3 老官山金傷死候簡と関連伝世文献の互校互釈
伝世文献の中で,叙述の仕方が老官山金傷死候簡に最も近いのは,『素問』刺禁論である。人体の急所で最も近いのは,『諸病源候論』巻36・金瘡初傷候である。
簡一六二:金傷。傷百節,斬絲骨,死。
「絲(系)骨」を,宋代の骨解剖学文献である『聖濟總錄』巻191・〔鍼灸門〕骨度統論は「肺系骨」「肺系」に作る。『黃帝內經太素』巻27・十二邪で,楊上善は,「肺系為喉通氣之道」と注している。用語の規範化から考えれば,老官山医簡の「系骨」と比べれば,伝世文献が「肺系骨」に作るのはより明確である。なぜなら「系」は,人体の構造名として特定の部位を指すのではないが,「肺系」は特定の構造だからである。
気管断裂が致命傷であるという認識は,宋元明清,歴代の法医学の鑑識によって確認されている。『洗冤集錄』が論じている急所に「喉下」があり,明代の法医学を代表する著作『實政錄』はさらに「咽喉」を致命傷の部位に入れた。明代の王文謨は『濟世碎金方』に「秘傳繼周打傷方」を収録し,その第一条で「氣管斷即死,不治」と明言している。説明を要することは,救急処置術の進歩に伴い,金傷によって気管が断たれても救うことができるようになった。たとえば,「(清)南伯安輯」の題がある『穴道拳訣』は,金傷による気管断裂の麻酔と縫合および術後の看護の全過程を詳細に記述している[11]。
[11]丁继华.古代中医伤科图书集成 导引伤科[M].中国中医药出版社,2021:178.
簡一六三:金傷。傷青上跬四寸,跛。
この簡にある「跬」は,老官山『十二脈』の足太陽脈の「出外踝後胿」にある「胿」と源を同じくしていて,「腨」字と同じで,『黃帝內經』では,「踹」とも書かれている。足太陽脈が循行する部位である「胿」は「陥凹」の意味で用いられていることはすでに知られており,特定の固定的な部位を指すものではない。しかし,簡一六三の「上跬四寸」は,明らかに一つの特定の部位である。その負傷の症状である「跛」から下腿部にあると大体判断できるが,具体的にどこにあるかは伝世文献と結びつけて判断する必要がある。この竹簡の文と関連する伝世文献は以下の通り。
刺腨腸內陷,為腫。(『素問』刺禁論)
承筋,一名腨腸,一名直腸。在腨腸中央陷者中,足太陽脈氣所發。禁不可刺。(『黃帝明堂經』)
承筋不可傷,傷即令人手脚攣縮。(『聖濟總錄』卷194・誤傷禁穴救鍼法》)
伏兔一;腓二,腓者腨也;背三;五臟之腧四;項五。此五部有癰疽者死。(『靈樞』寒熱病)
腿肚,雖不致命,傷重亦可致命。(『重刊補註洗冤錄集證』卷1・驗屍[12])
[12]文晟等.重刊补注洗冤录集证.验尸:卷一[M].道光甲辰(1844)刊本.
以上の時期が異なり,分類が異なる文献は,みな下腿の腨腸〔腓腹筋〕を傷つけてはならないとする。特に,『素問』『聖濟總錄』に記載されている腨腸を刺傷することによる症状である「腫」「手脚痙縮」は,簡一六三に記載されているのとほとんど同じで,「上胿四寸」と「腨腸中央」の関連に,より有力な証拠を提供している。「上跬四寸」は下腿腨腸の中央(承筋穴に当たるところ)であるので,「胿」は腨腸下端の陥凹(承山穴に当たるところ),すなわち『黃帝明堂經』に述べられている「承山,一名魚腹,一名腸山,一名肉柱,在兌腨腸下分肉間陷者中」である。これから分かるように,この竹簡の「胿」字と『十二脈』の「胿」字には,いずれも「陥凹」の意味がある。しかしながら簡一六三の「胿」の字形は,「承山」「魚腹」「腸山」「肉柱」という名称とは,みな離れている。その他の伝世文献にも「腨腸下分肉間陷」を「胿」という例は見えないので,この簡に誤字や脱字がある可能性を排除できない。
簡一六四:金傷。傷頭角嬰脈,旋。
伝世の鍼灸・金傷・法医学の諸家の文献は,みな額の角・太陽穴は傷つけるべきではないとし,「頭角嬰脈」の具体的な解釈さえ見られる。
頭維,在額角髮際,夾本神兩旁各一寸五分,足少陽、陽明之會。刺入五分,禁不可灸。(『黃帝明堂經』)
眼小眥後一寸,太陽穴,不可傷,傷即令人目枯,不可治也。(『聖濟總錄』卷194・誤傷禁穴救鍼法)
『醫心方』巻2に引用される曹氏の不可灸20穴に,「維角者,在眼後髮際上至角脈是也……不可妄灸」とある。この額の角の脈を「角脈」とし,老官山金傷死候簡は「頭角嬰脈」という。一方は詳細で,もう一方は省略されているが,かならずしも頸部の脈と無理に解釈しなくてよい。
二つの金傷の源となった文献である『諸病源候論』と『外臺祕要方』に記載された金傷の致命傷部位には,ともに「眉角」があり,宋以下の法医学文献の致命傷部位にもみな「額角」「太陽」があって,金傷簡と一致している。
簡一六六:金傷。斬纓脈,血出不止,死。
この「纓脈」はまた『素問』*にも見え,頸部の大脈を指す。『黃帝明堂經』では「人迎」と名づけられている。『醫心方』は,曹氏の禁灸穴と『范汪方』が論じる癰が発する危険な場所を引用しているが,そこにはともに「胡脈」とある。これは人体の急所を言っていて,ここを傷つけると,出血が止まらなくなって死ぬ。
*『素問』通評虛實論。
人迎,一名天五會。在頸大脈動應手,俠結喉旁,以候五藏氣,足陽明脈氣所發。禁不可灸,刺入四分,過深不幸殺人。(『黃帝明堂經』)
胡脈,在頸本邊主乳中脈上是也,一名榮聽,人五藏血氣之注處也。無病不可多灸,熟則血氣決泄不可止。(『醫心方』卷2引ける曹氏禁灸穴)
其血瘤,瘤附左右胡脈,及上下懸癰・舌本諸險處,皆不可令消,消即血出不止,殺人,不可不詳之。(『外臺祕要方』卷29引ける『深師方』)
老官山金傷死候簡は頸部の「纓脈」を例として大脈を傷つけて,血が出て止まらなくなると死ぬことを説明している。また簡一六九も,「血出不止,死」という。およそ「動が手に応」ずる大脈を傷つけると,血が止まらずに出続けて死に至る可能性があるのは,「纓脈」一箇所だけに留まらないのは,明らかである。そのため『諸病源候論』巻50・金瘡候は,総括して「若傷于經脈,則血出不止,乃至悶頓」という。すなわち金刃によって大脈が傷つけられれば,流血が止まらず,失神して死亡する可能性がある。
以上の各家の人体の急所に対する認識を見ると,鍼師の認識はより深く,定性的な認識があるだけではなく,一歩進んだ数量化の指標もある。具体的には人迎脈は人体の急所であるが,生と死の間の尺度を精確に把握すれば,鍼し灸することができるだけではなく,その上しばしば起死回生の要穴でもある。
簡一六七:金傷。傷孅嬰,青,陰不用。
孅嬰とは,両側の下腹の鼠鼷部を指す。鍼灸の経験によって,ここが傷つけられると,青腫・陰不用の症が引き起こされる可能性があることが明らかになった。
刺氣街中脈,血不出,為腫鼠僕。 新校正云:按別本「僕」一作「鼷」。(『素問』刺禁論)
氣街を刺して脈に中(あ)たり,血が出ないと鼠蹊部が青く腫れるのは,簡一六七に述べられていることと一致する。鼠鼷とは,両側の下腹部で股〔大腿〕と接するところである。『醫心方』巻2の「陰廉」穴の下にある楊上善『黃帝內經明堂』の注に「羊矢亦曰鼠鼷,陰之兩廉,腹與股相接之處」とある。
氣衝(一作「氣街」),在歸來下,鼠鼷上一寸,動脈應手,足陽明脈氣所發。刺入三分,留七呼,灸三壯,灸之不幸使人不得息。主……陰疝,痿,莖中痛,兩丸騫,痛不可仰臥。(『黃帝明堂經』)
腧穴の作用には二面性があり,腧穴の主治病症は往々にして誤って傷つけたことによる病症でもある[13]。気衝穴の主治病症にはまさに「陰疝・痿〔インポテンツ〕」の症があり,簡一六七の金傷による病症と一致している。
簡一六五:金傷:傷股,從辨䐃,死。
簡一六八:金傷:傷臂臑,從辨䐃,死。
この二つの簡は,人体の大きな筋肉が横に断裂すると致命的であることを指摘している。『諸病源候論』巻36が引用する初期の金傷文献も,金刃で傷つき「腓腸を横に断たれれば」,致命的であることを指摘している。このほか,『黃帝內經』と『黃帝明堂經』に明確な関連文がある。
伏兔,在膝上六寸起肉,足陽明脈氣所發。禁不可灸。(『黃帝明堂經』)
身有五部:伏兔一;腓二,腓者腨也;背三;五臟之腧四;項五。此五部有癰疽者死。(『靈樞』寒熱病)
清代の刑部の官僚は,殴り合いによる殺人事件の中には,「膊・胯・腿等厚處被毆死者〔上肢・下肢の,ぶ厚いところを殴打されて死んだ者〕」が確かに何人かいることに気づいた[14]。しかし,これらの部位が傷ついて死亡する確率は「頂心」などの急所よりも低いため,『大清律例』や律例館が編纂した官修書『律例官校正洗冤錄』では「致命傷部位」としては名を連ねていない。
[14]郎廷栋.洗冤汇编[M].保顺斋藏板,1718.
簡一六九:金傷。折頭傷腦,血出不止,死。
頭を骨折し脳を傷つければ,それだけで死ぬ可能性があるが,さらに大脈を傷つけて「血出不止〔出血が止まらない〕」と死亡するリスクは高まる。脳を傷つけて死亡することについては,金傷・鍼灸・法医学の各文献にみな明言されている。特に『諸病源候論』などの金傷文献は脳の損傷の症状に対してとりわけ詳しく述べている。
自餘腹破腸出,頭碎腦露,並亦難治〔自餘(このほか)腹破れ腸出で,頭碎け腦露わるるも,並びに亦た治し難し〕。(『諸病源候論』卷50・金瘡候)
夫被打,陷骨傷頭,腦眩不舉,戴眼直視,口不能語,咽中沸聲如㹠子喘,口急,手為妄取,即日不死,三日小愈〔夫れ打を被り,骨を陷(おちい)らせ頭を傷(そこな)い,腦眩(くら)んで舉がらず,戴眼直視し,口 語る能わず,咽の中 沸く聲 㹠子(いのこ)の喘ぐが如く,口急(ひきつ)り,手妄りに取るを為し,即日に死せざれば,三日にして小(すこ)しく愈ゆ〕。(『諸病源候論』卷36・被打頭破腦出候)
又破腦出血而不能言語,戴眼直視,咽中沸聲,口急唾出,兩手妄舉,亦皆死候,不可療。若腦出而無諸候者可療〔又た腦を破り血を出だして言語する能わず,戴眼直視し,咽の中 沸く聲し,口急(ひきつ)り唾出で,兩手妄りに舉ぐるは,亦た皆な死候にして,療す可からず。若し腦出づるも諸候無き者は療す可し〕。(『外臺祕要方』卷29・金瘡禁忌序一首)
『外臺祕要方』によれば,『諸病源候論』巻36の「即日不死」の前には「皆死候,不可治」といった類の脱文があるはずである。原文が描く症状をみると,頭部の外傷後の陥没骨折による脳損傷であり,頭蓋内血腫を合併すれば,負傷者の大部分は早期に死亡し,「三日」も延命しない。もし頭蓋内血腫を伴わない軽度の脳挫傷であれば,即死せず,「三日にして小しく愈ゆ」る可能性はある。
簡一七〇:金傷:傷百節帶會,訊(迅)而死。
この簡が述べる「傷百節帶會」も脳外傷であり,その予後「迅(すみや)かにして死す」から見ると,簡一六九の内容よりも致命的な脳の領域である。この簡は,伝存する法医学文献が人体の致命的な部位を「必死の場所」と「死を速(まね)く場所」に分けた認識の源と見なすことができる。
「百節帶會」の具体的な位置について,関連する伝世文献から探究する。
刺頭中腦戶,入腦立死〔頭を刺し腦戶に中(あ)たり,腦に入らば立ちどころに死す〕。(『素問』刺禁論)
経文にいう「立ちどころに死す」と,竹簡に述べられた「迅かにして死す」はまさに一致しているが,「脳戸」の具体的な位置については,古今の注家の理解は一致してない。確実なことは,この部位では脳の実質であり,かつ脳の生命中枢に鍼を深く刺入できことである。このような部位は,『靈樞』海論に二箇所記載がある。その上輸は「其の蓋」にあり,下輸は「風府」にある*。その中の「風府」の位置は明確であり,宋以降の歴代法医学文献は「致命」の場所と定めている。上輸である「其の蓋」について,楊上善は「上輸腦蓋,百會之穴」(『太素』巻5・四海合)と注し,清代の沈彤『釋骨』は,「頭之骨曰顱,其上曰顛(亦作巔),曰腦蓋,曰腦頂,亦曰頂」[15]という。すなわち髄海の上輸である「其の蓋」は,法医学文献でいう「頂心」であり,百会穴があるところに当たる。
[15]陆拯.近代中医珍本集 医经分册[M].2版.浙江科学技术出版社,2003:467.
*『靈樞』海論:「腦為髓之海,其輸上在於其蓋,下在風府」。
既存の史料から知られることは,遅くとも宋代には「頂心〔頭頂部〕から脳を刺せば死を速(まね)く」ことが,医家以外の人にすでに知られていたことである。たとえば,宋の真宗の時代,礼部尚書の張詠は益州の知府〔長官〕であったときに,妻が平らな頭の鉄釘を頂心に打ち込んで夫を殺す事件を二件,目の当たりにした[16]。法医学者の宋慈は先人と当時の人の経験を系統的に総括して,その検死の規準を作成した。「如男子,須看頂心,恐有平頭釘〔如(も)し男子ならば,須(すべか)らく頂心を看るべし,恐らくは平頭の釘有らん〕」*。
[16]钱斌作. 洗冤集录的世界[M].青少版.安徽科学技术出版社,2022:103.
*『洗冤集錄』卷1・四・疑難雜說上。
https://archive.org/details/02092495.cn/page/n17/mode/2up
宋以降,歴代の法医学文献はみな「頂心」を致命箇所とした。また清代の『律例館校正洗冤罪録』は更にすすんで,「頂心」の左右両側も一撃で死に至る絶対的な致命の場所と認定した。
簡一七一:〼□血二斗,死。
伝存する医籍でも「血出でて止まざれば,死す」「出血多ければ,立ちどころに死す」と多く言われるが,このように精確な定量指標によって予後を判定することはまれである。現代医学知識によれば,出血は人体の血液容量の60%を超えると治癒できない。通常,人体内の血液総量は体重に比例し,体重の約7%~ 8%を占めている。もし体重が60 kgの人であれば,血液総量は4200 ~ 4800mLであり,秦漢の時代の「二斗」は現在の4000mLに相当し,60 kg成人の全血液量に近いので,必ず死ぬ。
簡一七二:金傷,傷三毛,從陰及陽脈,死。
「三毛」とは,『諸病源候論』巻36の金傷致命部位である「攢毛」であり,陰部の叢毛である。「陰及陽脈」とは,男女の陰部を指す。宋代の法医学鑑定の専門書『洗冤集錄』に並べられている急所では,男子は「陰嚢」,女子は「陰門」であり,宋以降の法医学鑑定は,みなこれに従っている。
傷科の文献,たとえば危亦林の『世醫得效方』正骨兼金鏃科の「十不治症」篇には「陰子を傷破する者」[17]が掲載されている。陰子は「腎子」とも表現され,睾丸を指す。明代の王文謨『濟世碎金方』秘傳繼周打傷方は「腎子受傷,入小腹者,立死不治;腎子受傷皮破者,腎子未上小腹,可治〔腎子 傷を受け,小腹に入る者は,立ちどころに死して治せず。腎子 傷を受け皮破るる者も,腎子未だ小腹に上らざれば,治す可し〕」[18]という。もし陰嚢〔睾丸〕が脱出しても破砕しなければ,まだ救える術がある。たとえば元代の王承業と顧東甫の『接骨入骱全書』は陰囊縫合術を掲載して次のように言っている。「如有捏碎陰囊陰戶,卵子拖出者,以指輕輕擎上,油綿線縫合,外將金瘡藥封固,若不發熱寒,竟將吉利散治之,次服托裡散;如發寒熱,急投疏風理氣湯。如卵子捏碎者,此凶癥,不治也〔陰囊陰戶を捏(こ)ね碎きて,卵子拖(ひ)き出づる者有るが如きは,指を以て輕輕に擎(も)ち上げ,油綿線もて縫い合わせ,外は金瘡藥を將(も)って封(と)じ固む。若(も)し熱寒を發せざれば,竟に吉利散を將(も)って之を治し,次に托裡散を服(の)ましむ。如(も)し寒熱を發すれば,急ぎ疏風理氣湯を投ず。卵子の捏(こ)ね碎くる者の如きは,此れ凶癥にして,治せざるなり〕」[19]1108。
[17]危亦林.世医得效方[M].中国中医药出版社,2009:730.
[18]王文谟.济世碎金方[M].中国中医药出版社,2016:236-237.
[19]丁继华.伤科集成 续集[M].中医古籍出版社,2006:1108,1105.
実際,陰嚢と陰戸〔女性生殖器の外陰部〕は直接的な致命箇所ではないが,ここには神経が多く分布しているため非常に敏感であり,損傷は疼痛によるショックをまねき,致命的である。これについては,『接骨入骱全書』もすでに認識していて,「陰囊・陰戶・肛門穀道傷極者,痛切難忍,毒血迷心,未有不死者也〔陰囊・陰戶・肛門穀道の傷 極まる者は,痛切 忍び難く,毒血 心を迷わせ,未だ死せざる者有らざるなり〕」[19]1105と述べている。しかし現代の医療条件の下では,ショックを防げれば,睾丸の摘出や陰嚢の修復術をおこなって命を救うことができる。
以上の出土文献と伝世文献の対比を通じて,以下のことが分かった。分類の異なる文献の人体の急所に対する認識の多くは近いが,同じ人体構造に対する命名には大きく異なるところがあるし,同じ種類の文献の中でも同一構造組織に対する表現も前後で異なることさえある。このような「同じ構造組織でも名称が異なる」という現象が広範囲に存在することは,後世の人が正確に理解するうえで大きな困難となり,人体の急所の認定にも一定の混乱をもたらした。