2026年10月17日土曜日

15-6 江戸時代鍼灸文献序跋集 經穴指掌

 15-6 經穴指掌  高田玄達撰 

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一五)

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經穴指掌序

醫之爲術蓋十有三科云是以

各家專門異流殊派雖然出類

抜萃能達其源者鮮矣而況統

其十有三者乎我漏齋高田氏

學博古今道盡精要是謂之能

統其十三科可也針灸亦其一

耳而辨明經穴施鍼灸之先務

  一ウラ

也若忽棄之醫之云乎故經有

言曰經脉者所以能決死生處

百病調虚實然自非詳其處未

易得其穴也若不得其穴則非

啻鍼之不應灸之不治災害亦

從來悲夫故施鍼灸者當詳于

經脉也經脉未詳而何決死生

處百病調虚實之有哉經穴之

  二オモテ

書無慮數十家或失于繁或闕

于疎諸説紛々而不可寄着也

要之窬穴冝在于筋骨間而與

説相合而后爲正當也近述其

所學題曰經穴指掌圖解詳明

一見可知耳初學之輩茲書以

求窬穴則思過半矣

于時文化四年丁卯三月甲子

  二ウラ

東都醫官武田信邦知龍父

 〔印形白字「㐰田/之印」、黒字「字曰/子寧」〕(㐰‥「信」の古字)


  【訓み下し】

經穴指掌の序

醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。是(ここ)を以て各家の專門、流れを異にし派を殊にす。然りと雖も、類より出で萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すく)なし。而して況んや其の十有三を統(おさ)むる者をや。我が漏齋高田氏の學、古今に博く、道、精要を盡くす。是れ之を能く其の十三科を統むと謂うも可なり。針灸も亦た其の一のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務

  一ウラ

なり。若(も)し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。故に經に言有り。曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、百病に處し、虚實を調うる所以、と。然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ其の穴を得ること易からざるなり。若し其の穴を得ざれば、則ち啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た從い來たる。悲しいかな。故に鍼灸を施す者は、當に經脉を詳らかにすべきなり。經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、百病に處し、虚實を調うること、之れ有らんや。經穴の

  二オモテ

書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。之を要するに、窬穴は、宜しく筋骨の間に在り、而して説と相い合して、而る后に正當と爲すべきなり。近ごろ其の學ぶ所を述べ、題して經穴指掌と曰う。圖解は詳明にして一見して知る可きのみ。初學の輩、茲(こ)の書以て窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。

時に文化四年丁卯 三月甲子

  二ウラ

東都醫官 武田信邦知龍父


 【注釋】

 ○十有三科‥6-1鍼道發秘の注を参照。 ○出類抜萃‥才能が多くのひとよりひときわ抜きん出る。「萃」は(多くの優れた)あつまり。『孟子』公孫丑上「出於其類、拔乎其萃」。 ○漏齋高田氏‥本書の著者。高田玄達。字は玄令。 ○先務‥緊要でまずはじめに取り組むべきつとめ。『孟子』盡心上「堯舜之知而不遍物、急先務也」。 一ウラ ○經有言曰‥『靈樞』經脈「經脉者、所以能決死生、處百病、調虚實、不可不通」。 ○自非‥もし~でなければ。 二オモテ ○無慮‥おおよそ。 ○失于繁‥繁雑に過ぎる。 ○闕于疎‥疎漏が多い。 ○紛々‥入り乱れて統一がとれていない。 ○窬穴‥兪穴。腧穴。 ○冝‥「宜」の異体。 ○思過半‥思慮すれば、その大半が推測できる、半分以上を知ることができる、およその見当がつく。『易經』繫辭下「知者觀其彖辭、則思過半矣/知者其の彖辭を觀れば、則ち思い半ばに過ぎん」。 ○文化四年丁卯‥一八〇七年。 二ウラ ○東都‥江戸。 ○醫官‥幕府の医者。侍医。 ○武田信邦知龍‥字は子寧。幕府医師、武田叔安か道安、杏安の縁者か。みな名が「信」ではじまる。『寛政重修諸家譜』卷三・二一一頁以下を参照。


經穴指掌の序

醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。

 【意訳】医術には,およそ十三の専門分野がある(という)。

是(ここ)を以て各家の專門、流れを異にし派を殊にす。

 【意訳】そのため各科目の専門家は,流派が分かれている。

然りと雖も、類より出で萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すく)なし。

 【意訳】そうとはいえ,才能がひときわ抜きん出て,医術の源流まで到達できるひとは少ない。

而して況んや其の十有三を統(おさ)むる者をや。

 【意訳】ましてや,十三科目すべてを統治できるひとなどなおさら少ないであろう。

我が漏齋高田氏の學、古今に博く、道、精要を盡くす。

 【意訳】われらが誇れる高田漏斎先生は,古今の学問に広く通じており,医道の精華・要点を究め尽くしている。

是れ之を能く其の十三科を統むと謂うも可なり。

 【意訳】医術の十三科目を統治できるひとであるといっても,よい。

針灸も亦た其の一のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務なり。

 【意訳】鍼灸もまた十三科の一つにすぎないが,経穴を明確にわきまえて判別することは,鍼灸を施術する上で,まずはじめに取り組むべき務めである。

若(も)し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。

 【意訳】もしこれをいい加減に棄て去ってしまっては,これを医術と言えようか。

故に經に言有り。

 【意訳】だからこそ経典には,つぎのような言葉がある。

曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、百病に處し、虚實を調うる所以、と。

 【意訳】「経脈というものは,生きるか死ぬかを判断し,あらゆる病に対処し,虚実を調整する根拠となるものである」。

然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ其の穴を得ること易からざるなり。

 【意訳】そうであるからには,経穴の場所をもしはっきりと理解できなければ,その経穴を得ることは難しいことになる。

若し其の穴を得ざれば、則ち啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た從い來たる。

 【意訳】もし正確にその穴を捉えられないと,病が鍼に応じて効果が出ず,灸でも治療できないだけでなく,かえって体に災いをもたらすことになる。

悲しいかな。

 【意訳】なんと悲しいことであろうか。

故に鍼灸を施す者は、當に經脉を詳らかにすべきなり。

 【意訳】したがって,鍼灸の施術者は,経脈に精通していなければならない。

經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、百病に處し、虚實を調うること、之れ有らんや。

 【意訳】経脈について精通していなければ,生きるか死ぬかを判断し,あらゆる病に対処し,虚実を調整することなど,どうしてできようか。

經穴の書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。

 【意訳】経穴学の書籍は,おおよそ数十家にも及ぶが,あるものは繁雑すぎ,あるものは疎漏が多い。多くの説が入り乱れて,どれを拠り所とすればいいのか分からない。

之を要するに、窬穴は、宜しく筋骨の間に在り、而して説と相い合して、而る后に正當と爲すべきなり。

 【意訳】要するに,腧穴は筋骨の間にあるのだが,古典にある説と合致してはじめて,正当な場所とするべきである。

近ごろ其の學ぶ所を述べ、題して經穴指掌と曰う。

 【意訳】最近,高田先生は学んで得たものを著述し,『経穴指掌』〔経穴が容易に理解できる〕という題名をつけた。

圖解は詳明にして一見して知る可きのみ。

 【意訳】図解は,詳細かつ明白で,一目見ただけで理解できるものである。

初學の輩、茲(こ)の書以て窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。

 【意訳】初心者が,本書にもとづいて腧穴を取れば,大半を成し遂げたも同然であろう。

時に文化四年丁卯 三月甲子

 【意訳】時は文化四年ひのとうの三月きのえねの日。

  旧暦では文化4年3月22日、グレゴリオ暦では1807年4月29日。

 ・国立天文台 暦計算室「日本の暦日データベース」

 https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/caldb.cgi

 ・【換暦】暦変換ツール(まえちゃんねっと)

 https://maechan.net/kanreki/index_p.php

 東都醫官 武田信邦知龍父

 【意訳】江戸 奥医師 武田信邦知龍


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  三オモテ

經穴指掌叙

夫書之於伯瑛也詩之於杜甫也其學之者或

得其筋或得其肉或得其皮或得其骨然未有

具其皮肉筋骨而得之者也詩也書也得其全

體實為難矣雖學經穴者亦然未有不詳於

皮肉筋骨之度而能得經穴之全體者也此

書也先詳骨肉筋皮之屈伸分理經絡兪穴之

流注卑高前記之圖而諭其所後附之註而示

  三ウラ

其法矣近世取穴之書不少也然未有若是眀且

盡者也夫人持此書以向形骸則猶庖丁之觧

牛手之所觸肩之所倚足之所履膝之所踦騞

然無不解者焉而後筋骨皮肉經絡兪穴屈

伸卑高其如示諸斯乎乃名以指掌固不誣也

且此書之觧釋以國字者蓋為弟子求之故

耳顧若骨度挨穴委曲之説讀誦或毫差則

謬以千里未如國字之易〃也可謂用心者也

  四オモテ

草稿既在于世間而恐有傳冩之魚魯故以圖

象觧釋其手自所筆之本書輙壽之乎梓

以藏其家塾而應同好求之嗚呼其德行懇至

循〃示人意至矣吾其審於玄令甫云

文化三年龍集丙寅十一月至日

 醫官     平田信行道有

    〔印形黒字「醫官/◇◇世」、白字「平信/行印」〕


  【訓み下し】

  三オモテ

經穴指掌の叙

夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得たり。然れども未だ其の皮肉筋骨を具(つぶさ)に之を得る者有らざるなり。詩や書や、其の全體を得るは、實(まこと)に難しと為(す)。經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。未だ皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。此の書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の流注卑高を詳らかにす。前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して

  三ウラ

其の法を示す。近世、取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き明にして且つ盡くせる者有ざるなり。夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の牛を解くがごとし。手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞然として解せざる者無し。而る後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故のみ。顧(た)だ骨度挨穴、委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち謬(あやま)り千里を以てす。未だ國字の易々なるに如(し)かざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。

  四オモテ

草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖象を以て解釋す。其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、以て其の家塾に藏し、而して同好の之を求むるに應ず。嗚呼、其の德行は懇至にして、循々として人に示す。意至れり。吾、其れ玄令甫に審かなりと云う。

文化三年 龍集は丙寅 十一月至日

 醫官     平田信行道有


 【注釋】

 ○伯瑛‥後漢の張芝のことか。字は、伯英。草聖といわれた。 ○杜甫‥字は子美、号は少陵。詩聖とよばれた。 三ウラ ○眀‥「明」の異体。 ○夫‥「支」字にも見えるが、「夫」としておく。 ○庖丁‥『莊子』養生主「庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音」。「騞然」は、刀がものを切るときの音。 ○觧‥「解」の異体。 ○無‥判読に自信なし。ひとまず「無」と読んでおく。 ○其如示諸斯乎乃名以指掌‥『論語』八佾「或問禘之説。子曰、不知也。知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌」。「指掌」は、掌紋を指さしてひとに示す。容易なことの比喩。 ○誣‥だます。あざむく。 ○國字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○挨穴‥取穴。5-6兪穴捷徑の注を参照。 ○委曲‥詳しく細かにすみずみまで行き届いていること。 ○讀誦‥声を出して読む。閲読する。 ○毫差‥わずかのちがい。『大戴禮記』禮察「易曰、君子慎始、差若毫釐、繆之千里」。 ○用心‥心をつくす。『孟子』梁惠王上「察鄰國之政、無如寡人之用心者」。 四オモテ ○傳冩之魚魯‥文字の形が似ているため、写し誤ること。 ○手自‥みずから。手ずから。 ○壽‥保存する。 ○梓‥版木。 ○德行‥道徳に基づいた行為。 ○懇至‥誠摯周到、まごころのこもったさま。 ○循〃‥順序正しいさま。『論語』子罕「夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮」。 ○甫‥男子に対する尊敬語。 ○文化三年龍集丙寅‥一八〇六年。「龍集」は歳次。 ○至日‥ここでは冬至。 ○平田信行道有‥幕府医師、平田貞庵か。武田信復(叔安)の二男。『寛政重修諸家譜』卷十七・二一六頁。


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經穴指掌の叙

 【意訳】『経穴指掌』の序文

夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得たり。

 【意訳】書道における張伯瑛,詩における杜甫のような大家を学ぶひとは,あるいはその一部である筋を,あるいはその肉を,あるいはその皮,あるいはその骨を得られることがある。

然れども未だ其の皮肉筋骨を具(つぶさ)に之を得る者有らざるなり。

 【意訳】しかし,その皮・肉・筋・骨をすべて自分のものにできたひとはまだいない。

詩や書や、其の全體を得るは、實(まこと)に難しと為(す)。

 【意訳】詩であれ書であれ,その全体を体得することは,非常に難しいと思われている。

經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。

 【意訳】経穴を学ぶ人にとっても,やはり同じことが言える。

未だ皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。

 【意訳】皮・肉・筋・骨の骨度をくわしく理解せずして,経穴の全体を把握できる人はいない。

此の書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の流注卑高を詳らかにす。

 【意訳】本書は,まず骨・肉・筋・皮の屈伸する関節や筋目,経絡・腧穴の流注する場所や高低をくわしく説明している。

前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して其の法を示す。

 【意訳】まず図を記して,その場所を理解させ,その後に注をつけて,その取穴法を示している。

近世、取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き明にして且つ盡くせる者有ざるなり。

 【意訳】近代まで取穴法を記した書物は少なくないが,これほどまでに明快で説明の行き届いた書はいまだかつてなかった。

夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の牛を解くがごとし。

 【意訳】本書を手にして人体に向き合えば,『荘子』に見える料理の名人庖丁が牛を解体するようなものである。

手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞然として解せざる者無し。

 【意訳】手の触れ方,肩の寄せ方,足の踏ん張り具合,膝の曲げ具合,サクッと刀が肉と骨の間に入って,肉が骨から切り落とされるように,きれいに解きほぐせないところはない。

而る後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。

 【意訳】そうしてはじめて,筋・骨・皮・肉,経絡・腧穴,屈伸する関節部,高いところと低いところを手に取って示すかのように一目瞭然となる。

乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。

 【意訳】まさに「指掌」〔自分のてのひらを指さす=簡単明瞭〕という名前がついているは,決して嘘偽りではない。

且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故のみ。

 【意訳】その上,本書が仮名を用いて解釈を書いているのは,思うに弟子の求めに応じたからにほかならない。

顧(た)だ骨度挨穴、委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち謬(あやま)り千里を以てす。

 【意訳】もとより骨度を用いて取穴する際の込み入った説明について,書物を読んでほんのすこしでも理解を違(たが)えれば,その誤りは非常に大きなものになってしまう。

未だ國字の易々なるに如(し)かざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。

 【意訳】理解しやすさにおいて,漢文で書かた文章は和文によるものに及ばないのであるから,まことに配慮が行き届いた処置と言える。

草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖象を以て解釋す。

 【意訳】草稿はすでに世の中に出回っているが,文字の写し間違いが心配である。そのため図解を用いて示している。

其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、以て其の家塾に藏し、而して同好の之を求むるに應ず。

 【意訳】その自筆による原本は,版木に彫って自分の塾で所蔵し,同じ志を持つ人々から求めがあれば,それに応え(て刷)ることにしたのである。

嗚呼、其の德行は懇至にして、循々として人に示す。意至れり。

 【意訳】ああ,その品性とその行ないは真心がこもっており,順序立てて丁寧に人に教える心遣いは,至れり尽くせりである。

吾、其れ玄令甫に審かなりと云う。

 【意訳】高田玄令先生は,わたくしの親友である。

    ★滑壽『難經本義』劉仁本序の末文に,「然與否也,吾其審於伯仁甫云」とある。おそらくこの序に基づくのであろう。個人的には,「わたくしが述べたことが正しいかどうかは,滑(→玄令)先生に判断を仰ぎたい」という意味かと思うが,ひとまず平田氏は壽德庵(曲直瀬)玄由の解釈に従ったと仮定し,【意訳】した。

    ・壽德庵玄由『難經本義鈔』(1648年刊):「言フココロハ滑氏吾ト知音為(た)ル者也。」

    ・森本玄閑『難經本義大鈔』(1695年刊):「愚言ハ,劉仁本其レ明ニ滑氏ノ慈仁ノ心ヲ知ル也。」

    ・岡本一抱『難經本義諺解』(1706年刊):「難經ノ理ニ於テハ,神妙ノ醫術ヲ得ルニ疑ヒナキ者トス。劉仁本謂(ヲモヘ)ラク,其ノ難經ノ本理ヲ審ニ盡クシ極メタル者ハ伯仁甫ニ有リト云。〔云〕語絕ノ所ニ,此一字ヲ止メテ,章句ヲ結ビ終ル者也。」

文化三年 龍集は丙寅 十一月至日

 【意訳】文化三年(1806)歳次はひのえとら 十一月 冬至の日

  〔冬至は,1806年12月22日。=文化3年11月13日〕

 醫官     平田信行道有

 【意訳】奥医師 平田信行 道有


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跋

古人有言曰人心是所學體安所習鮑

肆不知其臭翫所以先入此書也亦予

之是所學而安所習者耳從學之

徒有冩去者焉傳〃之多豈無誤乎魚

魯一混則淄澠難辨焉今二三之同志

多寡助其費以刻于家塾然學之不

博習之不熟未能審於先入之果非而漫

  ウラ

翫鮑臭邪非邪世之明者見其不是

若改而正諸不亦可乎

文化丁卯春三月上巳

   城南八官鷹起平玄達謹書

        〔印形白字「鷹/起達」、黒字「玄/霝〕(霝‥「靈」の異体)


  【訓み下し】

跋

古人に言有り。曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。此の書や、亦た予の學ぶ所を是とし、而して習う所に安んずる者のみ。從學の徒に、寫し去る者有り。傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。魚魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。今、二三の同志、多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。然れども學びの博からず、習いの熟せず、未だ審らかにすること能わず。先ず之に入るに於いて、果たして非にして漫(みだ)りに

  ウラ

鮑臭を翫うや、非ざるや。世の明なる者、其の是ならざるを見て、若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。

文化丁卯 春三月上巳

      城南八官 鷹起平玄達謹んで書す


 【注釋】

 ○凡人心是所學‥『文選』卷三 東京賦「…凡そ人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆 其の臰を知らざるは、其の先づ入る所以に翫(なら)へばなり/いったい人の心は自分の学んだことを是とし、人は習慣に安んずるものです。また、塩づけの魚を売っている店に久しく入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからです」(『全釈漢文大系』文選一、二〇九頁)。 ○魚魯‥魯魚帝虎。『抱朴子』内篇 遐覽「書三寫、魚成魯、帝成虎」(「虎」の異体は「乕」)。みな文字の形が似ていることによる書き写しあるいは版木に彫るときの誤りを指す。魯魚亥豕。 ○淄澠‥淄(シ)水と澠(ベン)水の併称。ともに今、山東省にある。二つの川の水の味はそれぞれ異なり、混ぜると判別しがたくなると伝えられる。 ○從學‥就学。 ○多寡‥多いと少ない。若干、あるいは多く。ここでは沢山の意か。 ○上巳‥旧暦の三月三日。 ○鷹起平玄達‥高田玄達。平氏。字は玄令。鷹起は号か。本姓は井上。阿部漏齋とも称した(『古典全書』解説および斯文会司書岩井直子さんによる)。 ○八官‥中央区銀座八-四-五に八官(ハチカン)神社あり。


跋

 【意訳】あとがき

古人に言有り。

 【意訳】古人の言葉につぎのようなものがある。

曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。

 【意訳】「いったい人の心は自分の学んだことを正しいと思い、人は慣れ親しんだものに安心感をおぼえる。塩づけの魚を売っている店に長く入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからである」と。

此の書や、亦た予の學ぶ所を是とし、而して習う所に安んずる者のみ。

 【意訳】本書もまた,わたくしが学んだものを正しいと思い,慣れ親しんできたものにほかならない。

從學の徒に、寫し去る者有り。

 【意訳】わたくしの塾で学んで,本書を書写して持ち帰るものがある。

傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。

 【意訳】それを書き写す回数が多くなればなるほど,書き誤りが生じることはどうしても避けられない。

魚魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。

 【意訳】「魚」が「魯」と書かれてしまえば,似た文字であっても,意味の把握が困難になる。

今、二三の同志、多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。

 【意訳】そこで,数人の志を同じくするひとたちが,それぞれその出版費用を援助してくれたので,家塾で上梓することになった。

然れども學びの博からず、習いの熟せず、未だ審らかにすること能わず。

 【意訳】しかしながら,学んだ範囲は狭く,習熟も足りず,十分に明らかにすることはできていない。

先ず之に入るに於いて、果たして非にして漫(みだ)りに鮑臭を翫うや、非ざるや。

 【意訳】入門段階のひとにとって,内容が誤りであり,漫然と塩づけの魚の臭いに慣れてしまうような状態にならないだろうか。

世の明なる者、其の是ならざるを見て、若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。

 【意訳】世の中の見識ある人が,本書の誤りを見つけて改めて正してくださるならば,まことに良いことではないか。

文化丁卯 春三月上巳

 【意訳】文化四年ひのとう 春三月三日

      城南八官 鷹起平玄達謹んで書す

       【意訳】城南の八官 鷹起 平氏 玄達 謹んでこれを記す

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