15-7 鍼法要集 源長起撰
京大富士川文庫所蔵(シ/七一〇)
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003599
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003598〔シ/626〕
鍼法要集序 〔傍注‥要、當作略〕
夫鍼灸者救急之法干而能刺則 〔干‥あるいはカナの「ニ」か〕
其功湯液ニ勝雖然左右上下
?陽表裏血氣之多少邪之有
處病之居處ヲ知經脉之行道
ヲ審シ補瀉委敷而是ヲ刺者也
偶其名有者ヲ見ルニ或鍼ヲ下
ニ以而不下或ハ片手ヲ以シ或ハ 〔以‥「似」か〕
扇ヲ以而是ヲウチ或水銀之刀ヲ 〔傍注‥刀、当作力〕
以テ鍼ヲ出入シ只忍痛之労無ク
ウラ 428
而人々之眼ヲ驚シテ其名ヲ得
爰ヲ以テ其功無シ此故鍼道益
衰ユ月々ニ微日 小ニシテ今ハ只
鍼道庸醫盲人之業ト成夫歎
可シ猶可悲凡鍼ハ?陽天地
八風四時之理ニ應而左右上下
是ヲ刺スニ皆法則有其道ヲヲ 〔上の「ヲ」‥「干」と同字か〕
以テセハ病及愈可シ其道ヲ以テ
セサレハ病必愈コト不能故凡
鍼ヲ用ント欲セハ必先意難諸家
オモテ 429
之書ヲ譜ンシ五經六腑十二經ヲ
〔譜は「諳」、「經」は「臟」の誤字か〕
照ラカニシテ行可シ雖然◇人愚 〔◇‥「門」か〕
盲之輩是ヲ知ル?能ス故ニ竊ニ
素靈八十一難甲乙千金外臺明
道之書扁ヲ集メ其不可成ヲ捨
而其可成ヲ舉日〃ニ一二行ヲ書シ
テ遂ニ積テ一部ニ至リ別テ上下ト
為ス名テ鍼法要集ト題ス初
ニハ皆脉ヲ謂フ次ニハ按腹之法鍼
刺之禁法及ヒ五臓六腑之論営
ウラ 430
衛三焦命門包絡之辨或疾病
之論ヲ舉ケ及ヒ九鍼之カタチ五兪
之有處募穴之有處下兪ノ治
スル所謂(いわゆる)五行及絡脉ノ論補瀉
迎随ヲ演ヘ次ニハ症ヲ分テ鍼ヲ用
ニ誤無キ?ヲ識シ婦人小児外科
之部ニ至ル亦悉ク盡而已予他ニ
アラハス所ヲ覚ヘ諳スルニ至ラハ何
之病ニ向トモ治サル叓勿ル可シ 〔叓‥「事」の異体〕
時寬政壬子年夏六月丙辛 〔辛‥判読に自信なし〕
メクラヘビノ先生 源長起序
【訓み下し】
鍼法要集の序 〔傍注‥要、當作略〕
夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち其の功、湯液に勝る。然りと雖も、左右上下、陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下すに以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは扇を以てして是れをうち、或いは水銀の力を以て鍼を出入れし、只だ忍痛の勞無く
ウラ
して、人々の眼を驚かして、其の名を得。爰(ここ)を以て其の功無し。此の故に鍼道益々衰ゆ。月々に微に、日々に小にして、今は只だ鍼道、庸醫盲人の業と成る。夫れ歎く可し。猶お悲しむ可し。凡そ鍼は陰陽天地、八風四時の理に應じて、左右上下、是れを刺すに、皆な法則有り。其の道を以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。其の道を以てせざれば、病必ず愈ゆること能わず。故に凡そ鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家
オモテ
の書を諳んじ、五經〔臟〕六腑、十二經を照(あき)らかにして行う可し。然りと雖も、◇〔門〕人愚盲の輩、是れを知る事能わず。故に竊(ひそ)かに素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、其の可成るを舉げ、日々に一二行を書して、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と為す。名づけて鍼法要集と題す。初めには、皆な脉を謂う。次には按腹の法、鍼刺の禁法、及び五臓六腑の論、營
ウラ
衛三焦、命門包絡の辨、或いは疾病の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪の有る處、募穴の有る處、下兪の治する、所(いわ)謂(ゆる)五行及び絡脉の論、補瀉迎隨を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いるに誤り無き事を識(しる)し、婦人、小兒、外科の部に至る。亦た悉く盡くすのみ。予、他にあらわす所を覺え諳んずるに至らば、何の病に向うとも治せざる事勿かる可し。
時寛政壬子年 夏六月丙辛〔「丙辛」が正しいとすると「丙申」か〕
メクラヘビノ先生 源長起序
【注釋】
○寬政壬子年‥寛政四(一七九二)年。「寬」は「寛」の異体。
鍼法要集の序 〔傍注‥要、當作略〕
【意訳】『鍼法要集』の序文 〔『鍼法略集』の序文〕
夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち其の功、湯液に勝る。
【意訳】鍼(灸)は,急病を治療する方法として,上手に刺せば,その治療効果は,湯液を上回る。
然りと雖も、左右上下、陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。
【意訳】しかし,左右・上下・陰陽・表裏・血気の多少,邪のある場所・病のいる場所を知り,経脈がめぐる道を知り尽くし,補瀉をくわしく知って,刺すものである。
偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下すに以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは扇を以てして是れをうち、或いは水銀の力を以て鍼を出入れし、只だ忍痛の勞無くして、人々の眼を驚かして、其の名を得。
【意訳】偶然,有名な鍼師を見たところ,鍼を刺し入れるようで入れず,あるいは片手だけで刺入し,あるいは扇子で鍼を叩き,あるいは,鍼に水銀を塗って,その滑らかなのを利用して鍼を出し入れして,鍼を刺されたときの痛みを軽減して,患者を驚かせて,その名声を得ている。
爰(ここ)を以て其の功無し。
【意訳】そういうわけで,鍼の治療効果というものはない。
此の故に鍼道益々衰ゆ。
【意訳】こういうことだから,鍼の技はますます衰えてしまうのだ。
月々に微に、日々に小にして、今は只だ鍼道、庸醫盲人の業と成る。
【意訳】月ごとにかすかになり,日ごとに小さくなり,現在では単に鍼の技は,薮医者や盲人の職業となっている。
夫れ歎く可し。猶お悲しむ可し。
【意訳】嘆かわしいことである。悲しむべきことである。
凡そ鍼は陰陽天地、八風四時の理に應じて、左右上下、是れを刺すに、皆な法則有り。
【意訳】一般に鍼は陰陽・天地・八風・四時の道理に応じて,左右・上下に刺すのだが,これにはすべて法則がある。
其の道を以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。
【意訳】その道理に従って鍼をすれば,病は治癒に導くことができる。
其の道を以てせざれば、病必ず愈ゆること能わず。
【意訳】その道理に従わなければ,病は必ず治癒することができない。
故に凡そ鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家の書を諳んじ、五經〔臟〕六腑、十二經を照(あき)らかにして行う可し。
【意訳】したがって鍼を使用して治療しようと望むならば,かならずまず意思を堅固にして,多数の専門家の書物を暗唱して,五臓六腑・十二経脈を理解してからおこなうべきである。
然りと雖も、◇〔門〕人愚盲の輩、是れを知る事能わず。
【意訳】しかしながら,門下生や盲人のたぐいは,このことを知ることができない。
故に竊(ひそ)かに素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、其の可成るを舉げ、日々に一二行を書して、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と為す。
【意訳】そこで,私見により『素問』『霊枢』『八十一難経』『鍼灸甲乙経』『千金方』『明堂』の書を収集して,よくないものは捨て,よいものを取り上げ,毎日一行か二行ほど書き出して,結果として一つの書物にまでなったので,これを上下の二巻に分けた〔シ/七一〇は,卷の下のつぎに続編がある。/なお『臨床鍼灸古典全書』15の目次は,「絡脈之論第十五」と「痺証痿証第六拾三」の間が抜けている〕。
名づけて鍼法要集と題す。
【意訳】書名を『鍼法要集』とした。
初めには、皆な脉を謂う。
【意訳】巻頭では,「診脈の法」を論じた。
次には按腹の法、鍼刺の禁法、及び五臓六腑の論、營衛三焦、命門包絡の辨、或いは疾病の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪の有る處、募穴の有る處、下兪の治する、所(いわ)謂(ゆる)五行及び絡脉の論、補瀉迎隨を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いるに誤り無き事を識(しる)し、婦人、小兒、外科の部に至る。亦た悉く盡くすのみ。
【意訳】つづいて,「按腹の法〔第二〕」「鍼刺の禁法〔と施灸の禁法・第三〕」,それから五臓と六腑の論〔第五・第六〕,営衛・三焦〔第七〕,命門・包絡について弁論〔第八〕し,あるいは疾病に関する論証〔第九〕を挙げ,九鍼の形状〔第十〕,五兪の所在〔第十一〕,募穴の所在〔第十二〕,下兪の治〔=下合穴,第十三〕,いわゆる五行〔第十四〕と絡脈〔第十五〕の論,補瀉迎随〔第十六〕を述べた。〔以上で,巻之上,終わり〕
予、他にあらわす所を覺え諳んずるに至らば、何の病に向うとも治せざる事勿かる可し。
【意訳】わたくしが,これ以外に著わしたもの〔巻之下のことか〕を覚えて暗唱できるようになれば,どのような病を相手にしても,治療できないことはないであろう。
時寛政壬子年 夏六月丙辛〔「丙辛」は「丙申」か〕
【意訳】時は寛政4年夏6月29日〔1792年8月16日。/『野史(やし)』に「(寛政四年六月)二十九日丙申,江戸地震,是夜,震富士山,巌石飛死者二十餘人」とある(武者,1943b)〕
https://sakuya.vulcania.jp/koyama/public_html/Fuji/fujid/1792.html
メクラヘビノ先生
【意訳】メクラヘビの先生〔シ/626にはない。〕
源長起序
【意訳】源 長起 序文を書く
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(識語)
右鍼法要集全
卷之上下、續編
迄却而一百十有
壹枚者、因鍼醫
之望紙數ともに
本書之侭不顧愚
筆、享和三癸亥
年秋、於小川町邊
写之畢
右,『鍼法要集』全卷の上下、續編迄,却って一百十有壹枚の者、鍼醫の望みに因って,紙數ともに本書の侭,愚筆を顧みず,享和三癸亥年〔1803〕の秋、小川町の邊に於いて之を写し畢わんぬ。
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