3.4 分刺法
いわゆる「分刺」とは,皮下と肉上の分間,つまり分肉の間を鍼で刺すことから名付けられた。
分刺法の特別なところは,瀉を主とするが,虚を補うこともでき,筋の急(ひきつ)りを治療できるが,筋が縦(ゆる)むのも治療できることである。
偏枯,身偏不用而痛,言不變,志不亂,病在分腠之間,巨(臥)針刺之,益其不足,損其有餘,乃可復也。痱之為病也,身無痛者,四肢不收,智亂不甚,其言微知,可治;甚則不能言,不可治也。病先起於陽,後入於陰者,先取其陽,後取其陰,浮而取之〔偏枯は,身の偏(かたわ)ら用いられずして痛み,言は變わらず,志は亂れず,病は分腠の間に在り,針を巨(ふ)(臥)せて之を刺し(明刊未詳本作「取之」),其の不足を益し,其の有餘を損し,乃ち復す可し。痱の病為(た)るや,身に痛み無き者,四肢 收まらず,智の亂れ甚だしからず,其の言微(わず)かに知るは,治す可し。甚だしければ則ち言うこと能わず,治す可からざるなり。病 先ず陽に起こり,後に陰に入る者は,先ず其の陽を取り,後に其の陰を取って,浮かして之を取る〕。(『靈樞』熱病)
嚲,因其所在,補分肉間〔嚲は,其の在る所に因って,分肉の間を補う〕。(『靈樞』口問)
嚲は,後世にいう「癱瘓」である。多くは中風によるもので,「偏枯」と同類の病であり,治療法も同じで,みな分刺法で治療するが,邪の深さが少し異なるだけである。偏枯は鍼を臥せて「分腠の間」を刺し,嚲は鍼を臥せて「分肉之間」を刺す。
『霊枢』経筋は,経筋の病を筋急と筋縦の二種類に分けるが,言及されている病症と刺法は主に「筋急」に焦点を当てていて,「筋縦」の病と治療は省略されている。ここに挙げた二つの例は,分刺法で「筋縦」病を治療した例である。
分刺法のこのような用法は,今日の鍼灸従事者にほとんど注目されていないが,今後さらに発掘し,検査し,総括し,向上させ,普及させて利用するに値する。
『黄帝内経』によく見られる痺証を「衆痺」という。病は分肉の間にあり,治療の定番となる刺法も最も多い。痺証の範囲の広さと深さにより,一本あるいは多数の鍼を皮と肉の間,すなわち分腠の間と分肉の間に刺して操作する。従って広義の「分刺法」といえる。
「分刺」から発展した最も重要な筋病刺法は挑筋刺法,すなわち「恢刺」である。
分刺法は筋病刺法の方向と道筋を導いただけでなく,皮・肉・脈・筋・骨,全体の「五体」刺法を再構築し,脈病が盛絡と結絡にあるときと,筋病が結筋の病巣に見えてただちに脈と筋を刺さなければならないときを除き,その他の場合はみな五体の間と五体の膜を多く刺した。
分刺法の後世と現代の変遷は,全体的には『霊枢』官針より明らかに狭くなっており,円鍼の刺法が失われたのに伴い,分刺法の専用鍼は按摩の道具に転落し,「分刺」の法則は長期にわたって埋没した。元代に再発見された後も重視されていなかったが,現代になってやっと復興した。
しかしながら,本当に失われた「分刺」法を復活させて時とともに発展させるには,やはり鍼具の継承と改良に立ち返る必要があり,古代「円鍼」の分肉の間を刺して肉を傷つけない特性を保ちながら,操作が簡単に――特に刺入時に――できる鍼具を設計しなければならない。このようにしてこそ,『黄帝内経』にある寒邪の深さによって皮と肉の間の異なるレベルを刺す定番の刺法の操作が,真にそのあるべき機能を発揮できるようになる。
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