2024年7月1日月曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.3

   3.3挑刺法


 『黄帝内経』で刺法を専門に論じている『霊枢』官針篇では,異なる分類の下に筋痺を刺す定番の刺法を分けて収録していて,一つは「恢刺」,もう一つは「関刺」(「開刺」とする本もある〔『太素』巻22・五刺〕)という。現代人もそれを検討することなく,両者を二つの異なる定番の刺法と考え,「筋刺法」の象徴的刺法としている。実際のところ,この両者は別の医家が同一の刺法を総括したものであり,異なる刺法の名称を使用したにすぎない。


    恢刺者,直刺傍之,舉之前後,恢筋急,以治筋痹也〔恢刺なる者は,直に刺すに之を傍らにし,之を前後に舉げて,筋の急(ひきつ)りを恢(ゆる)め,以て筋痹を治するなり〕。(『靈樞』官針)

    關刺者,直刺左右,盡筋上,以取筋痹,慎無出血,此肝之應也,或曰淵刺,一曰豈刺〔關刺なる者は,直に左右に刺して,筋上を盡くして,以て筋痹を取る,慎んで血を出だすこと無かれ,此れ肝の應なり,或いは淵刺と曰い,一に豈刺と曰う〕。(『靈樞』官針)


 「恢刺」の名称とその意味について,楊上善は「恢,寬也。筋痹病者,以鍼直刺傍舉之前後,以寬筋急之病,故曰恢刺也〔恢は,寬なり。筋痹の病なる者は,鍼を以て直刺し傍らに之を前後に舉げて,以て筋急の病を寬(ゆる)める,故に恢刺と曰うなり〕」(『太素』巻22・十二刺)と解している。筋が急(ひきつ)れば,縮んで短くなるので,急(ひきつ)るものを柔らかくする。「筋急を恢する」とは,その筋を寛(ゆる)やかにしてやわらげることである。楊上善の注はまことに『内経』の意図を得ていることがわかる。

 「関刺」を『太素』は「開刺」に作り,意味においてまさる。「恢刺」とは,拘急短縮した筋をゆるめるという,その効用を言い,「開刺」とは,傍らの筋に刺すという,その刺法の特徴を言っている。

 操作から見ると,恢刺法は「之を前後に挙ぐ」というので,挑刺〔挫刺〕法であることが知られ,まさに浅刺すべきで,深ければ挙げることはむずかしい。関(開)刺では,刺鍼の深さが「筋上」であることが明らかなので,最も深くても分肉の間(現代の解剖学の浅い筋膜と深い筋膜の分間に相当する)を超えないことが分かる。

 『霊枢』官針の「恢刺」と「関 (開)刺」の描写を総合すると,挑筋刺法を操作する要点を得ることができる。すなわち,まず筋の傍らに直刺してから,さらに上に持ち上げて左右に揺り動かす。今日に至るまで,民間の鍼挑療法における「挑筋法」の操作は,二千年以上前の挑筋古法と軌を一にしていて,「恢刺法」の生きている伝承となっており,また鍼挑点の選択においては,筋の急(ひきつ)りが最もひどく,最も痛む点を選択することを強調している。これもまた我々が今日最も重要な治則治法である「痛むを以て輸と為す」を正確に解読するための有力な証拠を提供している。

 もしも『霊枢』官針に掲載されている「恢刺」と「関(開)刺」が名称は異なっていても同じ手法であることを早くから見抜くことができていれば,二つの文を互いに参照することで経文の本来の意味をより正確かつ完全に把握することができ,理解にそれほど多くの相違を生じることはなかったであろう。

 挑刺法における貫刺法との最も大きな違いは,病がある筋を直接には刺さず,その近くに鍼を用いてを挑(はね)ることにあり,これも古典鍼灸の特徴を最もよく表わしている筋病刺法である。

 もし分刺法の操作において,円鍼で分肉の間に刺入した後,挑刺の操作を加えて,上に上げて左右に振ると,「合刺」〔上文を参照〕の多方向刺の効果を収めることができて,治療効果を明らかに高めることができる。分刺から伸展した各種の皮と肉の異なる深さの間で操作する鍼法に挑刺の動きを加えると,一鍼で多くの鍼を刺す効果を収めることができる。鍼を病むところに至らせる「貫刺法」に挑刺法の操作を加えることさえできる。たとえば,現代中国で最初に報道されたのは,結筋貫刺法による疼痛証の治療例であり,貫刺と挑刺を組み合わせを採用して顕著な治療効果を得ている[13]。 

    [13] 江一平. 针灸肩臂痛病案介绍[J].江苏中医,1963(1):26-27.

 また「浮刺者,傍入而浮之,以治肌急而寒者也〔浮刺なる者は,傍らより入れて之を浮かせ,以て肌の急(ひきつ)れて寒(ひ)ゆる者を治するなり〕」とあるように,この定番の刺法は「恢刺」の操作および主治と類似して,単に病位が浅いだけであり,挑刺の動作を加えることで治療効果を著しく高めることができる。現代の鍼挑療法と浮鍼療法は,すでに古典的な筋病刺法と組み合せた革新として臨床に根拠を提供している。

 現代人に経筋病の象徴的な刺法とされている「恢刺」(別名「閉(開)刺」)は,筋病の診療理論が衰微するのに伴い,主流となった医学の中に隠れて目立たなくなったが,伝説のように民間鍼挑療法として伝承され発展し,この療法の象徴的な鍼術となった。まさにいわゆる「礼失わるれば,諸(これ)を野に求む」〔古い礼が伝承されていなければ,これを民間に探し求める。『漢書』芸文志に見える孔子のことば〕である。


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