若要安、三里莫要乾。患風疾人宜灸。三里者、五臟六臟之溝渠也、常欲宣通、即無風疾。
若し安んぜんと要せば、三里 乾きを要すること莫し。風疾を患う人は、宜しく灸すべし。三里なる者は五臟六臟の溝渠なり。常に宣通せんと欲すれば、即ち風疾無からん。
○三里:經穴名。《靈樞·本輸》原名三里、下陵。《聖濟總錄》名足三里。別名鬼邪、下三里。屬足陽明胃經。合(土)穴。
○頻:屢次的﹑接連的。
○若:如果、假如,表示假設。
○要:求取。如:「要求」。
○安:使穩定。平靜、恬適。如:「安寧」。
○莫:表示禁止的用語,相當於「勿」、「毋」。
○要:應該。表示想、希望做某事。
○乾:沒有水分或缺乏水分的。與「溼」相對。
○患:得﹑遭逢。如:「患病」。
○風疾:痲瘋病(神經錯亂、精神失常)。風痺﹑半身不遂等病症。
○溝渠:水溝、水道。
○宣通:疏通;暢通。一本作「宜痛」。
以下,昔の論議の転載:
Re‥黄龍祥『中国針灸学術史大綱』
古籍の研究中にはしばしば、一つの学説、あるいは一まとまりの原文が、歴代転々と引録された結果、全くその面目を変えてしまうことに出合う。試みに現代の鍼灸治療で最も広範囲に使用される「足三里」の主治を例に説明する。
人年三十以上、若灸頭不灸三里穴、令人氣上眼暗、所以三里下気也(『千金翼方』鍼灸 巻二十八)。
人年三十以上、若不灸三里穴、令人気上眼暗、所以三里下気也。出第二十七巻中(『外台秘要』明堂 巻三十九)。
人過三旬後、鍼灸眼能寛(『玉龍経』天星十一穴 三里』)。
三里‥凡人年三十以上、不灸此穴則熱気上衝、眼目無明(『楊氏家蔵鍼経図』)。
『外台』云‥凡人過三十以上、能灸此穴、則熱気下、眼目増明(『鍼灸六集』)。
一云小児忌灸三里、三十外方可灸、不尓反生疾……。『外台』明堂云‥人年三十以外、若不灸三里、人気上衝目、使眼無光、蓋以三里能下気也(『類経図翼』)。
『外台秘要』云‥人年三十以後、宜灸三里、令気上衝、可無失明之患。故云「人可三旬後、鍼灸眼重光」(『循経考穴編』)。
小児忌灸、恐眼目不明、惟三十以外方可灸之、令眼目光明也(『医宗金鑑』刺灸心法要訣)。
伝世本『外台秘要』が『千金翼方』のこの条を収録したときに、「不灸三里穴」の前の「灸頭」という鍵となる二字を漏らしたので、大いに原文の本義を失った。その外にも王燾が引いたときにはさらに「一切病皆灸三里三壮。毎日常灸、下気、気止、停也」の一句を書き漏らした。『千金翼方』の原文は「三里」穴の気を下す作用を強調している。『太平聖恵方』鍼経 巻九十九に引く『甄権鍼経』に「若鍼肩井、必三里下気、若不灸三里、即抜気上」と言い、『千金翼方』も文も甄権の鍼灸書に出る可能性が高い。唐以後この句は極めてしばしば引用されるが、いずれも直接『千金翼方』あるいは甄権の鍼灸書から引いたものはなく、みな直接間接に『外台秘要』巻三十九から引いている。宋以後はますます系譜を離れ、清以前の各書に引かれた文と『千金翼方』の原文の義にはまだ多少はつながりがあるにしても、清代のものが『医宗金鑑』刺灸心法要訣による発揮を経た後には全く関係ないものに化している。さらにもう一点注意すべきことは、諸書が直接間接に『外台秘要』の文を引用した際にもそれぞれに発揮があって、原文を抄録したものは極めて少ないということである。このことはまた、古人の引書の方式は臨機応変に過ぎ、謹厳さにおいて欠けるという実例である。だから我々は史料を引用するにあたっては、必ず源に流れを溯り源を考察しなければならない。現存する文献の中で最も早期の出処を明らかにし、一般的な状況の下ではその史料を最初に載せた文献から引用すべきである。我々の中のある人々は文献研究に際し、どの書物のどの版本に見出した話であるかに無頓着に、考察などは一切加えずに直接に文献的依拠として滔々数千言の議論を展開する。甚だしくは『古今図書集成』医部全録のような類書が収集した文句を直接の引文の形式で文章中に出現させる。私の考察によれば、『医部全録』の引文には誤りが極めて多く、拠り所とするには足りない。
唐以前の鍼灸医籍に載せる足三里穴に関する内容がたびたび『外台秘要』から転載されて、どうして直接『千金翼方』から引かれなかったか。ここにはさらにもう一つの重要な客観的原因が有る。即ち伝世本『外台秘要』にこの条の文を引いたところで出処を明確にしておらず、さらに拙いことは宋代の校正医書局が『千金翼方』の原書の編次に対しても調整を行っている。だから人々はこの条の文が『千金翼方』に出ることを知らず、また『外台秘要』が提供する巻次から原文を検出することも不可能であった。ここにも宋臣が医書を妄改した弊害がまたしても露呈する。引文の失誤が発生する原因は極めて多い。(黄龍祥『中国針灸学術史大綱』より)
投稿:某 from 北京 投稿日時:2006/2/4/16:22
Re: 『醫説』鍼灸29
三里莫要乾は、おそらく打膿灸のように、常にじゅくじゅくさせて、乾かしてはいけない、という意味だろう。打膿灸は、李唐の「灸艾図」でも行っているようだから、かなり古い灸法でしょう。三里 乾を要(もと)むこと莫れ、と読むんだろう、たぶん。
投稿:かいちょう 投稿日時:2006/2/4/23:56
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