2019年3月31日日曜日

2019.3.17 粗読講座 『霊枢』大惑論第八十(担当:米谷)

・前段は眩暈とそこから発生する「惑」について。
・眩暈の病理については、書き方がやや込み入っており、先に『諸病源候論』目眩候を読んでからの方が理解し易そうだ。

・後半は健忘・睡眠などについて。「巡らすのが大事」
・疑問点。衛気が、陽を行くと陽気、陰にあると陰気、という書き方である。
 衛気が陰に行くと陰気になってしまう。そもそも気は一つなのか?いくつもあるのか?
 陽の働きをするから陽気、陰の働きをするから陰気(という考えがある)
 陽の特徴があるから陽気、陰の特徴があるから陰気(という考えがある)
 陽気と陰気は、源が異なる、まったく異質のものなのか?(例えば衛気は「悍氣之慓疾」から出ている)
 それとも気はあくまでも一つの「気」であり、場面によって、場所によって陰陽真逆の働きをしてしまうだけなのか?
 そもそも血と気は不可分である、という説も聞いたことがある。
 気血は不可分
 →気と血が分離
 →気は一つだが、場面・場所によって違う働き
 →生成段階から陰気・陽気など異なる気として作られる
 という認識の発展があったのかも?

2019年2月22日金曜日

2019.02.17 粗読:『霊枢』腸胃、平人絶穀(担当:中野)

・腸胃第三十一
口から直腸に至る全消化器官について、大きさ、長さ、容量を列挙し、どのようにお腹に収まっているかなども含めて説明している。
----------
広腸の「左環葉脊上下辟」でなぜ「辟」が使われているのか。
→ 現代語訳では「ひらく」と読んでいるが漢辞海ではこの意味はない。
  → 大漢和では「闢」に通ずるとして「ひらく」の意味がある。
→ 上行結腸と下行結腸が上下に走っていることを表す?
→ 大腸が腹腔の外側を周回している様を「ひらく」で表現している?
※ ここはあれやこれやといろんな意見が出ました。

最後に胃のはじめから腸の終わりまでを六丈四寸四分としているが、それまでの記載から計算すると五丈九尺四寸。
→ その差は十尺四寸。どこかの部位の記載が抜けたのか。。。?
→ 次の平人絶穀第三十二の「腸胃之長」は、五丈八尺四寸で近い。こちらの方が正しい数字か?

・平人絶穀第三十二
人が絶食してから死亡するまでの期間を七日とし、数値からその根拠を説明している。
胃と腸には常時、穀物が二斗、水が一斗五升、計三斗五升が留まっている。
便は日に二回で一回分が二升半、一日五升となる。何も食べないと七日で三斗五升を使い果たし、水穀、精氣、津液すべて尽きて死んでしまう。
----------
解剖して摘出した消化管に、水や穀物を実際に入れて内容量を計測したと想像される。

胃腸に入る水穀の量を「九斗二升一合合之大半」としているが、それまでを合計すると「九斗二升一合合之大半+八分合之一」。
これだけ詳細に計測しているのに八分の一合ずれてる。
→ はじめはもっと細かかった数値を後の大雑把な人に書き換えられた?
→ 八分の一合は「0.125合」。「合之大半」に含まれるということか?

上焦・下焦の部分は、唐突に出てきて前後との関連も無いように思われる。
→ どこかから紛れ込んだか。

この時代の常識として、便通は一日二回ということがわかる。

・この二篇を通して
広腸の「広」は「大」と通じるか。内容からも広腸=大腸と考えられる。

小腸の直径が「八分分之少半」など、かなり細かく計測されている。
→ 数字にこだわった流派があった?それとも消化器官へのこだわりか?
→ 標準値を管轄する公的機関みたいな組織があったのか?

江戸時代の医師の名前に「玄」が多い理由

小林健二先生が作成した『日本医家伝記事典』「日本医譜人名索引」によれば,『日本医譜』に掲載された名前の冒頭に来る文字は「玄と宗がダントツ」。
(人名、名、字、号、称、一作にあたる5,657項目調査による。)

玄=253。宗=228。元=148。以下省略。
2字目に来るのは,庵=257。安=102。山=97。以下省略。

単なる想像だが,「玄」が一番多いのは,曲直瀬玄朔(1549--1631)の影響が大きいのではないか。
その門人には「玄」がつくひとが多い。
それにあやかって,医師の名として「玄」字が多く選択されたのではないか。

また「元」字も「玄」に,音も意味も通じる。
(馬元台=馬玄台。『赤水元珠』=『赤水玄珠』。)

なお,『日本医家伝記事典』は,日本内経医学会にて購入可能です。

2019年1月22日火曜日

2019.01.20粗読講座「五味第五十六」担当:こみやま

( )内はこみやまの意訳

①穀気の生理学

黄帝曰.願聞穀氣有五味.其入五藏分別奈何.
(黄帝が尋ねた。「聞きたいことがある。穀気には五つの味があるけれど、それは五蔵にどうのように分別されて入るの?」)

伯高曰.胃者.五藏六府之海也.水穀皆入于胃.五藏六府.皆稟氣于胃.五味各其所喜.
穀味酸先走肝.穀味苦先走心.穀味甘先走脾.穀味辛先走肺.穀味鹹先走腎.
穀氣津液已行.營衞大通.乃化糟粕.以次傳下.
(伯高はこれに答える。「胃は五蔵六府の海です。食事(水穀)はすべて胃に入ります。五藏六府は胃から気をもらい受けることになります。その際、気は五つの味に分かれそれぞれ行きたい所へ向かうのです。
食べ物の味が酸っぱいのは肝へ、苦いのは心へ、甘いのは脾へ、辛いのは肺へ、塩辛い(鹹)のは腎へ向かいます。
穀気の津液は、ほどなく営衛として体全体をめぐり、やがて糟粕と変化して、大小便として出ていきます。」)
※「走」は「ゆく」くらいの意味ならば「之」や「往」や「行」などとの違いがあるのだろうか。早足で向かう意味が含まれているのだろうか。
※突然現れた「津液」がわからない。「津液」というキーワードはこの時代では、またはこの文章を書いた人にとって常識だったのか。ただ単に栄養のような解釈で良いのだろうか。



黄帝曰.營衞之行奈何.
(これを受け黄帝は「營衞のめぐりとはどのようなものか?」と尋ねた。)

伯高曰.穀始入于胃.其精微者.先出于胃.之兩焦.以漑五藏.別出兩行營衞之道.
大氣之搏而不行者.積于胸中.命曰氣海.出于肺.循喉咽.故呼則出.吸則入.
天地之精氣.其大數常出三入一.故穀不入半日則氣衰.一日則氣少矣.
(伯高はこう答えた。「穀はとりあえず胃に入り、その精微なものは、まず胃から両焦(上焦と中焦)へ行き、五蔵を潤します。それとは別ルートとして営と衛の二つの道をゆきます。
その気の多くはあつまりめぐらずに、胸中に積もります。それを気海と呼びます。気海は肺から出てのどをめぐるので、呼吸と共に出入りすることになります。
天地の精気はそのおおまかな規則として「出三入一」があります。それ故に半日食事をしないと気は衰え、丸一日食事をしないと気は不足してしまいます。)
  ※「両焦」は上焦と中焦のことなのか。林先生の発表に沿うならば、成立年代は新しいということか。また、上記の「走其所喜」と「之兩焦」の「ゆき方の違い」はあるのだろうか。
※胸中に積もり気海と名付けられる「大気」とは五蔵を潤した精微なるものなのか?
※「出三入一」という規則は何を指すのか。食事として入り、大小便と汗の出る三つ?呼吸法として呼3吸1のタイミング?

②五味の配当

黄帝曰.穀之五味.可得聞乎.
(さらに皇帝がのたまう。「穀の五味のこともう少し詳しく教えてほしい。」)

伯高曰.請盡言之.
五穀.秔米甘.麻酸.大豆鹹.麥苦.黄黍辛.
五菓.棗甘.李酸.栗鹹.杏苦.桃辛.
五畜.牛甘.犬酸.猪鹹.羊苦.雞辛.
五菜.葵甘.韭酸.藿鹹.薤苦.葱辛.
(伯高がいう。「詳しく話させて頂きます。
五穀の五味は、うるち米は甘、ゴマは酸、大豆は鹹、麦は苦、きびは辛です。
五果の五味は、棗は甘、すももは酸、栗は鹹、あんずは苦、桃は辛です。
五畜の五味は、牛肉は甘、犬肉は酸、豚肉は鹹、羊肉は苦、鶏肉は辛です。
五菜の五味は、葵の味は甘、韭は酸、豆の葉は鹹、薤は苦で、葱は辛です。)

③五味と病(顔色)の関係

五色.黄色宜甘.青色宜酸.黒色宜鹹.赤色宜苦.白色宜辛.
凡此五者.各有所宜.所言五色(宜)者. 
脾病者.食秔米飯牛肉棗葵.
心病者.食麥羊肉杏薤.
腎病者.食大豆黄卷猪肉栗藿.
肝病者.食麻犬肉李韭.
肺病者.食黄黍雞肉桃葱.
五禁.肝病禁辛.心病禁鹹.脾病禁酸.腎病禁甘.肺病禁苦.
(顔色と味の関係は、顔色が黄色っぽい人は甘いものを好み、青色っぽい人は酸っぱいものを好み、黒色っぽい人は塩辛いものを好み、赤色っぽい人は苦いものを好み、白色っぽい人は辛いものを好みます。
この顔色と味の五つの関係は、各々の好み(宜)ということなので、五宜と呼ばれています。 
脾を病むものはうるち米、牛肉、なつめ、葵を食するのを好む。(甘)
心を病むものは麦、羊肉、あんず、薤を食するのを好む。(苦)
腎を病むものは大豆の芽、豚肉、栗、藿を食するのを好む。 (鹹)
肝を病むものはゴマ、犬肉、すもも、韭を食するのを好む。(酸)
肺を病むものはきび、鶏肉、桃、葱を食するのを好む。(辛)
また、五蔵の病には五味に対してそれぞれ禁忌があります。
肝病には辛、心病には鹹、脾病には酸、腎病には甘、肺病には苦が禁忌となります。)
※「宜」は妥当であることや、適切であることと捉えるならば、「脾病にはうるち米、牛肉、なつめ、葵を食するのがよい。」ともとれる。
※最後の五禁は「金克木」の相剋関係でまとまっている。


④別伝!五蔵と五味の関係

肝色青.食甘.秔米飯牛肉棗葵皆甘.
心色赤.食酸.犬肉麻李韭皆酸.
脾色黄.食鹹.大豆豕肉栗藿皆鹹.
肺色白.食苦.麥羊肉杏薤皆苦.
腎色黒.食辛.黄黍雞肉桃葱皆辛.
(肝は青色を主っているので、甘を食するのがよいです。うるち米、牛肉、なつめ、葵などはすべて甘です。
心は赤色を主っているので、酸を食するのがよいです。犬肉、ゴマ、すもも、李などはすべて酸です。
脾は黄色を主っているので、鹹を食するのがよいです。大豆、豚肉、栗、藿 (豆の葉)などはすべて鹹です。
肺は白色を主っているので、苦を食するのがよいです。麦、羊肉、あんず、薤 (のびる)などはすべて苦です。 腎は黒色を主っているので、辛を食するのがよいです。きび、鶏肉、桃、葱などはすべて辛です。」)
※ここの意訳はどうしてよいのかわからなかったため、現代語訳の本からそのまま採用している。ここでの「宜」は適切であるという意味で捉えているようだ。
※ここでの関係は相生や相剋ではない。五行を円上に配置すると色と味の関係線がごちゃごちゃするが、土を中心に置くとすっきりする。『素問』と『霊枢』の五行が相剋に当てはまらない文章をこの形に変形してまとめて分類するとどういう結果がでるのだろうか。

2019年1月2日水曜日

成城生活

 12月31日に、成城に往診。お宅はさほど広くはないのですが、ところどころに、自分の家とは違うなと感動しました。

 居間は何畳かわかりません。12畳くらいでしょうか。ぼくは畳の枚数でしか広さを確認できないので、お手上げです。おそらく、設計屋さんは、日本の人では無いかもしれません。

 セントラルヒーティングです。居間も、キッチンも、廊下も、トイレも、暖かいのです。ストーブの姿はありません。我が家のように、石油を補給するとか、石油が高くなって嘆くとかは無いのです。

 母娘でおせち料理を作っていました。お正月の準備に忙しそうです。年中行事やしきたりを守って、伝統を受け継いでいる様子でした。こういう筋の通し方をするお宅を目の前にして、自分の筋の無さを自覚しました。

 おそらく、多分、このようなお宅にうかがうには、それなりのマナーがあるのだと思うのです。手土産、行く時間、帰る時間、靴の脱ぎ方など、そういうふうに躾られていないので、おそらく、多分、だいぶ失礼なことをしているんだろうなあと思います。


 

富士山と男体山

 武蔵野線で西に向かい、荒川の鉄橋を渡るとき、左に富士山、右に男体山がみえました。両方同時に見えたのは初めてで、ひとりで感動しました。

 そもそも男体山が見えるのは、1年の中でもそんなに多くない。今年は、12月下旬になってようやく見えました。二つの山が見えたからどうなんだ、と言われそうですが、いつも二つの山を意識していることが、小さな幸せなのです。日本のあちこちに、地元富士があるのと、おなじような気分なのかもしれません。

 関東平野から浅間山も見えますが、冠雪したすがたは富士山によく似ています。


2018年12月30日日曜日

粗読講座:霊枢雑病二十六 経脈名は明示されているがそのどこを取ればよいかわからない

江口さん,
こういうときは,黄龍祥先生が唱えている「経脈穴」説も,考えてみましょう。
「経脈穴」説とは,
むかしむかしのこと,あるところを刺激すると,遠いところの疼痛・疾病がよくなった。
その時,確実に認識されたのは,ツボと疾病・疼痛部の二カ所のみでした。
その刺激部位=ツボと疾病・疼痛部を線で結んでみた。
これが経脈です。
刺激部位=ツボは,手足の三陰三陽で命名された。
ツボが先,経脈は後と考えます。経脈は,仮想の線です。

 一般に,馬王堆から出土した十一脈(『足臂十一脈』『陰陽十一脈』)には経脈名しかないので,経脈が先,後から経穴が発見された,と考えられていますが。

黄龍祥説によれば,初期の経脈名=治療穴名で,その場所は原穴付近にある。

そこで,『鍼灸甲乙経』に掲載されている原穴付近の穴と,『霊枢』雑病(26)に書いてある,各経脈名にある疾病・病名を比較する。

ぜひ『霊枢』雑病(26)と『鍼灸甲乙経』に掲載されている原穴の主治病証の対応表を作成して,研究なさってください。

それでこれに類似性が見いだせるのであれば,経脈名=経脈穴=各経の原穴説に根拠があることになります。

というより,『鍼灸甲乙経』の三部を構成している,その一部である『明堂経』の著者が『霊枢』雑病(26)を参考にして,経穴の主治症を書いているか否かが,わかります。

結果の発表を楽しみにしています。

川原 秀城著『数と易の中国思想史 術数学とは何か』

http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100879

本書の一番最後にある論文「術数的思考と中国医学」は,『内経』1996年3月号(No.87)に掲載された,20年以上も前に書かれたモノ。
https://plaza.umin.ac.jp/~daikei/shiryo/daikeishi.html

この『内経』誌の前号,No.86には,石田秀実先生の「伝統医学の形成期をどうとらえなおすか」が掲載されている。

そのまた前の号No.85には,『現代語訳 黄帝内経』の訳者のひとりでもある藤山和子先生の「『黄帝内經素問』の寸口診について」が掲載されている。

これらに関心があれば,

https://plaza.umin.ac.jp/~daikei/shiryo/daikeishi.html
「データDVDの販売
内経誌の創刊号から200号までをPDFファイルにしてDVDに収めました。
会員限定の販売となります。
事務局へお申し込みください。」

ということで,入手閲読可能です。

季刊内經 No.213 2018年冬号

季刊内經No.213を発行、発送しました。届いていない方は、事務局までご連絡ください。
過去号の索引を今回の最新号まで更新しましたので、そちらもご利用ください。

季刊内經 No.213 2018年冬号
項目題名執筆者
21302巻頭言古典とのつきあい方天満博
21305翻訳老官山漢墓から出土した鍼処方簡の解読黄龍祥
21366合宿発表兵法書と内経(資料・前編)土山絵里佳
21377連載受講の折々⑦ 『霊枢』天年篇 第五十四大八木剛夫
21382コラム過去から未来へ黛奈奈
21387告知最近のWebの活用について小宮山乃輔
21388末言みんなでやること神麹斎