4 考察
4.1 筋と脈
『素問』皮部論には「皮部以經脈為紀〔皮部は經脈を以て紀(のり)と為す〕」とあるが,実は経筋学説も経脈学説をひな型として構築されている。『霊枢』経筋篇はその経筋が分布し走行する経路や病候・治則という全体の構造にせよ,経筋が分布する道筋を記述する「其の支なる者」「其の別なる者」という体例にせよ,みな『霊枢』経脈篇の十二経脈モデルに準拠している。
著者がこのように処理した内在的な要因は,筋と脈の両者が臨床応用の面で非常に密接な関連を持っていることにある。たとえば,病因から見れば,脈病と筋病には共通の主たる病因である風寒がある。病機からみれば,寒(ひ)ゆれば則ち脈は急(ひきつ)り,脈が急れば則ち痛む。寒ゆれば則ち筋は急(ひきつ)り,筋が急れば則ち痛む。診法から見れば,脈の「是れ動ずれば則ち病む」を診,筋の「筋急(ひきつ)れば則ち病む」を診る。脈の「諸々急る者は寒多く,緩む者は熱多し」を診,筋でも「筋急るは寒(ひ)え多く,筋縦(ゆる)むは熱多し」を診る。治療から見れば,脈痺は「血絡」「結絡」を治療し,筋痺は「筋急」「結筋」を治療して,「結絡」「結筋」を刺すが,ともに貫刺法を用いて「結ぼれを解く」。
したがって経筋病候を筋病の刺法でこれを治療しても脈が平らかにならない場合は,さらに脈をよりどころとして本輸を取って脈を和平な状態に調えなければならない。あるいは筋急・結筋するところがまさに経兪にあたる場合は,まず筋刺法をもちいて筋を調えて柔らげ,さらに脈刺法と輸刺法をもちいて脈を和平な状態に調える。
経筋説も経脈説をひな型として構築されているが,残念なことに,両者の理論の成熟度には差がある。経脈病候の治則には『霊枢』経脈篇に詳しい解説があるほか,他の篇にも異なる角度からの解釈と例が示されている。これにたいして,『霊枢』経筋篇の最も重要な治則治法には解釈もなければ例も示されておらず,あるのは後世の人が字面(じづら)から当て推量した,いろいろな説だけである。
さらに,『黄帝内経』も筋と膜,筋膜と脈・血気との関係を体系的に論述していないため,後世の医家は筋と脈,経筋と経脈の互いに補完し継承する不可分な結びつきを認識できず,筋を「中無有空,不得通於陰陽之氣,上下往來〔中に空有ること無く,陰陽の氣を通じて,上下往來することを得ず〕」(『太素』巻十三・経筋〔「以痛為輸」〕注)と誤って,経筋学説は発展する空間と革新する内在的原動力を失い,唐・宋の際から衰退に向かい,経筋刺法も理論の支えを失って谷底に落ちた。
0 件のコメント:
コメントを投稿