2023年9月7日木曜日

和田東郭『蕉窓雑話』序跋 その2跋

 蕉窗雜話跋

先子少時學醫於東郭和田先

生其侍次先生每有說話輒與諸

子筆以記之後會輯成卷名曰

蕉窓雜話其言之於醫治一語金

玉以故為人所竊寫遂以流播

乎世矣先子懼其魯魚誤實荊璧

失真與諸子謀欲請之先生以上

  一オモテ

梓而先生忽易簀遂不能之果爾後

諸子亦繼逝先子每以慨恨戊寅

夏病疔瘡湯藥之間乃取而挍

之又附以一二之言將以上木既愈

而礙乎事務稽留越年則

舊毒復發遂不能起及其辭

世囑予以梓事予不肖斬焉

在衰絰哭擗之中未能奉命

  二オモテ

也今茲除服則急謀剞劂以壽

之于世聊以冀稱遺命懇〻

之萬一云爾

文政辛巳夏六月

      服部主一謹識



  【訓み下し】

『蕉窗雜話』跋

先子 少(わか)き時,醫を東郭和田先生に學ぶ。其の侍次,先生 每(つね)に說話有り。輒(すなわ)ち諸子と筆して以て之を記(しる)す。後に會輯して卷と成し,名づけて『蕉窓雜話』と曰う。其の言の醫治に於けるや,一語 金玉なり。故を以て人の竊(ひそ)かに寫(うつ)す所と為り,遂に以て世に流播す。先子 其の魯魚 實を誤り,荊璧 真を失うを懼れ,諸子と謀って,之を先生に請い,以て

  一オモテ

梓(あずさ)に上(のぼ)さんと欲す。而(しか)れども先生 忽ち簀(すのこ)を易(か)え,遂に之を果たすこと能わず。爾(しか)る後,諸子も亦た繼いで逝く。先子 每(つね)に以て慨恨す。戊寅の夏,疔瘡を病む。湯藥の間,乃ち取って之を挍す。又た附するに一二の言を以てし,將(まさ)に以て木に上(のぼ)さんとす。既に愈ゆるも事務に礙(さえぎ)らる。稽留して年を越し,則ち舊毒 復た發す。遂に起(た)つこと能わず。其の世を辭するに及んで,予に囑するに梓事を以てす。予 不肖,斬焉 衰絰・哭擗の中に在り,未だ命を奉ずること能わず。

  二オモテ

今茲 服を除く。則ち急ぎ剞劂を謀り,以て之を世に壽す。聊(いささ)か以て遺命の懇懇の萬一に稱(かな)わんことを冀(こいねが)う云爾(のみ)。

文政辛巳夏六月

      服部主一 謹んで識(しる)す



  【注釋】

○窗:「窻・窓」の異体字。 ○先子:称亡父。  ○少時:年輕時;年幼時[in the cradle]。 ○侍:伺候。在一旁陪著。敬うべき人のそばに控える。お仕えする。伺候する。 ○次:~の間。~の際。 ○說話:用語言表達意思;發表見解。發言、講話。閑談。話をすること。ものがたること。 ○輒:每、總是。每次 [always]。そのたびに。~のときはいつも。 ○諸子:諸君。多くの人々を親しみや敬意を込めていう語。同等または、それ以下の人々をさしていう。 ○筆:寫作、記述。用筆寫。筆で書くこと。 ○會輯:聚集。/會:集合、聚合。/輯:蒐錄後整理。如:「編輯」。 ○金玉:黃金與珠玉。泛指珍寶。珍重すべきすぐれたもの。【金玉之言】比喻珍貴的勸告或教誨。 ○以故:猶言因此,所以[therefore]。ゆえに。それで。 ○竊:偷偷的。ひそかに。人知れず。 ○流播:流傳。[spread;circulate;hand down] 傳播。広く伝わる。 ○魯魚:“魯”“魚”兩字相混。指抄寫刊印中的文字訛誤。《「魯」と「魚」の字は字体が似ていて誤りやすいところから》まちがいやすい文字。また、文字の誤り。 ○荊璧:即和氏璧。春秋時楚人卞和自楚國山中得一玉璞,獻給楚厲王,經玉工鑑定其為普通的石頭,厲王以卞和撒謊欺騙,乃刖其左腳。後武王即位,卞和再獻,仍視為石頭,卞和又被刖去右足。至文王即位,卞和抱玉石至荊山下大哭三天三夜,文王得知,命玉工加以琢磨,終得一塊寶玉,命名為「和氏璧」。見《韓非子.和氏》。中国の春秋時代、楚の国の卞和(和氏)という人物がある石を見つけ、磨けばとても美しい宝石(璧)になると考えて、王に献上しました。しかし、専門家の鑑定では、それは宝石ではないとのこと。卞和はうそをついたとされ、罰として左足の筋を抜かれてしまいました。次の代の王に献じても結果は同じで、今度は右足の筋を抜かれてしまいます。その次の代の王の時、卞和が泣いているところに、王が通りかかって、その理由を尋ねたところ、「宝石なのにそれが認められず、正直者なのにうそつき呼ばわりされるのが、悲しいのです」という返事。気になった王が試しにその宝石を磨かせてみたところ、美しい宝石になったということです。この宝石は、後に、いくつもの城と交換できるほど価値があるとされたところから、「連城の璧」とも呼ばれるようになりました。 ○失真:與真相不合。失去本意或本來面目[distort;be not true to the original]。 ○上梓:把文字雕刻在版上,即付印。古時以木版印刷,將文字刻於木版上,謂之上梓,亦稱付梓。)《梓(あずさ)(キササゲ)の木を版木に用いたところから》文字などを版木に刻むこと。書物を出版すること。

  一オモテ

○忽:突然 [suddenly]。迅速。にわかであるさま。 ○易簀:更換寢席。簀,華美的竹席。易簀指曾子臨終時,因席褥為季孫所賜,自己未嘗為大夫,而使用大夫所用的席褥,不合禮制,所以命人換席,舉扶更換後,反席未安而死。典出《禮記.檀弓上》。後遂比喻人之將死。《「礼記」檀弓上の、曽子が死に臨んで、季孫から賜った大夫用の簀(すのこ)を、身分不相応のものとして粗末なものに易(か)えたという故事から》学徳の高い人の死、または、死に際をいう語。 ○爾後:從此以後[henceforth;henceforward]。然後。その後。 ○繼:隨後、跟著。つづけて。 ○逝:死亡。多用于對死者的敬意。 ○慨恨:感嘆憤恨。感慨遺憾。残念に思う。 ○疔瘡:毛囊汗腺等處疼痛腫硬的泛稱。中醫指病理變化急驟並有全身症狀的惡性小瘡。隋 巢元方《諸病源候論‧丁瘡候》:「疔瘡者,風邪毒氣於肌肉所生也……初起時突起,如丁蓋,故謂之疔瘡」。[malignant boil;furuncle] 病名。又名疵瘡。因其形小,根深,堅硬如釘狀,故名。多因飲食不節,外感風邪火毒及四時不正之氣而發。 ○湯藥:中醫指用水煎服的藥物。湯液治療。 ○挍:「校」に同じ。比較。校正。 ○礙:阻止。妨害 [prevent;stop]。 ○事務:事情、雜務。要做的或所做的事情。[work]∶指具体的事情。 ○稽留: 耽擱、停留。延遲[delay] 。とどまること。とどこおること。滞留。 ○越年: 年を越すこと。新年を迎えること。年越し。 ○起:復甦、痊癒、好轉。治愈;病愈。[stand up]起床 [get up;get out of bed]。【不起】不起身。久病不癒。【不起之病】不易康復甚或導致死亡的疾病。 ○辭世:去世、死亡。逝世。この世に別れを告げること。死ぬこと。死に臨んで残す言葉。 ○囑:叮嚀、託付。托付 [entrust]。ものを頼む。 ○予:我。同「余」。 ○梓:出版。 ○不肖:子不似父。不賢,無才能。[unworthy]∶品行不好,没有出息。 [Nothing doing]∶謙辭。不才,不賢。取るに足りないこと。未熟で劣ること。また、そのさま。父に、あるいは師に似ないで愚かなこと。自称。わたくし。自分をへりくだっていうのに用いる。 ○斬焉:因喪哀痛貌。《左傳‧昭公十年》:「孤斬焉在衰絰之中」。喪中の悲しみの状態にあるさま。〔左伝、昭十年〕晉の平公卒(しゆつ)す。~既に葬る。諸侯の大夫、因りて新君に見(まみ)えんと欲す。~叔向(しゆくしやう)之れを辭して曰く、大夫の事(弔礼)畢(をは)れり。而して又孤に命ず(謁見を求める)。孤、斬焉、衰絰(さいてつ)(喪服)の中に在り。 ○衰絰:喪服。古人喪服胸前當心處綴有長六寸、廣四寸的麻布,名衰,因名此衣為衰;圍在頭上的散麻繩為首絰,纏在腰間的為腰絰。衰、絰兩者是喪服的主要部分。 ○哭:因傷心或激動而流淚,甚至發出悲聲 [cry;weep;sob]。 ○擗:用手捶拍胸部。《廣韻.入聲.陌韻》:「擗,撫心也。」《孝經.喪親章》:「擗踊哭泣,哀以送之。」 ○奉命:接受尊長或上級的命令。[receive orders;act urder orders;follow the cues of sb.]∶接受命令,遵守命令。貴人から命令をうけたまわること。→受けた命令を実行する。

  二オモテ

○今茲:今年。 ○除服:脫去喪服。謂不再守孝。守孝期滿,脫去喪服。《三國志‧魏志‧武帝紀》:「葬畢,皆除服」。喪服を脱ぐ。 ○剞劂:刻鏤的刀具。雕板;刻印。雕版、刊印。【剞劂氏】指刻板印書的經營人。 ○壽:序文などに「壽諸〔=之乎〕梓」とよく使われる。たとえば,張介賓『景岳全書』卷20に「祈壽諸梓,以為後人之鑑」とある。日本では,田中知箴撰『鍼灸五蘊抄』中村伯綏序に「求壽木」,高田玄達撰『經穴指掌』武田信邦序に「壽之乎梓」,佐藤仲甫撰『灸驗錄』井潛仲龍(井上四明)序に「今欲壽之梓以公於世」とある。壽=長命から引伸して,版木に刻んで長く保存することをいうのであろう。しいて訓ずれば,「ひさしくす,たもつ,きざむ」か。 ○聊:姑且、暫且。略微。かりそめ。とりあえず。少し。わずかばかり。 ○冀:希望,期望 [hope]。 ○稱:適合。 ○遺命:猶遺囑。人死前所遺留下來的遺言或命令。死ぬときにのこした命令。また、臨終に言い付けをのこすこと。 ○懇〻:至誠。誠摯殷切貌。心の込もったさま。 ○萬一:萬分之一[one ten-thousandth]。形容極微小。 ○云爾:語末助詞,表如此而已的意思。常用於句子或文章的末尾,表示結束。

 ○文政辛巳:文政四年(1821)。 ○服部主一:服部流謙の子であろう。


2023年9月6日水曜日

和田東郭『蕉窓雑話』序跋 その1序

 『対訳蕉窓雑話』(福岡・蕉窓雑話を読む会 たにぐち書店 2023/05発売)の購読者から序跋の【訓み下し】について,要望があったため,それにこたえる。


https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000250

京都大学附属図書館富士川文庫(シ/382)

                                                                              

蕉窓雜話序

我邦醫政上古邈矣不可得而詳

焉中葉以來專宗李朱之言陰陽

旺相司天在泉只管推求不敢違其

範其弊多騁空理而失實際雖有

俊傑之士亦未能出其窩窟也然以

其人誠慤慎重失於密而不失於疏

其言傳于今亦多可以為準則者至

  一ウラ

享寶之間豪傑並出始盛唱復古直

求之于漢代一以長沙氏為宗斥宋

元諸家以破其拘惑其績固非不偉

而其持論過高求勝其弊全廢陰

陽六經之說不問虛實不論根因一從

見證以施治亦未免通此而礙彼之

誚也於是古方後世兩派分立彼此

紛〻莫之能折衷及乎吾東郭先生出

  二オモテ

曰聖賢在古用心盡力我儕生千歲

之下讀其書而學其道各法其所善

而闕其所疑則古人孰非吾師傷

寒金匱固我道之詩書然而殘缺不

完宋元方書雖旨趣不同亦孔註鄭

箋所謂夏取時商取輅周冕韶舞採

擇不遺學醫法亦如此而已矣是

以先生施治不必於古亦不拘於今

  二ウラ

自有一種活致而可傳於後世者多

矣當時門人侍函丈以國字錄其說

輯為數卷名曰蕉窓雜話距今

殆將二十年先生已沒錄者亦漸

就木豈得無感舊之情乎是以不顧

其固陋欲挍訂之以公于世久矣今茲

戊寅夏偶嬰疔毒幾死而幸免因謂

此雖瑣言亦先生之遺教今而不謀

  三オモテ

梨棗永將滅蠹塵乃黽勉從事先

以其一卷上于木如其二編三編則

追次續鍥庶幾乎先生之遺澤不

亡而門人之功力亦永存矣

文政紀元戊寅冬至日

     近江  服部流謙謹撰


  【訓み下し】

『蕉窓雜話』序

我が邦の醫政,上古邈(はるか)にして,得て詳らかにす可からず。中葉以來(このかた),專(もっぱ)ら李朱の言を宗(むね)とし,陰陽旺相,司天在泉をば,只管(ひたすら)推求して,敢えて其の範に違(たが)わず。其の弊 空理に騁(は)せて實際を失うこと多し。俊傑の士 有りと雖も,亦た未だ其の窩窟を出づること能わざるなり。然れども其の人 誠愨・慎重を以て,密に失すれども疏に失せず。其の言 今に傳わり,亦た以て準則と為す可き者多し。

  一ウラ

享寶の間に至って,豪傑 並び出でて,始めて盛んに復古を唱う。直(じか)に之を漢代に求め,一に長沙氏を以て宗と為す。宋元の諸家を斥(しりぞ)け,以て其の拘惑を破る。其の績 固(もと)より/固(まこと)に偉ならずんば非ず。而(しか)れども其の持論 高く勝を求むるに過ぐ/高きに過ぎ勝を求む/高く勝を求むるに過(あやまり)あり。其の弊 全く陰陽六經の說を廢し,虛實を問わず,根因を論ぜず,一に見證に從い,以て施治す。亦た未だ此れに通じて彼れを礙(さまた)ぐの誚(そし)りを免かれざるなり。是(こ)こに於いて古方・後世の兩派 分立し,彼れ此れ紛紛として,之を能く折衷すること莫し。吾が東郭先生出づるに及んで,

  二オモテ

曰わく,「聖賢 古(いにしえ)に在り,心を用い力を盡(つ)くす。我が儕(ともがら) 千歲の下に生まれ,其の書を讀んで其の道を學ぶ。各々其の善とする所に法(のっと)りて,其の疑わしき所を闕(か)けば,則ち古人 孰(たれ)か吾が師に非ざらん。『傷寒』『金匱』は,固(もと)より我が道の『詩』『書』なり。然り而(しこう)して殘缺して完(まった)からず。宋元の方書,旨趣 同じからずと雖も,亦た孔註・鄭箋なり。謂う所の夏に時を取り,商に輅を取り,周冕・韶舞,採擇して遺(のこ)さず。醫法を學ぶも,亦た此(か)くの如きのみ」と。是こを以て先生の施治は,必ずしも古(いにしえ)に於いてせず/古(いにしえ)を必とせず,亦た今に拘(こだわ)らず。

  二ウラ

自(おのずか)ら一種の活致 有って,後世に傳う可き者多し。當時の門人 函丈に侍して,國字を以て其の說を錄す。輯して數卷と為し,名づけて『蕉窓雜話』と曰う。今を距つること殆ど將(まさ)に二十年にならんとす。先生 已に沒し,錄する者も亦た漸く木に就く。豈に感舊の情 無きことを得んや。是こを以て其の固陋を顧みず,之を挍訂して,以て世に公(おおやけ)にせんと欲すること久し。今茲 戊寅の夏,偶々疔毒に嬰(かか)り,幾(ほとん)ど死なんとして幸いに免かる。因って謂(おも)えらく,「此れ瑣言と雖も,亦た先生の遺教なり。今にして

  三オモテ

梨棗を謀らずんば,永(とこしえ)に將(まさ)に蠹塵に滅びんとす」と。乃ち黽勉として事に從う。先ず其の一卷を以て,木に上(のぼ)す。其の二編・三編の如きは,則ち次を追って鍥を續ぐ。庶幾(こいねが)わくは,先生の遺澤 亡びずして,門人の功力も亦た永く存せんことを。

文政紀元戊寅 冬至日

     近江  服部流謙 謹しんで撰す


  【注釋】

蕉窓雜話序

 ○我邦:日本。 ○醫政:Medical Administration.医療に関する治政。下文から推測すれば,我が国では,遠い昔は,どのような治療方法(醫政)がおこなわれていたか,ということか。 ○上古:遠古時代。大昔[ancient times] 。 ○邈:久遠、遙遠。年月が長く隔たっているさま。 ○不可得而詳:はるか昔のことで,詳細に知ることができない。/不可得:不可能得到。 ○詳:審察議斷。明白、知道。細述、陳述。 [explain in detail] [know clearly] ○中葉:朝代或世紀的中期[middle period]。なかごろの時代。中期。 ○以來:以後。 ○宗:尊崇、效法 [follow]。根本、主旨。尊敬 [respect]。第一のものとして尊重する。たっとぶ。 ○李朱:金元四大家とされる李杲(東垣)と朱震亨(丹溪)の二人。 ○旺相:陰陽家指得時運。漢.王充《論衡.命祿》:「春夏囚死,秋冬旺相,非能為之也。」/星命家以五行配四季,每季中五行之盛衰以旺、相、休、囚、死表示,如春季是木旺、火相、水休、金囚、土死。凡人之八字中的日干逢旺相的月支為得時,逢囚、死的月支為失時,如日干為木,逢春為旺,逢冬為相,皆屬得時。/また,旺盛、興隆。 ○司天在泉:運気論の術語。司天(一年の前半)と在泉(一年の後半)の運気の情況。『素問』至真要大論(74)を参照。 ○只管:只顧;一直;一味。そのことだけに意を用いるさま。もっぱらそれだけを行うさま。 ひとすじに。いちずに。 ○推求:[inquire into;ascertain] 深入研究。以知道的條件為據,推究、探索未知。 ○不敢:心中怯懦,以致於不能付諸行動。謂沒膽量,沒勇氣。亦表示沒有膽量做某事 [I dare not;how dare I]。 ○範:法式、法則。如:「典範」、「規範」。守るべき規範。手本。模範。 ○弊:害處、毛病[harm]。害。 ○騁:直馳、奔跑。施展、放開。 ○空理:現実とかけ離れた、役に立たない理論。 ○俊傑:風姿瀟灑,才智出眾的人[elite]。才智傑出。 ○士:男子的美稱。知識分子的通称 [intelligentsia]。成人した男子。また、学識・徳行のあるりっぱな男子。 ○窩窟:窠窟。あな。いわや。ほらあな。好ましくないものが、隠れひそんでいる所。 ○誠慤:誠樸;真誠。/慤:「愨」の異体字。誠實、忠厚。つつしむ、まこと。 ○慎重:謹慎認真,不苟且[cautious;prudent;discreet]。注意深くて、軽々しく行動しないこと。 ○疏:粗心、不注意、不細密。粗忽 [neglect;slack;be inattentive]。粗。疎。おろそか。大ざっぱ。 ○準則:法式、標準。所遵循的標準或原則[norm;standard;criterion]。よりどころとすべき規則。 

  一ウラ

 ○享寶之間:貞享(1684年~1688年)。宝永(1704年~1711年)。享保(1716年~1736年)。宝暦(1751年~1764年)。/和田東郭(1742--1803)。名古屋玄医(1628--1696)。後藤艮山(1659--1733)。香川修庵(1683--1755)。山脇東洋(1705--1762)。吉益東洞(1702--1773)。→おそらく享保~宝暦。 ○豪傑:才智出眾的人[person of outstanding talent;hero]。才知・武勇に並み外れてすぐれていて、度胸のある人物。 ○並出:同時出現、同時存在。漢.班固〈公孫弘傳贊〉:「群士慕響,異人並出。」 ○唱:倡導。通「倡」[promote]。人に先立って言う。 ○復古:恢復舊的制度、習俗等[restore ancient ways;return to the ancients]。昔の状態・体制に戻ること。 ○直:不彎曲的。沒有間隔的 [straight]。一直 [directly]。まっすぐ。純粋な、他のものを交えない、の意を表す。 ○一:專注的。專一 [single-minded;concentrated]。もっぱら。ひたすら。 ○長沙氏:張仲景(150年—219年?)。長沙の太守をつとめたという。 ○斥:排除拒絕、摒棄不用 [drive out] [abandon]。如:「排斥」。 ○拘:束縛,限制 [restrain;constrain]。つかまえて自由を奪う。とらえる。かかわる。こだわる。「拘泥」。 ○惑:疑難。懷疑。欺騙。[puzzle;delude;confuse;mislead]。心が何かにとらわれて正しい判断ができなくなる。まどう。まどわす。「惑乱/疑惑」。 ○績:功業、成效 [achievement;merit]。積み重ねた仕事やその結果。「業績・功績」。 ○固:當然、誠然。必,一定 [surely]。確實[certainly]。 ○非不:非常;極其。 ○偉:盛壯、卓越。偉大 [great]。大きくりっぱなこと。すぐれていること。 ○持論:立論,所持理論或主張。提出主張[present an argument]。かねてから主張している自分の意見・説。持説。 ○求勝:爭取勝利。求取勝利。/『春秋存疑錄』四庫提要:是皆務高求勝之過也。 ○陰陽六經:三陰三陽經。 ○根因:根源,緣故。 ○見證:顯明的功效。證明;證據[evidence;clear proof]。 ○礙:限制。阻止。妨害。[prevent;stop]。 ○誚:責備、責怪 [blame;censure]。 ○古方:古医方派。 ○後世:後世方派。 ○紛〻:多而雜亂的樣子。入り乱れてまとまりのないさま。 ○折衷:折中。調和太過與不及,使之得當合理。調和不同意見或爭執。いくつかの異なった考え方のよいところをとり合わせて、一つにまとめ上げること。

  二オモテ

○用心:盡心。使用心力;專心。【用心竭力】竭盡心思、力量。 ○盡力:竭力。竭盡能力。竭盡全力。 ○儕:同輩、同類的人。如:「吾儕」。同類の人々をさしていう語。仲間。 ○千歲:千年。年代久遠。 ○下:在後面的。 ○闕其所疑:【闕疑】有所疑問則暫時擱置,不下斷語。遇有疑惑,暫時空着,不作主觀推測。《論語.為政》:「多聞闕疑,慎言其餘,則寡尤。」劉寶楠『正義』:「其義有未明,未安於心者,闕空之也」。疑わしいものとして、決定を保留しておくこと。 ○古人:古代的人。古時的人。[the ancients;one who has passed away] 泛指前人,以區別於當世的人。昔の世の人。 ○孰:誰。 ○傷寒金匱:『傷寒論』と『金匱要略』。 ○我道:醫道。 ○詩書:《詩經》和《書經》,亦泛指一切經書。詩経と書経。 ○然而:轉折連詞。用在子句頭,表示雖然有前句所敘述的事情,卻亦有末句所表達的狀況、行為等。/表示轉折。連接的兩部分意思相反。猶言如此,不過;如此,但是[yet;however;but]。 ○殘缺不完:殘破,缺損不完整。/殘缺:缺壞而不完整、不完備。缺損。 [incomplete;fragmentary]部分缺如。書物などの、一部分が欠けていて不完全なこと。 ○宋元:中国、北宋・南宋および元代。 ○方書:醫書 [medical book]。 療治の処方を記した書。医書。 ○旨趣:宗旨和意義。大意[purport;objective]。おもむき。内容。 ○不同:不一樣。不相同。不同意。おなじでないこと。異なっていること。 ○孔註鄭箋:(儒学)経書に対する注釈。/孔註:漢・孔安國によるとされる『尚書』に対する傳(注)。あるいは,唐・孔穎達による『周易』『尚書』『毛詩』『禮記』『春秋左傳』に対する正義(注)。/註:用來解釋或說明的文字。「注」におなじ。本文の意味を詳しく説明したり補足したりするために、本文の間に書き込んだり、別の箇所に記したりする文句。/鄭箋:漢・鄭玄による『周禮』『儀禮』『禮記』に対する注(箋)。/『近世漢方医学書集成(15和田東郭一)』の松田邦夫先生の解説に以下の文が引かれている(9頁。出典未調査)。「我曹千歳の下に生れその書を読み,その術を学び,その善に法ってその疑を闢〔石原保秀「和田東郭先生」,『漢方と漢薬』第6巻第20号の引用文は,この序と同じく「闕」に作る。〕くときは,古人いずれか吾が師に非ざる。傷寒金匱はもとより我道の詩書なり,残欠ありといえども,要領備さに存す,歴代の方書はなお鄭訓(後漢の鄭玄の訓詁)朱義(宋の朱熹の釈義)の如し……」とある。 ○所謂夏取時商取輅周冕韶舞:古いか新しいか時代に関係なく,よいものであれば選んで利用する。

    ・『論語』衛靈公:顏淵問為邦。子曰:「行夏之時,乘殷之輅,服周之冕,樂則韶舞……」〔顏淵問怎樣治理國家,孔子說:「用夏朝的曆法,乘商朝的車輛,戴周朝的禮帽,提倡高雅音樂……/Yan Yuan asked how the government of a country should be administered. The Master said, "Follow the seasons of Xia. Ride in the state carriage of Yin. Wear the ceremonial cap of Zhou. Let the music be the Shao with its pantomimes.〕。/夏王朝からは暦を,殷王朝からは車を,周王朝からは礼帽を,舞楽は帝舜の時代のものを採用する。

    ・『論語集注』衛靈公第十五:子曰:「行夏之時〔集注:夏時,謂以斗柄初昏建寅之月為歲首也。天開於子,地闢於丑,人生於寅,故斗柄建此三辰之月,皆可以為歲首。而三代迭用之,夏以寅為人正,商以丑為地正,周以子為天正也。然時以作事,則歲月自當以人為紀。故孔子嘗曰,「吾得夏時焉」而說者以為謂夏小正之屬。蓋取其時之正與其令之善,而於此又以告顏子也。〕,乘殷之輅〔輅,音路,亦作路。商輅,木輅也。輅者,大車之名。古者以木為車而已,至商而有輅之名,蓋始異其制也。周人飾以金玉,則過侈而易敗,不若商輅之樸素渾堅而等威已辨,為質而得其中也。〕,服周之冕〔周冕有五,祭服之冠也。冠上有覆,前後有旒。黃帝以來,蓋已有之,而制度儀等,至周始備。然其為物小,而加於眾體之上,故雖華而不為靡,雖費而不及奢。夫子取之,蓋亦以為文而得其中也。〕,樂則韶舞〔取其盡善盡美。〕。/

    ・韶舞:舜時樂舞名。『論語集解』「韶,舜樂也。盡善盡美,故取之」。

    https://kanbun.info/keibu/rongo1510.html

    

 ○採擇:選取、採納。選用 [to choose and use]。いくつかあるものの中から選んで取り上げること。 ○不遺:不漏。もらさない。 ○是以:所以,表示因果的連詞。因此[consequently;therefore]。それゆえに。 ○不必:不一定、未必。沒有一定。「必」を動詞と解すれば,「古を必とせず/古方を必須のものとは考えない」。

  二ウラ

 ○活致:未詳。臨機応変な道理か。/活:有生命的。生動,不死板。如:「靈活」。不固定的、可移動的。/致:旨趣、意態。事物的道理。 ○函丈:舊時講席間相隔一丈,以容人聽講。【席間函丈】討論、鑽研學問時,保持丈許距離,以便指畫。『禮記』曲禮上:「若非飲食之客,則布席,席間函丈」。鄭玄注:「謂講問之客也。函,猶容也,講問宜相對容丈,足以指畫也」。原謂講學者與聽講者坐席之間相距一丈。後用以指:講學的坐席。師に対して、一丈ほども席の間をおいてすわること。また、その間隔。 ○國字:漢字に対して仮名をいう。和字。また和文,日本語文。漢文に対していう。 ○輯:蒐錄後整理。聚集 [gather;assemble],特指聚集材料編書。材料を集めてまとめる。「輯録/編輯」。 ○為:創制。製作;創作 [make;compose]。「つくる」とも訓ず。 ○蕉窓雜話:本書の序を書いた服部流謙による凡例に,「此書,『蕉窓雜話』と名づくること,固より意義あるにあらず。先生家塾の窓前に芭蕉ありて筆記したる故に名づけしなり」〔カタカナをひらがなに変え,濁点・句読点を打つ。以下おなじ〕とある。/雜話:指胡乱編造的佳人才子的故事。さまざまな事柄をまとまりもなく話すこと。また、その話。 ○漸:慢慢的、逐步的。逐漸 [gradually]。 しだいに。だんだん。 ○就木:入棺木,比喻死亡。[enter the coffin;about to die] 入殮;垂危。棺に入る。死ぬ。服部流謙の凡例に「此書初め伊豫國久保喬德,首としてこれを錄し,同國柁谷守清これに續く。其他諸子の續て錄する者ありと雖も,歳月を歷ること久して,其姓名を遺失し,知ること能はずして喬德・守清の苦心最大なりとす。二子なくんば,此書も亦成ることなからん。但二子不幸にして皆夭し,草稿を改むること能はず。語辭雜駁にして完からず。故に予,二子の志を續ぎ,實に質して刪訂し,且これを補綴す」とある。 ○得無:能不、莫非。表測度語氣的語氣詞。 ○感舊:懷念故舊。住時をなつかしく思い起こす。 ○不顧:不顧慮。指不去計較或無法考慮。ろくに顧慮しないで。 ○其:わたしの。われわれの。 ○固陋:見聞淺陋。[ill-informed and ignorant] 見識淺薄,見聞不廣。見識が狭くてがんこなこと。 ○挍訂:校訂。校正改訂。校勘訂正。/挍:「校」におなじ。比較;估量。 ○今茲:今年。/茲:年、時。《孟子.滕文公下》:「今茲未能,請輕之,以待來年。」 ○戊寅:文政元年(1818)。 ○嬰:遭受;遇 [suffer]。【嬰疾】為疾病所困。 ○疔毒:[furuncle] 症狀發展到很嚴重地步的疔瘡。疔瘡爲病名。出《仙傳外科集驗方》卷六。泛指多種瘡瘍。古無疔字,丁通疔,泛指外科證情較重之多種瘡瘍。 ○幾死:危うく命をおとそうとする。/幾:將近、相去不遠。表示非常接近,相當於「幾乎」、「差不多」[almost;nearly]。 ○幸免:僥幸免除。[escape by sheer luck;have a narrow escape] 僥幸避免某種災禍。 語本《論語‧雍也》:「人之生也直,罔之生也幸而免」。 ○謂:認為、以為。 ○瑣言:瑣碎的言談;閑談。記述逸聞、瑣事的一種文章體裁。 (「瑣」は小さい、細かいの意) ちょっとしたことば。とるに足らないことば。これを和田東郭の『導水瑣言』と解するのは,うがちすぎであろう。 ○遺教:前人所遺留下來的思想、學說、主張等[theory,work and view left over by the dead]。 ○今而:いま,すなわち。 ○不謀:不商量。不求。不籌劃〔企画する.計画する.段取りする〕。/謀:あれこれと手段を講ずる。計画する。

  三オモテ

 ○梨棗:梨子和棗子。舊時雕版印書,用梨木棗木,故稱書版為「梨棗」。[wooden printing blocks (usu.made of pear and date wood)]舊時刻版印書多用梨木或棗木,故以“梨棗”為書版的代稱。 梨(なし)と棗(なつめ)。転じて、梨と棗はともに版木に用いられるところから、版木、また、版木にして出版すること。 ○蠹:蛀蟲。蛀爛、腐蝕。虫が食い破る。むしばむ。衣魚(しみ)の別名。 ○塵:飛揚的細小灰土。汙染。 ○黽勉從事:努力工作。勤勤懇懇。《詩經.小雅.十月之交》:「黽勉從事,不敢告勞。」/黽勉:勉勵、努力。盡力。つとめはげむこと。精を出すこと。/黽:勤勉、努力。 ○從事:行事;辦事 [handle affairs]。參與做(某種事情);致力於(某種事情)[engage;go in for]。處置;處理[deal with]。 ○上于木:図書を版木に彫りつけること。書物を出版すること。上梓(じょうし)。出版。 ○追次:先に行くもののすぐ後を追って続く。後からつぎたすこと。追加。/追:「近」字の可能性もあるが,下文の「近江」の「近」とは異なるとひとまず判断した。 ○鍥:刻。用刀子刻。 ○庶幾:表示希望的語氣詞。心から願うこと。 ○遺澤:遺留給後世的恩惠德澤。留下的德澤。後世まで残る恩沢。 ○功力:效驗。功夫和力量。功徳の力。効験(こうけん)。 ○永存:永遠存在。長存不滅。ながく存在すること。また、ながく保存すること。

 ○文政:1818年から1831年。 ○紀元:年歲的始元。[beginning of an era;epoch] 指紀年的第一年。歴史上の年数を数えるときの基準。また基準となる最初の年。年号を建てること。建元。改元。また、年号。 ○戊寅:1818年。 ○冬至:二十四節氣之一。此時太陽直射南回歸線,所以北半球夜最長,晝最短,南半球則相反。通常落在國曆的十二月二十一、二十二或二十三日。二十四節気の一。太陽の黄経(こうけい)が270度に達する日をいい、太陽暦で12月22日ごろ。太陽の中心が冬至点を通過する。北半球では一年中で昼がいちばん短く、夜がいちばん長くなる日。 ○近江:旧国名の一。現在の滋賀県にあたる。江州(ごうしゅう)。「近江」の文字は浜名湖のある遠江(遠つ淡海)に対して近江(近つ淡海)と称したもの。 ○服部流謙:松田邦夫先生の解説:「泰沖の子であろう」。「和田東郭には男子がなく,門人中の逸材中村哲を養子とし,長女を配して後を嗣がしめた。哲は字を哲郎,通称を泰沖といい,黙所と号した」。 


2023年8月23日水曜日

辻本裕成ら『医談抄』 (伝承文学注釈叢書)三弥井書店,2023年。

 辻本裕成『医談抄』解題:

秦鳴鶴の説話(上古針術実事・五の7。64頁:風眩に苦しんでいた唐の高宗に対して百会・脳戸から刺絡したところ,高宗は「我が眼あきらかになりぬ」と曰った)に関して,

「高宗の頭に鍼を打って血を出すような治療が実際に可能であったとは思えない」(402頁末~)

と述べている。

これに関しては,鍼灸にたずさわっている人たちからは,異論が出ると思うし,鍼灸治療をうけた患者が「眼が明るくなった」という感想を漏らすのは,決して珍しいことではなかろう。


以下,鍼灸関連記事で,ひっかかたところ。


○42頁:『重広補注黄帝内経素問』巻二十五「宝命全形論篇」

○44頁:『重広補注黄帝内経素問』巻二五「宝命全形論篇」:

・「宝命全形論」は,『重広補注黄帝内経素問』の第25の篇名。第8巻にある。『重広補注黄帝内経素問』は24巻本で,25巻はない。

○75頁:六 頂心…頭のいただき。

・穴名をあげれば,百会穴であろう。『鍼灸甲乙經』卷3・第2:百會,在前頂後一寸五分,頂中央旋毛中,陷可容指。『聞見後録』(1157年成書)を撰した邵博(?—1158)は「皆古今方書不著」というが,『太平聖恵方』(992年)には,百会穴の主治に脱肛が挙げられている。『太平聖惠方 』卷第九十九:百會一穴。在前頂後一寸半。頂中心。督脈足太陽之會。主療脱肛。

○77頁下段:王懐院。

・王懐隠の誤り。

○79頁:大意 『明堂経』の名の由来は,黄帝が岐伯に明堂で教えを受けたからである。

・本文にしたがえば,『明堂経』の名の由来は,「黄帝が雷公に明堂で教えを授けたからである」となると思う。

○80頁:『銅人鍼灸経』巻四に「心兪」は「不可灸」との記載がある。

・『銅人腧穴鍼灸図経』と『銅人鍼灸経』は異なる書物であり,ここで『銅人鍼灸経』を引用するのは不適切である。あるいは,『銅人腧穴鍼灸図経』のデータが得られず,『銅人鍼灸経』で代用したか。『銅人腧穴鍼灸図経』の「心腧」に「不可灸」の記載がある。

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100231700/108?ln=ja の末行から。

・また,『銅人腧穴鍼灸図経』の注釈で,「原刊本は早くに失われ」とのみいい,石刻拓本(宮内庁書陵部・蓬左文庫本等)に言及がないのは不審。

○80頁:閑邪瞶痩(金代)が一一八六年に改編した五巻本『新刊補注銅人腧穴針灸図経』

・清・劉世珩の跋文などによれば,閑邪瞶痩は「鍼灸避忌太一之図」にかかわっているだけで,『新刊補注銅人腧穴針灸図経』の改編者は書軒陳氏とすべきではなかろうか。

○82頁:若し針して灸さず,灸して針せず

・「灸せず」。注釈も「灸さず」となっているが,活用の誤りだと思う。

○86頁:『外台秘要』巻十九「論陰陽表里灸方」

・「表裏」。

○87頁:「徐論」(『外台秘要』に「徐論」として引用があるのはここ一箇所だけで「徐」が誰を指すのかは不明)

・高文鋳によれば,初唐の蘇恭(蘇敬)と同年代の徐思恭。華夏出版社『外台秘要方』外台秘要方叢考,948頁末~。

○87頁:「時剋」は「ちょうどよい時」の意。

・時剋:「時刻」とも表記する。

○90頁:出典・類話 『外台秘要』巻十九「灸脚気穴名」

・86頁において出典・類話を『外台秘要』巻十九「論陰陽表里(まま)灸方」としているのだから,ここも同様にすべきである。なぜなら「徐論」は,「灸脚気穴名」(目次にこの項目なし)の後にあるからである。この90頁の話は,徐論につぐ「蘇恭云」に見える。92頁(本書には言及がないが,唐臨の説)も同じ。全体で調整するのであれば,出典・類話は,『外台秘要』巻十九「論陰陽表裏灸方・灸脚気穴名」とするのがわかりやすいと思う。

○92頁:帰へりて…「却って」の意か。

・『外台秘要方』巻十九「論陰陽表裏灸方・灸脚気穴名」:唐論……當反害人耳。

○94頁:肩隅…穴の一つ。

・現在は,肩髃と表記されるが,引用元の『医説』にかぎらず,『鍼灸資生経』など医書にも「肩隅」という表記が見られる。

○96頁:灸瘡のみだれざるは…かさぶたがとれない時には。

・『鍼灸資生経』巻2・治灸瘡:「下經云:凡著艾得瘡發,所患即瘥。不得瘡發,其疾不愈」。待考。

○104頁:五月五日,日出以前に人形の如(く)なるを採るべしと云(ふ)

・『荊楚歳時記』:五月五日,謂之浴蘭節。四民並蹋百草之戲,採艾以為人。……常以五月五日雞未鳴時採艾。見似人處,攬而取之。用灸有驗。

○109頁:壮数足らざれば厥疾(けつしつ)瘳(い)えず。

○110頁:注釈:厥疾…気が逆上して,四肢の寒冷状態が起こり,意識消失に至ることもあるが,やがては元に復する病症。

・考えすぎでしょう。「厥」は「其」とおなじで,代詞。お灸の壮数が足りない場合,「その」病気は治らない,という意。特定の病症(厥疾)を言っているわけではなく,一般論を述べているのだと思う。『孟子』滕文公上などにも「若藥不瞑眩,厥疾不瘳」とある。参考にしましょう。

○111頁:膏肓の穴………膏肓愈ともいう。

・膏肓兪。

○110頁:易簡方

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000927

69/90コマ目みぎ。

2023年5月25日木曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 03

   3 討論

 古代の異なる時期の鍼灸に関連する文物や文献の足陽明経脈の循行に関する記載と,文物が所属した年代や経脈循行の総体的な特徴を結びつけてわかることは,経絡の形成過程は単純から複雑へ、浅いものから深いものへ,あいまいなものから明晰なものへの複雑な過程である。それは一元化した単線的な発展変化ではなく,多元化した発展の総合的結果である。『内経』以前にもっと初期の経脈理論が存在したかもしれないし,地域性のある経絡理論の観点と認識が存在したかもしれない。老官山漢墓から出土した漆塗り人形にこの点が特に顕著にあらわれている。


  参考文献

[1] 梁繁荣,曾芳,周兴兰,等.成都老官山出土经穴髹漆人像初探[J]. 中国针灸,2015,35(1):91-93.

[2] 梁繁荣,谢克庆,和中浚,等,西汉人体漆雕经脉研究[J].上海中医药杂志,1998(5):36-39.

[3] 马继兴.针灸学通史[M].长沙:湖南科学技术出版社,2011:189.

[4] 赵树宏,张艳春,马淑然,从《帛书》到《黄帝内经》经脉名称发展之探究[J].中国中医药现代远程教育,2012,10(22):70-71.

[5] 马继兴.双包山汉墓出土的针灸经脉漆木人形[J].文物,1996(4):55-65,98.


2023年5月24日水曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 02

   2 足陽明経の発展変化に関する認識


 2.1 経脈循行は単純から複雑へ

 老官山漆人を双包山漆彫,『足臂』『陰陽』および『霊枢』経脈の足陽明脈の循行と対比してみれば,その間に多くの類似点が存在することを発見することは容易なことである。たとえば,いずれもみな下腿・膝・大腿部・乳房および顔面頰部を循行している。もちろん,支脈があるかないか,循行して連係する臓腑器官があるかないか,交叉する経脈があるかないか,そして腧穴に言及しているかいないかなど,多くの相違がある。

 『足臂』『陰陽』における当該経は一本の主脈があるのみで,支脈および臓腑との属絡に言及していないが,老官山漆人と比較して,最大の相違点は連絡する器官にある。双包山漆彫では,この経は縦方向に分布する一本の主脈であり,他の経との交叉は少なく,経脈には腧穴は表示されていない。老官山漆人の体表では8本の経脈線と交叉し,経絡循行ルートとの合流に関する情報などは双包山漆彫より豊富で複雑である。そのうえ腧穴が経上にある。しかし,臓腑との属絡はまだ見られていない。もちろん,これは模型上で内臓との絡属関係を描写するのに不便であることと関係があるかもしれない。『霊枢』経脈になると,この経の循行の記述はさらに改善され,循行はより詳細で複雑なものになり,足陽明経には3本の支脈があり,さらにこの経は「胃に属し脾に絡し」,鼻・歯・口唇・乳内廉などの器官と連係することを明確に提示している。

 双包山漢墓が漢の武帝の前、老官山漢墓が西漢の景帝・武帝の時期であることから勘案すると,出土した漆人はその時期より遅くはないはずである。しかし,老官山漆人はより精緻に作られており,その経脈の数,循行ルート,交叉などはいずれも双包山漆人より豊富で複雑であるため,この時期の経絡学説研究に対してより重要な医学と文化財としての研究価値がある。老官山漆人に見える足陽明経に関する線刻は,馬王堆漢墓の先秦医書と『霊枢』の間にあり,三者の間には簡から繁へ,不十分な状態からから徐々に完備へと発展する傾向が明らかに現れている。そのため,足陽明経を含む経絡理論全体が発展形成される過程における異なる発展段階をあらわしている。


 2.2 循行して連係する臓腑と器官

 『黄帝内経』は「夫(そ)れ十二経脈なる者は,内は府蔵に属し,外は肢節に絡す」という。人体の五臟六腑,四肢百骸,五官九竅,皮肉筋骨などの組織器官は,すべて十二経脈に依存して有機的な全体を構成している。十二経脈もまたそれぞれ臓腑器官,体幹四肢と連絡することによって異なる機能を持っている。馬王堆帛書に記載された足陽明経の循行は,内在的な臓腑の連絡には言及がなく,わずかに乳・口・鼻・目などとの連係しか記載されていない。2つの漆彫人では,経脈の循行は体表に記されている。この経が乳内廉・口・鼻につながることはわかるが,体内の循行は描きようがない。したがって足陽明経は胸腹を循行するが,体内に入って臓腑に属絡するかどうかはまだ不明である。『霊枢』経脈では足陽明経の体内にある支脈は「膈を下り胃に属し脾に絡す」。脾・胃との連係,この経の体内での循行はその記載により十分に明らかになった。そのため、われわれは,人類が足陽明経脈が臓腑・器官と連係することに関する認識も絶えざる発見と改善の過程にいたことを見いだせた。


 2.3 命名の変遷 

 古今の経脈の名称を見渡すと,その陰陽の気の多少,循行する部位および属絡する臓腑との関係などによってその名が付けられていることが多い。『陰陽』は陰陽からのみ命名され,足陽明胃経を「陽明経」と命名し,『足臂』は『陰陽』を基礎として足臂を追加し,この経を「足陽明脈」と呼んだ。双包山漆人の経脈については,古代文献に基づいて漆人の経脈の名称を推論し,「足陽明脈」と命名した。老官山漆人ではこの経を主に老官山漢墓から出土した医簡にある経脈に関する記載に基づいて「足陽明脈」と命名した。以前の経脈の命名とくらべて最も際立っている『霊枢』経脈の命名の特徴は,足臂と陰陽を基礎として臓腑を補充し,「足陽明胃経」を考案したことである。


 2.4 流注方向の分析

 経脈流注の方向はずっと鍼灸領域の討論の重要な問題である。同一名称の経脈に対して,その開始部位と終止部位は文献によって記載が異なり,しかも求心性と遠心性という流注の方向の問題においては,完全に反対の主張すらある[5]。足陽明胃経の循経について,馬王堆帛書の流注の方向は下腿から顔面あるいは鼻へで,すなわち求心性である。双包山漆人の足陽明経の流注は,馬継興先生の考察によると、目から足に達する。即ち遠心性である。『霊枢』経脈では,足陽明胃経の流注は目下から足に至る。即ち遠心性である。老官山漢墓から一緒に出土した医簡には経脈に関する記載がある。それに基づけば,現在のところ,漆人の体表の足陽明経の流注は下腿から鼻へ,即ち求心性であると考えられる。経脈が流注する順序に関する文献間の記述の不一致は,足陽明胃経に既に存在していることがわかる。経脈循行の方向は,根本的には経気が運行する方向であり,それは経絡理論が形成された初期において,人類が経気が運行する方向の多様性に対する観察をあらわしており,求心性と遠心性が同時に出現していることは,経気の運行に関する双方向性の観点をあらわしている。即ちツボを刺激する時,経脈に循う感伝は,経脈の循行線に沿って遠心性と求心性の双方向性の伝導を呈する。もちろん更に重要なのは絶えず練り上げ改善される過程で,単一の経脈循行を主とし,『霊枢』経脈の「環の端無きが如く,……終わって復た始まる」全身の経気が環状に流注する移行が完成したことである。更に経絡の形成は循行方向が定まらず,経絡間の連絡が定まらず,臓腑の属絡関係が定まらない状態から発展し,循行方向が規則的になり,経絡間の連絡が相対的に固定し,臓腑の属絡関係が確定する過程が確認された。


2023年5月23日火曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 01

  1 歴代の関連文献文物の足陽明経に対する異なる記載と特徴の比較


 1.1 成都老官山漢墓経穴漆塗り人形像

 老官山漆人の正面には,おおむね縦方向に走る線がある。この線は口鼻・胸腹・下肢の前部を通るが,明確な分枝はない。その具体的な循行部位は「足の小指次指―足背に上る―脛の外廉―膝蓋骨―大腿全部―気街―小腹――乳内廉―咽喉―唇を環る―鼻」である。帛書や綿陽双包山漆人などの文献文物中の経脈循行分布の特徴と比較勘案して,われわれはこの線を足陽明経と確定した。

 この漆人の足陽明経の左右循行分布は基本的に対称であり,左右とも循行線は一本だけで,主に頭・体幹・下肢の前面に分布し、起点・止点はそれぞれ足の小指次指と鼻であり,走行区域は乳内廉・咽喉・唇などの組織構造と連携している。この経には支脈はない。


 1.2  綿陽双包山漢墓人体経脈漆彫〔堆朱〕

 1993年に四川省綿陽市永興鎮双包山漢墓から人体経脈漆彫が出土し、この漆彫の体表には経脈10本が彫り描かれている。その中には足陽明経が含まれている。研究成果によれば,双包山漆人の足陽明は顔面部,目下の正中から起こり,頰部から口角へ下り,ここで手太陰脈の起始部と合流した後,まっすぐ下行し,前頸部の結喉外方を過ぎ,手少陰脈の起始部と合流した後,鎖骨を越えて下行し,胸部乳頭正中(前胸第二縦線)を経て,垂直に下って上腹部から下腹部へ過ぎ,鼠径溝の正中,大腿部(前面,正中線),膝蓋部(前面,正中線),下腿部(前面,正中線),足背部(正中線)をへて,足の中指端で止まる[2]。

 この漆人の体表にある足陽明経は一本しかなく,支脈はない。この経は顔面と体幹と下肢の前側に分布し,目下から起こり,足の中指端に止まる。走行する区域は頰骨部と口角と乳中に連係し,口角で手太陰と交叉し,頸部で手少陰と交叉する。


 1.3 『足臂十一脈灸経』『陰陽十一脈灸経』

 『足臂十一脈灸経』(『足臂』と略称する)と『陰陽十一脈灸経』(『陰陽』と略称する)で足陽明経の内容に関連するところは以下のとおり[3]:①『足臂』:「足陽明脈,循胻中,上貫膝中,出股,挾(夾)少腹,上出乳內兼(廉)出膉(嗌),挾(夾)口,以上之鼻」。②『陰陽』:「陽明脈,繫於骭骨外廉,循骭而上,穿髕,出魚股之外廉(「廉」字は原欠),上穿乳,穿頰,出目外廉,環顏」。

 『足臂』と『陰陽』に記載されている足陽明経にはいずれも支脈がなく,主となる一本の脈しかないが,実際に経過する箇所には違いがある。共通するところは,どちらも下腿から始まり,膝部・大腿前部・乳をへて,最後に顔面に至るが,顔面での循行については両者の差が大きい。『足臂』にはこの経が「膉(嗌)に出で,口を挟み,以て上って鼻に之く」と記載されているが,『陰陽』には「頰を穿ち,目の外廉に出で,顏を環る」と記載されており,顔面で関連する器官が全く異なり,前者は老官山漢墓漆人に似ているが,後者の「頰を穿ち,顏を環る」などは『霊枢』に記載されている内容と類似するところがある。


 1.4  『霊枢』経脈および後世の医書

 『霊枢』経脈は経絡理論の基礎を定めた書とみなされている。後世の多種の医書,たとえば『鍼灸甲乙経』『鍼灸大成』『医宗金鑑』などの経脈循行に関する内容は『霊枢』経脈の説を模範としていることが多いため,ここでは『霊枢』経脈に見える足陽明経の循行についてのみ論ずる。

 『霊枢』経脈には「胃足陽明之脈,起於鼻,交頞中,旁約太陽之脈,下循鼻外,入上齒中,還出挾口環唇,下交承漿,卻循頤後下廉,出大迎,循頰車,上耳前,過客主人,循發際,至額顱;其支者,從大迎前,下人迎,循喉嚨,入缺盆,下膈屬胃絡脾;其直者,從缺盆下乳內廉,下挾臍,人氣街中;其支者,起於胃口,下循腹里,下至氣街中而合,以下髀關,抵伏兔,下入膝臏中,下循脛外廉,下足跗,入中指內間;其支者,下膝三寸而別,下入中指外間;其支者,別跗上,入大指間,出其端」と記載されている。

 この経の循行は体内と体外の両部分に関連し,1本の主脈,3本の支脈があり,循行する間に脾臓・胃腑と連絡する。これは足陽明経が臓腑と連絡することを最も早く明確に提出した文献記載である。それと同時に鼻・歯・口唇・乳内廉などの器官と連絡する。


 1.5  足陽明経の循行特徴の比較

 老官山漆人,双包山漆人,『足臂』『陰陽』に示される足陽明経はいずれも主となる脈が1本あるだけで,支脈はないが,『霊枢』経脈にはこの経に3本の支脈があり,そのルートは他よりはるかに複雑である。この経の循行方向や連絡する臓腑器官の記載は,各本ごとに相違がある。具体的な内容を表1にまとめた。


  表1 足陽明経循行特徴の対比


出典       起点      止点    循行方向   連係臓腑   連絡器官     支脈

成都老官山漆人 小趾次趾  鼻      未知    未見   乳内廉・口・鼻   なし

綿陽双包山漆人 目下正中 足中趾端  由上至下    未見    口角・乳     なし

足臂十一脈灸経 胻(脛骨) 鼻    由下至上    未見    乳・口・鼻    なし

陰陽十一脈灸経 骭骨外廉  顏    由下至上    未見    乳・目外廉      なし

        (脛骨外) 

霊枢.経脈   鼻   中趾内間     由上至下    脾胃  鼻・歯・口唇・乳内廉 支脈3本

                                                                 (支脈:具体的には経脈の循行に関する記載を参照)


2023年5月22日月曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 00

           『遼寧中医雑誌』2017年第44卷第1期

 印帥1,程施瑞1,曾芳1,謝濤2,3,周興蘭1,江章華2,3,梁繁榮1

(1. 成都中医药大学针灸推拿学院,四川 成都610075;2. 成都市文物考古研究所,四川 成都610075; 3. 成都市博物院,四川 成都610075)


 【要約】成都の老官山漢墓から出土した経穴漆塗り人形は我が国で今までに発見されたうちで最も早く,最も完全な経穴人体模型であり,古代における経絡理論の形成発展を理解するうえで重要な学術的価値がある。本文は老官山漢墓人形の経絡線が循行するルートと歴代の関連文献の記載を総合的に分析し,足陽明胃経の循行が変化した状況を検討し,経絡理論の発展の流れを整理するための根拠を提供する。


 【キーワード】足陽明胃経;成都老官山漢墓;漆塗り人形


 2012年7月,四川省成都市金牛区天回鎮で前漢時代の土坑木椁墓4基が考古学者によって発見された。地元ではこの地を俗に「老官山」と呼んでいることから,老官山漢墓という。その中の3号墓から木製で漆塗りの人物像が出土した。考古学者が調査したところ,現在のところ我が国で発見された最も早く,最も完全な経穴人体模型と認定された[1]。この木人像は木製漆塗りで,高さは約14 cm,五官〔鼻・眼・口唇・舌・耳など〕の位置造形は正確で,頭と四肢の構造の比率は調っている。その体表には陰刻の白い経脈をえがいた細い線が29本あり,『霊枢』経脈篇に記載されている十二経脈循行布置の特徴とほぼ類似しているが,具体的な循行にはなお多くの違いがある。同時に,帛書の十一脈の循行や綿陽双包山漆人の十脈循行と比較すると,その経脈循行路と交差に関する情報などはいずれもより豊富で複雑であることがわかる。そのため,この漆塗り人形の経脈循行システムを包括的かつ詳細に研究をおこなうことは,古代の経脈理論の源流をさかのぼり,より完備し,統合されたものにするために重要な学術的および臨床的意義がある。

 老官山漆塗り人形にある陰刻の29本の白線のうち,漆人の頭部・体幹・下肢の前に位置する1本の白線の循行ルートは古籍に記載されている足陽明胃経の循行とかなり類似度が高く,課題グループの研究によって足陽明胃経と認定された。本文は足陽明経脈から着手し,老官山漆人・綿陽双包山漆人・帛書および『霊枢』の文を画像化したものに対して総合的な比較分析をおこない,足陽明胃経の循行が変化した状況を深く検討し,経絡理論の発展過程を整理するための根拠を提供する予定である。


東洋文庫ミュージアム 企画展「東洋の医・健・美」

 会期:2023年5月31日(水)~9月18日(月・祝)

詳細は,

http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/ikenbi-detail.pdf

http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/ikenbi-pressrelease.pdf

2023年5月2日火曜日

天回医簡『経脈』残篇と『霊枢』経脈の淵源 06

   参考文献

[1] 成都文物考古研究所,荆州文物保护中心.成都市天回镇老官山汉墓[J].考古,2014(7):59-70.

[2] 梁繁荣,王毅.揭秘敝昔遗书与漆人:老官山汉墓医学文物文献初识[M].成都:四川科学技术出版社,2016:257. 

[3] 黄龙祥.老官山出土汉简脉书简解读[J].中国针灸,2018,38(1):97-108.

[4] 中国中医科学院中国医史文献研究所,成都文物考古研究所,荆州文物保护中心.四川成都天回镇汉墓医简整理简报[J].文物,2017(12):48-57.

[5] 灵枢经(点校本)[M].北京:人民卫生出版社,1963.

[6] 张家山二四七号汉墓竹简整理小组.张家山汉墓竹简〔二四七号墓〕(释文修订本)[M].北京:文物出版社,2006.

[7] 裘锡圭.长沙马王堆汉墓简帛集成(六)[M].北京:中华书局,2014.

[8] 裘锡圭.长沙马王堆汉墓简帛集成(五)[M].北京:中华书局,2014.

[9] 李克光,郑孝昌.黄帝内经太素校注(上册)[M].北京:人民卫生出版社,2005:190.

[10] 黄帝内经素问(点校本)[M].北京:人民卫生出版社,1963.

[11] 山东中医学院.针灸甲乙经校释[M].北京:人民卫生出版社,2009.

[12] 王先慎.韩非子集解[M].北京:中华书局,2003.

[13] 何宁.淮南子集释(下册)[M].北京:中华书局,1998:1153.

[14] 裘锡圭.中国出土简帛古籍在文献学上的重要意义[M]//中国出土古文献十讲.上海:复旦大学出版社,2008:89.

[15] 张家山汉墓竹简整理小组.江陵张家山汉简概述[J].文物,1985(1):9-15.

[16] 韩健民.马王堆古脉书研究[M].北京:中国社会科学出版社,1999.

[17] 张灿岬.出土文物中的经络学说解析[J].山西中医学院学报,2006,7(2):2-3.

[18] 杜锋.新材料与新观点:出土涉医文献研究综论――第二届全国出土涉医文献研讨会纪要[J].中医药文化,2017,12(6):14-18.

[19] 赵争.古书成书与古书年代学问题探研――以出土古脉书《足臂十一脉灸经》和《阴阳十一脉灸经》为中心[J].中国典籍与文化,2016(1):7-12.

[20] 黄龙祥.针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:470-481.

[21] 裘锡圭.长沙马王堆汉墓简帛集成(一)[M].北京:中华书局,2014:1.


2023年4月30日日曜日

天回医簡『経脈』残篇と『霊枢』経脈の淵源 05

   5 討論

 この半世紀,簡帛医学文献の出土が次第に増えてきたが,その中の大きな分野を経脈文献が占めていて,学者のそれに対する認識も日増しに明晰になっている。最初に注目されたのは,伝世医籍である『黄帝内経』,特に『霊枢』経脈との関係であった。例えば,裘錫圭先生は「簡帛古籍から分かることは,数術・方技の本には継承性が特に強いことである。伝承されたこのような著作は,かなり古い同類の著作を基礎として,徐々に修改増補をかさねて定本となったものが多い。張家山竹書と馬王堆帛書の『脈書』が,『霊枢』経脈篇の祖本であることは明らかである」[14]と指摘している。

 しかし,これらの出土した経脈文献を整理した当初は,学界ではこういった文献をどのように命名し,区分するか,意見が分かれることが多く,意見が統一されなかった。その後,張家山から『脈書』が出土し,竹簡の背面から「脈書」という題名が発見されたので,張家山漢簡整理小組は,張家山の竹簡『脈書』の内容は,帛書の『陰陽十一脈灸経』『脈法』『陰陽脈死候』の3種に相当すると考えた。帛書に欠けていた文字は,竹簡が発見されたことにより,基本的にほとんど補うことができる。〔竹簡の文字も〕帛書の釈文と対照すれば,一部を除いて,やはり誤りなく釈文できる。このように,帛書『五十二病方』の巻前にあって失われた部分は,実際は『足臂十一脈灸経』と『脈書』の二種類であると考えられる。このことは,いわゆる『足臂十一脈灸経』が『陰陽十一脈灸経』とは確実に異なる別の本であることを証明している[15]。韓健民[16]は,馬王堆帛書の経脈文献を研究した専門書を著わしたが,その題名を『馬王堆古脈書研究』とした。張燦岬[17]は文献の名称についても論じていて,張家山の『脈書』はもともとあった題目であり,これは『史記』倉公伝が称する『脈書』と同義であるはずであると主張した。「脈書」は経脈の書であり,脈診を言う書ではない。したがって馬王堆に二つの「灸経」本には,もともと題名はなかったが,この例に照らせば,これも「灸経」ではなく「脈書」ではないかと疑われる。『霊枢』経脈という篇は,『脈書』などの各本の基礎の上に発展して成立した可能性がきわめて高い。李海峰[18]は,出土した経脈類文献の主要な内容は近く,体例は類似していることを根拠に,いずれも経脈の脈名,循行ルート,主治病症を述べていて,いずれも生死を判断する診断学的内容を含んでおり,張家山漢簡『脈書』には明確な題名簡があるという。その上,『史記』扁鵲倉公列伝の記載された『脈書』の伝承体系が存在し,これに類する経脈文献は,『脈書』と統一して命名すべきであり,その後にその出土した土地と書写された書写材料〔帛書か竹簡かなど〕の違いにもとづき注を加えて区別すべきであると考えている。趙争[19]は,古脈書の『足臂十一脈灸経』と『陰陽十一脈灸経』の両者の内容と構造を分析することにより以下のように指摘している。すなわち,その形成はいずれもかなり複雑な過程をへていて,そのテキストの構造と成書過程は相対的な年代問題と密接に関連しているため,『足臂』と『陰陽』の相対的な年代関係をおおまかにまとめて論定するのは難しく,テキストの内部に深く入り込んで,古書そのもののテキストの階層に基づき,より小さな単位――段落ごと,さらには各文ごとに――を基礎として分析をおこなうべきである,と。

 上に述べてきたことをまとめると,秦漢時代には多くの地域に普遍的に「脈書」文献が流布しており,その内容と体例はすでに比較的固定的なパターンを形成している。とはいえ,各伝本にはそれぞれ違いがある。馬王堆からは『足臂』と『陰陽』が出土し,今回,天回医簡にも『脈書』下経と『経脈』があり,同じ墓から異なる伝本の経脈文献が出土したのは,当時のこのような文献の流布が複雑で,分離統合が定まっておらず,まさに発展変化の活発な時期にあたることを示している。伝世経典としての『霊枢』経脈篇は,まさにこのような「脈書」が集大成された後に定型化した産物で,体例と構造は,出土「脈書」の基本的な構造を継承していて,そこには経脈の名称・循行・主病・診治法・脈死候等の部分が含まれている。経脈循行の主体と経脈病候という核心となる内容からみると,天回『経脈』に類似する「直系」文献とすべきである。その改造され増加された部分は,おもに以下の面である[20]。第一に,「営衛学説」の成果を吸収し、経脈の循行方式を四肢末端から起こる「求心性」流注を,十二経脈が首尾相い貫く循環する流注に改造した。第二に,『霊枢』禁服の「人迎―寸口」脈法と「盛則瀉之,虛則補之,熱則疾之,寒則留之,陷下則灸之,不盛不虛,以經取之」という鍼灸治療の大法を移植し,次第に衰微していた「有過之脈」の診察法と砭・灸の治療法に取り替えた。第三に,「十五別絡」の内容を増やした。この部分は天回『経脈』と張家山・馬王堆諸脈書には見られないが,天回『脈書』下経の「間別脈」の一部の体例に近い。このことから,『霊枢』経脈の文献の由来が非常に複雑であることがわかる。

 天回医簡が埋葬されたのは,前漢の景帝と武帝の際のころである〔BC140年前後〕[4]。そこに保存されていた二つの経脈文献を見ると,『脈書』下経はこれ以前の『脈書』(BC186年)[6]および馬王堆『足臂』(BC168年)[21]を総合したものであるが,わずかに残っている『経脈』の方は伝世の経典『霊枢』経脈の原始的な様相に近い。江陵〔張家山〕・長沙〔馬王堆〕・成都〔天回〕の三箇所から出土した六つの経脈文献は,前漢初期の五六十年間に,すでに「分散から集合」の傾向を示していた。これに対して『霊枢』経脈が形成された時期は,学界での定説とみなされている成帝の侍医であった李柱国が天下の医書の校正を始めたとき(BC26年)とは限らず,後漢の和帝(88~105年)時代に,太医丞の郭玉が涪翁から伝えられた『鍼経』の時まで時代が下る可能性があるかも知れない。天回『経脈』が『霊枢』経脈に発展するにいたる二百年以上の間に,各種の「伝承された異本」の経脈文献がどれほど相互に浸透融合をへているか分からないが,最終的に「学は官府に在り」という影響の下に,次第に統一を見た。

 『霊枢』経脈篇に「經脈者,所以能決死生,處百病,調虛實,不可不通」[5]とある。この数十年来,陸続と出土した経脈文献は,われわれにこの経文についてより真意に近い理解をもたらし,それによって学者のまなざしは経脈の循行ルートという枝葉の部分から経脈の病候と診療という主要な項目に移った。注目点が移行した背景には,実はいわゆる「経絡の本質」という問題に対する新たな認知,すなわち経絡は「生理システム」であるという認識から「疾病分類システム」であるという認識へのパラダイムシフトがある。『霊枢』経脈の原始形態により近い天回医簡『経脈』の発見は,まさにこのタイミングである。これは間違いなくわれわれに秦漢時代の経脈文献が「百舸争流〔多数の船が流れに競いあう〕」から「百川匯海〔多数の川の水が海に集まる〕」までの伝承の流れというパノラマを見せていて,「鍵となる部分」の新史料を提供している。またわれわれに天回漆塗り経脈木人の体にある赤と白の経脈系統を解釈する新しいアイディアを思いつかせ,それによって必ず中国医学の経脈学説の幾重にも重なって形成された歴史的なプロセスを探索するための新たな弾みとなることもまた間違いない。