然レドモ強ひテコレヲナス。吐劑ニ至っテハ、順ニ下降スべキ飮食ヲ、逆ニ吐出セシムル故ニ、病家ハモトヨリ医モ亦たコレヲ與へズ。越前ノ奥村良筑ノ如キハ、医中ノ豪傑ナリ。超然トシテ人ノ忌み好まザルことヲナス。故ニ人モコレニ目ヲ注ぎ、其の國ニ至リ、其の治ヲ学ぶ。其のコレヲ学ぶモノ多キ中ニ、獨嘯庵ガ吐方考、荻台州ノ吐法編アルハ、先づ其の意味ヲヨク得タル人トモ謂ふベシ。其の書ヲ得テ讀むモノハ、其の理ヲ知ルノミニシテ、其の事ニナレザルニヨリテ恐怖スル所アリ。又た其の術ヲ受くル人ハ、無知ノ俗ナレバ、世
三オモテ
ニ異ナル治ヲナスト稱ス医、其の事ニナレザル恐怖スルノ藥ヲ與へレバ、飮食ヲ吐出シテ悶亂シ、手足厥シ冷汗出で、コレニヨリテ病家ハ毒ヲ與ふルガ如ク周章シ、或ひハ死ニ至らンカト問ふ。コレニヨリテ医モイヨイヨ恐怖シテ與ふルことヲ欲セズ。與ふルことヲ欲セザルハ、コレ他ナシ、唯だ其の書ヲ讀んデ其の理ヲ知リ、其の事ニナレ(慣)ザルニヨレリ。獨嘯庵・台州ノ如キハ、親しク其の國ニ至リ、其の人ニ從事シテ、其の事ニ屢しばナレタルナリ。故ニ苦労スル形狀ヲモ知リ、疾病ノ治セシことモ見聞セシ故ニ、恐怖ノ心ナク施セシナラン。又た奥村ハモトヨリ專門タレバ、其の許(もと)ニ至ル病人、吐ハクル(苦)シキト云ふことヲ會得シテカヽリ、又た吐ニヨリテ疾病ノ治スルヲ見聞シテ至ル故ニ、果然トシテ志定まルモノナリ。又た其の門ニテハ平生ノ作業タル故ニ、病人ヲ見ルト治ヲ施サ
三ウラ
ルニ治スルト思惟シテ、恐怖ノ心ナク、藥ノ分量ヲ定メテ與フ。コレ他ナシ、ナレルトナレザルトノ二つノミ。總(す)べテ百事ハナレルトナレザルニヨリテ、霄壤ナリ。余、前ニ舉ぐル如キ刺絡ノ書ヲ讀むトモ、其の事ニナレザルニヨリテ、其の理ハ知レドモ、親しク見聞スルことナキ故、心ニ恐怖スル所アリ。恐怖スル所アルモノハ、其の事ニナレザルニヨレリ。ナレザル故ニ、其の事ヲナサズ。空しク年月ヲ經タリ。去年六月、中神右内、江戸ニ出で脚氣ヲ刺絡シ、足舉げガタク沈重スルモノモ、即時ニカル(軽)カラシムルナドアリト傳聞ス。秋ニ至リ、山脇家法ヲ得テ讀むニ、刺絡ノことヲ詳らかニス。冬ニ至リ、數年患ふル所ノ痔漏ヲ治セント、江戸ニ来たリ、京橋因幡町、畑中分中子ニ治ヲ請ふ。其の間、加賀医官吉田長俶子ノ著セル泰西熱病論ヲ見ルニ、熱病ニモ刺絡シ、痘瘡ニモ刺
四オモテ
絡スルことヲ載ス。余始めハ思ふ、山脇・中神ノ兩家ヲ訪ね、其の術ヲ学ばント志し、又た吉田氏ノ著書ヲ見テ、其の人ニ学ばントス。時ナルカナ、小網町三丁目、加田屋長右衞門ニ寓居シテ在りシガ、總州銚子ノ人、羽戸七右衞門、余ガ医学ヲ好むことヲ聞き、其の身刺絡シテ危急ヲ救ひタルこと、其の他竒効ヲ奏セシヨシヲカタ(語)ル。初夜ヨリ中夜ニ及ぶ故ニ、其の術ヲ何所(いづく)ニ受けシヤト問はバ、三輪東朔ト云ふ人ニ学ぶト云ふ。余、其の人ノ住居ヲ問はバ、云ふ、先ニ銚子ニ在り、今ま淺草ニ寓スト云ふ。我れ手ヲ拍(う)っテ曰く、數年学ばント欲スルノ術、イマダ其の人ニア(会)ハズシテ、空しク年月ヲ經タリ。又た他ト異ナル説ヲ建て、湯藥主トセズ、刺絡主トスルト云ふノ人ニ逢ふことヲ得ルオヤ。實ニ天、我ニ幸ひヲ得セシムルノ時ナリ。時ヲバ失ふベカラズト、其の居ヲ訪ね、姓名ヲ通シ、門ニ入らント請フ。先生コレヲ許ス。故ニ束脩シテ、其の門
四ウラ
ニ入リ、其の大體ヲ聞くニ、古人未發ノ説ニして先哲未言ノ所ヲ述べテ、我ニ聞かシム。我コレヲ聞き、歎ジテ曰く、仲景氏ハ医聖ナリ。其の医聖ノ方法ヲ用ゐテモ應ゼザルアリ。其の應ゼザルヲ應ゼシメントスルニハ、刺絡ノ術輔翼スルニアラザレバ、病、膏肓ニアルモノニ應ズルことアタハズト。爵躍シ、膝ノ進むことヲ知ラズ。又た其のスル所ヲ見レバ、瘀濁ノ惡血ヲサ(去)リ、澁滯ノ血ヲして運動活潑ノ用ヲナサシムルノ術タリ。余コレニヨリ、其の會得スル所ト、先生ノ論辨シ玉フ所トヲ記シテ二卷トシ、刺絡聞見録ト号シ、其の事ヲ詳審ニシ、其の經驗ヲモ併せ舉グ。コレ其の事ヲ親しク聞見セザルモノモ、恐怖ノ心ナク其の術ヲ施スベキ爲ニナス。實ニ此の術ハ、湯液ノ及ばザルヲ輔翼スルモノニシテ、医タルモノ知ラズンバアルベカラザルモノナリ。若し亦た事ヲ解スベキ
五オモテ
病家アラバ、此の書ヲ讀まシメトキ(説)キカ(聞)サシメバ、血ヲ見ルトモ忌み嫌ふベキことモナク、恐怖ノ心モ生ゼザラシメン。若し然らバ起きガタキ沈痾痼疾ハ勿論、鬼籍ニ載らントスルノ危急促迫ノモノモ平快ニ至らン。然れバ余ガ医学ヲ好スル志モ世ニ顕レ、先生ノ説モ廣ク四方ニ流布シ、海内ニ先生アルことヲ知らシメ、其の志、萬民ヲして骨ニ肉スルノ幸ひアラシメントスルノ主意モ達センナリ。故ニ事ヲ竒ニセズ、術ヲ隠サズ、唯だ濟世ヲ主トシ、如此(かくのごとく)其の本末ヲ序スルト云爾(しかいふ)
文化十四年丁丑孟春 信濃 伊藤大助謹述
〔印形黒字「藤/原」、白字「祐/鹿」〕
【注釋】
○弱冠‥二十歳。 ○李朱‥李東垣と朱丹溪。後世派。 ○東洞先生‥吉益東洞(一七〇二~一七七三)。古方派を代表する人物。 ○仲景氏‥後漢・張仲景。 ○眄睨‥横目に見る。 ○平安‥京都。 ○南涯先生‥吉益南涯(一七五〇~一八一三)。父、東洞の万病一毒説を敷衍して気血水説を唱える。 ○古先生‥東洞。 ○疑案‥解決できない疑問案件。 ○類聚‥同類のものを集める。ここでは證ごとに集める。 一ウラ ○遺訓‥張仲景の書。 ○其の一章‥伊藤大助『傷寒論張義定本』を参照。 ○造次顛沛‥つまずき倒れるわずかの間。非常に短い時間。『論語』里仁「君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是/君子は食を終うるの間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす」。 ○星霜‥歳月。 二オモテ ○獨斷‥ ○傷寒論或問‥ ○東漢‥後漢。 ○溯洄‥さかのぼる。 ○輔翼‥補佐。補助。 ○志行‥志と行い。 ○平安‥京都。 ○荻台州‥荻野元凱。台州は号。 ○郭右陶ノ痧脹玉衡‥清・郭志邃撰。右陶は字。康煕十四(一六七五)年初刊本は三卷。十七年に増補して四卷本となる。 ○痧‥『痧脹玉衡』を参照。血分にあるものは瀉血する。 ○高陽朴ノ医談‥『暘谷齋醫辨』の異本か。高階淳(生没年未詳)。陽朴は字。号は暘谷齋。長崎のひと。漢詩人・高階暘谷(一七一九~六六)の弟(『漢方の臨床』四十九卷二号、長野仁)。 ○医談雜記‥『生生堂醫譚』『生生堂襍記』。 二ウラ ○病家‥患者。 ○奥村良筑‥貞享三(一六八六)年~宝暦十(一七六〇)年。江戸中期の医者。名は直、号は南山。良竹(良筑)は字。越前国府中松森村(福井県武生市)生まれ。父は道喜。十余歳で駿府(府中)藩医山崎良伯に就いて医を学び、一時大坂に出たが帰郷して医を業とし、府中藩医となって本多侯に仕えた。のち本多侯の息女に従って京都に上り、後藤艮山、並河天民らの説を聞き、帰郷。古医方に通じたが、そのうち吐法が埋もれているのを惜しんで研究を積み、吐剤を臨床に活用し、新治療を開き、京都など各地から多くの弟子が参集した。著述をなさなかったが、その治法は永富獨嘯庵『吐方考』や荻野元凱『吐方編』など門人の著述によりうかがえる。∧参考文献∨土肥慶蔵『鶚軒游戯』「奥村良筑考」(『朝日日本歴史人物事典』小曾戸洋)。 ○超然‥超脱。世俗にとらわれない。 ○獨嘯庵ガ吐方考‥永富獨嘯庵(一七三二~六六)。獨嘯庵は長門国赤馬関(下関市)の人で、名は鳳(ほう)、字は朝(ちよう)陽(よう)、通称昌(しよう)安(あん)、のち鳳(ほう)介(すけ)。医師永富氏の養子となり、十八歳のとき京の山脇東洋に入門。東洋は古方の汗・下法に巧みであったが、吐方に通ずるため、当時吐方に詳しかった越前の奥村良竹(りようちく)のもとに、獨嘯庵と嫡男の東門(とうもん)を派遣し、学ばせた。その成果が本書である。宝暦十二(一七六二)年の山脇東洋(とうよう)の序、翌十三年の清水(しみず)伯毅(はくき)(剛(つよし))の跋を付して同年刊(『典籍辞典』)。 ○荻台州ノ吐法編‥宝暦十四(一七六四)年刊。 三オモテ ○周章‥あわてふためき騒ぐ。周章狼狽。 三ウラ ○霄壤‥天と地。天と地ほども大きな違いがあることのたとえ。 ○山脇家法‥未詳。山脇東門は東洋の第二子で、名は玄陶(はるすえ)、字は大鑄(たいちゆう)、初名は玄侃(はるやす)、方学(ほうがく)居士(こじ)とも号した。十七歳のとき父の命で永富獨嘯庵とともに越前の奥村良竹を訪ね、吐方の術を学んだ(『典籍辞典』)。 ○畑中分中子‥未詳。本書卷上十二裏に痔漏(瘻)の患者が多いことが記されている。 ○吉田長俶子‥安永八(一七七九)年~文政七(一八二四)年。江戸後期の蘭方医。名は成德、字は直心。駒谷と号す。書斎号を蘭馨堂。長淑は通称で、佐侯とも称す。幕府の御先手組同心馬場兵右衛門の子として江戸に生まれたが、母方の祖父吉田長肅の養子となり医者を志す。幕府医官土岐長元に学んだのち、桂川甫周(國瑞)について蘭方医学を学ぶ。また、蘭方医宇田川玄真の義弟として内弟子以上の待遇で懇切な指導を受けた。文化七(一八一〇)年、宇田川玄真の推挙により藤井方亭と共に加賀藩の江戸住医師となる。 当時の蘭方医学はもっぱら外科が中心であったが、長淑は蘭方内科を専門とした。享和年間(一八〇一~〇四)には江戸日本橋にわが国で初めて蘭方内科を標榜した医院を開業した。翻訳書にはレメリーの薬物辞典の翻訳『和蘭藥撰』三卷、その増補『遠西樂圃綱目』十七卷、『蘭藥鏡原』五十卷(草部三卷のみ一八二〇年刊)、ブカンの『蒲剛製劑篇』、ハックサムの内科書『泰西熱病論』六卷付録一卷(一八一四)がある。蘭馨堂門下には高野長英(長英の名は長淑から与えられたもの)、足立長雋、湊長安、吉田正恭をはじめ百数十人の名が知られる。∧参考文献∨平野満「蘭方医・吉田長淑年譜考」(『明治大学大学院紀要』十五集)、同「古方から蘭方へ」(『駿台史学』四十五号) (『朝日日本歴史人物事典』平野満)。 ○泰西熱病論‥玉凾夫古撒謨(ヨハン・ヒーサム)著。吉田成德訳。 四オモテ ○時ナル‥時節が到来する。 ○初夜‥戌の刻。今の午後八時ごろ。また、今の午後七時ごろから午後九時ごろまで。初更。/一昼夜を六分した「六時」の一つ。夜を初・中・後に三分した最初の時間で、だいたい午後六時から午後九時までに当たる。 ○中夜‥一夜を三分した真ん中の時間。亥の刻から丑の刻(=午後九時ごろ~午前三時ごろ)までの間。 ○束脩‥入門するとき師にさしあげる進物や礼金。 四ウラ ○病膏肓‥病気が重くなって治る見込みがなくなる。 ○爵躍‥「爵」は「雀」に通ず。雀が跳躍するがごとく欣喜のきわみ。 ○膝ノ進む‥すわったまま相手に近寄る。話に乗り気になるさま。思わず身を乗り出す。 ○知ラズ‥~に対して自覚がない。 ○活潑‥活発。動作が生き生きしているさま。元気で勢いがよい。 五オモテ ○鬼籍‥死者の氏名・戒名・死亡年月日などを書きつける帳面。過去帳。 ○骨ニ肉スル‥骨に筋肉が再生する。深い恩を受けるさま。『左傳』襄公二十二年「吾見申叔夫子、所謂生死而肉骨也」。杜預注「已死復生、白骨更肉」。 ○主意‥中心となる重要な意味。主眼。 ○竒‥ふしぎなこと。珍しいこと。 ○濟世‥世の人を救う。 ○孟春‥陰暦正月。
刺絡聞見録(伊藤大助序)
余弱冠ヨリ医学ニ志シ、初め李朱ノ説ヲ尊信セシガ、後ち東洞先生ノ著書ヲ朋友ノ許(もと)ニ見テ、仲景氏ノ方法ノ精妙ナルことヲ知リ、専らコレヲ尊奉シ、晋唐以來ノ諸大家ノ家言ヲ眄睨シ、千載ノ卓見トセリ。
【意訳】わたくしは,二十歳のころから医学を志望し,最初は李東垣・朱震亨(など金元四大家に基づく後世派)の説を信奉していたが,のちの吉益東洞先生の著書を友人のところで見て,張仲景先生の治療法の素晴らしいことを知って,(それ以来)もっぱら張仲景を信奉し,晋・唐以降の諸大家の見解を横目で見て,仲景の説を千年来の優れた見解だと思った。
其の後亦た平安ニ至リ、其の嗣タル南涯先生ニ師事シテ傷寒論金匱要略ノ講説ヲ聞く。
【意訳】その後,京都に行って,東洞先生の跡継ぎである吉益南涯先生に師事して,『傷寒論』や『金匱要略』の講義を聞いた。
始めハ思フ、古先生ノ旨ニ戻(もと)リ、氣血水ノ三統ヲ以テ、此れヲ辨別スルハイカント。
【意訳】最初は,東洞先生の趣旨に反して,気・血・水という三系統によって病を区別するのは,いかがなものか,と思った。
日ヲ經(へ)月ヲ累(かさ)ヌルニ從っテ、先生ノ意味ノ寓スル所ヲ知リ、此の説ヲ篤ク信ゼリ。
【意訳】それから時を重ねて,南涯先生が言っていた意味の所在を知って,この説を非常に信じるようになった。
篤ク信ズルこと數年ナリシガ、一日一大疑案ヲ生じタリ。
【意訳】非常に信じるようになってから数年たったある日,大きな疑問が生じた。
イカント云フニ、凡そ仲景氏ノ傷寒論ハ論ナルべシ。
【意訳】どういうことかと言うと,張仲景先生の『傷寒論』はすべて論であるはずである。
論ナラバ論ヲ以テ主トスベキニ、今ま其の撰次ノ書ヲ歴觀スレバ、類聚ヲ以て主トスルモノナリ。
【意訳】論であるならば論を主体とすべきであるのに,現在,その著わされた書籍を渉猟してみれば,証ごとに集めたものが主体となっている。
然ルヲ、イカンシテ論ト云ふモノヲ以テ講説スルことヲ得ンヤト疑フ。
【意訳】それなのに,どうして論というものを講義することができようかと,疑った。
コレヨリ其の疑フ所ニ意ヲ留メテ、其の遺訓ヲ讀むニ、ナルホド其の一章ノ體ハ論ナリ。
【意訳】それから,この疑問点に意識を集中して,その遺された教えを読んでみると,確かにその章立ては論である。
論ヲ以テ主トナシタル證據ハ、晋唐以來ノ医書トヒト(等)シカラズ。
【意訳】論を主体とした証拠は,晋・唐以降の医学書とは異なる。
三隂三陽ノ病名ヲ建て而(て)、其の陽病云云ノ證ハ何湯主之、云云ノ證ハ何湯ニ宜しト云ひ、或いは與ふト云ひテ、證ヲ先ニシ方ヲ後ニス。
【意訳】三陰三陽の病名を立てた上で,その陽病……の証は何々湯,これをつかさどる,……の証は何々湯が良い,といい,あるいは与えると言って,証を先に出して処方を後に掲載している。
其の先ニスルノ證ニ他ト混ズルヲ別ツアリ。
【意訳】その先に挙げられた証には,他の証とは混同しないような区別が設けられている。
其の別ツ所ニ目ヲ注いデ、造次顛沛ニモコレヲ思ふ。
【意訳】その区別に注目して,わずかな隙間時間もこのことを考えつづけた。
コレヲ思ふこと數年ナリ。
【意訳】このことを考えつづけて,数年がたった。
數年ニシテ其の書、體ハモト論ニシテ、類聚ハ王叔和ガ自己ニ出づルことヲ知リ、斷然トシテ云ふ、作者ノ意味ハ論ニアツテ、類聚ニアラズト。
【意訳】数年たって,『傷寒論』という書物は,その本来の形体が論であって,類聚という形式が王叔和自身がおこなったことを知った。断言できるのは,作者の意図は論にあって,類聚にはない,ということである。
コレヨリ王叔和ノ撰次ニヨルことヲ止メ、論ヲ主トシテ證ヲ其の混ズル所ニ集メ、コレヲ別ツノ撰次ヲナス。
【意訳】これから王叔和が編次した『傷寒論』に基づくことをやめ,論を主体として証をその混じっているところに集めて整理し,新たに独自の編集をおこなった。
其の撰次ヤ十余年ノ星霜ヲ經(へ)テ、漸クナルナリテ、其の意ヲ註解シ、コレヲ獨斷ト名づけ、先づ其の正文ナルモノヲ世ニ公けニセントス。
【意訳】その編集に十年あまりの歳月を費やし,ようやく形が整った。その意図するところを注解して,これを独断と名付けて,まずその(張仲景の)正文としたものを世間に公表しようとした。
其の詳らかナルハ、傷寒論或問ニ辨論ス。
【意訳】その詳細については,『傷寒論或問』で論じている。
故ニ爰(ここ)ニ贅セズ。
【意訳】そのため,ここでは繰り返さない。
實ニ仲景氏ノ遺訓ヲ讀みテ其の意味ヲ知ルことヲ得バ、信(まこと)ニ我ガ精氣ノ極ノ然ラシムル所ト、其の身モコレヲ自負シ、其のスル所ハ東洞先生ノ主トスル所ヲ主トシ、其の講説スル所ハ其の排スル所ヲ排セズ。
【意訳】実際に張仲景先生が遺した教えを読んで,その意味を知ることができて,まさに自分の精力を注ぎ尽くした結果であると,我が身であっても自負した。その内容は,東洞先生が主体と判断したものを主体とするが,その講義で張仲景の説ではないと排除したところは排除していない。
東漢ニ溯洄シ、仲景氏ノ主トスル所ヲ主トス。
【意訳】後漢時代にさかのぼり,張仲景が主張したものを主体とする。
是れ平生、其の志行ノ所ヲ云ふノミ。
【意訳】以上は,わたくしが平生から抱いていた志とそれに基づいた行動について述べたものである。
其の志行ヲナス中ニ、ヒトリ湯液ノ及バザル所ヲ輔翼スルモノアリ。
【意訳】その志しておこなう中で,湯液だけでは達成できないことの助けとなるものがあった。
世ニ云ふ刺絡ノ術ナリ。
【意訳】世間で言う刺絡の術がこれである。
其の術ハ瘀濁ノ惡血ヲトルト云ふモノニシテ、其の事ヲ平安ノ荻台州ガ著セシ刺絡篇ニテ知リ、郭右陶ノ痧脹玉衡ヲ求メテ讀むニ、萬病ニ痧アルことヲ覚(さと)ル。
【意訳】その術は,滞り濁った悪い血を取るというもので,このことを京都の荻野台州(元凱)が著わした『刺絡編』で知り,郭右陶(志邃)の『痧脹玉衡』を手に入れて読むと,あらゆる病には痧というものがあることに気づいた。
其の後、高陽朴ノ医談、中神右内ノ医談雜記ヲ得テ、其の事マタ詳らかニナレリ。
【意訳】その後,高階陽朴の『医談』,中神右内(琴渓)の『医談雑記』を入手して,それについてまた詳細がわかった。
然レドモ常ニ見ザルノ血ヲ見ルノ術タル故ニ、病家モ好マズ、又た己モ人ノ好まザル所ヲ施すニ心ナシ。
【意訳】しかしながら,刺絡はふだんは目にすることがない出血させる術であるために,病人も好まず,また自分としてもひとが好まないことをする気になれなかった。
其の施すニ心ナキハ、其の事ニナレザルニ起こル。
【意訳】する気にならないのは,そのことに慣れていないことに起因する。
ナレザル刺絡ハモトヨリ論ナシ。
【意訳】慣れていない刺絡など,もとより論外である。
平日トリ(取)アツカ(扱)ウ湯藥サヘ、下劑ノツヨ(強)キハ人ノ惡ム所ナリ。
【意訳】普段取り扱っている飲み薬でさえ,強い下剤は人々が嫌うものである。
然レドモ強ひテコレヲナス。
【意訳】それでも(必要なときは)無理やりでも投与する。
吐劑ニ至っテハ、順ニ下降スべキ飮食ヲ、逆ニ吐出セシムル故ニ、病家ハモトヨリ医モ亦たコレヲ與へズ。
【意訳】まして吐剤となると,本来はのどから胃腸へ順に下っていく飲食物を逆に吐き出させるのであるから,患者はもとより医者もこれを投与しようとしない。
越前ノ奥村良筑ノ如キハ、医中ノ豪傑ナリ。
【意訳】越前の奥村良筑のような人は,医者の中の豪傑である。
超然トシテ人ノ忌み好まザルことヲナス。
【意訳】人々の忌み嫌うことを悠々とやってのける。
故ニ人モコレニ目ヲ注ぎ、其の國ニ至リ、其の治ヲ学ぶ。
【意訳】そのため人々も注目して,わざわざ越前まで行って,その治療法を学ぶのである。
其のコレヲ学ぶモノ多キ中ニ、獨嘯庵ガ吐方考、荻台州ノ吐法編アルハ、先づ其の意味ヲヨク得タル人トモ謂ふベシ。
【意訳】この治療法を学ぶ人が多い中で,永富独嘯庵の『吐法考』と荻野元凱の『吐法編』があるが,この二人はこの治療法の本質的な意味をよく理解した人であるとも言えよう。
其の書ヲ得テ讀むモノハ、其の理ヲ知ルノミニシテ、其の事ニナレザルニヨリテ恐怖スル所アリ。
【意訳】かれらの書物を手に入れて読んだ人は,その理屈を知るだけで,実際の治療には不慣れなので恐怖心を抱いてしまう。
又た其の術ヲ受くル人ハ、無知ノ俗ナレバ、世ニ異ナル治ヲナスト稱ス医、其の事ニナレザル恐怖スルノ藥ヲ與へレバ、飮食ヲ吐出シテ悶亂シ、手足厥シ冷汗出で、コレニヨリテ病家ハ毒ヲ與ふルガ如ク周章シ、或ひハ死ニ至らンカト問ふ。
【意訳】またその施術を受ける患者は,無知な一般人である。世間とは異なる治療法をするという医者が,本人も習熟しておらず,恐ろしいと思っている薬を与えたならば,飲食物を吐き出して悶え苦しみ,手足が冷えて汗が噴き出し,このため患者は毒を盛られたかのように慌てふためき,死んでしまうのではないか,と詰問する。
コレニヨリテ医モイヨイヨ恐怖シテ與ふルことヲ欲セズ。
【意訳】こうなると医者もますます恐怖心を募らせて,吐剤を投与したくなくなる。
與ふルことヲ欲セザルハ、コレ他ナシ、唯だ其の書ヲ讀んデ其の理ヲ知リ、其の事ニナレ(慣)ザルニヨレリ。
【意訳】投与したくなくなるのは,ほかでもない,ただその書物を読んだだけで,理屈は知っていても,実際の治療に習熟していないからなのである。
獨嘯庵・台州ノ如キハ、親しク其の國ニ至リ、其の人ニ從事シテ、其の事ニ屢しばナレタルナリ。
【意訳】永富独嘯庵や荻野元凱のような人物は,みずからその国,越後に赴き,当人に師事して実際に何度も施術して習熟したのである。
故ニ苦労スル形狀ヲモ知リ、疾病ノ治セシことモ見聞セシ故ニ、恐怖ノ心ナク施セシナラン。
【意訳】そのため患者が苦しむさまも熟知し,病気が治ることも見聞したので,恐怖心を抱かずに治療を施すことができたのであろう。
又た奥村ハモトヨリ專門タレバ、其の許(もと)ニ至ル病人、吐ハクル(苦)シキト云ふことヲ會得シテカヽリ、又た吐ニヨリテ疾病ノ治スルヲ見聞シテ至ル故ニ、果然トシテ志定まルモノナリ。
【意訳】また奥村良筑は元々吐法を専門にしていたので,彼のところにやってくる病人は,吐いて苦しむということを承知の上で治療を受けに来たし,また吐くことによって病気が治ることを見聞きして来たので,覚悟がはっきりと定まっているのである。
又た其の門ニテハ平生ノ作業タル故ニ、病人ヲ見ルト治ヲ施サルニ治スルト思惟シテ、恐怖ノ心ナク、藥ノ分量ヲ定メテ與フ。
【意訳】また奥村の門下では,普段の仕事なので,病人を見て治療を施せば治ると思っているので,恐怖心を抱かず,薬の分量を決めて与えているのである。
コレ他ナシ、ナレルトナレザルトノ二つノミ。
【意訳】これは,ほかでもない。慣れているか慣れていないかの二つの違いにすぎない。
總(す)べテ百事ハナレルトナレザルニヨリテ、霄壤ナリ。
【意訳】総じて何ごとにおいても,慣れているか慣れていないかによって,天と地ほどの差が生じるのだ。
余、前ニ舉ぐル如キ刺絡ノ書ヲ讀むトモ、其の事ニナレザルニヨリテ、其の理ハ知レドモ、親しク見聞スルことナキ故、心ニ恐怖スル所アリ。
【意訳】わたくしは,先に挙げたような刺絡の書籍を読んでも,その実際の施術になれていないので,その理屈はわかっても,直接現場を見聞したことがなかったので,恐怖心があったのだ。
恐怖スル所アルモノハ、其の事ニナレザルニヨレリ。
【意訳】恐怖心があるのは,そのことに習熟していないことが原因である。
ナレザル故ニ、其の事ヲナサズ。
【意訳】慣れないから,そのことをしない。
空しク年月ヲ經タリ。
【意訳】(そうして)無駄に年月を過ごしてきた。
去年六月、中神右内、江戸ニ出で脚氣ヲ刺絡シ、足舉げガタク沈重スルモノモ、即時ニカル(軽)カラシムルナドアリト傳聞ス。
【意訳】昨年の六月に中神琴渓が江戸に出てきて,脚気に対して刺絡をおこなったところ,足が挙がらず重篤だったひとも,すぐに軽くなった,などという話を聞いた。
秋ニ至リ、山脇家法ヲ得テ讀むニ、刺絡ノことヲ詳らかニス。
【意訳】秋になって,山脇家の医書を手に入れて読むと,刺絡について詳細に記されていた。
冬ニ至リ、數年患ふル所ノ痔漏ヲ治セント、江戸ニ来たリ、京橋因幡町、畑中分中子ニ治ヲ請ふ。
【意訳】冬になって,数年患っていた痔漏を治療しようと,江戸に来て,京橋因幡町の畑中分中子に治療を頼んだ。
其の間、加賀医官吉田長俶子ノ著セル泰西熱病論ヲ見ルニ、熱病ニモ刺絡シ、痘瘡ニモ刺絡スルことヲ載ス。
【意訳】その間に,加賀藩医の吉田長俶子が著わした『泰西熱病論』を読んでみると,熱病にも刺絡をおこない,痘瘡にも刺絡をおこなうことが記載されていた。
余始めハ思ふ、山脇・中神ノ兩家ヲ訪ね、其の術ヲ学ばント志し、又た吉田氏ノ著書ヲ見テ、其の人ニ学ばントス。
【意訳】わたくしは,はじめ,山脇・中神の両家を訪ねて,その術を学ぼうと志し,また吉田氏の著書を読んで,吉田氏に学ぼうと考えた。
時ナルカナ、小網町三丁目、加田屋長右衞門ニ寓居シテ在りシガ、總州銚子ノ人、羽戸七右衞門、余ガ医学ヲ好むことヲ聞き、其の身刺絡シテ危急ヲ救ひタルこと、其の他竒効ヲ奏セシヨシヲカタ(語)ル。
【意訳】まさにその時がきたのだ。わたくしは小網町三丁目の加田屋長右衛門の家に仮住まいをしていたが,総州銚子の羽戸七右衛門という人が,わたくしが医学に関心があることを聞きつけて,みずから刺絡をして危険な状態を救ったこと,そのほか,奇跡的な効果を奏したことを語ってくれた。
○『論語』郷党:「時哉時哉」。
初夜ヨリ中夜ニ及ぶ故ニ、其の術ヲ何所(いづく)ニ受けシヤト問はバ、三輪東朔ト云ふ人ニ学ぶト云ふ。
【意訳】話が夕方から夜半までおよんで,その刺絡術をどこで習ったのかと尋ねたところ,三輪東朔という人から学んだという。
余、其の人ノ住居ヲ問はバ、云ふ、先ニ銚子ニ在り、今ま淺草ニ寓スト云ふ。
【意訳】わたくしは,その人の住居を尋ねると,「以前は銚子に住んでいたが,今は浅草に仮住まいしている」と答えた。
我れ手ヲ拍(う)っテ曰く、數年学ばント欲スルノ術、イマダ其の人ニア(会)ハズシテ、空しク年月ヲ經タリ。
【意訳】わたくしは,嬉しさのあまり手を打って,次のように言った。数年学びたいと思っていた治療法ですが,今までしかるべき人に会えず,無駄に年月を過ごしてきました。
又た他ト異ナル説ヲ建て、湯藥主トセズ、刺絡主トスルト云ふノ人ニ逢ふことヲ得ルオヤ。
【意訳】また他の医者と異なる説を立てて,湯薬を主体とせず,刺絡を主体とするという人に巡り会うことができるとは。
實ニ天、我ニ幸ひヲ得セシムルノ時ナリ。
【意訳】これはまさに天がわたくしに幸運を与えてくださった時なのだ。
時ヲバ失ふベカラズト、其の居ヲ訪ね、姓名ヲ通シ、門ニ入らント請フ。
【意訳】決してこの機会を逃してはならないと,その住まいを訪ね,自分の姓名を名乗って,入門したいと願い出た。
先生コレヲ許ス。
【意訳】先生は入門を許してくださった。
故ニ束脩シテ、其の門ニ入リ、其の大體ヲ聞くニ、古人未發ノ説ニして先哲未言ノ所ヲ述べテ、我ニ聞かシム。
【意訳】そこで入門の謝礼をしてその門下に入りし,そのあらましを聞いたところ,古の人が明らかにしていない説や,先賢が述べなかった内容を聞かせてくれた。
我コレヲ聞き、歎ジテ曰く、仲景氏ハ医聖ナリ。
【意訳】わたくしはそれを聞いて感嘆して言った。「張仲景先生は,医学の聖人である。
其の医聖ノ方法ヲ用ゐテモ應ゼザルアリ。
【意訳】(しかし)その医学の聖人の治療法を用いても,対応しきれない病がある。
其の應ゼザルヲ應ゼシメントスルニハ、刺絡ノ術輔翼スルニアラザレバ、病、膏肓ニアルモノニ應ズルことアタハズト。
【意訳】その治療効果が現われない病を治そうとするには,刺絡術の助けがないと,病が手の施しようのない深部にあるのだから,対応することができない」と。
爵躍シ、膝ノ進むことヲ知ラズ。
【意訳】欣喜雀躍して,思わず身を乗り出してしまった。
又た其のスル所ヲ見レバ、瘀濁ノ惡血ヲサ(去)リ、澁滯ノ血ヲして運動活潑ノ用ヲナサシムルノ術タリ。
【意訳】またその実際の施術を見ると,とどこおり濁った悪い血を取り除き,とどこおって流れが悪くなった血を活発にめぐらせる術であった。
余コレニヨリ、其の會得スル所ト、先生ノ論辨シ玉フ所トヲ記シテ二卷トシ、刺絡聞見録ト号シ、其の事ヲ詳審ニシ、其の經驗ヲモ併せ舉グ。
【意訳】わたくしは,この体験から自分が会得したことと,先生が論じて説明していただいた内容を書き留めて二巻の書物として,『刺絡見聞録』と名付けた。その内容を詳細に記述し,その治験例についてもあわせて記載した。
コレ其の事ヲ親しク聞見セザルモノモ、恐怖ノ心ナク其の術ヲ施スベキ爲ニナス。
【意訳】これは,刺絡を実際に見聞したことがない人であっても,恐怖心を抱かずに,刺絡術を施せるようにするためである。
實ニ此の術ハ、湯液ノ及ばザルヲ輔翼スルモノニシテ、医タルモノ知ラズンバアルベカラザルモノナリ。
【意訳】まことにこの術は,湯液では達することができない病について補完するものであり,医者であるならば,知らなければならない必須の治療法である。
若し亦た事ヲ解スベキ病家アラバ、此の書ヲ讀まシメトキ(説)キカ(聞)サシメバ、血ヲ見ルトモ忌み嫌ふベキことモナク、恐怖ノ心モ生ゼザラシメン。
【意訳】もしまたこの事情を理解すべき患者がいるならば,本書を読ませ,あるいは説明すれば,血を見てもひどく嫌がることもなく,恐怖心も生まれないだろう。
若し然らバ起きガタキ沈痾痼疾ハ勿論、鬼籍ニ載らントスルノ危急促迫ノモノモ平快ニ至らン。
【意訳】もしそうなれば,起き上がれないような長患いの人はもちろん,臨終寸前の切迫した患者も快癒することになろう。
然れバ余ガ医学ヲ好スル志モ世ニ顕レ、先生ノ説モ廣ク四方ニ流布シ、海内ニ先生アルことヲ知らシメ、其の志、萬民ヲして骨ニ肉スルノ幸ひアラシメントスルノ主意モ達センナリ。
【意訳】そうすれば,わたくしが医学を好む志も世に知られるようになり,先生の説も広く四方に伝わり,天下に先生のような優秀な人材があることを知らせることができる。先生の志である,すべての人々を骨と皮ばかりになった痩せ衰えたからだから肉のついたふくよかなからだにする幸せをもたらそうとする主旨も達せられよう。
故ニ事ヲ竒ニセズ、術ヲ隠サズ、唯だ濟世ヲ主トシ、如此(かくのごとく)其の本末ヲ序スルト云爾(しかいふ)
【意訳】そのため,奇をてらったり,術を隠し立てせず,ただ世の人々を救済することを第一の目的として,このようにその経緯を述べて序とする。
文化十四年丁丑孟春 信濃 伊藤大助謹述
【意訳】文化十四年(1817年)ひのとうしの正月 信濃の伊藤大助 つつしんで述べる
0 件のコメント:
コメントを投稿